サガンの『悲しみよ こんにちは』あらすじ考察 17歳の罪深い感情 

悲しみよ、こんにちは 散文のわだち
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フランソワーズ・サガンの小説『悲しみよ こんにちは』をご存知ですか?

1954年に発表された中長編小説です。サガンが18歳の頃に執筆した処女作であり、代表作でもあります。発表から間も無く22カ国で翻訳されるなど、世界的なベストセラー小説となりました。

サガンは当時ゴシップクイーンとして、度々世間を騒がせていました。それと言うのも、18歳の少女が突如作家として成功を収め大金持ちになったことで、柄の悪い取り巻きに目をつけられ生活が堕落したからです。ドラッグやアルコールに溺れ、ギャンブルや過度の浪費癖が彼女を破滅へと追い込んでいきます。後半生は生活に困窮し、ドラッグの後遺症に苦しみながら、別荘にこもり切ったまま死んだようです。

まるで人生の悲しみの全てを自ら体現したような作家の、美しい処女作を考察をします。

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『悲しみよ こんにちは』の作品概要

作者フランソワーズ・サガン
発表時期1954年
ジャンルフランス文学、半自伝小説
テーマ少女の残酷性、孤独と罪悪

『悲しみよ こんにちは』の300字あらすじ

17歳の少女セシルは、好色な父、その愛人エルザと3人で海辺のバカンスを楽しんでいます。海で出会ったシリルとの恋も実を結び、セシルは順風満帆な休暇を過ごしているようでした。

しかし、超然で美しいアンヌの登場により事態は急変します。父はエルザよりもアンヌに心を惹かれ始めるのです。セシルはアンヌの超然とした人間性を尊敬しつつも、バカンスや色恋を制限されることに窮屈さを感じます。そこでセシルは、父が再びエルザに惹かれるよう試行錯誤します。

複雑な心情の変動の中で、セシルの作戦は結果的にアンヌを死に追い込みます。今でもアンヌの記憶が蘇る度に、セシルは「悲しみ」を迎え入れることになるのでした。

『悲しみよ こんにちは』のあらすじを詳しく

①17歳の幸福なバカンス

17歳の少女セシルにとって、その夏はとても幸福でした。愛する父と、その愛人エルザと3人で悠々自適に休暇を楽しんでいたのです。

母亡き後の父は、いわゆるプレイボーイですが、自らの欲望に忠実で、好奇心が強く、陽気で楽しいことが好きな性格です。娘セシルは、そんな包み隠しなく、包容力のある父を心から愛していました。

愛人のエルザは映画界に出入りする端女優で、社交性に優れ、単純で見栄を張ることのない優しい女性でした。つまり、3人ともが自らの欲望に忠実で、幸福な人生と縁のある人間だったです。

バカンスに来て6日目には、セシルは大学生のシリルと出会い、恋に落ちます。控え目に言っても、順風満帆な17歳の夏だったわけです。

②アンヌの登場

幸福なバカンスに、突然一人の来客がありました。亡き母の旧友アンヌで

上品で理知的で、揺るぎない意思と、周囲を気後れさせるほどの落ち着き、アンヌには超然とした女性の美しさが備わっています。ともすれば、バカンスを過ごす3人とは対極的な人間です。セシルは少なからず、アンヌの来訪に間の悪さを感じていました。

アンヌはバカンスに来たと言うのに、朝から完璧なメイクを怠りません。それに比べてエルザは寝起きの仕上がっていない顔のまま現れます。エルザは、自分がアンヌよりも年齢が若いことを最大の武器と思っているようです。逆に言えば、エルザには若さ以外でアンヌに太刀打ちできる部分は一つもありませんでした。

事実、父はアンヌに心を惹かれ始めます。

ある夜、4人はギャンブルとダンスを楽しむためにカンヌへ繰り出します。アンヌの美しいドレス姿に父は殆釘付けです。おかげでエルザは完全に放置され、事実上父に捨てられてしまいます。

翌日娘セシルは、父とアンヌの結婚報告を受けます。あれほど束縛を嫌い刹那的な恋愛を繰り返してきた父なので、セシルは驚きを隠せませんでした。父とアンヌが結婚すれば、これまでの自由な生活は一変するでしょう。その代わり、知性と洗練によって生活のバランスが保たれることは間違いありません。それは一種の優越感にも繋がります。唐突な出来事に、セシルは躊躇いと不安と幸福を感じているのでした。

③シリルへの恋心

アンヌの存在に複雑な心境を抱く一方で、セシルとシリルの恋心は日毎に膨らんでいきます。

シリルは精神的に安定しており、優しくて真っ直ぐな青年です。初めてキスを交わした後には、断りもなくキスを実行したことを後悔するくらい、本気でセシルを愛そうとしています。セシルも彼のことを考えると心ここにあらずといった状態でした。

