夏目漱石の小説『三四郎』は、明治時代の恋愛観を描いた作品です。
『それから』『門』へと続く、前期3部作の1作目にあたります。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
目次
作品概要
作者 | 夏目漱石(49歳没) |
発表時期 | 1908年(明治41年) |
ジャンル | 長編小説、 教養小説 |
テーマ | 明治の恋愛 全体主義と個人主義 |
あらすじ

①上京してひと目惚れ
「あなたは余っ程度胸のない方ですね」
「いずれ日本は滅びる」
東京の大学に進学するため上京列車に乗る田舎者の三四郎は、車内で遭遇する都会人の言葉にいちいち困惑し、自分が田舎を離れたことを実感するのでした。
東京に到着した三四郎は、同郷の知り合いである「野々宮さん」を訪問した帰りに、キャンパス内の池の前で、着物姿で団扇を持った美しい女性「美禰子」を見かけます。ピュアな三四郎は彼女の美しさにひと目惚れして、ひと言。
「矛盾」
②大学生活
ある時、野々宮さんの妹が入院する病室へ荷物を届けた三四郎は、またしても美禰子と遭遇します。通り過ぎた彼女の髪には、いつか野々宮さんが買っていたリボンが付いていて、三四郎はいらぬ推測をして気が重くなるのでした。
知り合いの引っ越しの手伝いで再び美禰子と再会した三四郎は、徐々に彼女と親交を深めます。 その第一歩として、野々宮さんを含む大勢で菊人形展に出かけることになります。
三四郎は、菊人形展の群衆のせいで気分が悪くなった美禰子と、小川の近くで休憩します。
断りなく集団から離れたことを三四郎が心配していると、「責任を逃れたがる人だから大丈夫」と意味深なことを美禰子が口にします。三四郎が「野々宮さんのことですか?」と尋ねても、それっきり彼女は話題を変えてしまうのでした。
美禰子は「迷子」が英語で「ストレイシープ」であることを教えてくれます。
菊人形展に戻る道中、ぬかるみでバランスを崩した美禰子は、三四郎の腕の中に倒れ込みます。美禰子は三四郎に抱かれながら囁きます。
「ストレイシープ・・・」
③借金
三四郎は与次郎に金を貸したのですが、なかなか返してくれず、挙句、美禰子が代わりに工面してくれることになります。 ところが三四郎が彼女の家を訪問すると、三四郎自身が競馬で金を擦ったことになっていました。
「人の心も読めないのに競馬を当てようとするなんて・・・」
三四郎と美禰子は、二人で展覧会に行きます。会場で野々宮さんの姿を発見した途端、美禰子は三四郎の腕を掴んで彼にアピールします。すると野々宮さんは気を害して帰っていきました。感の鈍い三四郎は、何が起こったのか分かりませんでした。
また別の日、美禰子は三四郎に香水を選んで欲しいと言います。香水のことなど詳しくない彼は、直感で「ヘリオトロープ」という花の香りを選びます。すると美禰子は迷いなくその香水を購入するのでした。
「金は借りたままでいろ」という与次郎の忠告を無視して、三四郎は美禰子に金を返しに行きます。ところが「今返されても困る」と美禰子は本当に困ってしまいます。帰る道すがら、三四郎は美禰子に「お金は関係なく、あなたに会いたいから訪ねたのだ」と本音を伝えます。
ちょうどその時、見知らぬ男が美禰子を迎えに来て、三四郎を残して去っていきました。
④ストレイシープ
インフルエンザになった三四郎は、見舞いに来た与次郎から、美禰子が嫁に行くという事実を伝えられます。家族が決めた縁談に従う形で結婚することになったようです。
三四郎は堪らず美禰子の元を尋ねます。借りていたお金を三四郎が返すと、今度こそ彼女は受け取りました。そして懐からハンカチを取り出して、三四郎の前に突き出します。「ヘリオトロープ」の香水の匂いが漂いました。
「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」
彼女のこの言葉を最後に、三四郎と美禰子は別れるのでした。
後日、美禰子をモデルにした絵が飾られる原口先生という画家の展覧会が開催されました。絵の中には、着物を身に纏い、団扇を手に持った、三四郎が初めて出会った日の美禰子の姿が描かれています。絵のタイトルは「森の女」でした。
与次郎は、難しい顔をする三四郎に絵の出来栄えを尋ねます。すると三四郎は「タイトルが悪い」と答えます。三四郎は心の中で、「ストレイシープ、ストレイシープ」とただ繰り返しているのでした。
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個人的考察

明治時代のトレンディドラマ
現代の我々が『三四郎』を読んだ場合、非常に難解な部分が多いかもしれません。
それは本作が「明治時代のトレンディドラマ」だからです。現代には現代の価値観が反映された連続ドラマが製作されるように、『三四郎』は明治時代の若者のトレンドや価値観が反映された作品なのです。
