夏目漱石『三四郎』あらすじ解説|時代背景から伝えたいこと考察

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三四郎 散文のわだち

小説『三四郎』は、明治時代の東大生の儚い恋愛を描いた、夏目漱石の代表作である。

前期3部作の1作目に位置し、次作『それから』『門』へとテーマが引き継がれていく。

三四郎が一目惚れした美少女の美禰子みねこは、最終的にお見合い結婚してしまう・・・

現代人からすれば、ありきたりな恋愛小説に感じるが、そこには明治時代の日本人が抱えていた社会テーマが秘められている。

本記事では、あらすじを紹介した上で、漱石が伝えたかったテーマを考察していく。

■考察ポイント
・当時の時代背景
・全体主義と個人主義について
・美禰子の不可解な言動の意味
・「ストレイシープ」とは

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作品概要

作者夏目漱石(49歳没)
発表時期   1908年(明治41年)  
ジャンル長編小説
ページ数368ページ
テーマ明治の恋愛
全体主義と個人主義

あらすじ

あらすじ

東大に合格した三四郎は、熊本から上京する列車で出会った女性と一晩を共にするも、手に触れることも出来ず、「あなたは余っ程度胸のない方ですね」と笑われる始末。

女性に免疫がない田舎者の三四郎は、東京に着くと同郷の先輩・野々宮さんを訪ね、その帰りに大学で見かけた美少女・美禰子みねこに一目惚れする。しかし鈍感な三四郎は自分の恋心にまだ気づいていない。その後、仲間を介して美禰子との交流が始まるのだが、彼女と先輩の野々宮さんが妙に深い関係だと気づき、三四郎は気が重くなる。

仲間たちと菊人形展に出かけた日、人混みに酔った美禰子は、三四郎を連れ出して二人きりで休憩する。そこで美禰子は「私はストレイシープだ」と意味深な言葉を口にする。仲間の所に戻る際に体勢を崩した彼女は三四郎の腕に倒れ込み、再び「ストレイシープ」と囁くのだった。

また別の日、三四郎は美禰子と二人で展覧会に行く。会場で野々宮さんを発見した美禰子は、まるで彼に嫉妬させるかのように、わざと三四郎の腕を掴む。彼女のそんな言動に三四郎はモヤモヤすると同時に、ようやく自分が彼女に恋していると自覚する。美禰子の方も、三四郎が選んだ「ヘリオトロープ」の香水を購入したりと、2人の関係は急速に近づきつつあった。

三四郎は友人の金を工面するために、美禰子に借金することになる。後日、金を返しに行くと、美禰子は疲れた顔をして受け取ろうとしない。沈黙が続いた後に三四郎は、金は口実であなたに会いたいから来たのだ、と初めて愛の告白をする。だが突然見知らぬ紳士が現れ、美禰子を車に乗せて去っていく。

インフルエンザになった三四郎は、見舞いに来た友人から、美禰子が結婚する事実を伝えられる。家族が決めた縁談の相手と一緒になるのだ。

事実を確かめるため三四郎が美禰子に会いに行くと、彼女は「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」と口にする。三四郎はヘリオトロープの匂いを感じながら、美禰子に背を向けて帰るのだった。

美禰子をモデルにした絵が飾られる展覧会が開催された。絵の中の美禰子は、三四郎が初めて見かけた時と同じ、着物姿に団扇を持っていた。タイトルは「森の女」だった。友人に絵の感想を尋ねられた三四郎は、「タイトルが悪い」と答え、心の中で「ストレイシープ」と繰り返すのだった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

物語の時代背景(日本の西洋化)

本作『三四郎』が発表された1908年は、明治時代の末期にあたる。明治時代とは有史以来最も変化の多い過渡期の時代だった。

鎖国で300年近く外交を閉ざした日本に、西洋文化が一気に雪崩れ込み、知識人たちはこぞって飛びついた。結果的にアジアで初めて西洋化を実現した国になったのだが、しかし当時の状況を漱石は自身の作品で度々懸念している。

