宮沢賢治の童話『毒もみのすきな署長さん』は、異色な隠れた名作です。
人間の深層心理を表現した強烈な物語が描かれています。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 宮沢賢治(37歳没) |
発表時期 | 1986年(昭和61年) ※執筆時期は不明 |
ジャンル | 童話 短編小説 |
ページ数 | 9ページ |
テーマ | 人間の本質 欲望とは |
収録 | 『宮沢賢治童話全集8』 |
あらすじ
プハラという豊かな川と魚に恵まれた国の物語です。
プラハでは、「火薬を使って鳥をとること」と「毒もみをして魚をとること」が法律で禁じられています。「毒もみ」とは、山椒の皮など毒性の粉末を使って魚を水面に浮き上がらせ、必要以上に捕獲する行為を指します。プラハの警察は毒もみをする者を捕まえるのが最も大事な仕事だとされています。
ある日、プラハに新しい警察署長さんがやってきます。不思議なことに彼が赴任して以来、毒もみで川の魚が次々と死ぬ怪事件が発生します。子供たちの証言では、新しい署長さんが毒もみの現場に居合わせたり、山椒の粉末をこっそり仕入れているようなのです。
事態を重く見た町長さんが、事の真偽を署長さんに尋ねます。すると署長さんは悪びれた様子もなく、あっさり犯行を認めました。
死刑になり、刀で首を切り落とされる直前に署長さんはこんなことをつぶやきます。
「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」
『毒もみのすきな署長さん/宮沢賢治』
彼の言葉を聞いた人々は感服するのでした。
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個人的考察
毒もみについて詳しく
宮沢賢治の作品をある程度読んだことがある人は、「毒もみ」に馴染みがあるでしょう。
代表作『風の又三郎』では、「発破」と呼ばれるダイナマイトの爆発を利用する漁に加え、この「毒もみ」という手法が登場します。
賢治の造語と思いきや、「毒もみ」は歴史的に世界中で使われてきた漁の手法なのです。日本の場合であれば山椒の毒を使用するのが一般的ですが、東南アジアでは青酸カリを使用していたようです。いずれにしても効率的に魚を捕まえるために生み出された手段なのです。
ところで、賢治の作品では何故「毒もみ」が違法行為として描かれているのでしょうか。
まず前提知識として、文明の発達によって「毒もみ」は世界中で禁止されるようになります。
作中では、川で魚が釣れなくなり、腐乱死体が浮いていることもある、と記されていました。まさにこれが禁止される最もたる理由です。つまり、毒を川に流すことで、食用ではない魚や獲るべきではない稚魚などを根こそぎ殺してしまう恐れがあるため、後に環境破壊の側面から問題視されるようになったわけです。
ただし実際に日本で禁止されたのは1951年と、宮沢賢治が生きた時代よりももっと後のことです。
つまり賢治は、世界の倫理基準が違法漁だと唱える以前に、「毒もみ」による環境破壊に警笛を鳴らしていたことになります。
署長さんに見る人間の本質
禁止されている「毒もみ」をこっそり行い、その事実が漏洩し問い詰められても、一切動揺を示さない署長さんに、とてつもないおどろおどろしさを感じたのではないでしょうか。
死刑直前ですら、地獄で「毒もみ」をしようと企む署長さんには、ある種人間の狂気的な欲望の姿が見て取れるように思います。いくら法律で制限されていようと、どうしても理性で止めることのできない欲望を人間は持ち合わせているということでしょう。
宮沢賢治が生命や自然に対する命題を持っていたことはご存知だと思います。時に風刺的な言葉で自然破壊や文明化を問題視することもありました。ところが本作においては、「毒もみ」を行う署長さんを悪の象徴として裁いているわけではないように感じられます。そもそも文学とは人間を裁くものではないでしょう。
ともすれば、署長さんだけではなく、誰しもが自分にとっての「毒もみ」を内に秘めている、という内省的な主題として賢治は物語を創作したのではないでしょうか。
宮沢賢治は菜食主義、禁欲主義だったことで有名です。ところが菜食に関しては結果的に断念して肉を食べてしまったようです。あるいは生涯童貞を貫いたと言われているものの、地元では遊郭に通っていたという逸話が残っているみたいです。
あくまで個人的な見解ですが、賢治にとっての「毒もみ」は、肉食と性欲の葛藤に起因しているように感じられます。つまり、理性では昇華できない欲望に、賢治は罪の意識を抱いていたのではないでしょうか。ともすれば、署長さんを通じて、人間の根底に存在する抗えない罪の問題を表現していたのかもしれません。
署長さんの言葉に感服した理由
「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」
『毒もみのすきな署長さん/宮沢賢治』
署長さんのこの台詞を聞いた周囲の人々は、非難するどころか、まるで感服していました。
根本的に感服とは、その対象に価値を見出していることを意味します。つまり法律を犯してでも自らの欲望に忠実な署長さんに、人々は少なからず魅力を感じていたことになります。
個人的には、署長さんの強烈な毒もみに対する執着が、芸術至上主義と共通するおどろおどろしさを想起させます。芸術至上主義とは、自らの美を表現するためなら倫理や道徳を厭わないという思想の一つです。芸術至上主義を題材にした有名な作品としては、芥川龍之介の『地獄変』や、モームの『月と六ペンス』などが挙げられます。
大抵の人間は社会的な制約の中で自らの欲望を押し殺して生きています。ところが時に道徳や倫理をすっ飛ばしてでも欲望を具現化する超人が現れます。それが『地獄変』の義秀であり、『月と六ペンス』のストリックランドであり、本作の署長さんなのです。民衆は彼らを口々に批判するのが常ですが、心のどこかでは魅力を感じていることも事実でしょう。
仮に署長さんが泣いて許しを乞うたならば、民衆は悪意のある正義感によって彼を嘲笑したことでしょう。ところが地獄で毒もみをする決心さえある署長さんを目の前にしては、民衆はきっと敵わない気持ちになったと思います。ましてや、署長さんは自分が地獄に落ちる運命を既に受け入れており、それでもなお毒もみをしてやろうと企んでいるわけですから、その執着には感服せざるを得ません。
社会的制約に敗北する程度の執着しか持たない凡人は、いつだってリスクを恐れずに信念を貫き通す超人に憧れているものなのでしょう。
「ナッシング・トゥー・ルーズ」そのためなら全てを失っても構わないと思っている人間を前にすると、我々平凡な人間は社会的な罪の重さ以前に、人間の根源的な魅力を感じてしまうものなのかもしれません。
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ドラマ『宮沢賢治の食卓』
宮沢賢治の青春時代を描いたドラマ、『宮沢賢治の食卓』が2017年に放送された。
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▼ちなみに原作は漫画(全2巻)です。