カミュ『ペスト』あらすじ解説|不条理文学の最高傑作

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ペスト フランス文学

カミュの小説『ペスト』は、伝染病をテーマに生死を描いた、不条理文学の代表作です。

44歳という異例の若さでノーベル文学賞を受賞した直接の作品でもあります。

比較的に難解な物語のテーマと教訓を徹底的に解説します!

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者  アルベール・カミュ  
フランス
発表1947年
ジャンル長編小説
ページ数476ページ
テーマ集団を襲う不条理
危機的状況における教訓
人間の行動原理
受賞ノーベル文学賞

あらすじ

あらすじ

医師リウーが発見した鼠の死体にて異変は始まる。すぐさま街中に鼠の死体が溢れ返り、それに合わせて、リンパ腺が腫れた末に死んでしまう病気が流行り出す。医師リウーはその病気の正体が「ペスト」だという恐ろしい事実に気づく。当初は楽観的だった市当局も、あまりの死者数に危機感を覚え、遂にロックダウンが決行される。

外部から遮断された街では、市民の精神状態は不安定になり、生活必需品の価格は高騰し、経済は大きな打撃を受ける。そんな監禁状態の中で、あらゆる種類の人間模様が描かれる。ペストに果敢に立ち向かう医師リウー、そして、死という不条理を拒否するタルーも、積極的に救済活動に励む。あるいは、それまでは絶望していた作家志望のグランは、病人の救急活動の中でやり甲斐を見出すことになる。一方で、ロックダウンされた街から脱走を試みる記者ランベールや、全てを神の天罰に理由付けする司祭パヌール、他にも、街の混乱よって逮捕を免れた犯罪者コタールなどもいた。

逃れようのない不条理において、やがて人々は協力し助け合うようになるが、それでも、死んでいく人々を目の当たりにするうちに、リウーたちは深い疲れを感じ始める。しかし、ある日突然、ペストを発症した患者が奇跡的に回復する事例が現れる。以降、潮が引いたようにペストは終息に向かって弱まっていく。

ついに町の封鎖が解除され、人々は念願の自由を手に入れた。しかしリウーは、ペスト菌は決して消滅することはなく、いつか人間に不幸と教訓をもたらすために、どこかの幸福な都市に現れるだろう、と述べて物語は幕を閉じるのであった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

集団に襲い掛かる不条理

戦後のフランス文学の最高峰と言えばサルトルだが、彼を圧倒する形で注目を集めたのがカミュであった。

カミュの文学をひと言で表す場合には「不条理」という言葉がしばしば用いられる。デビュー作『異邦人』では、死刑という、個人に対する不条理が描かれていた。

一方で2作目となる本作『ペスト』では、伝染病という集団に襲い掛かる不条理の中で、各個人の多種多様な在り方がリアリズムの文体で描かれている。いわば危機的状況に陥った場合、人々はそれぞれどのような行動に出るのか、という、ある種の観察記録のような内容になっているのだ。

以下は、特に象徴的な登場人物である。

・医師リウー(戦う人)
  物語の語り手
  目前のペストと戦い続ける

・タルー(分析する人)
  一連の出来事を手帳にメモ
  不条理な死に嫌悪感がある

・作家志望グラン(見出す人)
  役人の仕事も作家も目が出ない
  救急活動にやり甲斐を見出す
・記者ランベール(逃げる人)
  街に訪れたタイミングでロックダウン
  パリにいる恋人に会うために脱走を計画

・司祭パヌール(祈る人)
  イエズス会の神父
  ペストは罪人への天罰と説く

・犯罪者コタール(利用する人)
  ペストによる緊急事態で逮捕を免れる

このように、ペストという不条理は、人によって良し悪しの結果をもたらしている。

危機的状況におけるヒロイズムが生き甲斐に繋がる者もいれば、その混乱を利用して逮捕を免れた者もいた。一方で、偶像崇拝によって現実から目を背ける司祭や、全体の正義よりも個人の幸福を優先して脱走を試みた者もいた。

しかし作中では、誰が正義で誰が悪というスタンスで描かれることはない。全ての人々が一様にペストの被害者であり、それぞれがそれぞれの方法でその不条理に抗おうとしているのだ。そして彼らの行動様式は、実際に我々が危機的状況に陥った時に取る行動パターンを的確に分類化している。

とは言え、長きにわたる孤立と恐怖の中で、人々の意識は徐々に変化していく。とりわけ、手記をしたためるタルー、記者ランベール、司祭パヌールは、カミュの描く不条理の様相を理解する上で重要な役割を果たしている。

