魯迅『狂人日記』あらすじ解説|食人文化に隠れた儒教批判

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狂人日記 散文のわだち

小説『狂人日記』は、中国の文豪・魯迅が38歳の頃に執筆した処女作である。

村人たちがグルになって自分のことを食べようと企んでいる、という被害妄想に陥った狂人の物語が日記形式で描かれる。

食人文化を題材にした本作は、当時の中国社会に衝撃を与え、のちに中国近代文学の父と呼ばれる出発点となった。

しかし、この物語は単に食人文化を批判しただけでなく、当時の封建的な中国社会、その支柱となる儒教の虚偽を暴く意図で書かれた。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語に込められた本当の意味を考察していく。

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作品概要

作者魯迅(55歳没)
中国
発表時期  1918年(大正7年)  
ジャンル短編小説
ページ数16ページ
テーマ封建社会の批判
儒教倫理の虚偽
カニバリズム批判

あらすじ

あらすじ

中学時代の友人の見舞いに来ると、すでに病人は回復し、仕事で村を去っていた。友人は被害妄想を患っていたらしく、その当時に書かれた彼の日記に詳細が記されていた。

彼は奇妙な強迫観念に襲われていた。村人が自分をおかしな目つきで見て、ひそひそ噂話をし、薄気味悪い笑顔を浮かべているように感じるのだ。その原因を、古くから続く食人文化と結びつけ、村人がグルになって自分を食べようと企んでいることに気づく。

村人の企みに気づいた途端、皆の言動が全て怪しく見えてくる。診察に来た医者は脈を測る口実で肉付き加減を確かめているようにしか思えない。あるいは村人たちのおかしな態度は、自分を精神的に追い詰めて自殺させるために違いない。

彼はついに兄の元へ行き、食人がいかに野蛮かを熱弁する。村人は今すぐ改心して、自分を食べるのをやめるようにと。「改心しろ、改心しろ」と叫ぶうちに大勢の村人が集まって来て、皆がにやにや笑っている。それに気づいた兄は怖い顔をして、「気ちがいは見せ物じゃない」と村人を怒鳴りつける。

彼は5歳で死んだ妹のことを思い出す。泣き続ける母親を兄が慰めていたのは、兄が妹を食い、そのことで母親に泣かれて気が咎めたからだと気づく。もしかすると、その日の飯には妹の肉が混ざっていて、自分も食べたのかもしない。そして次は自分が食われる番なのだ、と彼は頭を抱える。

まだ人間を食ったことがない世代はいるだろうか。せめて子供だけでもこの野蛮な文化から救ってやらなければいけない、と彼は考えるのだった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

時代背景と魯迅について

中国近代文学の父・魯迅が『狂人日記』を執筆した1918年は、辛亥革命の直後にあたる。

辛亥革命とは、前国家・清が打倒され、新たに中華民国が誕生した革命のことだ。当時、列強に侵略されていた中国(清)が、民主化や科学など、積極的に西洋の文化を取り入れ、強い国家を作る目的でこの革命が起こった。

革命の波は文学の世界にも渡り、民主化と科学を掲げる「新文化運動」が巻き起こる。その先頭に立って活躍したのが魯迅なのだ。

それ以前の魯迅は、実は作家志望ではなく、日本の仙台で医学を専攻する留学生だった。『藤野先生』という小説に、留学時代の恩師について書かれていることは有名だ。

魯迅が日本で医学を学んだ背景には、父親の病死が関係している。当時の中国では、三年霜に打たれたサトウキビや、生涯同棲を遂げたコオロギ、破れた太鼓の皮を飲ませれば病気が治るといった、非科学的な医学が蔓延していた。少年時代の魯迅はそんな迷信を間に受けたせいで父親を亡くした。この経験から魯迅は、祖国の非科学的な医学に疑念を抱き、西洋医学を学ぶために留学を決意する。しかし父親の死が原因で貧困になったため、遠方の西洋に留学する余裕がなく、当時アジアで唯一、西洋化を実現した近場の日本に留学することになったのだ。