しかし、アンヌによって二人の距離は引き離されてしまいます。

セシルは試験に落第していたため、休暇を勉強に費やすようアンヌに指示されます。またある時、砂浜でシリルと抱き合ってキスをしているところをアンヌに目撃されます。二人が性的な関係であると勘違いしたアンヌは、セシルの恋愛を拘束するようになったのです。父もアンヌを前にすれば彼女の味方に回るのでした。

それからと言うもの、セシルは哲学書と向き合いながらシリルのことばかり考えてしまいます。シリルを遠ざけ、父を奪ったアンヌを憎む気持ちが芽生えます。自分の生活から彼女を追い出さなくてはならないと考えるのでした。

④セシルの計画

アンヌを排除したい気持ちと、聡明な彼女に身を任せたい、という相反する気持ちがセシルを悩ませます。そんな複雑な心境のため、セシルとアンヌの口論は尽きません。

ある日の午後、父に捨てられたエルザが荷物を取りにやって来ます。セシルは「父はアンヌに騙されている、彼は本当はエルザのことを愛している」と出任せを口にします。

翌日セシルは、エルザとシリルと密会を交わします。エルザとシリルが擬似恋愛を演じることで、父に嫉妬心を抱かせ、エルザへの恋心を再燃させる、という計画を企んでいたのです。

当初、作戦である疑似恋愛に対して、父は同情や哀れみを示す程度でした。しかし、父は徐々に嫉妬心を抱き始めます。「かつての所有物をガキに取られた」という事実が尺に触るようでした。




⑤父の心変わり

父の嫉妬心はいよいよ事態を急変させます。かつて自分の財産だったものを、再び取り戻したいという卑しい気持ちが芽生えていたのです。

その決定打は、ある夫人に誘われたバーでの出来事でした。事前に父がバーにいることを、セシルはエルザに密告しています。格別に粧し込んだエルザがバーを訪れた途端、父は平常ではいられなくなります。周囲がエルザの美しさを称賛する度に、父の嫉妬心は強くなります。

娘セシルはアンヌと過ごす未来を想像できませんでした。平穏に身を包んだ生活に自分が退屈することは分かっていたからです。だからと言って、セシルは決してアンヌを恨んではいません。本質的には尊敬しているのです。アンヌが自分や父のような人種の生き方を許容し、お互いの生き方を尊重してくれるなら、一緒に暮らせると感じているのです。

⑥アンヌの悲劇

実はアンヌの信頼と優しさによって自分の幸福は満たされていたのではないかとセシルは考え始めます。計画が順調に進行するごとに、セシルはアンヌに同情していたのです。

その矢先に、父とエルザが二人で会う約束を交わします。エルザは全てセシルの計画のおかげで上手くいったと感謝の気持ちを述べます。しかし、セシルはこの策略の責任者が自分であることに恐怖を感じます。

夕方、アンヌが現れます。あの超然と美しい彼女が、ぎこちなく走っています。その様子からセシルは全てを悟りました。父とエルザがキスをする場面をアンヌは目撃したのです。彼女は取り乱しながら車に乗り込みます。セシルは必死でアンヌを引き止めますが、彼女は涙を流しながら去っていきました。

セシルは自ら企んだ計画に後悔し、父はエルザに心移りしたことを後悔します。二人は謝罪の気持ちを手紙にしたため、アンヌが戻ってくるよう努力します。

しかし、その夜にアンヌが交通事故で亡くなったことを知らされます。

⑦そして悲しみと命名する

パリでアンヌの葬儀が行われました。

世間的には事故死とされていますが、真実がどうだったのか、セシルにだけは分かるのでした。

セシルはシリルのことも避けるようになり、二人の恋は完全に消滅しました。

それからしばらく、セシルと父は簡単にアンヌの話題を口にすることができずにいました。しかし、今では彼女との思い出話を躊躇いなく話せるようになっています。

ただ、時々ベッドの中で、あの夏の記憶が蘇ります。闇の中で彼女は「アンヌ」と名前を口ずさみます。そして胸にこみ上げる、ある感情を迎え入れるのでした。

悲しみよ、こんにちは。

そして物語は幕を閉じます。




『悲しみよ こんにちは』の個人的考察

アンヌの価値観の違い

セシルはアンヌの登場により、間の悪さを感じていました。勉強を強いられたり、シリルとの恋仲を引き離されたり、バカンスを尽く支配されます。

しかし、セシルはアンヌに敵対心を抱きながらも、すぐに敵対した自分を恥じたり、アンヌに同情したりします。事実、父とアンヌを別れさせる計画を企てて間も無く、計画は全てなかったことにしようと心変わりします。