本記事では、以上3名に注目して考察していこうと思う。

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タルーが嫌悪する不条理な死

主人公である医師リウーと共に保健部隊を結成し、ペストに果敢に立ち向かった人物がタルーであった。その一連の出来事を手帳に書き綴った内容が、たびたび物語に引用される。

しかしタルーの場合、医師リウーとは全く異なる行動原理の元、救急活動を行なっていた。このタルーの信念こそが、本作の重要なテーマになっている。

タルーの行動原理には、幼少の頃の出来事が大きく関係している。タルーの父親は検事だった。ある時、父親に裁判の様子を見学させられたタルーは、父親が罪人に死刑を宣告したことに衝撃を受ける。人間が人間に死を宣告する、という圧倒的な不条理に対する嫌悪感を覚えたのだ。これは前作『異邦人』で描かれた不条理の内容と重なる部分がある。

人間が人間に死を宣告する権利があるのか?

こういった疑問を抱いたタルーは、死刑制度を容認した国で生きることは、自分が間接的に不条理な死に同意していることと同様だと感じ始める。あるいは死刑制度のみならず、資本主義社会において、安い食糧や衣服を消費するためには、貧しい国の労働者の命が犠牲になっている。しかし多くの人間はそういった実態から目を背けて生きている。言わば、目を背けることで、間接的に命の犠牲に同意しているということなのだ。

タルーにとっては、この間接的に死に同意する感覚は、ペストとの実態とも重なっていく。つまり、自分が他人に伝染病を移してしまう恐れがあるように、自分は常に誰かの死に加担してい生きている、という感覚があったのだ。そういう意味で、人間は天災の犠牲者でありながら、自分自身が天災そのものにもなり得る。

だからこそタルーは、間接的であれ、不条理な死を正当化する一切のものを拒否する立場において、ペストに抗おうと努めていたのだ。

以上のようなタルーの行動原理は、作者カミュの不条理に対するスタンスを最も象徴しているように感じられる。カミュの不条理文学は、反抗することに文学的エッセンスがある。

ただし、不条理は、どうしようもない運命であるから不条理なのであって、事実、タルーは不条理に争った末にペストに感染して死んでしまう。言ってしまえば彼は敗北したのだ。

しかし、タルーの敗北は無意味ではないし、現に文学という形式で何十年後の我々に教訓を与えるのは、目を背けた人間ではなく、抗った人間なのである。

世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するものであり、善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる。

『ペスト/カミュ』

知らないことは、無力ですらない。むしろ悪を、不条理を助長する最悪の状態なのだ。

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ランベールの葛藤

物語の中で最も部外者なのがランベールだ。

新聞記者であるランベールは取材のために、一時的に街に訪れていたのだが、なんとそのタイミングでロックダウンが決行され、監禁状態になってしまったのだ。おまけにランベールには、パリに恋人を残しているため、なんとしてでも故郷に帰りたい理由があった。いわば、彼にとってこの街は無関係であり、下手な正義感を持つ謂れもないわけである。

ランベールは極秘で脱走を計画している事実をリウーやタルーに打ち明けていた。しかし、二人は彼を卑怯者と蔑むことはなかった。つまり、人間が個人の幸福を優先するのは至極当然のことであり、愛する人のために生きて死にたい、というランベールの思いは誰にも否定できるものではなかったのだ。

ところがランベールは、脱走が叶う直前に計画を断念し、リウーたちの仲間に加入することを決意する。彼の心の中には、ペストで苦しむ人々を見捨てた状態で、恋人と以前のように愛し合うことは不可能だ、という気後のような感覚があったのだ。

要するに、「個人の幸福」と「全体の正義感」の葛藤の中で揺らぎ、そしてそのいずれかだけを選択するのは不可能だと気づいたのだ。対照的に見える「個人の幸福」と「全体の正義感」は、実は相関的であり、切っても切り離せないものだということだろう。

それでもランベールの突然の考えの変化は理解し難い。あれだけ会いたかった恋人への想いを断念してまで街に滞在する決意に至った行動原理が不明だ。事実、本人でさえその理由を正確には理解していないようだった。

一つ考えられるのは、ペストという不条理がもたらす、(いい意味での)精神的な閉塞感ではないだろうか。作中では、人を助けたいという思いが過度になりすぎて、やがて助ける当人のことさえ忘れて、助ける「行為」ばかりが最優先事項になるといった現象が何度も記されていた。これはつまり、リウーたちが、ペストと戦う理由はヒロイズムではなく誠実さだ、と主張していたことと同様で、人間は危機的状況に陥ると、エゴやヒロイズムすら無関係な、目前の問題と向き合うだけの(いい意味で)閉塞的な精神状態になるということではないだろうか。

