太宰治は犬嫌いだった!? 太宰治の『畜犬談』あらすじ考察

畜犬談 散文のわだち




太宰治の小説『畜犬談』をご存知でしょうか。

1939年に発表された初期の短編小説です。作品集『皮膚と心』に収録されています。

タイトル通り、本作はとにかく犬のことを暴力的な言葉で非難し続けます。

昨今なら、動物愛護団体から苦情が来るのではないかと心配になるくらい、強烈な罵声を浴びせまくります。

しかし、血も涙もない罵声を燃料にした物語というわけでもありません。ちゃんと血の通った太宰治に、涙させられる展開へと誘導されます。

『畜犬談』について調べたところ、「太宰治の作品にしてはテーマが軽い」とか「笑いの要素が強い」などと評されていました。確かに『人間失格』という作品があるくらい、人間の本質に焦点を当てて書き続けた太宰治が、犬嫌いの随筆を執筆するのは、いささか滑稽かもしれません。

しかし、私はこの『畜犬談』が、実際は人間のことを描いた深刻な文学作品のように思えてならないのです。

犬という道化の皮を被った存在を比喩的に描いているだけではないのか、その辺りの考察も交えながら、『畜犬談』のあらすじを紹介したいと思います。

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畜犬談』の作品概要

作者太宰治
発表時期1939年(昭和14年)
ジャンル短編小説、随筆
テーマ犬嫌い、芸術家のあるべき姿

『畜犬談』の300文字あらすじ

犬嫌いな主人公の家に、1匹の犬が住み着きます。彼は大変迷惑しているのですが、噛み付かれることを恐れて、追い払えずにいます。

挙句犬は皮膚病にかかり、日毎に醜くなり、おまけに悪臭を放ちます。主人公はうんざりしています。しかし近々引越しを控えているため、あと数日の辛抱だと自分に言い聞かせます。

ところが度重なる苛立ちに、ある日犬を殺すことに決めます。

主人公は毒を盛った肉を犬に食わせました。しかし毒は効きません。内心犬に対して同情していた主人公は、醜い犬を引越し先に連れていくことに決めます。

芸術家は本来弱いものの見方だ」と、彼は忘れていた信念を思い出すのでした。

『畜犬談』のあらすじを詳しく

①犬嫌いである主人公

冒頭ではまず、主人公がいかに犬嫌いであるかが記されています。

主人公は、いつか必ず自分は犬に噛まれるだろうと考えています。

その理由は、世の飼い主が想像するよりも、犬は猛獣だからのようです。

また、多くの飼い主がその猛獣を養い、家族の一員のように扱う様子は、もはや戦慄だとまで主張しています。一体主人公はなぜそこまで犬に対して憂慮しているのでしょうか。

昨年の晩秋、野良犬に襲われた友人が、21日間も病院に通う羽目になった事件が原因のようです。

21世紀の日本を生きる我々からすれば、野良犬を目にする機会もなければ、犬を憎む気持ちなども共感はできないでしょう。しかし時は1937年、今とは生活様式も文化も法律も何もかもが異なります。実際、当ブログの筆者は南アジアの国を旅行した経験があるのですが、発展途上の国では街中に野良犬がウヨウヨいます。しかも、目つきが怪しく、狂犬病という文字が頭に過ぎるため、かなり警戒してしまいます。当時の日本の街中にも似たような危険な雰囲気が漂っていたのかもしれません。

主人公は、「もし自分が犬に襲われたなら、その犬の頭蓋骨をめちゃくちゃに粉砕し、目玉をくり抜き、ぐしゃぐしゃに噛んで、べっと吐き捨て、それでも足りずに近所近辺の飼い犬をことごとく毒殺する」と、かなり辛辣な言葉で憎悪の気持ちを訴えています。

主人公が日頃から抱いていた犬嫌いは、友人の災難によって飽和点に達したようです。

②犬の忠誠心が卑劣だ!