しかし日本への留学中、魯迅はある事件をきっかけに作家志望に転向する。当時の日本の学校では、幻燈機と呼ばれる映写機で、日露戦争のニュースを見せていた。その映像には、ロシアのスパイだった中国人が、日本人に公開処刑される様子が映っていた。そして処刑を見物する群衆の中には、好奇心に満ちた表情を浮かべる中国人の姿があった。同胞が処刑されても何も感じず、むしろ面白そうに見物している。そんな腐り切った自国民の精神に魯迅は失望した。これが有名な「幻燈事件」である。

あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとえ体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとえ多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった

『阿Q正伝・狂人日記』自序より

ちなみに、この留学時代の一連の出来事は、太宰治の『惜別』という作品で伝記的に描かれている。当時の同級生の視点で、魯迅の葛藤が描かれて非常に面白いのでおすすめだ。

ともあれ、この事件をきっかけに魯迅は、文学による自国民の精神改造を決意し、その最初の小説として『狂人日記』を執筆したのだ。

そのため食人文化を描いた物語には、単なる食人批判に留まらない、当時の中国社会に対する痛烈なメッセージが込められている。それを次章から考察していく。

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中国における食人文化

主人公が、村人の不自然な言動を、即座に食人に結びつけたのは、作中にも記される通り、中国では古来から近世に至るまで、食人文化(カニバリズム)が続いていたからだ。

もっとも食人文化は中国に限らず、世界各地に存在した。日本でも万病に効く薬食として、人肉を食っていた記録が残っている。そのほかの地域でも、薬食や宗教行為として食人が認められていたが、やがて文明化に伴い禁忌されるようになった。

魯迅の『薬』という作品では、人血に浸した饅頭を食べれば病気が治るという、薬食としての食人文化が描かれるが、しかし中国では日常的な食文化として人を食べていたので、近世になっても長らく続いた。

これは当時の中国の文明が、世界の中でいかに野蛮で遅れを取っていたかを表している。あるいは前述した通り、魯迅は迷信的な医学で父親を亡くした。それも含めて、中国の近代化を進める上でいち早く手放すべき、悪しき習慣だと魯迅は思っていたのだろう。

昔からそうだったかもしれませんが、ぼくたちは、今日からでも、一生懸命に心を入れ替えて、だめだって言えばいいんですよ。

『狂人日記/魯迅』

このように魯迅が、文明を阻害する悪しき習慣を風刺する目的で、食人批判の物語を描いたのは事実である。実際に辛亥革命を経て古い習慣は少しずつ無くなっていく。辮髪べんぱつという文化が衰退したのもこの頃である。

しかし魯迅の食人批判の裏には、もっと重要な風刺すべき対象が隠れている。それは儒教だ。詳しくは次章にて解説していく。

食人批判の裏に隠された儒教批判

作中には「子をえてしかして食ふ」という古語が登場する。食糧不足になった場合、自分の子供を食うのは忍びないため、他人の子供と交換して食べた、という意味である。

さらにもうひとつ、「父母が病気になれば、子たるものは自分の肉を一片切り取って、煮て父母に食わせなくては、立派な人間ではない」という文言が登場する。

いずれも当時の中国社会の支柱だった儒教の教えである。これは食人それ自体よりも、親が子供を食べるという、いわゆる上の者が下の者の権利を軽んじる、封建的な精神を表す。儒教とは過剰に忠義を重んじる宗教なのだ。

目上を敬う精神は悪いことではない。しかし当時の中国社会では、力のある者が忠義の教えを利用して、権力を振り回していた。太宰治が書いた魯迅の伝記小説『惜別』では、次のように記されている。

あの儒教先生たちは、それを末端の行儀作法のごとく教えて、かえって君は臣を侮辱し、父は子を束縛する偽善の手段に堕落させてしまったのです。

『惜別/太宰治』

太宰の言葉を借りて説明するなら、上の者が忠義を利用して下の者を縛り付け、仮に反抗すれば儒教の教えに反するという理由で殺すようなことが、平気でまかり通っていたのだ。

