森鴎外の小説『雁』は、『青年』に続く代表的な長編作品である。
久しく文壇で沈黙していた鴎外が、本格的に活動を再開した「豊熟の時代」に発表された。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 森鴎外(60歳没) |
発表時期 | 1915年(大正4年) |
ジャンル | 長編小説 |
ページ数 | 144ページ |
テーマ | 少女の自我の目覚め 偶然がもたらす悲劇 |
あらすじ
貧困だが美しい「お玉」は、1度目の結婚で男に騙され、自殺未遂を図り、その後は父親を安心させる目的で、高利貸しの末蔵の妾になる。末蔵には妻子がいるため、お玉は1日の大半を女中と二人で暮らすことになる。
妾になり生活は楽になったが、代わりに退屈を覚えたお玉は、毎日家の前を散歩する岡田という学生に恋幕の情を募らせる。
末蔵が出張し、女中が実家に帰り、岡田にアプローチする絶好のチャンスが訪れた。だがその日に限って岡田の散歩には、本作の語り手<僕>が同行しており、お玉は折角のチャンスを逃してしまう。
岡田と<僕>は、散歩の途中で同級生の石原に出会う。石原は投げ石で雁を仕留めようとしていた。岡田は雁を逃してやろうと石を投げたら、運悪く雁に直撃し、意図せず仕留めてしまう。その帰り道、岡田はお玉の家の前を通ったが、同じく同行者がいたため、二人が交わることはなかった。
間も無くして、岡田は海外に旅立ち、お玉の恋は叶わず終いだった。
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個人的考察
「豊熟の時代」の代表作
処女作『舞姫』を含むドイツ三部作を発表して以来、森鴎外は久しく文壇で沈黙していた。
本格的に文学活動を再開させたのは、30年近く経過した1909年頃である。
第二の処女作と言われる『半日』を1909年に発表して以降、鴎外は物凄い創作意欲で、立て続けに作品を発表し続ける。この時期を「豊熟の時代」と呼び、本作『雁』が発表されたのもこの時期だ。
鴎外が文学活動を再開した要因の1つは、自然主義文学に対するアンチテーゼである。
当時文壇では自然主義文学が主流だった。しかし、芸術に自由を求める鴎外は、流行の型にはめられた文壇に対して、憤りを感じていたのかもしれない。
まず手始めに『ヰタ・セクスアリス』という、自らの性欲の歴史を暴露する小説を発表した。これは当時の自然主義文学が、自身の性欲の葛藤を赤裸々に描く暴露的な要素を持っていたことに対する皮肉と言われている。
続いて初の長編小説『青年』では、自然主義文学が日本に取り込まれると小さなものになる、とアンチの立場をはっきり提言している。
『青年』に続く本作『雁』には、直接的なアンチ自然主義の文句は記されない。それはアンチ自然主義の立場を確立したことを意味するのかもしれない。
物語の最後には、語り手の<僕>が、のちに「お玉」と知り合い、この物語の節々を彼女から聞き出した事実が明かされる。だが二人がどのように知り合ったかは詮索するな、と注意を促している。
なぜ、あえてそのような注意を挿入したのか?