日本の開化はあの時から急激に曲折しはじめた・・・急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにそのいうとおりにしなければ立ち行かないという有様になった。

『現代日本の開化/夏目漱石』

当時の日本では、過剰な欧化政策がとられ、西洋人の言うことなら全て正しい、という風潮だった。本来であれば、良いものは取り入れ、合わないものは拒否する、自分本位の文明発展が望ましい。それを漱石は、内側から発生して蕾が花開く様と表現している。

しかし当時の日本は、何も考えずにとりあえず西洋のものなら取り入れる、他人本意の文明化を突き進んでいた。いわば蕾もないのに花びらだけ急いでこしらえるようなものだ。

その滑稽な様子は、漱石が大学で講演会を行った時の記録『私の個人主義』に記されている。

その頃は西洋人のいう事だといえば何でも蚊でも盲従して威張ったものです。(中略)つまり鵜呑といってもよし、また機械的の知識といってもよし、到底わが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものを我物顔に喋って歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。

『私の個人主義/夏目漱石』

結局日本人は西洋化を進めても、全体主義の風潮から抜け出せていない。西洋文化は優れているから、みんながそう言うから、そういう風潮だから・・・

元より自分の頭で考えずにとりあえず周囲に足並みを揃える全体主義の日本人が、いくら西洋化を進めても、その蕾にあたる個人主義の概念に目覚めることはなかったのだ。

これは現代の日本にも通づる部分がある。

近年やたらと「多様性」が掲げられ、日本社会は混乱しているように見える。そもそも個人主義の欧米には、自分が自由を求める場合は、他人の自由も認める、という価値観があり、これが本当の多様性だ。一方で日本の場合は、自分は自由に生きたいけど、他人が違うことをしていたら認められない、という考えが根強い。だから近年の日本では「多様性」なる言葉だけが一人歩きし、表面上はマイノリティを尊重するふりをしながら、その本質はなかなか根付かないのだ。

それは例えば、欧米人の個人主義的な生き方を絶賛しながら、自分の身近にそんな生き方をしている日本人がいたら「非常識」と批判するような感じだろうか。

明治時代にもこれと同じことが起きていた。その代表例が『三四郎』で描かれる、お見合い結婚だ。いくら西洋化が進んでも、個人主義たる自由恋愛はまだまだ認められず、親が決めた好きでもない縁談相手と一緒になることを義務づけられていた。

というのも、当時の親世代は幕末を生きた、全体主義にどっぷり浸かった世代だ。それに対して大学生の三四郎や美禰子は、間も無く訪れる大正デモクラシー(個人主義・自由主義)の時代を生きる新しい価値観の世代である。そしてこの世代間対立こそが、『三四郎』の根底に流れる社会テーマと言える。

ちなみに本章で引用した『私の個人主義』は、書籍で出版されている。漱石文学全体を理解する上で重要な1冊で、また現代人が読んでも深く共感と感動が得られるのでおすすめだ。

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美禰子のモデル平塚らいてう

当時の時代背景を知れば、美禰子の悩ましい言動の理由が見えてくるはずだ。全体主義社会における自由恋愛の敗北、それが彼女に起きた悲劇だった。

実は美禰子にはモデルになった人物がいる。それは平塚らいてうだ。そして平塚らいてうについて知れば、美禰子の葛藤についてさらに理解が深まる。

「元始、女性は太陽であった」

この有名な一節で知られる平塚らいてうは、大正から昭和にかけて活動した、女性の権利獲得運動の立役者である。主な活動として、女性の選挙権獲得や、旧式の女性らしさの破壊を目指した。

平塚らいてうが女性運動に目覚めた理由はその生い立ちにある。

高等官僚の父親は、国粋主義的な家庭教育を徹底し、良妻賢母を叩き込む女子学校に平塚らいてうを入学させた。いわば夫に服従して家を守る旧式の女性らしさを押し付けられたのだ。そうした教育に不満を感じた彼女は、授業をボイコットすることもあったという。