こういった精神状態になったランベールは、「自分が望もうが望ままいが、この事件は皆に関係があることだ」と思うようになる。もはやヒロイズムや個人の幸福とは切り離された部分で、目前のペストと立ち向かうことが、彼にとってある種の使命になったのだと考えられる。

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司祭パヌールとキリスト教

危機的状況に陥った時に、ある者にとって不可欠になり、ある者にとって無意味になるもの、それは神の存在である。

当然カトリックの司祭であるパヌルーにとって神は絶対的な存在であり、ペストという悲劇は、神が罪人に与える天罰だと説いていた。しかしこれはリウーたちからすれば、自分を納得させるための理由づけに過ぎなかった。人間は原因の分からない現象に恐怖を感じる生き物だし、だからこそ天罰だの悪意だのと勝手な筋書きを作ってしまえば安心できるわけだ。いわゆる一種の現実逃避である。

だがしかし、仮に神の存在に全ての原因を委ねるのであれば、人々が協力し助け合い戦う必要性はなくなり、全ては神の意向に従う以外に術がなくなる。助かるものは助かる、死ぬものは死ぬ、と初めから神に決定づけられていることになるからだ。こうした信仰の価値観の中では人間のいかなる行動も無意味である。だからこそリウーたちは、神のいない世界で目前のペストと戦う決心をしたのだ。

そして、神父パヌルーにも心変わりの瞬間が訪れる。彼は目の前で子供が苦しみながら死んでいく場面を見たのだ。何の罪もない子供が神の天罰によって裁かれるとすれば、一体この世界はいかなる秩序の上に成り立っているのか。全てを神に委ねることは、果たしてペストに対する正しいアプローチなのか。

この不条理を目にしたパヌルーは一気に信念がグラつき、リウーたちと共に救急活動に励むようになる。ところが司祭である故に、完全に信仰を失うことは当然不可能であった。パヌルーは最終的にペストに感染して死んでしまうのだが、彼は最後まで治療を拒否する。司祭である彼にとっては、治療は人間側の無神論を尊重する行為であり、信仰を失わない以上、彼は黙って神の天罰を受け入れる以外に選択肢がなかったのだ。

カミュの小説にはしばしば無神論の立場が描かれるが、やはり「不条理への反抗」と「信仰」は決して相容れないのだ。なぜなら、全てが神の意図として運命づけられるとすれば、それこそが最もな不条理であり、だからこそ無神論の立場を出発点として、不条理に立ち向かう必要があるのだと思う。

宗教のような抽象的な観念の世界は、重要な教訓を与えるにしても、現実の悲劇を前にすれば非常に脆いことを否めない。

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ペストは消滅しない

ペストが終息し、ロックダウンが解除された街では、人々が歓喜の声をあげて騒いでいた。ところが、ただ一人リウーだけが、勝利ではない感覚を抱いていた。なぜなら、ペストが完全に消滅することはなく、いずれどこのかの幸福な街に突然現れ、人間に不幸と教訓を与える、という事実を彼は知っているからだ。

実際に細菌が完全に消滅することは殆どなく、あるタイミングで大規模な流行を起こす可能性は常にある。しかし、実際に本作『ペスト』が描いていたテーマとは、伝染病のみならず、ナチスをはじめとするファシズムによる支配だったと考えられている。

腐敗した政治支配により、人々が監禁状態にされ、常に死の恐怖に怯え、疑心暗鬼の感情が伝染病のように感染してしまう状況は、まさにペストのようなものだ。そういった恐怖政治は完全に消滅することはなく、あるタイミングで発足し、不幸と教訓を残して、またいずれ繰り返される。

あるいは本作『ペスト』は、大震災のような深刻な被害を受けた時期にも注目を集める。つまり、集団が不条理と呼べる危機的状況に陥った時に、どのように行動し、それがいかなる意味を有し、最終的に何が重要であるかを伝える教訓の書になっているわけだ。

前述した通り、不条理を前にすると、人々は多種多様な行動を表す。しかし皆が一様に不条理の被害者であり、誰が善で誰が悪ということはない。とりわけ我々の国では同調圧力が甚だしく、違った行動をとる人間へのバッシングが目立つ。そんな危険な精神状態の人にこそ本作『ペスト』をじっくり読んで欲しい。何が敵で、何に抗うべきか、それをはっきり見極め、少なからず、敵は我々の友ではないことを肝に銘じるべきだろう。

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カミュの代表作『異邦人』は、1967年に巨匠ヴィスコンティ監督によって映画化された。

マストロヤンニと、アンナ・カリーナ共演の幻の名作と言われている。

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