村上春樹『めくらやなぎと眠る女』あらすじ考察 ノルウェイの森の後日譚

めくらやなぎと眠る女 散文のわだち
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村上春樹の短編小説『めくらやなぎと眠る女』と言えば、『蛍』と同様に、のちに『ノルウェイの森』へとまとまっていく系統の作品です。

ただし『めくらやなぎと眠る女』は直接的に『ノルウェイの森』と関係があるわけではなく、ある種ファンにとって同系統の世界観をほのめかす嬉しい作品になっています。

ちなみに『ノルウェイの森』執筆後には、『めくらやなぎと、眠る女』と多少タイトルを変更して改稿されています。(改稿版は『レキシントンの幽霊』に収録)

『めくらやなぎと眠る女』作品概要

作者村上春樹
発表時期1983年(初稿)
1995年(改稿)
ジャンル短編小説
テーマ人間の内外の差異
精神を蝕む憂鬱のメタファー

オリジナル版は、作品集『蛍・納屋を役・その他の短編』に収録されています。

改稿版の『めくらやなぎと、眠る女』は、作品集『レキシントンの幽霊』に収録されています。

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『めくらやなぎと眠る女』あらすじ

あらすじ

仕事を辞めて一時的に故郷に戻っていた「僕」は、従兄弟の耳の治療に付き添うことになります。従兄弟はボールで怪我をして以来、片耳が難聴になったのですが、実際は精神的な問題が関係しているらしく、病院に行っても原因が掴めない状況が続いています。

従兄弟の診察中、病院の食堂でコーヒーを飲んでいた「僕」は、親友のガールフレンドが胸の手術をした際に、二人でお見舞に行った高校時代の出来事を思い出します。

あの時彼女は、「めくらやなぎ」という地中に深く根を伸ばす架空の植物についての作り話を披露しました。めくらやなぎの花粉をつけた蝿が、女の耳に潜り込んで、内側から肉を食べてしまう。彼女を救うために若い男が訪ねた頃には、彼女の体は蝿に食べられてしまっていた、という歪な物語でした。

病院からの帰り道に、従兄弟は映画『リオ・グランデの砦』の話をします。劇中の「インディアンを見ることができたというのは、本当はインディアンはいないってことです」という台詞が、耳のことで同情される度に想起されるようです。

一緒に見舞にいった親友が死んだことを思い出しながら、「僕」は従兄弟の耳の中にいるのかもしれない「蠅」のことを考えます。羽音があまりにも低いため、誰もその存在に気づかないのかもしれません。

親友のガールフレンドのその後を思い出せないまま、「僕」と従兄弟はバスの扉が開くのを待つのでした。

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めくらやなぎと眠る女』個人的考察

個人的考察

『ノルウェイの森』との接点

『蛍』と違って直接的な繋がりはないものの、『ノルウェイの森』の中盤には、高校時代に直子が胸の手術をした際に、ワタナベとキズキがお見舞いに行った出来事が語られます。

ともすれば、『めくらやなぎと眠る女』は、『ノルウェイの森』の登場人物に当てはめて考察することが可能です。

親友の死はキズキの自殺を想起させます。親友のガールフレンドの「その後」が思い出せない点は、直子の死に深く悲しんだ当時の精神状態が関係しているのかもしれません。

あるいは『蛍』と対になる点から考察すれば、手紙で別れを匂わせた彼女と「その後」再会できなかったことを暗示しているのかもしれません。『蛍』で語られなかったその後の物語を『めくらやなぎと眠る女』で補完しているという考察ができるわけです。

他にも大学時代から付き合っていた彼女と別れた、という設定が綴られています。直子と死別した後に、ミドリに電話をかける場面で幕を閉じる『ノルウェイの森』から考えると、大学を卒業した後には、ミドリとの関係も終わってしまったという後日談が垣間見れるのでした。

「めくらやなぎ」が象徴するもの

「めくらやなぎ」という架空の植物は、地中に深く根を伸ばし、闇を養分にして成長するという設定でした。要するに、この世界に存在する憂鬱の根源を象徴しているのでしょう。

