中村文則『R帝国』あらすじ解説「教団X」に次ぐ傑作長編

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R帝国1 散文のわだち

中村文則の小説『R帝国』は、『教団X』の系譜を引くディストピア小説である。

紀伊国屋書店の人気投票で1位を記録し、アメトークの読書芸人で紹介され話題を呼んだ。

著者の作品群の中では、特に政治色が強く、思想がふんだんに詰め込まれているため、賛否両論を巻き起こした。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察していく。

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作品概要

作者中村文則
発表時期  2017年(平成29年)  
ジャンル長編小説
ディストピア小説
ページ数377ページ
テーマ全体主義の脅威
幸福と正しさの矛盾

あらすじ

あらすじ

R帝国は国家党が議席の99%を占め、1%を野党に譲渡することで民主主義を名乗る、事実上の一党独裁政権である。

R帝国のコーマ市に住む矢崎は、ある朝目覚めると、B国と開戦したニュースを知る。謎の違和感を抱きながら出勤すると、職場に着いてすぐに無人兵器の襲撃を受ける。それはB国ではなく、Y宗国によるテロだった。

Y宗国の兵隊は信仰を名目に無差別にコーマ市民を殺していく。矢崎は避難の最中にY宗国の女性兵士と出会い、彼女を通じてY宗国の唐突なテロの理由に接近する。

一方で野党員の栗原は、反政府組織「L」と秘密裏に繋がりテロの真相を知る。Y宗国とG宗国は宗教の問題で戦争状態にある。それは大国が資源を奪うための代理戦争だ。R帝国も資源獲得のために参戦したいが大義名分が必要になる。そこで意図的にY宗国にテロを起こさせ、堂々と参戦できる状況を作り上げたのだ。要するに全ては「党」による自作自演の陰謀ということだ。

コーマ市民の矢崎や、野党員の栗原、反政府組織「L」のサキは、「党」の陰謀を暴くために動き出すが、圧倒的な権力を前に、本当の絶望を知ることになる・・・

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個人的考察

個人的考察-(2)

全体主義を描くディストピア小説

人間の内面を掘り下げた純文系、ミステリー要素を取り入れたもの、政治・社会問題に切り込んだ思想系など、様々なジャンルの小説を生み出す中村文則。

本作『R帝国』は、政治色の強い『教団X』の系譜を引いたディストピア小説で、近未来を設定に全体主義社会の恐怖が描かれている。

紀伊国屋書店の人気投票「キノベス」で2018年に1位を記録し、さらにアメトークの「読書芸人」で紹介され話題を呼んだ。

その一方で、著者の思想がかなり色濃く、政治や社会問題に深く切り込んでいるため、発表当初は賛否両論を巻き起こした。

本作について著者は、世界全体の流れについて危機感を覚えて書いた「抵抗の書」と言及している。また、ヒトラーやスターリンのような独裁者ではなく、社会全体の空気によって全体主義になる「日本的な独裁」を描いた、とも説明している。

物語はR帝国という架空の世界が舞台で、その架空の世界にある小説の中で、日本やアメリカが登場する反転の構造が使われている。我々が生きる現実の政治や戦争やテロが、R帝国の行く末とリンクして描かれているのだ。

朝、目が覚めると戦争が始まっていた。

『R帝国/中村文則』

R帝国とB国の開戦に始まり、Y宗国によるテロが起こり、全ては独裁政権「党」による政治的陰謀だと判明する。真実に気づいた一般市民の矢崎や、野党員の栗原、反政府組織「L」のサキの奮闘が描かれ、その中で現実世界の様々な問題に警鐘を鳴らしている。

本記事では、3つのテーマに焦点を当てて考察しようと思う。

  • 日本的な全体主義
  • 戦争やテロの仕組み
  • 国民感情の矛先
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R帝国=日本的な独裁政権?

