夢野久作『少女地獄』あらすじ解説|モダンガールの悲劇

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少女地獄 散文のわだち

夢野久作の小説『少女地獄』は、三遍の物語から成る書簡体形式の作品です。

虚言癖の女、殺人鬼に魅了される女、復讐に燃える女・・・・

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者夢野久作(47歳没)
発表時期  1936年(昭和11年)  
ジャンル短編小説集
怪奇小説
ページ数188ページ
テーマモダンガールの苦悩
男性中心主義への批判

あらすじ

あらすじ

■『何でも無い』
耳鼻科の医院長を務める臼杵うすきの元に、姫草ユリ子が自殺したという報せが届く。以前ユリ子は臼杵の病院で働いており、その天才的な仕事ぶりに患者から絶大な人気があった。ところが臼杵はある時からユリ子が極度の虚言癖であることに気づく。しかも、バレたところで別に問題にならない「何でも無い」嘘を、半ば死に物狂いで突き通そうとするのだ。彼女は虚言によって生かされ、虚言によって殺されたのだ、と最後に綴られる。

■『殺人リレー』
バスガイドを務めるトミ子は、同業の友人から手紙を受け取る。新高という運転士は結婚詐欺師だから気をつけろ、という忠告文だった。手紙が届いた一週間後にその友人は不審な事故死を遂げる。そんなある日、トミ子の職場に新高がやって来て、彼女に接近し始める。友人の仇を打つつもりが、次第に新高に魅了されてしまい、なんとトミ子自ら心中を図るのであった・・・。

■『火星の女』
女学校で焼身自殺体が発見される。その後立て続けに校長の失踪、女教師の自殺、書記係の大金持逃げが起こる。謎多き事件の真相は、焼身自殺を図った甘川歌枝の遺書に綴られていた。歌枝は身長が高く運動神経が異常に優れており、校長が「火星の女だ」と口走ったせいで、皆からそう呼ばれ揶揄われていた。孤独と虚無を抱える歌枝は、一人物置で過ごすのが習慣になっていた。その物置では校長が書記係や女教師と密談し、横領や女遊びを裏で実行している事実を歌枝は知る。そして歌枝はある時、校長に犯される。復讐心に燃えた歌枝は、事実を遺書に記すと同時に、性の快楽を自分に教えた校長に対して、黒焦げの死体をプレゼントするのだった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

モダンガールと男性中心主義

夢野久作の怪奇小説・探偵小説は、単なるエンターテイメンに留まらず、しばしば社会的なコンテキストを孕んでいる。

久作は探偵小説の使命感について、次のように言及している。

この千古不滅の探偵本能を、科学が生むところの社会機構に働かせ、この無良心無恥な、唯物功利道徳が生むところの社会悪に向かって潜入させ、(中略)戦慄にまで暴露して行くその痛快味、深刻味、凄惨味を心ゆくまで玩味させるところの最も大衆的な読物でなければならぬ。

少し硬い表現なので理解しづらいが、一言で表すなら「社会悪を暴露する要素」を持つ大衆文学こそ、探偵小説だと言及しているのだ。

では、本作『少女地獄』で描かれる社会悪とは何なのか?

それは言うまでもなく男性中心主義だろう。

三作目の『火星の女』では、校長が裏で横領や女を物のように扱っている事実を知った歌枝は、はっきりと男性中心主義に対する憤りを示している。

実際に本作は、家父長制が色濃い1930年代の日本が舞台である。そして三作品ともが、社会進出する女性が主人公だ。『何でも無い』の姫子は看護師、『殺人リレー』のトミ子はバスガイド、そして『火星の女』の歌枝はまだ女学生だが、周囲の圧力(嫁として貰い手がいないだろう、という圧力)によって、新聞記者にさせられそうだった。

つまり、彼女たちは1930年代でいうところの「モダンガール」なのだ。そして三名とも最終的に自殺しており、それは確実に男性中心主義の社会で女性が活躍する上での不平等や苦悩を物語っている。

