中島らも『アマニタ・パンセリナ』あらすじ考察 睡眠薬・シャブ・ブロン・抗うつ剤・大麻・酒、その先には何があるのか?

アマニタ・パンセリナ 散文のわだち
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中島らものエッセイ『アマニタ・パンセリナ』をご存知ですか?

1995年に集英社より刊行された、危ない匂いのするドラッグエッセイです。作者自身が経験したリーガルドラッグをはじめ、様々な文献から情報収集したイリーガルドラッグについてまで、彼なりの面白可笑しい見解が記されています。

中島らもの死因は、泥酔状態で階段から落下した際の脳の損傷でした。とにかく彼は根っからのアル中、それどころか咳止めシロップや、睡眠薬、精神薬など、あらゆる中毒に侵されていました。そんな彼が実体験を交えながらドラッグについて語る、いささかジャンキーな散文であります。

しかしながら、飲んだくれのいちびった与太話というわけではなく、ドラッグに対する品格や美意識、ひいては違法ドラッグの正しい知識を教えてくれる、一種の社会派エッセイとも呼べます。

今回は、様々なドラッグについて語られる内の、睡眠薬、シャブ、咳止めシロップ、大麻、LSD、抗うつ剤、アルコールについての各章を紹介しようと思います。

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『アマニタ・パンセリナ』の作品概要

作者中島らも
発表時期 1995年(平成7年)
ジャンルエッセイ
テーマドラッグの体験談、
ドラッグの品格、
ドラッグに対する正しい知識

『アマニタ・パンセリナ』の内容

ガマを舐め、殺虫剤をかぎ、毒キノコを喰らい、都市ガスやフレオン、硝酸アミル、ブタンを吸い。連中はどこへ行こうというのか。

『アマニタ・パンセリナ/中島らも』

①睡眠薬

ラリパッパ」とは、いわゆる睡眠薬中毒者を指す言葉です。

現在でも街の心療内科に駆け込んで、「眠れません」と申告すれば簡単に手に入るお薬ですが、1960年代から70年代にかけては規制が緩く、至る所にラリ公が溢れていたようです。実際に中島らもは、3度の睡眠薬中毒を経験しています。

そもそも睡眠薬で「ラリった」場合、どうなるのでしょうか。

外見的には、目がトロンとして、呂律が回らなくなり、体の動作がトロくなって、タバコに火を付けるのも覚束なくなります。酷い場合は歩けなくなってしまいます。

内面的には、知覚がおかしくなる「効いてきた」感覚に嬉しくなって、とりあえずハイになります。頭の中の酩酊感は、目が回った時の酔いに似ています。睡眠薬だからといって眠くなることはなく、頭の一部は高揚して冴えている状態です

中島らもの体験談から言うと、自虐や反逆のツールとして使われているうちの薬は大したことがなく、薬が目的になった瞬間に人は中毒になってしまうようです。

なぜ中毒者たちは、薬による酩酊が目的になってしまうのでしょうか?

人間はポジティブな生産活動を行うと同時に、他方では自失、つまり酩酊を求めまています。それは、異界への脱出なのです。子供にとっての公園のブランコの揺れのようなもので、平衡を失ったブランコの揺れは異界への入り口への助走のような状態を意味します。次第に振れ幅が小さくなると現実が近づいてきて、やがて母親の声で正気に呼び戻される構図です。中毒者たちは、こういった心の遊戯装置に再び舞い戻っているのです。

酒と睡眠薬の同時摂取によって肝臓が弱った中島らもは、30代にして呂律が廻らず、手も震えて、まっすぐ歩けなくなっていました。高揚し、万能感があり、直感は鋭くなっていますが、文字が書けず喋れもしません。

こういった薬の弊害によって、人間は間違いなく死との距離を縮めていきます。薬による酩酊を語るのは、生死を語ることと同義なのです。しかし、生き残っている限りその真相は見えてこないので、いくら薬について論理や神秘で語ろうが、結局は全てうわ言に過ぎないのです。