R帝国は、「国家党」が議席の99%を占める、事実上の一党独裁政権である。残りの1%を野党に譲渡することで、表向きは民主主義の体裁をとっている。これはロシアや北朝鮮のような明らかな独裁政権とは異なる、民主主義の仮面を被った独裁政権、つまり自民党による一党独裁の状態にある日本的な国家モデルだ。

日本が民主主義の仮面を被った独裁国家であるか否かは、一概に断定できないが、日本が特殊な民主主義の国であることは確かだ。それはR帝国とA共和国の対比で描かれる。

■A共和国の性質(アメリカ的)

A共和国の性質は、国民と国家が契約状態にあることだ。国民は国家に従っている意識を持たず、拳銃の所有が認められ、国家が間違いを犯せば、自分達がやっつけるという精神性を養っている。彼らは自由を最優先に考えるため、時に物凄い成功者が生まれる。だがその代償として自己責任が問われる。自由に挑戦できる個人主義的な風潮だが、失敗した時は全て自己責任ということだ。言うまでもなく、これはアメリカ的な国家モデルだ。

■R帝国の性質(日本的)

一方で日本的な国家モデルのR帝国は、国民が国家に服従する精神性を持ち、ゆえに国家主義の性質が強い。この手の国家主義の国は、A共和国(アメリカ)ほど自由は認められず、民主主義でありながら全体主義の風潮が強いが、その代わりに国家に従う限り守ってもらえるという意識のもとで成立している。

A共和国R帝国
アメリカ的日本的
契約の関係服従の関係
自由主義全体主義(国家主義)
自己責任  従う限り守られる  

いずれの性質が優れているかは分からないが、R帝国には1つ重大な欠陥が隠されている。それは、場合によっては、国家は簡単に国民を見捨てるということだ。

前述した通り、国家主義の国は、国民が国家に服従する限り守ってもらえる、という意識が前提にある。そのため、例えばジャーナリストがテロリストの人質になった場合、国家は金を渡してでも人質を取り返そうとする。アメリカ的な自由主義の国家モデルなら、自己責任として簡単に人質を見捨てるだろう。しかし国家主義は、何より自国民を優先する姿勢の国家モデルだから人質を助けるのだ。

ところがR帝国は、国家主義なのに簡単に人質を見捨てる。危険地帯だと分かって行ったのだから自己責任、というわけだ。都合が悪い部分は自己責任を強いる、矛盾した国家主義、それがR帝国なのだ。他人事ではない。日本人なら2015年に起きた、ある事件に身に覚えがあるだろう。(以下省略)

つまり、いざという時、お前達の国は、個人を見捨てる傾向にある、ということだ。

『R帝国/中村文則』

お前は、自分の国が先進国だと、思っているだろう。確かに、経済的には、そうだ。でも、気づいてないだろうが、お前達の国の国家観は、実は発展途上に近い。

『R帝国/中村文則』

こうしたR帝国の「国家主義なのに個人を見捨てる」性質を補完するように、日本の太平洋戦争が例に挙げられる。

世界の歴史において、太平洋戦争の「沖縄戦」は非常に稀で特殊な事例だと記されている。

■沖縄戦の異常性

そもそも「沖縄戦」に突入する以前から、日本は壊滅的な戦況だった。日本が所有するサイパンを、アメリカに占領された時点で、将棋で言う王手の状態だった。なぜなら地理的にアメリカがサイパンを占領すれば、そこから日本全土に空襲爆撃が可能になるからだ。普通の国ならそこで降伏するが、日本は戦争を続行し、その結果「沖縄戦」に突入した。

1つ説明しておくべきは、戦争において、政府と軍人と国民は切り離す必要がある。戦争は政府同士の戦い、軍人同士の殺し合いだが、ただし国民は関係ない。

だから米軍は沖縄市民に降参を呼びかけた。捕虜になれば助けると訴えていた。ところが沖縄市民は、絶対に降伏するなと政府に命じられ、捕虜になるくらいなら自殺しろと手榴弾を渡された。手榴弾が不発の場合は身内同士で殺し合うことを強いられた。

これは時間稼ぎのためだ。米軍が沖縄に上陸すれば次は本土に来る。その前に政府中枢を東京から長野に移す計画があった。もし沖縄市民が降伏し、捕虜になれば助かる事実が広まれば、時間稼ぎができなくなる。だから市民の命を利用して米軍を足止めしたのだ。日本の戦争は、民間人の犠牲を前提にした「一億玉砕」という特殊な事例なのだ。

