芥川龍之介『芋粥』あらすじ解説|今昔物語との相違点

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芋粥 散文のわだち

芥川龍之介の小説『芋粥』は、『鼻』と並ぶ初期の名作です。

説話「今昔物語」を題材に、独自の主題で描き直されています。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者芥川龍之介(35歳没)
発表時期  1916年(大正5年)  
ジャンル短編小説
古典翻案
ページ数26ページ
テーマ人間の心理
理想の在り方
満たされるという悲劇
収録作品集『羅生門・鼻』

あらすじ

あらすじ

時は平安。主人公の五位は風采のあがらない中年の小役人です。才覚もなければ見た目も貧相で、同僚に馬鹿にされています。彼は臆病な性格である為、周囲の嘲笑に怒りを露わにすることはありません。

そんな五位にも夢があります。芋粥を飽きるほど食べてみたいという願いです。五位程度の役職の者には貴重な食事だったのです。

ある時、藤原利仁が五位の望みを叶えると約束します。二人は京都を出発し、利仁の領地である敦賀にまでやって来ました。

敦賀の館に到着した五位は、その晩寝床で複雑な心境に陥ります。早く明日が来て芋粥を食べたいという気持ちと、そんなに早く食べる機会が訪れてはいけない、という相反する感情です。早々に願いが叶っては、これまで辛抱して過ごした人生が全て無駄になってしまうような気がしたのです。

翌朝、椀に注がれた芋粥を差し出された五位は、一切の食欲がありませんでした。あれほど望んだ芋粥が、今は少しも食べたくないのです。周囲は五位が遠慮しているものと思い、次々に勧めて来ます。鬼気迫る状況に五位の汗は止まりません。

その時、1匹の狐が庭にやって来ます。利仁は狐にも芋粥を与えるように命令します。五位は狐の姿を眺めながら、かつて周囲から罵られながらも芋粥に飽きたいという夢を持っていた幸福な自分を懐かしく思うのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

理想が現実になると幻滅する?

物語の主題は、理想が現実になったことで気持ちが幻滅してしまう人間の心理、でしょう。

理想は理想のままであるから美しいのかもしれません。事実、五位のように願いが叶う目前で気後れしてしまう心境に深く共感する読者も多いのではないでしょうか。

例えば、何か欲しい物があったとして、ネットや店頭で散々スペックを調べたり、他社製品と比較して迷っている期間は非常に幸福であるにもかかわらず、いざ物を手に入れれば急に特別感が失われる経験は誰しもがあると思います。本当は始めからそれほど欲しくなかったのではないか、と気持ちが幻滅してしまう始末です。物に限らず人間関係や恋愛においても、同様の心境は否めないでしょう。

理想は理想のまま念頭に在り続けることで、ある種においての生活の糧や生きがいになり得るのではないでしょうか。

いつでもない遠いいつかに叶えばいい、という漠然な望みこそが人間の生活に張りを与えると言うことでしょう。それが、五位のようにとんとん拍子で叶ってしまえば、自分の生活の糧が突然奪われたような心地になって、怖気付いてしまうのも判る気がします。

ある脳科学の研究では、年収が一定を超えると人間の幸福度は頭打ちになると実証されています。つまりある程度物質的に満たされた人間は、その先に幸福を見出すのが困難になるという裏付けです。

物語の最後に五位は、「芋粥に飽きたいという夢を持っていた幸福な自分」を懐かしんでいました。彼は物質的に満たされた故に、かつての理想を持っていた「幸福な自分」を失ってしまったのではないでしょうか。

ましてや五位の場合、京都から敦賀までの心細い旅路を経て、大量の山芋が積まれている状況で、次々に椀を勧められたのですから、プレッシャーは並大抵ではなかったでしょう。取り返しがつかない所まで来てしまった、という絶望さえあったと思います。

生活の糧が突然奪われる恐怖と、周囲の重圧が相乗的に働いて、1杯の芋粥さえ食べ切れない心情は判る気がします。

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他者に与えられる幸福は不幸を招く

フランスの哲学者であるアランの著書『幸福論』には、「人間は他者から与えられた幸福にはうんざりするが、自分で勝ち取った幸福は好きである」という考えが記されています。

まさに五位の「芋粥を飽きるほど食べたい」という願望は完全に他者によって叶えられました。仮に自分の力で叶えたなら、つまり出世して身分が高くなった後に自分の力で芋粥を手に入れたとしたら、1杯も食べれなくなるほど幻滅はしなかったように思います。

理想とは自分の力で叶える場合には生活の糧になりますが、他人に叶えられては生きがいを剥奪されたような気分になるのかもしれません。他者に与えられた芋粥には、かつてのような価値が感じられなくなっていたとも言えます。

あるいは哲学者のアランは、富の種類についても言及しています。

例えば、「作家になりたい」という理想には、作家になることが叶っても、その先に作品を生み出し続けたい、という永続的な理想が連なっていますよね。しかし「芋粥を飽きるほど食べたい」という願望は、叶った先には一切が存在しません。

後者のような富を、アランは「手に入れると座り込んでしまうような富」と称しています。次の行動や計画を生み出さない種類の富であり、ひいては不幸や不安の根源になり得るとアランは主張しています。

つまり本作『芋粥』で描かれたような理想は、死ぬまで永久に理想であり続けるべき、観念としての夢であったと言うことでしょう。生活水準としての飽食が必ずしも内実性を持った幸福ではないのかもしれませんね。

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原典『今昔物語』との違い

本作『芋粥』が今昔物語の説話を基にリメイクした作品であることは前述しました。

芥川龍之介は古典作品を作り替える手法を得意としましたが、彼独自の着眼点で物語の趣旨を大きく変えてしまうのが特徴です。無論『芋粥』も、主題ががらりと変更されています。

そもそも今昔物語の説話では、藤原利仁の権威を見せつける目的で物語が記されてます。五位を招待して、大量の芋粥や美しい女性を振舞う貴族の暮らしが描かれているのです。

此て五位、一月許有に、万づ楽き事限無し。

『今昔物語』

藤原利仁のおかげで、五位は1か月余り、楽しい生活を送ったと記されています。なんと帰りには、装束や織物や馬や牛などを与えられ、京都に戻った頃には五位はかなり裕福になっていたという結末です。

五位のように関白家に長く仕えるものは、思わぬ幸運に巡り合う、という教訓によって物語は幕を閉じます。

「頑張っていれば幸福は訪れるよ」というありふれた教訓ですね。

この貴族主観の物語から、あえて五位という人間に焦点をあてて、人間の心理に切り込むのですから、芥川龍之介の着眼点には驚かされます。殆どオリジナルの物語と言っても過言ではありません。

遥かに長く語り継がれる説話の教訓すらも、彼の主題を前にすれば陳腐に聞こえるのですから芥川龍之介は偉大です。

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