主人公は山梨県の甲府の街の外れに住まいを借りて、妻と暮らしながら小説を書いています。

甲府には野良犬も飼い犬も多いようです。至る所に犬がいるため、主人公は安心して街を歩けません。そのため、自分の身を守るための対策を実行しています。犬に出会うと満面の微笑を浮かべて、敵意を示さないように務めているのです。

このように、滑稽な方法で犬の機嫌を取り続けた結果、主人公は犬に好かれてしまいます。

彼が街を歩けば、尻尾を振った犬がぞろぞろ後を着いてきます。あれほど憎んでいたのに、結果的に犬に好かれるとは、とても皮肉です。

当然彼は堪忍ならないようです。それどころか、ここでも再び自分は犬が嫌いだとはっきり断言しています。

「たかだか日に一度や二度の残飯の投与にあずからむが為に、友を売り、妻を離別し、おのれの身ひとつ、その家の軒下に横たえ、忠義顔して、かつての友に吠え、兄弟、父母をも、けろりと忘却し、ただひたすらに飼い主の顔色を伺い、阿諛追従てんとして恥じず、ぶたれても、きゃんと言い尻尾をまいて閉口して見せて家人を笑わせ、その精神の卑劣、醜怪、犬畜生とは、よくも言った。」

『畜犬談/太宰治』

犬の忠誠心は卑劣」だと、その特徴を叙述しています。

飼い主から飯を貰う為なら、家族や仲間を見捨てる軽薄さが、不潔だと感じているようです。

しかし主人公は「自分と似ている気がして嫌だ」と付け加えています。

③醜いポチとの出会い

犬に襲われない為にあれこれ対策を考えた結果、主人公は犬に好かれてしまいました。街を歩けば2,3匹の犬が彼の後を着いてきます。そして帰宅する頃には大抵、後を着けていた犬はいなくなっているようです。

しかし、その日に限っては家に到着しても、1匹の犬が後を着けたままでした。真っ黒な子犬です。それが本作の重要キャスト「ポチ」との出会いです。

それから半年ほど経っても、ポチは相変わらず家の庭に住み着いたままです。主人公は仕方なくその子犬にポチという名前を付けて生活を共にしているものの、相変わらず警戒心は解けていません。

当初は子犬だったポチは、年月を重ねるごとに醜い犬に成長します。

街を歩けば近所の子供が、ポチを指差してその醜さを笑います。主人公は自分が飼い主だと思われるのが恥ずかしくて、外を出歩くのが憂鬱になってしまいます。

一方で醜い容姿のポチですが、喧嘩は相当強いみたいです。

主人公は喧嘩っ早いポチに恐怖を感じています。猛獣同士の喧嘩のとばっちりが、いつ自分に降りかかるか分からないからです。ともすれば、友人のように21日間病院に通う羽目になります。

主人公はことあるごとに、「喧嘩をしてはいけない、喧嘩をするなら自分から離れた所でしてもらいたい」とポチに言い聞かせるのでした。すると、ポチも多少意味が分かるらしく、主人公の言葉にしょげる素振りを見せます。

言い聞かせが功を奏して、次第にポチは喧嘩をしなくなります。それどころか、上品ぶって飼い主の顔色を伺うようになります。またしても主人公は「いよいよ自分に似てきた」と口にします。




④引越しの準備

7月になり、主人公夫婦は東京の三鷹村に建築中の家を見つけます。完成次第、東京の家に引っ越すつもりのようです。

当然、ポチは甲府に捨てていくことになります。奥さんは「連れて行ってもいいのに」とポチに同情しますが、主人公はキッパリ断ります。可愛いから飼っているわけではなく、復讐されるのが怖いから飼っているのです。そのため、引越しはポチから逃れる絶好のチャンスなのです。

ポチを甲府に置いていくことが確定した途端に、ポチに異変が起こります。皮膚病に感染したのです。それも、目を背けたくなるほど酷く、悪臭すら放っています。

一時はポチの味方をしていた妻ですら、「近所迷惑だから殺してください」と急に冷酷になります。主人公は流石に躊躇い、引越しまでもう少しの辛抱だと妻をなだめます。

しかし、建築中の新居の完成が遅れてしまいます。当初の予定日よりも10日延び、さらに20日延びます。

その間にもポチの皮膚病はどんどん悪化します。ポチ本人も自分の醜さを認めているのでしょう、人目につくと縁側の下に隠れるようになります。深夜には、ポチが痒さのあまり身悶えしている音が庭から聞こえてきます。