つまり、本質的には、セシルはアンヌのことを恨んでいないし、むしろ尊敬していたのです。両者の価値観が極端に違っていただけです。

セシルと父親は、幸福や楽しさを愛することができる人間です。自らの欲望に忠実で、その楽しみのためなら、刹那的な恋愛や放蕩だって厭いません。誰かに拘束されることなく、独立した人生に幸福を感じる人種なのです。

何も成し遂げなかったことを自慢する人間をセシルは嫌悪していました。枠の中で慎ましく生きることを誇りに感じる人間は、彼女にとって退屈の象徴だったのでしょう。セシルと父は、自分たちの楽しみのために枠を飛び出す共犯者であり、そういった外部の喧騒によって自分の平穏を保っているのです。

一方でアンヌは、叡智と揺るぎない意思により周囲を圧倒させる、超然とした女性です。簡単に言えば、達観した考えで世間を捉え、高尚な生き方をする人種です。「自分勝手に楽しみを追求するのは若さの特権であり、そういう人間は後に落ちぶれ、不幸になり、惨めに一生を終える」と彼女は考えています。ともすればセシルと対立するのは当然です。

セシルはアンヌの価値観を理解していた

価値観の違いにより、平行線を辿るように見えたセシルとアンヌでした。

しかし実際は、セシルはアンヌの唱える幸福の価値観を理解しています。つまり、アンヌの意思に則って生きることが、人としての正しさであり、本当の意味での豊な幸福を与えてくれると分かっているのです。だからこそ、セシルは幾度となく心変わりし、アンヌを近づけたり遠ざけたりしていました。

ただ、17歳の少女にとっては、長期的な人生設計よりも、今この瞬間の幸福、楽しみ、恋愛が重要なのです。そして、いつまでも「大きな子ども」である父は楽しみの共犯者なので、アンヌに奪われることを恐れていたのでしょう。

アンヌの言うように、今この瞬間の楽しみだけを追求すれば、後に父もセシルも破滅するのでしょう。アンヌが二人を引き取ってくれれば生活は安泰です。そうと分かっていても、やはりセシルには、平穏に身を包んだ人生に満足することができなかったのでしょう。アンヌのように生きることに優越感を抱きながらも、それが退屈であることをセシルは知っていたのです。

セシルがアンヌに対して後悔した理由

アンヌが父の浮気現場を目撃し、酷く取り乱して去っていく場面で、セシルは必死で彼女を引き止めます。自身の企みを後悔したからです。

セシルはアンヌを一人の女性としてではなく、一種の観念として捉えていました。上品、叡智、卓越、調和、平凡、そして退屈です。自分とは対極に存在する特徴であるため、人間性を象徴する形のない概念としてアンヌを認識していたのでしょう。そのため、セシルは残酷な作戦さえ決行しました。アンヌを観念的に捉え過ぎたあまり、作戦が成功した末に彼女が悲しむという想像力が欠如していたわけです。

不意にわたしは理解した。わたしは、観念的な存在などではなく、感受性の強い生身の人間を、侵してしまったのだ。

『悲しみよ こんにちは/フランソワーズ・サガン』

あるいは、アンヌ亡き後のセシルは、始めからシリルのことを愛していなかったと告白します。性的な関係を結んで以来、彼女は本質的に彼を愛しているような素振りを見せていました。しかし、彼女が愛していたのは彼ではなく、彼が与えてくれる快楽だったのです。

要するに、セシルや父のように、自らの幸福に服従した人種は、他者を魂のある一人の人間として認識しないということでしょう。その人が持つ魅力や、与えてくれる快楽を、観念的に捉えて、受け入れたり突き放したりするのです。そして最終的には、生身の人間を傷つけてしまうのです。

サガンは自らの行く末を予言していた!?

18歳のサガンが綴った本作は、恐ろしいほど彼女の生涯を示唆しています。

つまり、世界的なベストセラーにより大金持ちになったサガンは、放蕩癖によって破滅へと向かいます。アルコールやドラッグに溺れ、ギャンブルに依存し、大胆な色恋に人生を捧げます。

本作でアンヌは「セシルや父のような生き方をする人間は、最終的に惨めな人生を送る羽目になる」と訴えていました。まさにサガンは、自らの欲望に忠実に生きて、世間を騒がせるゴシップクイーンでした。しかし、最終的には金銭の困窮と、ドラッグの後遺症で、別荘に引き篭もって暮らし、みすぼらしく亡くなりました。

サガンは18歳の頃に自らの生涯を予言していたとしか思えません。あるいは、惨めな生涯を送る羽目になってでも、自らの欲望を追求するという若き日の宣言をまっとうしたのかもしれません。

果たして、そのために彼女は何度、「悲しみ」という名の感情を迎え入れたのでしょうか。

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以上、サガンの小説『悲しみよ こんにちは』のあらすじ考察を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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