女子学校を卒業すると、「女子を人として、国民として教育する」という方針を掲げる日本女子大学に進学する。こんな方針を掲げなくてはいけないこと自体が気持ち悪いが、当時の女性には人権がなく、教育はおろか参政権すら与えられていなかった。実際に父親は、「女子に学問は必要ない」と言って進学を反対した。

ともあれ父親を説得して進学し、卒業すると英語学校に通い、そこで海外文学と出会ったことで自ら小説を書くようになる。その小説を高く評価したのが、夏目漱石の弟子・森田草平という男だった。

森田草平は妻子持ちでありながら、平塚らいてうと懇意になり、デートを経た末に、唐突に二人は心中未遂事件を起こす。山奥で死に場所を探しているところを警察に保護された。

事件の解決策として漱石は、森田草平と平塚らいてうの結婚を取り持とうとしたが、彼女は結婚など考えておらず呆れていたらしい。のちに自伝の中で、「いま、考えても、なぜ二人の間の結末をつけることをああも急がねばならなかったのか、その本当の理由がわかりません」と告白している。

心中未遂まで図ったにもかかわらず、なぜ森田草平との結婚を拒否したのか。

彼女はのちに画家の男と籍を入れずに夫婦生活を始めるのだが、それを結婚と区別して「共同生活」と呼んだ。当時の価値観では、結婚とは縁談のことであり、自由恋愛からの結婚は世間から「野合」と非難された。おそらく彼女は、こうした風潮を打破するために、制度上の結婚ではない形で男女が一緒になる手段を模索していたのだろう。つまり彼女は初めから森田草平と籍を入れるつもりなどなかったのだ。

ある意味、平塚らいてうの行動は、特定の相手との恋を成就させるための反抗というより、自由恋愛を認めない風潮に反抗するために、逸脱した恋愛をしている感が強い。

これは美禰子の行動にも当てはまる。美禰子は三四郎のみならず、野々宮さんほか多くの男と懇意な関係を気づいており、実際に誰が好きだったのか曖昧だ。個人的には、彼女は本当は誰のことも好きではなかったと考えている。

というのも、彼女は特定の相手に熱烈に恋したから縁談を拒否したかったのではなく、縁談から逃れたいがために様々な男の元をふらふらしていた風に見えるからだ。これは平塚らいてうの行動と同じである。つまり、三四郎や野々宮さんは縁談を拒否するための目的ではなく手段に過ぎなかった。自分を縁談から救ってくれる誰かを渇望し、しかし本心では誰のことも好きになれず、どこにも取り付く島がなかった。

そんな自分の状態を「ストレイシープ(迷える子羊)」と表現したのだと思われる。

そして美禰子には、平塚らいてうのように信念を貫く強さが足りなかった。自由な女性としての生き方を渇望する一方で、世俗的な生き方を振り切れない弱さがあり、縁談を受け入れる結果に終わったのだ。

大岡昇平は漱石論において、美禰子の結婚相手は銀行員と主張している。なんにせよ、お堅い縁談を受け入れた彼女は良妻として夫に服従することを求められるだろうし、大学を辞める必要もあったのではないか。

未だに日本は男女格差が激しく、生きづらさを感じる女性も多いだろう。美禰子もまた、当時の女性の社会的抑圧を体現したストレイシープだったのだ。

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美禰子の不可解な台詞の意味

美禰子は作中で幾度か不可解な台詞を口にして三四郎を困惑させる。それが彼女の小悪魔的なあざとさを際立たせているのだが、本章では次の二つに注目して考察していく。

・責任を逃れたがる人だから
・我が罪は常に我が前にあり

なお「ストレイシープ」に関しては前の章で考察したので割愛する。

「責任を逃れたがる人だから」

菊人形展を抜け出し、二人きりで小川で休憩している時に、美禰子は不意に「責任を逃れたがる人だから」と口にする。

直前まで野々宮さんと広田先生の話をしていたので、どちらのことを言っているのか三四郎は尋ねるが、美禰子は何も答えない。

これは2通りの解釈ができる。1つは野々宮さんに対する言葉だ。

菊人形展の会場で迷子の女の子を見かける場面がある。その際に野々宮さんは、この人混みだから誰かが助けるだろうと皆が責任逃れをするんだと笑いながら言い、彼自身も助けようとしない。この何気ない場面が、美禰子にひとつの暗示を与えた。