国家主義でありながら、国民を見捨てる。

そう、R帝国は日本の不気味な性質を模倣する形で、陰謀を着々と進めている。目的を達成するためなら、国民が何人死のうが仕方ない、それが「党」の精神である。

では「党」が達成すべき目的とは何なのか。その答えは戦争とテロの仕組みに隠されている。

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戦争とテロの仕組み

あらゆる戦争には資源が関係している。

例えば石油が豊富な中東では戦争が絶えない。彼らは宗教上の確執で争っているが、彼らのバッグにつく大国はそこにある資源を確保するために代理戦争を企てている。

とはいえ、大義名分がなければ大国は戦争に介入できない。そこでテロを企てる。テロとは秘密裏で交わされる戦争商売で、意図的にテロを受けることで国民感情を参戦に扇動できる。

戦争に参加したい時、国民に戦争参加を納得させるためにわざと自国内のテロを見逃す場合もあるだろう。テロで国民は激怒し、戦争参加に反対する声は小さくなる。

『R帝国/中村文則』

作中では「9.11」が取り上げられる。

アフガンという国はタリバンという組織に支配されていた。そのタリバンが保護するビンラディン率いるアルカイダは、アメリカの貿易センタービルに飛行機で突っ込んだ。これがいわゆる「9.11」だ。

アフガンにとって、同じ中東のサウジにアメリカの基地があるのが許せず、アメリカを撤退させるためにテロを企てたとされている。テロを受けたアメリカはタリバンを襲撃し、タリバンはアフガンの支配権を失った。当然の成り行きである。マイナスの結果しかないと分かっていてなぜタリバンはテロを図ったのか、そこが最大の謎である。

事実はどうであれ、「9.11」によって、アメリカは同じイスラム国家であるイラクに堂々と介入できるようになり、それがイラク戦争へと発展した。そして多くの西側諸国が参戦し、軍需産業で莫大な利益をあげ、石油の大半も持っていった。

これが俗に言う「陰謀論」だ。

同じくR帝国は、宗教上の問題で争うY宗国とG宗国のうち、Y宗国からテロを受けた。この二国には豊富な資源がある。そして、ある大国は資源のルートを確保するためにG宗国側についており、R帝国も参戦する名目として、意図的にY宗国のテロを受けたのだ。資源をふんだくる戦争の大義名分のために。

加えて襲撃されたコーマ市には、市長の意向で軍事基地がなかった。民主主義である以上、強行採決で基地を設置できない。しかしテロによって実被害を受ければ、国民の意見は、基地開発の賛成に傾く。要するに党の利権争いにもテロが利用されたわけだ。

仕組まれた戦争、仕組まれたテロ。こんな話をすれば、真っ先に陰謀論と叩かれる。その真相は国民には分からない。ただし、作中にも記される通り、何か大きな事件が発生した時、その事件を通じて利益を得ている存在を疑うこと、そういう思考が重要だろう。

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国民感情の矛先

R帝国は自作自演のテロで、Y宗国に「コーマ市」を襲撃させた。それを弾圧する名目で、自国の空爆機によってコーマ市民を700人も殺害した。700人の命を犠牲に、「党」は参戦権と政治利権を獲得したのだ。

この700人の被害には、もう一つ、国民感情を操作する意図があった。

「党」は事前に、コーマ市を襲撃したY宗国は次に本土を襲撃する危険性を煽った。すると途端に国民感情は、コーマ市民を犠牲にしてでも自分達は助かりたい、という利己的なものに変わった。彼らの内部には少なからずコーマ市民を犠牲にした罪悪感が芽生えた。だからこそ彼らは、犠牲になったコーマ市民を、英雄だの、テロに屈さず立派に戦っただの、と勝手な賞賛を並べ立て、自己矛盾を解消していた。

国民に罪悪感を与える、それこそ「党」が最も意図した国民感情の操作である。

誰だって自分が悪い人間だと思いたくない。だから国民は、自分可愛さにコーマ市民の犠牲を受け入れた自分を、とことん肯定せずにはいられない。仮にも戦争に反対する人間や、コーマ市民の犠牲に意義を唱える人間がいれば、国民は自分の独善的な正義感を否定された気持ちになる。自分の罪悪感を隠すための正義感が崩れてしまう。だから彼らは、そういう少数派の人間を徹底的に叩き潰そうとする。