ある日、自分の寝巻きに犬の蚤が付着しているのを見つけ、ついに主人公の怒りは爆発します。新居が完成しないもどかしさと、あまりの酷暑に気が変になっていたのでしょう。

主人公は、ポチを殺すことを決意します。

⑤ポチの殺害を決行

ポチを殺すことを決意した主人公は、妻に牛肉を買いに行かせ、自分は薬品を購入します。

薬品を牛肉に混ぜ、ポチに食わせて殺すという作戦のようです。

翌朝、主人公はポチを連れて散歩に出ます。

散歩の途中、赤毛の犬がポチに吠えかかります。しかし、飼い主に散々言い聞かせられたポチは、上品な態度を貫き、喧嘩をしようとはしません、すると、卑怯にも赤毛の犬は背後からポチの睾丸に噛みつこうとします。ポチは咄嗟に、主人公の表情を伺います。

「やれ!」私は大声で命令した。「赤毛は卑怯だ! 思う存分やれ!」

『畜犬談/太宰治』

あれだけ猛獣同士の喧嘩のとばっちりを恐れていた主人公が、ついにポチの闘志を鼓舞させます。

それどころか、ポチに敗れた赤毛を見て、勝利の喜びを実感しています。

主人公はとばっちりを恐れながらも、「自分はどうなってもいいから思う存分喧嘩しろ」と心の中で力んでさえいたのです。

殺してしまう後ろめたさから、わざと好意的に接しているのでしょうか?

いいえ、既に主人公の心情は変化しています。

練兵場に着いた主人公は、毒入りの牛肉を足元に放り投げます。ポチのことを見ないまま、「ポチ、食え。」と命令します。この毒を飲み込めば1分も経たずに死ぬようです。

⑥芸術家は弱者の味方

ポチの毒殺を図った主人公は、猫背になって帰路を歩み始めます。

のろのろ歩きながら橋を渡り、中学校の前まで来たときに、違和感から背後を振り返ります。なんと、ポチが着いてきているのです。そのときに主人公は全てを悟ります。

毒が効かなかったのです。

偶然にもポチを殺せなかった主人公は、妻に向かってこんなセリフを口にします。

「だめだよ。薬が効かないのだ。ゆるしてやろうよ。あいつには罪がなかったんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だった筈なんだ。

『畜犬談/太宰治』

さらに続けます。

弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。僕は、ポチを東京へ連れて行こうと思うよ。友達がもしポチの恰好を笑ったら、ぶん殴ってやる。

『畜犬談/太宰治』

その言葉を聞いて、妻は浮かない顔をしていました。それに対して主人公は、「皮膚病なんてすぐに治る」と説得します。しかし、やはり妻は浮かない顔をしていたのです。

そして物語は幕を閉じます。




『畜犬談』の個人的考察

太宰治は犬に同族嫌悪していた!?

ブログの冒頭で、「『畜犬談』は、実際は人間のことを描いた深刻な文学作品のように思えてならない」と綴りました。

なぜなら、主人公は幾度となく犬と自分を重ね合わせていたからです。

犬の醜さが「まるで自分のようで嫌になる」と主張する場面が何度もあります。そもそも、主人公は犬の凶暴さに恐れていますが、それ以上に、犬の特性や性質を極度に憎んでいるように感じられます。

例えば、飼い主への忠誠心を、「餌のために家族や仲間を裏切る行為」と揶揄しています。あるいは、飼い主から暴力を受けたときに、尻尾を巻いてキャンと鳴き、周囲の笑い者を演じる様子を、「道化のようだ」と皮肉っています。