②シャブ

シャブとは最も愚劣なドラッグだ

と、中島らもは語ります。

ドラッグには品格のようなものがあって、ジャンキーが、それと承知で自ら摂取する場合には、高貴とは言えませんが、ドラッグは賤しいものではありません。ところがシャブは、生い立ち、社会との絡み、個人に及ぼす作用、どれをとっても愚劣なのです。

シャブを発見したのは日本人です。戦争中にヒロポンという愛称で、特攻隊員に与えられたのが始まりです。戦後ヒロポンは市中に流れ、需要に応じて公然と大量生産されていました。日本国内で覚醒剤の取り締まりが厳しくなると、今度は韓国の闇の外貨獲得産業と日本のヤクザのルートが確立され、国内に輸入されました。韓国とのルートが日本警察によって打撃を受けると、今度は台湾とのルートで国内に輸入されるようになりました。一方、輸出先が絶たれた韓国は、内需拡大させ、自国民をシャブ漬けにして利益を生み出すようになりました。

結局、シャブが幾度となくブームになるのは、「義」よりも「金」が優先された結果なのです。拡販の方法も、売人がシャブと知らせずに無知な人間に摂取させたり、暴力団員が愛人をシャブ漬けにして逃げ出さないようにしたり、疲労回復、ダイエットなどを掲げて主婦層やOLに売りつけることもしばしばあります。

自らドラッグに接近したジャンキーたちは、極論勝手に死ねばいいのですが、無知な人間をターゲットにして拡販されるシャブは愚劣であり、人間の卑しさを象徴しています。

シャブは人間のスイッチをオンとオフの2つだけにしてしまいます。オンの時は何時間でも眠らずに動き続けられるのですが、オフになった瞬間せき止められていた疲れが一気に押し寄せます。不思議なもので再度シャブを打てばその疲れは一瞬で消滅します。よって、人間の本能的にオンの状態を継続させようとするため、シャブ漬けになる訳です。むしろそんな甘いものではありません。一気に押し寄せる疲労に耐えきれず、必然的に抜け出せなくなってしまうのです。

20年前にシャブで捕まった槇原敬之が、再度シャブで捕まる、まさにそういうことです。

以上のように、シャブが蔓延するのは情報が不足しているからなのです。情報を持たない人間がシャブの資金源にされる構造が確立されています。

人間辞めますか、シャブ辞めますか」などと抽象的な啓発をするのではなく、なぜ人間を辞めることになるのか、という正しい情報を普及させることが、シャブに対する危機感の第一歩なのです。

③咳止めシロップ

咳止めシロップには、コデインというアヘン系統の成分が含まれています。そのため過剰に摂取すると、ふわっとした快感を得ることができます。

中島らもは10年来のブロン中毒で、快楽よりも禁断症状を抑えるためだけに飲み続けていました。コデインには酒や煙草を遥かに上回る依存性があります。服用を辞めると、酷い下痢になり、全身が寒気に襲われ、喉に大量の痰が絡まり、とろ火で煮られているようなダルさが続きます。

常用者は「ブロンを飲むとスタミナがつく気がする」と主張しますが、禁断症状のダルさが改善されただけのことであり、決してプラスの状態になることはありません。

ブロン中毒が社会現象になり、マスコミが問題を煽ることで逆に中毒者拡大に繋がるのではないかと懸念されることがありました。しかし、実際に中毒になる人間はいかなる場合でも一定数だと、中島らもは主張します。酒の宣伝が世界一多い日本でも、アルコール中毒になるのは一部の人間だけです。ともすれば、情報が中毒を拡大することは考えにくく、むしろ性教育のように正しい情報を届けることが、抜本的な改善に繋がるのです。

いくら正しい情報を持っていても、中毒になる人は中毒になります。それは確実に一定数いて、そんな人間は放っておけばいいのです。重要なのは、情報不足故に中毒になる人間を減らすことです。




④大麻

男にふられて自暴自棄になっている女が、ドラッグをやる場合には非常に面倒な具合になることが多いようです。

つまり、ドラッグというものは普段から慣れていないと、一過性のグレで摂取しても正しい効能が得られないのです。それどころか、周囲が女のゲロの始末をする羽目になります。