そう、国民の怒りを政府ではなく、仮想敵に向けさせるのが重要なのだ。国民は他にも、移民や、生活保護を受ける人間や、軍事基地の開発に反対した党員を、吊上げ、攻撃し、叩き潰すことで、ますます自尊心を高めた。彼らは根本的に不安なのだ。だからこそ「党」という巨大な権威と一体化することで、言いようのない悦楽に浸っている。

これがナショナリズムの正体だ。そして「党」は、わざと国民を不安にし、仮想敵を用意することで、ナショナリズムを高揚させている。

こうした感情操作はファシストの鉄則だ。

例えばナチスのヒトラーが、障害者やユダヤ人を殺した理由を考えてほしい。当時のドイツは酷い不況に喘いでいた。生活が苦しくなると国民の不満が高まる。不満の矛先を政府から逸らすのに必要なのは仮想敵である。ゆえに不況になると、国民の間で優生学の思想が高まる。障害者や移民など、生産性のない人間を、なぜ自分達の税金で援助しなければならないのか。国民の不満や怒りはそういった人間に向かう。

他にも、韓国では決まってあるフェーズに入ると反日感情を煽る。日本においても隣国との不和をメディアがやたらに煽る。こうした感情操作が、一体なんの目的で行われているのか、今一度考えてみる必要があるだろう。

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「幸福」と「正しさ」は相反する

人々が欲しいのは、真実ではなく半径5メートルの幸福なのだ

『R帝国/中村文則』

本作最大のテーマは、「幸福」と「正しさ」は常に相反するということだ。

繰り返しになるが、あらゆる戦争には資源が関係している。大国は資源のルートを確保するために代理戦争を企てる。それは倫理的に考えれば悪である。正しさではない。

けれども資源が枯渇すれば、将来的に大勢の国民が死ぬことになる。それならば、戦争を起こして遠くの国の誰かもしれない人々が犠牲になればいいと考えるだろうか?

自分達にテロの被害が及ぶくらいなら、コーマ市民が犠牲になればいい、と考えたR帝国の国民のエゴイズムと同様である。

あるいは、先進国で安価に物が手に入るのは、途上国で倫理に反した労働を強いられる人間が存在するからだ。自分達の消費欲求のためなら、遠くの貧しい国の人々が犠牲になればいいのか?

こんなことを考え出すと息苦しくなる。だからこそ人間は、真実ではなく、半径5メートルの幸福だけを考えて生きていたいと思う。

作中では、「幸福は閉鎖」だと記される。見たくない事実から目を背け、犠牲者を無視し、ただ自分の身近な幸福だけを実感していたい。少なからず人間にはこうした反知性主義に安住したい欲求がある。

幸福とは、世界に溢れる飢えや貧困を無視し、運の良かった者達だけが享受できる閉鎖された空間である。

『R帝国/中村文則』

物語の終盤では、反政府組織「L」が政府の陰謀の証拠をネット上で暴露する。ところが国民のほとんどは「真実」を信じたがらない。

お前達から真実を知らされた国民の大半は、無意識的にどう感じたと思う?〝余計なことをするな〟これだよ。

『R帝国/中村文則』

本当のことなんて知りたくない。そんなことを知れば、自分の正義が、自分の幸福が、不安定になってしまう。だから遠くの国で不条理に殺される人々のことなんて聞きたくない。私は彼らの犠牲を養分にして、今日も半径5メートルの幸福を実感します・・・

どんな理想も、どんな反対勢力も、巨大な力の前では無力である。それは政府という巨大な権威以上に、国民という巨大なエゴイズムに敗北するからだ。

『R帝国』の「R」には、リピート(繰り返される)という意味が込められている。この世界の構造は何も変わらないまま繰り返される。

それでも、考えること、疑うこと、闘うこと、理想を持つことを諦めたら、人間はなんのために生きているのだろう?

誰か僕達を助けてくれ。

『R帝国/中村文則』

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映画『去年の冬、きみと別れ

中村文則の代表作『去年の冬、きみと別れ』は2018年に映画化され、岩田剛典、山本美月、斎藤工ら、豪華俳優陣がキャストを務め話題になった。

小説ならではの予測不能なミステリーを、見事に映像で表現し、高く評価された。

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