というのも、美禰子は三四郎と出会う前、野々宮さんと恋仲だった。野々宮さんが買ったリボンを彼女が身に付けていたことからも分かる。しかし野々宮さんは学問に生きる男で、生涯結婚を望まない考えの持ち主だった。

だが個人的には、野々宮さんもまた、自由恋愛からの結婚を批判する世間体を恐れていたのだと思う。彼が見せる嫉妬の素振りからも、彼が美禰子を好いていることは分かるが、世間を敵に回す勇気はない。仮に野々宮さんが腹を決めれば、美禰子は世間を敵に回してでも、自由な女性の生き方を貫く決心ができたのに、野々宮さんにはそれだけの責任能力がなかった。だから二人は離別することになったのではないか。

そして菊人形展の例の場面で、美禰子は迷子の女の子を自分と重ね合わせ、迷える子羊である自分を助けてくれなかった野々宮さんの無責任さを非難したのだと考えられる。

もう1つの解釈は、美禰子が自分自身に放った言葉だ。

縁談の運命から逃れるべく、さまざまな男の元をふらふらするも、本当は誰のことも好きではないから、どこにも取り付く島がない。そんなどっちつかずで優柔不断な自分のことを「責任を逃れたがる人」と自嘲的に言ったとも考えられる。

いずれにしても、美禰子の絵が飾られる最後の展覧会の場面で、野々宮さんがコートのポケットからペンを取り出す際に、美禰子の結婚式の招待状が床に落ちる。それを野々宮さんは破り捨て、西洋画の評論に取り掛かる。

美禰子との恋が叶わなかった野々宮さんは、かつて宣言した通り、生涯結婚せず、学問だけに生きる道を選んだのだろう。そう思うとどこか切なくなる。

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「我が罪は常に我が前にあり」

結婚が決まった美禰子の元へ三四郎が事実を確かめに行った日、彼女は最後にこう口にする。

「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」

『三四郎/夏目漱石』

これはダビデ王の言葉で、自らの罪の重さと痛みを一生忘れてはいけない、という教訓の意味が込められている。

美禰子の罪とは、1つは三四郎に対する罪悪感であろう。三四郎は金を返しに行く場面で、あなたに会いたいから来たのだ、と初めて愛の告白をした。しかしその時には既に彼女の縁談は決まっていた。

女性に免疫がない鈍感な男に、愛の告白をさせるまで至ったのに、そんな三四郎を裏切る結果になり、その罪を一生忘れない、と謝罪の意味を込めて口にしたのではないだろうか。

もう1つは自分の生き方に対する罪悪感だ。自由恋愛を非難する当時の風潮に抗う、自由な女性としての生き方を貫けず、親が決めた相手と一緒になる。その罪を一生忘れてはいけないと自分を咎めていたのではないか。全体主義社会に敗北した女性、自由な生き方を貫けなかった女性の悔恨の意が込められているように思う。

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『三四郎』から始まる前期三部作

『三四郎』は、夏目漱石の前期三部作の1作目に位置し、次作『それから』『門』へと続く。

『それから』はタイトル通り、前作『三四郎』の“それから”を描いた作品だ。かつて好きだった友人の妻を略奪するまでの葛藤が描かれる。

登場人物に関連性はないが、『三四郎』で叶わなかった恋を、『それから』で略奪するという続編的なテーマになっている。

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そして、最終章『門』では、妻を略奪した主人公が世間の目を避けて暮らす陰鬱な物語が描かれる。罪の意識を抱えた主人公はついに宗教に救いを求めるようになる。

こちらも登場人物に関連性はないが、略奪を図った主人公の“その後”という続編的なテーマになっている。

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いずれも明治時代の全体主義社会で、生き方に苦しむ当時の日本人の姿を描いた傑作だ。

『三四郎』が気に入った人はぜひチェックしてみてください!

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