サガンの小説『悲しみよ こんにちは』は、作者が18歳の頃に執筆した処女作です。
発表から間も無く22カ国で翻訳されるなど、世界的なベストセラー小説となりました。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | フランソワーズ・サガン |
国 | フランス |
発表 | 1954年 |
ページ数 | 197ページ |
ジャンル | 中編小説 半自伝小説 |
テーマ | 少女の残酷性 孤独と罪悪 |
あらすじ
17歳の少女セシルにとって、その夏はとても幸福でした。愛する父と、その愛人エルザと3人で悠々自適にバカンスを楽しんでいたのです。そして何より、セシルは海で大学生のシリルと出会い、恋に落ち、順風満帆だったわけです。
ところが、亡き母の旧友アンヌが訪れたことで事態は急変します。理知的で超然としたアンヌに、父が心を惹かれたのです。エルザは完全に放置され、捨てられてしまいます。それどころか、父はアンヌと結婚するみたいで、唐突な出来事にセシルは戸惑いを隠せませんでした。
一方で、セシルとシリルの恋心は日毎に膨らんでいきます。ところが、母親的な存在となったアンヌに、シリルとの関係を引き離され、勉強を強いられます。シリルを遠ざけ、父を奪ったアンヌを憎む気持ちが、セシルの中で芽生えます。
そこでセシルは、元愛人エルザとシリルに擬似恋愛をさせ、その様子を父親に見せつける作戦に出ます。「かつての所有物をガキに取られた」という父親の嫉妬心を刺激するためです。作戦は順調に進み、父の気持ちが再びエルザに戻り始めます。しかし、セシルは本質的にはアンヌを嫌っておらず、むしろ理解し合った上で一緒に暮らしたい気持ちもあるため、自分が作戦の首謀者であることが怖くなります。
そんな矢先に、父とエルザがキスをする場面を目撃したアンヌが、酷く取り乱して走ってきます。セシルは必死でアンヌを引き留めますが、彼女は車で去ってしまいます。そして、その夜にアンヌは交通事故で亡くなります。
アンヌは事故死と断定されましたが、セシルにだけは事実が分かるのでした。しばらくの間、セシルと父は、アンヌの話題を封じていましたが、今では彼女との思い出話を躊躇いなく話せるようになっています。
ただ、時々ベッドの中で、あの夏の記憶が蘇ります。闇の中でアンヌの名を口ずさみ、胸にこみ上げる、ある感情をセシルは迎え入れるのでした。
「悲しみよ、こんにちは。」
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個人的考察
アンヌの価値観の違い
セシルはアンヌの登場により、間の悪さを感じていました。勉強を強いられたり、シリルとの恋仲を引き離されたり、バカンスを尽く支配されます。
しかし、セシルはアンヌに敵対心を抱きながらも、すぐに敵対した自分を恥じたり、アンヌに同情したりします。事実、父とアンヌを別れさせる計画を企てて間も無く、計画は全てなかったことにしようと心変わりします。
つまり、本質的には、セシルはアンヌのことを恨んでいないし、むしろ尊敬していたのです。両者の価値観が極端に違っていただけです。
セシルと父親は、幸福や楽しさを愛することができる人間です。自らの欲望に忠実で、その楽しみのためなら、刹那的な恋愛や放蕩だって厭いません。誰かに拘束されることなく、独立した人生に幸福を感じる人種なのです。
作中では次のようなセリフが語られます。
「無数の女が送るような人生を送って、それを誇らしく思ってるのよ。わかる?(中略)そこから出るためにはなにもしなかった。あれも、これも、しなかったことを自慢してる。何かを成しとげたことじゃなくて」
『悲しみよ、こんにちは/サガン』p46
セシルは、何も成し遂げなかったことを自慢する人間を嫌悪していたのです。
枠の中で慎ましく生きることを誇りに感じる人間は、彼女にとって退屈の象徴だったのでしょう。セシルと父は、自分たちの楽しみのために枠を飛び出す共犯者であり、そういった外部の喧騒によって自分の平穏を保っているのです。