その憂鬱の花粉をつけた蝿が女の耳に入り込んで、内側から肉を食べるという物語は、親友のガールフレンド、つまり直子が精神的な問題に支配されていく様子をメタファー的に表現していたのだと思います。

蝿に侵された「眠る女」を救うために小屋を訪ねた男を、親友は「自分のことだ」と口にしていました。ここで気になるのが、彼の言葉に対して、彼女は少し笑うだけで、イエスともノーとも答えなかったということです。

個人的には、男が助けにきた頃には女の体は蝿に食べられていた、という物語の展開から、彼が自分の苦しみに気づいてくれない、という齟齬のようなものを彼女は表現していたのではないかと思います。

女の小屋が丘の上にある、という設定からは、『ノルウェイの森』で山奥の療養所に入った直子を想起させます。高校時代の「僕」には、この「めくらやなぎ」の作り話がいずれ自分に起こる過酷な試練の暗示だとは思わなかったことでしょう。




『リオ・グランデの砦』の台詞の意味

・・・インディアンを見ることができたというのは、本当はインディアンがいないってことです。

『めくらやなぎと眠る女/村上春樹』

耳のことで他人に同情された時に従兄弟が思い出す台詞でした。

難聴の原因が判らず、治療の甲斐もない状況の従兄弟にとっては、この台詞が「目で見ることはできないが、確かに存在する自分の病」と逆説的に結びついていたのだと思います。

だからこそ、従兄弟は自分の耳を「僕」に見せて、違和感を目で感じ取って貰いたかったのでしょう。目に見える「何か」があれば、映画の台詞のように「目に見えるものは本当は存在しない」という哲学に則って、自分の病に折り合いをつけることができたのかもしれません。

目に見えないが確かに存在する従兄弟の病と、「めくらやなぎ」の物語には同様の主題が内包されているでしょう。

つまり、人間を内側から侵食してしまう精神的な問題を、周囲の人間が気づくのは困難であるということだと思います。

周囲の人間はいつも、彼彼女の問題に辿り着いた頃には、既に蝿に肉を食われてしまっているのです。キズキや直子がそうであったように。

あまりにも当然であまりにも悲しい「僕」の過去が、象徴的に描かれていたのでしょう。

改稿前と改稿後の違い

初版については『ノルウェイの森』よりも以前に創作され、改稿版に関しては『ノルウェイの森』から8年後に発表されています。ともすれば、本作は『ノルウェイの森』の前日譚であると同時に、後日譚としての役割も担っていることになります。

改稿によって大幅に削減されたのは、バスの中の老人たちの描写と、従兄弟が異常に時間やお金などの数字に固執している点です。

山登りの停車場など存在しないのに、老人たちが登山の格好をしている違和感。されど彼らが集団であることで自分が異物のように感じられる心情。これはある種、過去の出来事に囚われた「僕」が、現実世界に上手く溶け込めていない様子を表現しているように思います。

従兄弟が過剰に確認する時間や金額は、現実を記号化したものであり、主人公を現実世界に繋ぎ止める存在の象徴なのだと考えられます。

初稿では、こういった精神世界と現実を不安定に行き交う状態のままで、物語が完結します。

一方、改稿後では、めくらやなぎが蔓延る丘を置き去りにした(つまり周囲の人々の内側の問題を見逃した)ことを後悔するものの、従兄弟に手を掴まれた「僕」は、「大丈夫」という言葉を口にします。最後には現実世界に引き留められたわけです。そして、バスの扉を現実への入り口に見立てて、(過去の情念から)別の場所に向かうという表現で幕を閉じます。

要するに、改稿版に関しては、現実の扉を潜って悲しみから抜け出そうとする「僕」の希望的な心情が強調されているわけです。

大幅なカットに関して、作者には元々物語を縮めたい願望があったようです。ただし物語のダイエットによってオリジナルとは違う流れになったという言及も残しています。

『ノルウェイの森』という長編を通して、「ワタナベ」の克服を描いた後だからこそ、後日譚として少し前向きな物語に作り直したかったのかもしれません。それが作者の言う、「違う流れ」を指すのではないでしょうか。




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