落語家の若手がハワイに行った際に、路上で買ったマリファナを仲間と回し喫みした話があります。

彼らは早速ホテルで、どことなくお茶の匂いに似ていて、変わった味がするハッパを吸いました。ところが、いくら待っても特に効いてきた感覚は訪れません。そもそも、そこにいた仲間たちは、誰1人としてマリファナを吸った経験がなく、どういう効能があるのかさえ知らなかったのです。勝手なイメージで、意味もなく笑い転げてしまう、くらいの想像をしていました。

連中が効能を感じられないまま煙管を回していると、突然仲間の1人が笑い転げ始めます。すると、周囲にも伝染して、その場にいた皆がゲラゲラと明け方まで笑い続けました。ついに彼らは効いてきた感覚を堪能し、マリファナは非常に愉快な体験をもたらしてくれると実感したのでした。

ところが、彼らが吸ったのはマリファナではなく、ただのお茶の葉っぱだったのです。

要するに、薬物とは異物視しているうちは本来の効能を得ることができないのです。初めて大麻を吸った人間が、特に効果を感じられないことはしばしばあります。それは違法薬物として構えた態度で摂取するからです。薬物とは受容と同化によって、初めて本質が見えてくるものなのです。

連中がお茶の葉っぱで効いたのは、暗示効果や脳回路の誤作動だと思われます。結局、人間の内側には全てが内在しており、ドラッグとは無茶な方法でそれらを作動させる鍵のようなものなのです。

⑤LSD

中島らは、「放送禁止ライブ」というテレビの特番に出演した際に、忌野清志郎と共演しました。他には、石田長生、憂歌団、チャー、野村義男など、そうそうたるメンバーが出演していました。

当時の中島らもは、咳止めシロップのブロンを絶って、禁断症状に苦しんでいた時期で、体調があまり優れませんでした。そんな世間話を楽屋で話していると、ミュージシャンたちは一瞬静まり返った後に大爆笑しました。清志郎も涼やかな目で中島らもを見ています。要するに、共演したミュージシャンたちは本物のドラッグの地獄を潜り抜けて来た経験者であり、中島らもだけがリーガルな咳止めシロップ中毒者だったのです。

途端に中島らもは恥ずかしくなります。彼はコカインも、ヘロインも、LSDも経験したことがないのです。

しかし彼は、LSDは経験したことがないのですが、LSDだと言われてホワイトライトニングと呼ばれる訳のわからないシートを飲み込んだ経験はあります。シートを口に含んで20分、頭の中が「イーッ」として、身体中がムズムズして落ち着かなくなります。部屋一杯にロックを鳴らして、徹夜明けの体で八時間踊り続けたのです。

この経験はLSDではなく、あくまでホワイトライトニングによる効能だと彼は主張します。そういうわけで、中島らもはイリーガルで強烈なドラッグに手を出したことがありません。物書きとして、是非経験してみたいと思うのですが、今さら手を出しても「かっこわるい」気がするのでした。

⑥抗うつ剤

若い頃にうつ病を経験して以来、幾度となく再発している中島らもです。事実、この『アマニタ・パンセリナ』というエッセイを執筆している時期にも、かなり重度のうつ病が再発したようです。

友人が勤める病院に行って抗うつ剤を処方してもらったのですが、効果が出るのに1週間はかかると言われ、酷く失望します。酒を飲んで誤魔化しても、首切りやハンマーのイメージがしょっちゅう襲って来ます。

「で? どうするんだ」

自分の内側から問い詰められます。首吊りは紐をくくりつけるものが家にない、手首を切るのは成功率が低い、包丁で首を切る練習をしてみるが気が進まない、死ぬなら確実に死ねる方法でないと無様だと感じていたのです。

悩んだ末に辿り着いた案は、飛び降り自殺でした。かつて住んでいた高層マンションが死場所にぴったりだと思い、タクシーで向かうことに決めます。

とは言え、妻子がいて、書きたい本もあるのに、どうして自分が死ななければいけないのか、という反論が芽生えます。同時に、病気で寝たきりになる前に自分でケリをつけるべきだ、という的を得た考えも押し寄せます。中島らもは生死の葛藤の末に、遺書らしきものを書いて、高層マンションに向かおうとしました。

