宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』あらすじ考察 謙虚な姿勢で学ぶ大切さ

セロ弾きのゴーシュ 散文のわだち
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宮沢賢治の小説『セロ弾きのゴーシュ』は、作者の生前最後に執筆された童話とされています。

『注文の多い料理店』と並んで教科書によく掲載される有名な作品です。とは言え、宮沢賢治特有の独特な世界観や主題などは、いささか難解であり、1度読んだきりでは内容が理解できないことも多くあります。

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セロ弾きのゴーシュ』作品概要

作者宮沢賢治
発表時期1934年(昭和9年)
ジャンル短編小説、童話
テーマ謙虚な姿勢の重要さ

※『セロ弾きのゴーシュ』は、作品集『銀河鉄道の夜』に収録されています。

本作は実際に宮沢賢治がチェロを練習していた経験が元になって創作された小説です。

毎晩部屋に訪れる動物との交流が非常に不可解で、よくよく考察しながら読まないと作者のメッセージを見落としてしまいます。今回は、動物たちの存在は一体ゴーシュにどんな意味をもたらしていたのかを考察していきます。

簡単なあらすじ

ゴーシュは町の楽団でセロ(チェロ)弾きを担当しています。ゴーシュの演奏はあまりにも下手なため、いつも楽長に厳しく叱責されています。練習終わりには、その屈辱から壁に向かって涙を流すこともありました。

ある夜、個人練習中のゴーシュの家に猫が訪ねて来ます。楽長に叱責された苛立ちから、ゴーシュは猫に当たり散らします。「印度の虎狩り」という曲をゴーシュが演奏すると、その演奏の酷さに猫は部屋中を駆け回り、ぐったりしてしまいます。

2日目の夜に現れたカッコウは、ドレミファの音程を弾くようにゴーシュにお願いして来ます。指図され腹が立ったゴーシュが脅しの言葉を口にすると、カッコウは驚いた様子で窓の外に飛び立とうと何度もガラスにぶつかって血を流して怪我をしてしまいます。

3日目に訪れた狸は太鼓を練習をしているらしく、ゴーシュのチェロと演奏を合わせたいとお願いして来ます。意外にも狸の太鼓は上手で、ゴーシュも愉快になります。すると、狸に音のズレを指摘され、チェロの弦の調子が良くないことが発覚します。

4日目に訪れたのは野ねずみの親子で、子供のねずみが病気らしく、ゴーシュに治して欲しいと言います。チェロの演奏を聴いたら動物たちの病気は治るようなのです。そこでゴーシュは、ネズミのためだけに演奏します。

音楽会本番、アンコールの要望を受けた学長は、ゴーシュを指名して演奏するように言いつけます。ゴーシュは「印度の虎狩り」という曲を夢中で演奏します。すると、ゴーシュの演奏は楽長を初めとする他の楽団員から賞賛されるのでした。

ゴーシュは家に帰ってから、酷い目にあわせてしまったカッコウを思いながら、謝罪の言葉を口にしました。




セロ弾きのゴーシュ』の個人的考察

動物たちの役割

本作の趣旨は、楽長に散々扱き下ろされていたゴーシュが、動物たちの訪問を経て、最後には音楽会で大成功を収めるということです。つまり、動物たちの訪問がゴーシュのチェロ弾きの技術に一躍買っていたことになります。

よくよく確認すると、冒頭でゴーシュは楽長に3つの欠点を指摘されます。

  • セロが遅れた
  • ドレミファを教えている暇はない
  • 表情ということがまるでできていない

要するに、ゴーシュの演奏にはリズム感と音程と感情が欠落していたのです。

最初に訪れた猫は、ゴーシュの「印度の虎狩り」という曲の演奏を聴いて、あまりの酷さに悶えてしまいます。演奏を聴いただけで発狂しそうになるのですから相当ですよね。つまり、猫の訪問によってゴーシュの性格の悪さと、チェロの演奏がいかに下手であるかが提示されていたのだと思います。