鴎外は本作が創作された「物語」であることを主張し、暴露的な自然主義が好む「物語の外の部分」を削除することで、暗に反自然主義の姿勢を示していたのではないだろうか。
こうした背景を踏まえて、物語を考察する。
少女の自我の目覚め
本作『雁』は、純粋無垢なお玉が、父親との別れによって自我を形成する物語である。
父子二人で暮らすお玉は、父に溺愛されて育った。嫁入り時になっても父は一人娘を手放したくない思いで、縁談を断り続けていた。だがある時、お玉はとうとう警察官の婿を迎えることになる。この警察官は悪い男で、妻子がある身で結婚を持ちかけていた。まんまと騙されたお玉は、その絶望感から自殺を試みるが、死にきれなかった。
次にお玉に目をつけたのは、高利貸しの末蔵だった。妻子持ちの彼はお玉を妾にしたいと願い出る。かつての失敗で世間体が悪い上に、嫁入り時を超えていることから、父は仕方なくお玉を妾に出すをことを承認する。父子二人で貧しく暮らすよりも、妾でもいいから後ろ盾を欲した理由もあった。お玉の方も、父を幸福にしたいという思いだけで生きていたので、父の意向に逆らうことはなかった。
こうして初めて父の元を離れて暮らすことになったのだが、お玉は妾になって初めて、末蔵が高利貸しという阿漕な商売で金を稼いでいることを知る。別に高利貸しが悪とは思わないが、世間から忌避される職業だし、実際的に高利貸しの妾というだけで店で魚を売ってもらえないこともあった。
こうした悲惨な運命は、ひとえにお玉が他人を疑わない無垢な性格だからだ。だがこの頃には少しずつお玉の中に変化が生じていた。幾度となく他人に騙されたこと、あるいは父親という存在から自立したことによって、自我が目覚め出したのだ。
もう人に騙されることだけは、御免を蒙りたいわ。わたくし嘘を衝いたり、人を騙したりなんかしない代わりに、人に騙されもしない積なの。
『雁/森鴎外』
人に頼るしか知らなかったお玉が、父親から独立したことで、どのように生きたいか、という自主性を得たのである。
こうした自我の目責めによって、お玉は末蔵に妾として所有されることに抵抗を覚えるようになる。その結果、彼女の恋幕の情は、毎日家の前を散歩する岡田へと向けられたのだ。
鯖の味噌煮で叶わぬ恋
自我に目覚めたお玉は、末蔵の妾でありながら、岡田を手に入れたいと思う。
ある日、末蔵が出張し、女中が実家に帰り、周囲の目を気にせずに岡田にアプローチする絶好のチャンスが訪れる。今日こそは、とお玉は朝から意気込んでいた。ところがほんの些細な偶然によって、二人は永久に結ばれない運命を辿ることになる。
本来であれば、その日も岡田は1人でお玉の家の前を散歩する予定だった。ところが、物語の語り手である<僕>が、献立の鯖の味噌煮が嫌いだという理由で、夕食をやめて岡田の散歩に同行する。この偶然の重なりによって、お玉は岡田にアプローチする機会を逃す。もし寮の献立が鯖の味噌煮でなければ、岡田は1人で散歩に出かけ、するとお玉との間に何かが芽生えていたかもしれないのだ。
たった1度のチャンスを逃したところで、また別の機会が訪れるのかもしれない。だがあいにく岡田は数日後に海外留学に行ってしまい、二人は永久に結ばれなかった。
あるいは岡田の立場からすれば、仮にその日の献立が鯖の味噌煮でなかったならば、平生通り1人で散歩に出かけ、お玉と懇意になっていたかもしれない。そして留学よりもお玉との恋愛を優先した可能性も考えられる。
いずれの選択が正解だったとも言えないが、人間の運命は、日々の献立1つで左右されていることだってあり得るのだ。
タイトル『雁』に込められた意味
タイトルに使われる「雁」が作中で登場するのは、終盤に1度だけだ。
献立が鯖の味噌煮だったため、散歩に出かけた<僕>と岡田は、池の前で同級生の石原に遭遇する。乱暴な石原は、投げ石で池の雁を仕留めようとする。心優しい岡田は、雁を逃してやる目的で石を投げたが、結果的にその善意の投げ石が雁に直撃して、意図せず殺してしまう。
この唐突な出来事は何を意味するのか?
鯖の味噌煮と同様に、偶然の重なりで他人の運命が大きく変わる儚さを、メタファーとして描いていたのだろう。
そもそも献立が鯖の味噌煮でなければ、公園の雁が死ぬこともなかったわけである。
つまり献立の時点で、ボタンの掛け違いが生じていたのだろう。その掛け違いによって、雁を助ける目的で投げた岡田の石が、逆に雁を殺すという、ズレた結果をもたらしたのだろう。
もし自分の人生において、意図せぬ出来事が連続する場合、それは鯖の味噌煮を食べないという選択がもたらした、運命のズレなのかもしれない・・・
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