夏目漱石『道草』あらすじ解説|養父を描いた自伝的小説

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道草 散文のわだち

夏目漱石の小説『道草』は、代表先『こころ』の次に発表された晩年の作品である。

『吾輩は猫である』執筆当時の漱石自身の苦悩が自伝的に描かれている。

本記事ではあらすじ紹介した上で、物語の内容を詳しく考察していく

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作品概要

作者夏目漱石(49歳没)
発表時期  1915年(大正4年)  
ジャンル長編小説
自伝小説
ページ数352ページ
テーマ幼少時代の思い出
酷薄な人間関係
義理文化

あらすじ

あらすじ

外国から帰った健三は、道端で島田という男と遭遇する。かつて健三は島田家の養子に出されていた。ところが島田の浮気が原因で養父母は離婚し、健三は実家に連れ戻され、それ以来絶縁関係にあった。それが今になって金をせびりに訪ねて来るのであった。

腹違いの姉は、既に縁を切った島田に金を渡す義理はない、と主張する。そう話す姉からも健三は経済援助を要求されており、親類とはいえ親しい間柄ではなかった。また健三は妻との関係も悪く、常に口論が絶えず、そんな妻の父からも金を要求されている。そして島田のみならず、かつての養母もしつこく家を訪ねて来るようになる。

次第に島田の金の要求はエスカレートする。気に病んだ健三は、手切金の百円を条件に改めて絶縁を約束させる。上手く島田の件が片付いたことに妻は喜びの態度を示す。しかし健三は、「世の中に片付くなんてものは殆どない」と吐き捨てるのだった・・・

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個人的考察

個人的考察-(2)

創作背景

本作『道草』は、『こころ』(後期三部作の最終章)に次いで書かれた小説である。その次の遺作『明暗』は未完に終わったので、正式に発表された最後の作品である。

自伝的小説である本作は、ロンドン留学から帰国し、デビュー作『吾輩は猫である』を執筆していた当時の、漱石自身の生活が題材になっている。前後期三部作を経て、改めて原点に回帰した作品と言える。

『吾輩は猫である』でも、当時の漱石の生活、世間との交流、人間社会の風刺が、諧謔かいぎゃく的に描かれているので、『道草』は同時期を題材にしたついとなる作品と言える。前者は友人たちとの風通しの良い交流が描かれるのに対し、後者の主人公・健三は閉塞的で、彼を取り巻く人間関係はことごとく酷薄である。そういう意味で、この二つは「明・暗」真逆の作品だ。

『道草』執筆前のエッセイ『硝子戸の中』で、漱石はこう記している。

もっと卑しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、ついに発表しずにしまった。

『硝子戸の中/夏目漱石』

この言葉を契機に、漱石は『道草』の中で、「卑しい所、悪い所、欠点」を大々的に描くに至ったのだろう。

これまで漱石は、文壇から余裕派と批判され、文学的に認められていなかったが、私小説の要素が強い本作は、一転して自然主義の作家から高く評価された。

ちなみに『硝子戸の中』では、『道草』を補完する、幼少時代の出来事が記されているので、そちらも参考にしていただきたい。

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漱石と養父母との関係

作中で養父母とのしがらみが描かれる通り、漱石の出生はかなり複雑である。

漱石は、江戸の名手・夏目家の末っ子として誕生した。腹違いの姉が二人と、兄が三人いる。かなりの権力を持つ裕福な家庭だったが、明治維新の名手制度廃止により没落を辿った。

家勢の衰退が原因か、両親は漱石の誕生を喜ばず、生後間も無く古道具屋の里子に出した。不憫に思った姉が実家に連れ戻したが、またすぐに父の書生として仕えた塩原昌之助の養子に出される。この塩原こそ、本作『道草』に登場する養父・島田のモデルになった人物だ。

子に恵まれない塩原夫妻は、漱石を溺愛し、高価な着物を与え、わがままに育てた。ところが養父・昌之助の女性問題が原因で、塩原夫妻は離婚に至る。それが原因で漱石は9歳の頃に実家に連れ戻されたが、実父と養父が対立し、21歳まで夏目家に籍を戻せなかった。

漱石の復籍にあたり、実父は手切金(過去の養育費)240円を養父に支払った。離縁に際して漱石は、「不義理不人情なことはしない」という文書を養父に要求された。この文書が全ての発端になったと言える。

作中では、養父との再会は『吾輩は猫である』の執筆当時になっているが、実際は数年後の朝日新聞に入社して職業作家になった頃である。養父は例の文書を盾に、育ての親に義理を返すよう迫ってきた。いわば、かつての義理として金をせびってきたわけだ。最終的には例の文書を百円で買い取り改めて離縁が成立した。

このように『道草』の中で、養父は金に汚い卑劣な人物として描かれている。だが一方で、養父の目的は金ではなかったという見解もある。実際に作中で養父は、金ではなく、あくまで漱石の復籍を要求している。

ある日島田が突然比田の所へ来た。自分も年を取って頼りにするものがいないので心細いという理由の下に、昔し通り島田姓に復帰して貰いたいからどうぞ健三にそう取り次いでくれと頼んだ。

『道草/夏目漱石』

確かに漱石を塩原籍に戻せば、彼から経済援助が得られるだろう。だが注目すべき点は、漱石(健三)に子供が生まれた際に、養父はその子供が男か女か気にしていることだ。ここから推測できるのは、養父は金ではなく、後取りを欲していた可能性があるのだ。