次に訪れたカッコウは、ドレミファを弾いて欲しいとお願いして来ます。ところが「違う違う」と言ってゴーシュの音階を注意し、繰り返し何度も弾くように要求して来ます。つまり、楽長に指摘された音程の欠点がここで初めて露わになったのです。カッコウの鳴き声に合わせて弾いているうちに、ゴーシュは知らず知らず音のピッチを合わせる技術力を身につけていたのでしょう。

狸の子供の太鼓に合わせて演奏する場面では、言わずもがなリズム感を鍛えるきっかけになりました。あるいは、狸の子供にチェロの弦の調子が良くない点を指摘され、音がずれるのはゴーシュの技術だけでなく楽器にも原因があることを教えてくれます。

最後に訪れたねずみの親子には、ゴーシュの演奏が動物の病気を治しているという事実を知らされます。これまで多くの動物の訪問を受けて幾分か謙虚な気持ちになっていたゴーシュは、初めてねずむのために演奏するという心持ちになります。つまり、ゴーシュはねずみのおかげで、誰かのために演奏するという気持ちが音の表情を生み出すことを知らず知らず学んでいたのです。

このような経験を経たからこそ、無茶振りで弾かされたアンコールの「印度の虎狩り」という曲は、当初猫に聴かせた時の酷さを払拭し、非常に素晴らしい演奏として周囲に称賛されることになったのです。

後を引くゴーシュの孤独感

アンコールの演奏を称賛されたゴーシュは、動物たちの訪問に意味があったことに気づかされ、最後には酷い怪我を負わせてしまったカッコウに向けて謝罪の言葉を口にします。

ゴーシュは動物の訪問のおかげで、物事に取り組む時には謙虚な姿勢、周囲の言葉を聞き入れる柔軟な態度が大切であることを学んだのだと思われます。

ともすればハッピーエンドのように思われますが、本作を読み終えると何故かそこはかない切なさや孤独を感じませんでしたか。

ゴーシュは町外れの水車小屋に一人ぼっちで住んでおり、もとより孤独な暮らしを送っていました。彼が家に帰ってくると、必ず水をごくごく飲む描写が綴られます短い物語の中に計4回も水を大量に飲む場面が描かれているのです。

これはゴーシュの心の渇き、埋めようのない孤独感が表現されているように思われます。チェロの演奏が大成功した日の夜も、ゴーシュは水をかぶかぶ飲んでいました。果たして、動物たちに対する罪悪感から心が渇いていたのか、何か別の要因があるのか、ここからは深読みの世界になってきます。

例えば、意識も朦朧とする眠気の中、チェロを練習している最中に猫が訪問してきますが、ゴーシュは最初「ホーシュ君か」と寝ぼけた口調で尋ねます。文中では、果たしてホーシュ君が誰なのかは記されていません。ただ、家族とも恋人とも生活を共にしないゴーシュが朦朧とする意識の中で呼びかけた名前には、どこか喪失感のような切なさが感じられます。単にただの仲のいい友達だろう、という説もありますが、「ホーシュ」という名前からゴーシュの兄弟で、既に彼は死んでいるのではないか、という説もあります。

私にはゴーシュが何に悲しんでいるのか、彼の孤独の原因が上手く考察できないのですが、楽長に叱責されれば涙をボロボロ流すゴーシュが、自宅では動物にどぎつい暴言を放つ姿に、耐えがたい渇きを感じさせられます。外の世界と内の世界での自分の差異が大きすぎる故に、世の中と上手に付き合えないタイプの青年なんだろうなと思いました。そして、彼はカッコウと言う本当の意味で自分を思ってくれていた存在を蔑ろにし、失ってからその重要さに気づくどうしよもない青年だ、まるでゴーシュは君みたいじゃないか!僕みたいだ!

宮沢賢治の作品は推敲によって考え抜かれた物語であるため、裏テーマや隠れた設定などを深読みしてもそれほど的外れではないように感じます。チェロの練習に対する謙虚さとは別の、ゴーシュの孤独感について、皆さんも独自の考察をして、教えてください。

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以上、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』のあらすじ考察を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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