その時にちょうど家のチャイムがなって、彼のマネージャーがやって来ました。中島らもはマネージャーに、「うつ病で自殺念慮が出ているので、今すぐ自分を精神病院に放り込め」と伝えます。

こうして中島らもはギリギリのところで生への執着を取り戻しました。

彼は抗うつ剤と抗不安剤を摂取しながら、自分はこれからも「生に向かって開かれた書物」を書くだろうと考えています。しかし、それが駄作だったらどうしようと思っては、また抗うつ剤を飲むのでした。

⑦アルコール

これからはお酒を、”楽しみ”として飲むことは諦めてください

幅5メートル、長さ7メートル、深さ1メートルのプールに相当する量の酒を飲んだ中島らもが、医者に言われた忠告です。それでも彼は、家族に隠れてプールを泳ぎ続けていました。

ところが暫くしてうつ病が再発し、あと少しで自殺するところまで悪化しました。病院から処方された抗うつ剤によって、精神は落ち着き始めたのですが、今度は逆にアルコール中毒と絡み合って、躁病が酷くなります。時間の観念と空間の観念がぐちゃぐちゃになって、他人の部屋に入ったり、夢遊病のような状態になったり、本人の意識とは別の部分で、かなり危険な行動をとっていたようです。

現実を再認識し始めた頃には、アルコールによる痛手を認めざるを得ませんでした。それで彼は酒を断つことを決心します。

酒はいい奴であり、酒自体に一切の罪はありません。付き合い方を間違えると、あの奇妙なプールで足掻く羽目になるのです。

このエッセイが書かれた当時は、確かに禁酒していたようですが、結局酒に酔った状態で階段から落下し、それが原因で彼は死んでしまいました。だからと言って、彼の生き方を誰に非難できるのでしょうか。ただ彼の作品を読んで、社会がネガティブに捉えて隠してしまう、正しい情報を身に付けること、その先は個人の問題であり、人がとやかく言える問題ではないのです。




読書感想文

「人間やめますか、シャブやめますか」

我々は人間をやめるために酒に依存し、女に依存し、訳の分からない錠剤を噛み砕いて、それでも逃れられない大きな流れから、なんとか必死になって逃げている最中なのです。その突破口は果たして死に直結しているのでしょうか?

中島らものように、うつ病の果てに自殺願望まで芽生えれば、逃避行は本当の意味での消滅を意味するでしょう。しかし消滅自体は、中島らもが言うように、天啓のようなものに過ぎないのです。若くして死んでしまうジャンキーもいれば、キースリチャーズのように顔がシワだらけになるまで生き延びる超人もいます。人間と世界を繋ぎ止めるのはドラッグではないように、ドラッグによって人間と世界の繋がりが事切れることもあり得ないのです。あくまで本質を問えばということにはなりますが。

体に悪いと分かっていながらドラッグを服用する自失願望・自己消滅願望は、限りなく死に遠い場所にある感情のように思われます。本当に消滅したい人間は、誰に相談することもなく、パッと飛び降りるでしょう。ところが我々はあーだこーだ言いながら、あらゆるものに依存して、結果的に生に執着しているのです。「いつか死ぬぞ」と周囲に忠告されながら大酒を喰らう人間は、「みんないつかは死ぬのであって、俺は今日を生きるために大酒を喰らうのだ」と胸の内で思っていることでしょう。その証拠に、中島らもは酒を飲み、抗うつ剤を飲みながら、生に開けた作品を書き続けました

ただし、生への執着のための依存であれど、シャブのように愚劣なものは避けるための最低限の知識は必要です。社会は薬物を異物視したり、抽象的にタブー化するのではなく、正しい効能を周知させる必要があります。正しい知識を持った上でシャブを打つ輩を排除するために情報を機密化すると、かえって無知な人間が犠牲になる、と言うことを今一度理解するべきでしょう。

自己消滅とは単なる手段に過ぎず、その先に存在するのは必ず生への執着である、私はこのエッセイからそういった強烈なメッセージを受け取りました。

以上、中島らものエッセイ『アマニタ・パンセリナ』のあらすじと考察の説明を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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