以上の社会的な背景を踏まえた上で、順番に三作品を考察していこうと思う。

ちなみに1977年には映画化され、少女の性愛を描いたロマンポルノ大作として、カルト的な人気を博した。

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『何でも無い』虚言癖と自殺の原因

ユリ子は重度の虚言癖だった。

しかしユリ子の嘘は、他人を傷つけたり陥れたりする目的のない、まさに「何でも無い嘘」だった。

まず、姫草ユリ子という名前自体が偽名だ。裕福な造酒屋の娘で県立女学校を卒業したという経歴も嘘だ。実際は貧しい家の生まれである。

しかしユリ子は嘘を突き通すために、実家の両親からの贈り物だと偽って、臼杵医師に自らのお金で地産品を届けたりする。生い立ちを疑われないための偽装工作だ。

なぜ彼女は「姫草ユリ子」という社会的に優れた家柄の人間を演じる必要があったのか。それはやはり「男性中心主義」「家父長制」の所以だろう。

ユリ子は看護師として天才的な腕前だった。患者から絶大な人気を得て、彼女のおかげで病院の経営は上向きになったほどだ。一方で彼女が抱えていた強迫観念のネック、それは自分が「女」であることだろう。いくら実力があっても、女である以上正当に評価されることはなく、また家柄や何やらで個人の人間性を決めつけられてしまう、そんな「男性中心主義」の社会で、もがいていたのだろう。

現代であれば、男女の不平等はしばしば議論され、改善のために行政が社会に働きかける。(それでも未だに日本では家父長制が根強く浸透しているのが事実だが・・・)

しかし当時の女性にとっては、「男性中心主義」に対する反感を覚えても、社会が改善に向かうことはなく、結局は男性に媚び、支配されるしかなかったのだ。

つまり、ユリ子の虚言は男性中心社会に媚びるための虚言なのだ。

ひとつの嘘を支えるために、新たに嘘を吐き、その無限の連鎖によって、ユリ子は虚構の人格を生きることになっていたのだ。しかし、その虚構もいずれ男性によって破壊される。だからユリ子は、殺によって虚構の人格を永遠のものにしようとしたのではないだろうか。

皮肉なことにユリ子の嘘は、生理期の不安定な精神、という男性の勝手な憶測で片付けられてしまう。そもそも本作は、臼杵医師の書簡ベースであるため、物語自体が男性視点の誤った解釈なのだ。ユリ子の自殺の真相は男性によって闇に葬り去られている。この何重にもトリックが仕掛けられている構造こそ、さすが夢野久作の変態的な技量だと、感服せざるを得ない。

最後に、ユリ子の遺書の一文を引用する。

社会的に地位と名誉のある方の御言葉は、たといウソでもホントになり、何も知らない純な少女の言葉は、たとい事実でもウソとなって行く世の中に、何の生甲斐がありましょう。さようなら。

『何でも無い/夢野久作』

この文章が全てを言い表しているように思う。

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『殺人リレー』復讐後に自殺した理由

バスガイドを務めるトミ子は、同業の友人の手紙から、新高が結婚詐欺師だと気づいていた。

新高は結婚して飽きたら、事故を装って相手の女性を殺す、という卑劣な犯行を繰り返していたのだ。

そうと知りながら、トミ子は新高に惹かれてしまう。一つは、新高の目的を知っているから、自分は大丈夫だろうという過信があったからだ。そしてもう一つは、友人の復讐を果たしてやろうという思いがあったからだ。

実際にトミ子は、新高の卑劣な犯行が自分に向けられていることに気づき、復讐を実行する。バスガイドとして進行指示を担っていた彼女は、踏切で電車が来るタイミングで前進を煽り、衝突事故を起こす。自らの命もろとも新高を殺そうとしたのだ。結果的に新高だけが死に、トミ子は奇跡的に一命を取り留めた。

通常であれば復讐が果たされ、めでたしめでたし、のはずだ。ところが夢野久作、物語をここで終わらせない。

新高の死後、彼は自分を本当に愛していたのではないか、という思い込みに目が眩み、トミ子は新高の後を追って自殺する。

この結末はあまりに皮肉的だ。女性を物のように扱う新高への復讐(男性中心主義への復讐)を果たしたにもかかわらず、新高を失ったトミ子は生きる意味を見出せなくなってしまう。結局は男性に服従する形でしか、女性としてのアイデンティティを維持できない、「モダンガールの敗北」が見て取れる。

トミ子は何度も「自分みたいな人間になったらダメだ、バスガイドになってはいけない」と訴えていた。男性中心主義の社会で女性の権利を唱えた途端、自らを破滅に追いやってしまう、そんな惨めな運命を嘆き訴えていたのだろう。

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『火星の女』復讐は愛情だった?

