中島敦『牛人』あらすじ考察 短命な人生に押し寄せる恐怖

牛人 散文のわだち
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中島敦の短編小説『牛人』と言えば、彼が得意とした中国古典を基にした物語です。

  • 原典:春秋左氏伝
  • 総称:古俗(『盈虚』と合わせて)

タイトルからも伝わる通り、『牛人』は中島敦の作品の中で最も不気味です。

作中の迫りくる恐怖に対して、中島敦は一体どのような主題を込めていたのでしょうか。原典との違いも比較しながら考察していきます。

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『牛人』 作品概要

作品中島敦
発表時期1942年(昭和17年)
※執筆時期は不明
ジャンル短編小説、中国古典リメイク
テーマ避けられない天命
身から出た錆
死に対する恐怖

『牛人』 簡単なあらすじ

ある夜、叔孫豹(シュクソンヒョウ)は、天井が迫って来る夢を見ます。胸は息苦しくて堪りません。近くには牛に似た男が立っていました。その男に助けを求めると、彼は迫り来る天井を押さえ、胸の息苦しさも治してくれました。そこでようやく夢から覚めます。

数年後に叔孫豹のもとに、かつて一夜を過ごした女性が訪ねて来ます。その時に出来た子供を紹介されるのですが、なんと数年前に夢で助けてくれた牛人にそっくりなのでした。叔孫豹はその腹違いの息子に豎牛(ジュギュウ)と名付け、召使いとして可愛がり、身の回りのことをすべて任せるようになります。

叔孫豹は結婚しており、正式な息子が2人いました。体調が悪化した叔孫豹は跡継ぎに実の息子を考えていました。ところが豎牛を信用しきったあまり彼の恐ろしい策略に気づかず、長男は殺され、次男は他国に追放されてしまいます。豎牛の裏の顔に気づいた時には既に手遅れ、叔孫豹は殆ど監禁状態にされ、食事も与えられなくなります。

弱っていく叔孫豹は再び天井が迫ってくる夢を見ます。以前と同じように牛人に助けを求めますが、今度ばかりは助けてくれません。

夢から3日後に、叔孫豹は餓死しました。

『牛人』 個人的考察

父親殺しの因果

古来より父子の確執、その末の父親殺しの事件は多く存在しますし、物語の主題になることもしばしばあります。

  • ギリシャ神話のオイディプス王
  • インドのアジャータシャトル王

ギリシャ神話ないしは、手塚治虫の『ブッダ』を読んだ人なら心当たりがあると思います。ちなみにフロイトが唱えた「エディプス・コンプレックス」は、この「オイディプス王」に由来しています。

つまり、父親殺しは神話的にも文学的にも、大きな主題だということです。

『牛人』の場合には、それこそ仏教の因果応報のようなシナリオで描かれていました。叔孫豹は妻子持ちにもかかわらず、身分の低い路傍の女に子供を孕ませ、その子供に最終的に殺されるのですから、文字通り自分で蒔いた「種」なわけです。

中島敦は具体的な事実を記さない作風が見られるので、『牛人』に関しても、なぜ豎牛が復讐を企てたのかが明確に記されていません。

  • 考察①「血縁の復讐

豎牛は身分が低い路傍の女の子供です。そのため叔孫豹の血を継いでいるにもかかわらず、後継の候補から外されていました。あくまで召使いなのです。そういった血縁のしきたりに怒りを覚え、兄弟や父を徹底的に排除し、家系を乗っ取ろうとしたのかもしれません。

  • 考察②「捨てられた復讐

豎牛は愛嬌と残忍の二つの顔を使い分けていました。目上の人など表向きには愛嬌のある態度を演じ、考え込んだ時や目下の者には恐ろしい表情を見せます。それでなくとも顔は黒い牛人のようで、人間離れした恐ろしい容貌です。

ともすれば、これまでその容姿のせいで散々酷い扱いを受けて来たことが想像できます。あるいは、父に捨てられジリ貧な人生を歩んできたのかもしれません。それこれも叔孫豹の身勝手さに原因があり、初めから父に恨みを晴らす意思があったとも考えられます。

なぜ「牛人」なのか

「牛人」と聞いて何を想像するかは人それぞれですが、大抵はミノタウロスのような、体は人間で顔が牛という形態ではないでしょうか。

果たして中国において牛人なる存在が何を象徴しているかはわかりませんが、ギリシャ神話ではミノタウロスは乱暴な悪を象徴します。

ミーノース王はポセイドーンから生贄のために与えられた美しい牛に夢中になり、別の牛を代わりに生贄に捧げます。怒ったポセイドーンは、ミーノース王の后に牛に欲情する呪いをかけ、その結果牛との交配でミノタウロスが生まれます。あまりに凶暴なミノタウロスはラビリンスに監禁され、暴れないように生贄を捧げていたようです。

原典の中国の歴史書はギリシャ神話より遥か昔に制作されています。なのでここまで来ると深読みの世界です。ただし、父の過ちによって乱暴で醜い子供が生まれる、という設定は見逃せないくらい神話と重なりますよね。『牛人』は概ね中島敦の独自リメイク作品です。もしかすると中島敦はミノタウロスの存在が多少なりとも念頭にあったのかもしれません。

いや、深読みですね・・・。

原作との違い(避けられない運命)

原作の典拠は紀元前700年ごろの中国の出来事が記された「春秋左氏伝」になります。

原作との最もな違いは下記です。

  • 「春秋左氏伝」
     →叔孫豹は豎牛に殺されますが、
      最後は息子たちに敵討ちされる
  • 「牛人」
     →叔孫豹も息子たちも殺される

「春秋左氏伝」では、比較的に後継の問題に焦点を当てて、豎牛の狂気が描かれます。

ところが『牛人』の場合は、何か別の避けられない運命に苦しめられているような描かれ方がされていました。

叔孫は骨の髄まで凍る思いがした。己を殺そうとする一人の男に対する恐怖ではない。むしろ、世界のきびしい悪意といったようなものへの、遜った懼れに近い。もはや先刻までの怒は運命的な畏怖感に圧倒されてしまった。

『牛人/中島敦』

つまり、中島敦は血縁問題の果ての親殺しを、避けようのない運命の恐ろしさという主題に差し替えて作り直したと考えられます。

短命な生涯を送り、死ぬ間際まで執筆への執着を嘆いていた中島敦にとって、避けられない恐ろしい天命とは、やはり生まれつきの体の弱さでしょう。もしかすると中島敦は天上が落ちてくるような死の圧迫感に苦しめられ、いつか完全に死に捕まえられるという恐怖に怯えていたのかもしれません。

冒頭では自らを救う存在だった牛人が、最後には自分を見殺しにする存在になりました。果たして中島敦にとってそれが何を象徴していたのかは判りません。例えば自分の生涯を捧げた執筆が自分の救いであったならば、それを願った分まで書けないであろう予兆が、彼にとっては文豪としての運命に見殺しにされるような感覚があったのかもしれません。

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以上、中島敦の『牛人』のあらすじと考察の説明を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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