山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』あらすじ解説|映画も紹介

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人のセックスを笑うな 散文のわだち

山崎ナオコーラの小説『人のセックスを笑うな』は、文藝賞を受賞した処女作です。

2008年には、松山ケンイチと永作博美の主演で映画化され話題になりました。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者山崎ナオコーラ
発表時期  2004年(平成16年)  
受賞文藝賞
ジャンル中編小説
恋愛小説
ページ数120ページ
テーマ特異な恋愛
男性性の中の女性性
関連2008年に映画化
主演:松山ケンイチ

あらすじ

あらすじ

美術学校に通う19歳の主人公は特異な恋愛をしています。20歳年上で既婚の講師「ユリ」と交際しているのです。

飲み会の帰りに、ユリから好意を伝えられたのが発端でした。絵のモデルを務めるために彼女のアトリエを訪れるようになり、肉体関係へと発展します。恋とも愛ともつかない、執着に似た情熱によって、主人公はユリを求めます。

ところが最後のセックスの日に見せたユリの蟠りは、尾を引くように2人の関係を蝕みます。ユリは自身の芸術との葛藤に苦悩し、専門学校の講師を辞めます。「しばらく一人になりたいの」それ以降ユリと話すことはありませんでした。

移りゆく季節の真ん中で、主人公はユリを思い出してばかりいるのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

タイトルに込められた意味とは

文藝賞の審査において、評価が高かった本作。当時の審査員であった高橋源一郎は、作者の名前と作品タイトルを見た時点で、「今年の受賞作はこれだ」と確信したそうです。

それだけこのタイトルが持つ強烈なインパクトが、作品の善し悪しに影響していることは間違い無いでしょう。強烈なタイトルは一種の賭けみたいなもので、悪い方に転べば、奇抜なタイトルに内容が似合わない、いわゆる「タイトル落ち」してしまうことになります。ともすれば、本作はそれだけタイトルに見合った素晴らしい小説だったのかもしれません。

冒頭で綴ったように、作者がこのタイトルを思いついたのは、同性愛の本を前にして笑っている人を見たことがきっかけだったようです。そういった背景を知らずとも、タイトルを見ただけで、同性愛もそうですが、特異な性癖であったり、社会的なマイノリティの性がテーマであることを想像します。しかし、本作は19歳の大学生が、39歳の既婚者と恋愛をする、あえて今の時代に取り上げることでも無い、連続ドラマで放送されそうな普遍的な設定ではあります。そういう意味では、「タイトル落ち」だったのかもしれませんが、読み進めると落ちきらず、むしろ上昇するような感覚になります。

本作のヒロインであるユリは主人公より20個も歳上であるにも関わらず、年長者の余裕を持っていません。芸術家特有の、個人の葛藤、自己中心的な内省に囚われているからです。そのため、主人公の磯貝に対して、タメになるような、”教える行為”を完全に放棄しています。要するに、彼女とセックスをしても、何が正解で何が間違いか分からず、一向に行為が上手くならないのです。

こういったテーマは非常に盲点でした。性に関するコミュニケーションは非常にシビアになりやすく、できれば話したく無いと思う方も多いはずです。自己防衛の目的もありますし、相手の自尊心を傷つける恐れがあるため、包み隠さず話すのは難しいものです。疑心暗鬼になりながら愛撫をする男の子、痛いの一言が喉の奥に詰まる女の子。体が繋がっても、心が一向に交わらないような感覚。誰しもが抱える重大な問題だと思います。

「社会的マイノリティ」ばかりが先行する昨今に、誰もが抱える性に対するマイノリティな感覚に焦点を当てたのは、感服せざるを得ません。

もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやって欲しい。

『人のセックスを笑うな/山崎ナオコーラ』

性に対するマイノリティな感覚が過敏になったからといって、相手を尊重できるわけでもありません。(神経過敏な愛情が誰も救えないように。)

我々が抱えるシビアな性の問題を解決する方法はただ1つ、自分に酔うことだけなのです。ユリは作中でセックスに対して、「自分が楽しければ、相手も楽しいと信じること。絵と同じ」と言及します。

つまり、自分に酔うことができない人間は、相手を慈しむこともできないのです。

一口のウィスキーに頼ってでも演じること、戯けて見せても構わない、そんな彼らを、君を、僕を、笑うことができる奴なんていないのです。もし君を笑う奴がいたら、こう言ってやりなさい。

人のセックスを笑うな!

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女性が描く男性性

太宰治は女性一人称の名手と言われています。「女生徒」「ヴィヨンの妻」「斜陽」、彼が主人公を女性にして、物語の中で女性性を発揮した作品は多く存在します。

本作の作者である山崎ナオコーラは、女性でありながら一人称を「オレ」で書きました。ユリではなく磯貝の目線で物語を進行させたのです。逆の立場でもそうですが、女性が男性を装う書き方は、文学において一種の挑戦と言えるでしょう。ましてや性の問題を題材にした小説で、異性の立場で描くのは、下手すれば的外れば描写の連続になりかねません。

個人的な意見で言えば、少し不可解な場面もあったのですが、大方は違和感なく磯貝のペルソナを受容することが出来ました。

同じように、男性の読者が本作の主人公の男性性に違和感を抱かずに読み切ったのであれば、おそらく「女性化する男性」という近年囁かれた現象を、もはや普遍的に許容していることを意味するでしょう。

「女々しい」という言葉が男性だけに用いられるように、男性の内には女性性のようなものが確実に存在します。太宰治をはじめ、多くの男性の文豪が女性一人称で執筆したのは、自分の中の女性性を表現するためだったのだと思います。ともすれば、山崎ナオコーラが描いた「逆の装い」は、女性が描く男性一人称を、違和感なく男性が受容するという今日のジェンダーレス的な社会のあり方を言い表す、”今の文学”だったのでしょう。

「山崎ナオコーラ」という名前から性別が想起できないように、そこに男性や女性という区別はもはや存在しないのです。

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映画『人のセックスを笑うな』

人のセックスを笑うな』は、松山ケンイチ主演・永作博美・蒼井優ら豪華キャストで映画化された。

松山ケンイチと永作博美の掛け合いが愛おしくて、映画ならではの魅力がある。

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