三作品の中で『火星の女』は、最も男性中心主義に対する反感を表した作品だ。

私は、校長先生と御一緒に、腐敗、堕落しております現代の自分勝手な、利己主義一点張の男性の方々に、一つの頓服薬として「火星の女の黒焼」を一服ずつ差し上げたいのです、黒焼流行の折柄ですから満更、利き目の無い事は御座いますまい。

『火星の女/夢野久作』

歌枝は上記のように、男性の利己主義によって堕落する社会への強烈な反感を唱えて、焼身自殺を図った。

歌枝は校長の悪事を知る以前から、男性中心主義の社会に生きづらさを感じていた。

非常に身長が高く、運動神経が抜群な歌枝は、スポーツ大会では男にさえ負けることがなかった。それが裏目に出て、地球人離れした「火星の女」という皮肉なあだ名で揶揄されるようになった。両親も「女性らしくない、嫁の貰い手のない」歌枝を邪魔に感じていた。

ここに夢野久作のシニカルさが垣間見える。つまり、男性よりも身体能力の優れた女性を人間扱いしない、という卑劣な男女差別を描いているわけだ。

コンプレックスを抱えていた歌枝は、偶然に校長の偽善を知る。表向きは品行方正で教師の鏡のように思われていた校長は、裏では学校経営費用を改ざんして自分の懐に入れたり、成績の乏しい女生徒やその母親を家に連れ込み、進学と交換条件に性的奉仕をさせていたのだ。

また歌枝自身も校長に処女を奪われてしまう。

その挙句、校長は邪魔になった歌枝を半ば強制的に大阪へ追いやろうとする。前々から娘を邪魔に思っていた両親も当然賛同する。あまりに横暴な校長に憤りを覚えた歌枝は、復讐を決行するのだが、しかし内心の思いは非常に複雑であった。

単に復讐を果たすだけなら、校長の悪事を全て世間に晒せばいいだけのことだ。それにもかかわらず、歌枝は焼身自殺を決行する。果たして歌枝の自殺にはどんな意味があったのか。

私はこうして貴方から女にして頂いた御恩をお返し致します。(中略)どうぞ火星の女の置土産、黒焦少女の屍体をお受け取り下さい。私の肉体は永久に貴方のものですから・・・

『火星の女/夢野久作』

まるで憎悪よりも、愛情が感じられる遺書だ。

歌枝の復讐は、徹底的な憎悪ではなく、校長を人間的に救ってあげたい、という想いが潜んでいた。その理由は「女にして頂いた御恩」つまり、処女を奪った相手に対する特別な想いが潜んでいるからだろう。

歌枝は校長を恨むと同時に愛しており、その複雑な復讐を果たすためには自殺が必要だったのだ。自らの死をもって校長を人間的に更生させる、つまり最大限の献身が彼女に死に秘められていたのではないだろうか。

焼身自殺を選んだ理由は、肉体を黒焦げにすることで、外観的な性別を消滅させ、男性に服従する女性ではなく、純粋ないち人間としての愛情を校長に与えたかったのだと考えられる。

とは言え、結局は死を選んだ時点で、世間的には男性中心主義に敗北した女性としか認識されないのだろうが・・・。

以上、三作品ともが男性中心主義の社会で苦しむモダンガールをテーマにした物語だ。

本作は、異常な少女の物語ではなく、正常な少女が異常な社会と奮闘し破滅する物語、だと言える。タイトル通り、彼女たちは「地獄」の末路を辿ったのだ。

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