太宰治『畜犬談』あらすじ解説|太宰は犬嫌いだった?

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畜犬談 散文のわだち

太宰治の小説『畜犬談』は、作品集『皮膚と心』収録の短編作品です。

犬嫌いな主人公の、滑稽でユーモラスな物語が描かれています。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者太宰治(38歳没)
発表時期  1939年(昭和14年)  
ジャンル短編小説
随筆
ページ数20ページ
テーマ犬嫌い
芸術家のあるべき姿
収録作品集『きりぎりす』

あらすじ

あらすじ

主人公は大の犬嫌いである。

友人が犬に襲われた事件から、主人公は犬の獰猛性を酷く恐れているのだ。あるいは人間に媚を売る忠誠心が、まるで自分を見るようで嫌になるのであった。

そんな主人公の家に1匹の犬が住み着く。彼は大変迷惑しているのだが、噛み付かれる恐れから追い払えずにいた。

成長するにつれて犬は醜い容姿になり、終いには皮膚病にかかり悪臭を放つようになる。酷暑の苛立ちも相まって、ついに主人公は犬を殺す決意をする。

散歩の最中に、主人公は毒入りの肉を犬に食わせた。これで一安心と家路を歩むと、なんとピンピンした犬が追いかけてきた。毒が効かなかったのだ。その時、主人公に心変わりが起こる。

「芸術家は本来弱いものの見方だ」

そういった信念を思い出した主人公は、犬を正式に飼うようになった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

太宰治は犬に同族嫌悪していた

ブログの冒頭で、「『畜犬談』は、実際は人間のことを描いた深刻な文学作品のように思えてならない」と綴りました。

なぜなら、主人公は幾度となく犬と自分を重ね合わせていたからです。

犬の醜さが「まるで自分のようで嫌になる」と主張する場面が何度もあります。そもそも、主人公は犬の凶暴さに恐れていますが、それ以上に、犬の特性や性質を極度に憎んでいるように感じられます。

例えば、飼い主への忠誠心を、「餌のために家族や仲間を裏切る行為」と揶揄しています。あるいは、飼い主から暴力を受けたときに、尻尾を巻いてキャンと鳴き、周囲の笑い者を演じる様子を、「道化のようだ」と皮肉っています。

根本的に、飼い主の顔色を伺ってばかりいる犬の精神が気に食わないようです。

それはなぜか、もちろん自分と似ているからです。

代表作『人間失格』では、「人を信じるということ」、「実の家での息苦しさ」「道化という他人に対する最後の求愛」などのテーマが描かれていました。

そして、『畜犬談』で描かれる犬の特徴はまさに、『人間失格』で描かれた人間の特徴と同一なのです。

つまり、太宰治は物語の中で、自分自身の特徴を犬として具現化していたのでしょう。

作中で犬を激しく非難することで、現実世界の自分に対する嫌悪感を露呈していたのだと思います。

挙句、日毎に醜くなる犬を薬品で殺そうと企んでいました。要するに、自分の醜い部分を物語の中で裁き、殺してしまおうとしたのでしょう。

しかし、結果的に薬品は効きませんでした。太宰治には少なからず人の世に対する執念があったのかもしれません。作品とは言え、完全に人の世を捨てきれなかったからこそ、自分(犬)を殺すことはできなかったのでしょう。

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芸術家の目的は自己救済

芸術家として、醜い自分を何とか救ってやろうとする葛藤が、本作からは感じられます。

『人間失格』のスピンオフ的な作品で『道化の華』という短編があります。『道化の華』において、太宰治は「物語を通して主人公を救ってやりたかった」とはっきり綴っています。

つまり、太宰治にとっては、自分に見立てた主人公を物語の中で救うことが、現実世界の自分に対する救済でもあるのでしょう。

ともすれば、薬品から生き延びたポチを救う決心は、自身の救済を意味していたのだと思います。「芸術家は弱い者の味方」という主人公の主張は、おそらく太宰治が自分自身に訴えたメッセージでしょう。太宰治が芸術家であり続けたのは、弱い自分を救済し、許してやるためだったのではないでしょうか。

彼の「自己批判」と「自己救済」の葛藤が本作からも読み取れました。

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伊馬鵜平への宣戦布告

依然として謎なのは、冒頭に記された「伊馬鵜平君に与える。」という一文です。

伊馬鵜平とは、太宰治の実際の友人であり、本作に登場する「犬に襲われた友人」のモデルだと言われています。

おそらく太宰治は、犬に噛み付かれ21日間病院に通う羽目になった伊馬鵜平君に、この物語を捧げたのでしょう。

そう考えれば、友人を襲った犬を激しく非難する意味も納得できます。

しかし、最終的には主人公は犬の存在を肯定し、半ばポチに感情移入さえしています。

伊馬鵜平の敵である犬に感情移入する行為は、不自然ではないでしょうか。だとすれば、冒頭のメッセージも少し変わってくるように思われます。

もし最後まで犬を非難し切ったなら、伊馬鵜平の仇を物語で果たしたと読み取れます。しかし、ポチを生かした太宰は、友人にどんなメッセージを訴えていたのでしょうか。

私には、伊馬鵜平に対する罪悪感と怒りのようなものが感じられます。

物語の中で太宰は自分を犬に見立てていると先ほど考察しました。ともすれば、犬に襲われた伊馬鵜平とは、太宰治と一悶着あった友人ということなのではないでしょうか。そのため、太宰治は散々犬を批判することで、友人に対する罪悪感を露呈し、自分を戒めていたのかもしれません。

しかし、ラストの主人公のセリフがとても引っかかります。

「友達がもしポチの恰好を笑ったら、ぶん殴ってやる。」

仮に友人に対する謝罪の随筆だったとすれば、このセリフは非常識ですよね。むしろ、「もし自分(ポチ)のことを非難するならぶん殴るぞ」と威嚇しているようにすら感じられます。とは言え、太宰治の破綻した性格を想像すれば、友人に対する宣戦布告の小説だったと考えても、あまり違和感はありません。

私は、この『畜犬談』には、太宰治と友人の抗争が裏テーマとして描かれているように感じられます。的外れな考察かもしれませんが、誰にも真実が証明できないからこそ、我々に楽しむ余地が与えられるのです。小説には余地があるのです。人生の行間を埋めるのは、自分勝手な深読み、そうに違いない!

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映画『人間失格』がおすすめ

人間失格 太宰治と3人の女たち』は2019年に劇場公開され話題になった。

太宰が「人間失格」を完成させ、愛人の富栄と心中するまでの、怒涛の人生が描かれる。

監督は蜷川実花で、二階堂ふみ・沢尻エリカの大胆な濡れ場が魅力的である。

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