作中には養父の後妻の連れ子・御縫さんが登場する。御縫さんには柴野という旦那がいた。しかし御縫さんが病気で亡くなると、柴野家との関係は切れてしまう。すると柴野家から経済援助が得られなくなり、だから養父はなんとしてでも漱石から金をむしり取りたかった、という風に描かれているが、本当は後取りの不在を懸念していたのではないだろうか。養子を迎えてでも家を存続させるほど、家制度を尊重する当時なら、金より後取りを欲するのは不思議なことではない。

余談だが、漱石との一件後に、養父・塩原が養子に向かい入れた小出秋男という人物の父は、『吾輩は猫である』に登場する迷亭の「静岡の伯父」である。

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夫婦関係について

養父の厄介と並行して描かれるのが、摩擦の多い夫婦関係である。健三と御住は常に口論が絶えず、二人の関係性は暗い印象を与える。

実際に漱石と妻・鏡子は、お互いに一歩も譲らず、衝突することが多かったようだ。

妻・鏡子は、貴族院の父を持つ、いわゆるお嬢様だ。よく言えば大切に、悪く言えばわがままに育てられた彼女は、家事が不得意で、寝坊癖も酷かった。そのことを漱石に咎められると、負けじと反論して漱石を閉口させる勝ち気な性格だった。

留学を経験し、個人主義を尊重するわりに、漱石は夫婦関係について封建的で、妻は夫に従属すべきという考えを持っていた。とはいえ漱石に限らず、当時の日本では男尊女卑の価値観が強かった。こうした漱石の主張に対しても、妻は強く反論する。

単に夫という名前が付いているからと云うだけの意味で、その人を尊敬しなくてはならないと強いられても自分にはできない。もし尊敬を受けたければ、受けられるだけの実質を有った人間になって自分の前に出て来るが好い。

『道草/夏目漱石』

かえって妻の方が漱石よりも現代的な価値観を生きている。そのため、男尊女卑が甚だしい当時の日本では、鏡子は良妻賢母とは言い難く、悪妻と非難されていたようだ。

このように勝ち気な性格の鏡子は、結婚生活の中でヒステリーを起こすことが多かった。作中ではカミソリを抱えて放心状態になったり、自分の死を匂わせる言葉を口にしたり、精神的に不安定な印象を覚える。こうした妻のヒステリーが漱石を神経症に追い込んだ原因の1つとも言われている。

現代的な価値観で言うなら、鏡子は悪妻ではなく、むしろ良き妻である。漱石の次男も、当時の父の癇癪をよく辛抱したものだ、と母に同情的な立場を示している。と言うのも、英国留学で神経症を悪化させた漱石は、妻に暴力を振るうことが増えたのだ。それが原因で鏡子は、周囲に離婚を勧められたが、しかし頑なに受け入れなかった。暴力の原因が夫婦関係にあるなら離婚するが、病気が原因だから別れるつもりはない、と漱石に添い遂げる意志を強く持っていたのだ。

鏡子が悪妻だと非難されたのは、漱石の死後に発表された談話集『漱石の思ひ出』が原因だろう。談話集の中で鏡子は、漱石の癇癪ぶりを赤裸々に語った。それが死者への冒涜して、漱石の門下生たちを激怒させた。結果的に鏡子に中傷が集中し、悪妻の印象を被せられたのだと考えられる。

2016年には、『漱石の思ひ出』を原案にしたドラマ『夏目漱石の妻』が放送された。漱石役を長谷川博己、妻役を尾野真千子が務め、夫婦生活の様子がユニークに描かれる。

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義理文化の国・日本

姉は世間でいう義理を克明に守り過ぎる女であった。他から物を貰えば屹度それ以上のものを贈り返そうとして苦しがった。

『道草/夏目漱石』

これは健三が義理深い姉を皮肉的に語った文章である。そして、この「義理」こそが、本作最大のテーマと言える。

「義理」は日本特有の文化で、欧米には相当する言葉が存在しない。最も近い言葉を選ぶなら「義務」になるが、しかし日本人は「義理」と「義務」を区別している。

本来「義理」には、「義務」のような強制力はない。例えば、義理チュコや、お土産を、職場などで配らなければいけない義務はない。ところがそれを怠ると、義理を欠いた奴として印象が悪くなる。そう、日本人は、お世話になった人にお礼をしたり、何かを貰えば何かを返さなければいけない、義理文化に束縛されている。それは真心というより、世間体が強いゆえ、日本では半ば強制力を持っているのだ。(現代では薄れつつあるだろうが)

では『道草』の内容に戻るが、健三にとって養父の島田に金を渡す「義務」はない。既に離縁の手切金を実父が渡しているのだからなおのことだ。しかし幼年時代に育てて貰った「義理」はある。そもそも養父とは「義理の父」のことであり、まさに「義理」で繋がった関係性なのだ。そこに義務はないが、だからと言って、義務の有無だけで島田を追い返すには、日本があまりに義理文化に縛られているのだろう。

漱石自身、英国留学を経験した近代人だ。個人主義ゆえ「義理」に否定的である。妻の父(義理の父)に資金援助を要求された際も、「そんな義務はない」と悪態を吐く。ところが最終的には、文句を溢しながらも、あらゆる義理に対して金を払ってしまう。そしてそのことに酷く気を病んでいる。

漱石文学には一貫して、全体主義と個人主義の葛藤が描かれている。『道草』においても、義理文化を通して、同様の葛藤が描かれているのだろう。

物語の終盤に、義父・島田と改めて離縁が成立すると、妻は安堵の言葉を口にする。ところが健三の気分は晴れない。

世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起こった事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ

『道草/夏目漱石』

幼い頃に養子出され、腹違いの兄姉を持ち、妻や妻の親族と軋轢を抱える彼にとって、たとえ「義務」が片付いたとしても、「義理」が片付くことはあり得ないのかも知れない。

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