一方でアンヌは、叡智と揺るぎない意思により周囲を圧倒させる、超然とした女性です。簡単に言えば、達観した考えで世間を捉え、高尚な生き方をする人種です。「自分勝手に楽しみを追求するのは若さの特権であり、そういう人間は後に落ちぶれ、不幸になり、惨めに一生を終える」と彼女は考えています。ともすればセシルと対立するのは当然です。
セシルはアンヌの価値観を理解していた
価値観の違いにより、平行線を辿るように見えたセシルとアンヌでした。
しかし実際は、セシルはアンヌの唱える幸福の価値観を理解しています。つまり、アンヌの意思に則って生きることが、人としての正しさであり、本当の意味での豊な幸福を与えてくれると分かっているのです。だからこそ、セシルは幾度となく心変わりし、アンヌを近づけたり遠ざけたりしていました。
ただ、17歳の少女にとっては、長期的な人生設計よりも、今この瞬間の幸福、楽しみ、恋愛が重要なのです。そして、いつまでも「大きな子ども」である父は楽しみの共犯者なので、アンヌに奪われることを恐れていたのでしょう。
アンヌの言うように、今この瞬間の楽しみだけを追求すれば、後に父もセシルも破滅するのでしょう。アンヌが二人を引き取ってくれれば生活は安泰です。そうと分かっていても、やはりセシルには、平穏に身を包んだ人生に満足することができなかったのでしょう。アンヌのように生きることに優越感を抱きながらも、それが退屈であることをセシルは知っていたのです。
セシルがアンヌに対して後悔した理由
アンヌが父の浮気現場を目撃し、酷く取り乱して去っていく場面で、セシルは必死で彼女を引き止めます。自身の企みを後悔したからです。
セシルはアンヌを一人の女性としてではなく、一種の観念として捉えていました。上品、叡智、卓越、調和、平凡、そして退屈です。自分とは対極に存在する特徴であるため、人間性を象徴する形のない概念としてアンヌを認識していたのでしょう。そのため、セシルは残酷な作戦さえ決行しました。アンヌを観念的に捉え過ぎたあまり、作戦が成功した末に彼女が悲しむという想像力が欠如していたわけです。
不意にわたしは理解した。わたしは、観念的な存在などではなく、感受性の強い生身の人間を、侵してしまったのだ。
『悲しみよ こんにちは/フランソワーズ・サガン』
あるいは、アンヌ亡き後のセシルは、始めからシリルのことを愛していなかったと告白します。性的な関係を結んで以来、彼女は本質的に彼を愛しているような素振りを見せていました。しかし、彼女が愛していたのは彼ではなく、彼が与えてくれる快楽だったのです。
要するに、セシルや父のように、自らの幸福に服従した人種は、他者を魂のある一人の人間として認識しないということでしょう。その人が持つ魅力や、与えてくれる快楽を、観念的に捉えて、受け入れたり突き放したりするのです。そして最終的には、生身の人間を傷つけてしまうのです。
サガンは自らの行く末を予言していた!?
18歳のサガンが綴った本作は、恐ろしいほど彼女の生涯を示唆しています。
つまり、世界的なベストセラーにより大金持ちになったサガンは、放蕩癖によって破滅へと向かいます。アルコールやドラッグに溺れ、ギャンブルに依存し、大胆な色恋に人生を捧げます。
本作でアンヌは「セシルや父のような生き方をする人間は、最終的に惨めな人生を送る羽目になる」と訴えていました。まさにサガンは、自らの欲望に忠実に生きて、世間を騒がせるゴシップクイーンでした。しかし、最終的には金銭の困窮と、ドラッグの後遺症で、別荘に引き篭もって暮らし、みすぼらしく亡くなりました。
サガンは18歳の頃に自らの生涯を予言していたとしか思えません。あるいは、惨めな生涯を送る羽目になってでも、自らの欲望を追求するという若き日の宣言をまっとうしたのかもしれません。
果たして、そのために彼女は何度、「悲しみ」という名の感情を迎え入れたのでしょうか。
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