根本的に、飼い主の顔色を伺ってばかりいる犬の精神が気に食わないようです。

それはなぜか、もちろん自分と似ているからです。

代表作『人間失格』では、「人を信じるということ」、「実の家での息苦しさ道化という他人に対する最後の求愛」などのテーマが描かれていました。

そして、『畜犬談』で描かれる犬の特徴はまさに、『人間失格』で描かれた人間の特徴と同一なのです。

つまり、太宰治は物語の中で、自分自身の特徴を犬として具現化していたのでしょう。

作中で犬を激しく非難することで、現実世界の自分に対する嫌悪感を露呈していたのだと思います。

挙句、日毎に醜くなる犬を薬品で殺そうと企んでいました。要するに、自分の醜い部分を物語の中で裁き、殺してしまおうとしたのでしょう。

しかし、結果的に薬品は効きませんでした。太宰治には少なからず人の世に対する執念があったのかもしれません。作品とは言え、完全に人の世を捨てきれなかったからこそ、自分(犬)を殺すことはできなかったのでしょう。

芸術家の目的は自己救済!?

芸術家として、醜い自分を何とか救ってやろうとする葛藤が、本作からは感じられます。

『人間失格』のスピンオフ的な作品で『道化の華』という短編があります。『道化の華』において、太宰治は「物語を通して主人公を救ってやりたかった」とはっきり綴っています。

つまり、太宰治にとっては、自分に見立てた主人公を物語の中で救うことが、現実世界の自分に対する救済でもあるのでしょう。

ともすれば、薬品から生き延びたポチを救う決心は、自身の救済を意味していたのだと思います。「芸術家は弱い者の味方」という主人公の主張は、おそらく太宰治が自分自身に訴えたメッセージでしょう。太宰治が芸術家であり続けたのは、弱い自分を救済し、許してやるためだったのではないでしょうか。

彼の「自己批判」と「自己救済」の葛藤が本作からも読み取れました。

伊馬鵜平への宣戦布告!?

依然として謎なのは、冒頭に記された「伊馬鵜平君に与える。」という一文です。

伊馬鵜平とは、太宰治の実際の友人であり、本作に登場する「犬に襲われた友人」のモデルだと言われています。

おそらく太宰治は、犬に噛み付かれ21日間病院に通う羽目になった伊馬鵜平君に、この物語を捧げたのでしょう。

そう考えれば、友人を襲った犬を激しく非難する意味も納得できます。

しかし、最終的には主人公は犬の存在を肯定し、半ばポチに感情移入さえしています。

伊馬鵜平の敵である犬に感情移入する行為は、不自然ではないでしょうか。だとすれば、冒頭のメッセージも少し変わってくるように思われます。

もし最後まで犬を非難し切ったなら、伊馬鵜平の仇を物語で果たしたと読み取れます。しかし、ポチを生かした太宰は、友人にどんなメッセージを訴えていたのでしょうか。

私には、伊馬鵜平に対する罪悪感と怒りのようなものが感じられます。

物語の中で太宰は自分を犬に見立てていると先ほど考察しました。ともすれば、犬に襲われた伊馬鵜平とは、太宰治と一悶着あった友人ということなのではないでしょうか。そのため、太宰治は散々犬を批判することで、友人に対する罪悪感を露呈し、自分を戒めていたのかもしれません。

しかし、ラストの主人公のセリフがとても引っかかります。

友達がもしポチの恰好を笑ったら、ぶん殴ってやる。

仮に友人に対する謝罪の随筆だったとすれば、このセリフは非常識ですよね。むしろ、「もし自分(ポチ)のことを非難するならぶん殴るぞ」と威嚇しているようにすら感じられます。とは言え、太宰治の破綻した性格を想像すれば、友人に対する宣戦布告の小説だったと考えても、あまり違和感はありません。

私は、この『畜犬談』には、太宰治と友人の抗争が裏テーマとして描かれているように感じられます。的外れな考察かもしれませんが、誰にも真実が証明できないからこそ、我々に楽しむ余地が与えられるのです。小説には余地があるのです。人生の行間を埋めるのは、自分勝手な深読み、そうに違いない!

以上、太宰治の短編小説『畜犬談』のあらすじと考察の説明を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。

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