その結果、下の者は上の者に目をつけられないよう、ひたすら従うしかないのだ。この構造を魯迅は食人文化と重ねて描いている。つまり儒教の精神に反対する主人公のような人物は、食べられてしまうのだ。

「狂人」という言葉は、日本では精神異常のことを指すが、中国では「生意気」というニュアンスで使われる。つまり『狂人日記』とは、単に被害妄想者の日記ではなく、儒教の封建的な精神に反対する「生意気な奴の日記」という意味である。

そして村人たちは、「生意気な奴」と思われて食べられることを恐れ、互いに疑心暗鬼になっていた。そのよそよししさが主人公には、自分を危険な目で見ている風に感じられたのだ。

自分では人間が食いたいくせに、他人から食われまいとする。だから疑心暗鬼で、お互いじろじろ相手を盗み見て・・・・

『狂人日記/魯迅』

自分が被害者にならないために周囲をこっそり盗み見し、表面的には周囲に同調する。これは魯迅に作家を志望させた「幻燈事件」の核心を突いている。同胞が処刑されているのに、自分が被害者にならないよう周りに合わせてヘラヘラ笑う。あるいは、そんな懸念もなく処刑を楽しむ本当に無知な人間さえいたのだ。

儒教の虚偽に毒された自国民の精神を改造しない限り、民衆は上の者を恐れて一生声を上げることができない。そうなれば文明を阻害する悪しき習慣は無くならないし、中国の近代化はあり得ない。そんな思いを食人批判に込めて、魯迅は『狂人日記』を書いたのだろう。

そして、そのためにも、せめて次の世代を担う子供たちだけは、食人文化という名の、封建的な儒教の虚偽から救わなければいけない、と考えていたのだろう。

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主人公は食べられてしまったのか

村人の食人に怯える主人公が、その後どうなったのかは、はっきり明かされない。冒頭には、既に病気が治って、仕事で某地に赴いていると記される。これを深読みして、実は彼は既に食べられており、それを隠すために遠くへ行ったと、彼の兄が嘘をついていると考える読者もいるかもしれない。

しかし結論から言えば、彼は生きている、という考察の方が有力だろう。

ここまで読まれた方はお気づきだろうが、彼が患っていたのは、決して被害妄想なる精神病ではなく、儒教の精神に反対する「生意気」という名の病だ。それが完治したということは、再び儒教の精神、それを支柱とする封建的な中国社会に従う、魯迅が言うところの「愚かな自国民」に戻ったという意味に他ならない。

「狂人日記」というタイトルは、彼が完治後に自ら題したものだと冒頭に記される。仮に彼が儒教の精神に反対する意志を持ち続けていたなら、自分で「生意気な奴の日記」なんて題するだろうか。おそらく彼は完治後に、儒教の精神に反対していた頃の自分を内省して、自虐的にそんなタイトルをつけたのだと思われる。

ともすれば、この物語は最低最悪のバッドエンドだ。彼は実際的には食われなくとも、思想の面で封建社会に食われてしまったのだ。

太宰治が書いた伝記小説『惜別』では、魯迅が自国民の精神改造を強く望むと同時に、自分には何もできないと感じて、半ば虚無的な精神状態に陥る様子が描かれる。そうした挫折感や敗北感が、主人公が完治し、思想面で食われたという『狂人日記』のバッドエンドに反映されているのかもしれない。

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『狂人日記』以外のおすすめ作品

魯迅は『狂人日記』のみならず、全ての作品において、当時の中国社会を風刺し、自国民の精神改造に尽力した。

代表作『阿Q正伝』では、革命に便乗して訳もわからず騒いだ阿Qが、無知ゆえに悲惨な末路を歩む皮肉な物語が描かれる。

教科書で親しまれる『故郷』では、少年時代の旧友と再会するも、身分の壁にぶつかる、封建社会を風刺する物語が描かれる。

魯迅は生涯18作品しか発表していないので、全集で読むことをおすすめします。

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