例えば、今だとSNSで知り合った人と恋に落ちるドラマが製作されても違和感がありませんが、もしかすると100年後の人間にはこの価値観は理解できなくなっているかもしれません。つまりその時代のトレンドを描いた作品は、時間が経過すると理解しづらくなってしまうものなのです。『三四郎』はその典型です。
明治時代と言えば、西洋の文化が流入し始めた頃です。冒頭の列車の中で三四郎が西洋人を見て美しいと口にする場面、あるいは「ヘリオトロープ」「ストレイシープ」など横文字が多く使われるのも当時の時代背景が関係しており、ある種の流行だったわけです。
「いずれ日本は滅亡する」という台詞に関しては、西洋の文化が流入しているにも関わらず、依然として日本人が全体主義的な考えを持ち続けていることに対する警笛だったのだと思います。「熊本より東京が広く、東京より日本が広く、日本より頭の中の方が広い」という台詞は、叡智の不足した視野の狭い自国の国民性を揶揄していたのでしょう。
このように当時の時代背景やトレンドが描かれているために、現代の読者には理解しきれない部分が多いのだと思います。そして最大の謎は、やはり当時の恋愛観にあるので、後ほど解説します。
鈍感すぎる三四郎
トレンディドラマ、恋愛ドラマの鉄則として、主人公が鈍感すぎるのは、三四郎も同様です。
三四郎は非常にピュア過ぎる故に、美禰子の心情を全く読み解くことができず、最後まで二人の関係が一定以上縮まることはありませんでした。
始めて美禰子と遭遇した時のひと目惚れの衝撃を「矛盾」と表現したのは夏目漱石の洒落たセンスでしょうが、それくらい三四郎は自分の中で何が起こっているのか気づかない鈍感な田舎者だったのです。
一方で美禰子は仕切りに三四郎にメッセージを訴えていました。
①「責任を逃れたがる人」の意味
菊人形展の最中に二人きりで小川で休憩している時に、美禰子は「責任を逃れたがる人だから」と口にします。三四郎が誰のことを言っているのかを尋ねても美禰子は答えませんでした。その真相は次の通りです。
美禰子と野々宮さんは恋仲であったにもかかわらず、野々宮さんは学問に生きる結婚願望がない人間でした。そのことに愛想を尽かした美禰子は、自分を養うという責任から逃れたがる野々宮さんを非難して、徐々に三四郎に気持ちを映していたのだと思います。もちろんピュアな三四郎は、彼女の境遇を理解することはなく、抱き合うというハプニングに惑溺して、ノートに「ストレイシープ」と書きまくるくらいには呑気でした。
②借金の意味
あるいは、お金を貸すことが一種の繋がりや献身を意味するために、美禰子は三四郎がお金を返そうとするのをずっと嫌がっていました。しかし三四郎は真面目すぎた故に、呆れるくらい何度も貸そうとしてしまいます。
恐らく与次郎は陰の協力者で、三四郎と美禰子が結ばれるようにわざと金を借りる境遇を作ってくれていたのだと思います。それ故に、「返さないほうが彼女は喜ぶ」と何度も三四郎に忠告していました。ところが鈍感な三四郎は、単純に借金していることに後ろめたさを感じて、返そうとしてしまうのです。
③美禰子の意思表明
野々宮さんを目の前に、美禰子が三四郎の手を掴んで身を寄せる場面がありました。責任を取らない野々宮さんを捨てて、三四郎を選んだという意思表明だったのでしょう。
ところが三四郎は「野々宮さんを愚弄した」と頓珍漢な解釈をして、美禰子のことを責めてしまいます。そのために二人の関係は少しギクシャクしてしまいます。
④その他多くのメッセージ
- 絵葉書に美禰子と三四郎を思わせる二匹の羊が描かれていた
- 三四郎が選んだ「ヘリオトロープ」の香水をすぐに購入した
- 絵のモデルにおいて、自ら希望した格好が、池の前で始めて三四郎と会った時の着物と団扇の姿だった
三四郎に対する愛のメッセージを美禰子は頻りに投げかけていました。ところが三四郎はことごとく勘違いし、何一つ見抜くことができなかったのです。
三四郎が勇気を振り絞って「お金は関係なく、あなたに会いたいから来た」と伝えた時には、既に美禰子の縁談が決まっており、二人の恋は最後まで叶うことがなかったのです。
明治の女性の恋愛観
三四郎の鈍感さもさることながら、美禰子の思わせぶりな態度に苛立たしさを感じた人も多いのではないでしょうか。しかしここで今一度、明治時代のトレンディドラマであることを思い返してください。
本作切っての名言「ストレイシープ(迷羊)」が象徴するように、美禰子は作中ずっと葛藤していました。思わせぶりなのではなく、口には出せない問題と葛藤していたのです。
彼女は一体何に苦しめられていたのか、それは明治時代の恋愛観です。
今現在の恋愛や結婚の概念とは異なり、当時は親が決めた相手と結婚するのが当然でした。そういった全体主義的な風潮の中で、美禰子は新式の道徳観を持った新しい時代の女性でした。当時であれば自由恋愛は愚か、野々宮さんを捨てて三四郎に乗り換えるなど、道徳違反で世間に非難されて当然の愚行だったわけです。女性が自由に男を選ぶ権利などなかったのです。
つまり全体主義の風潮の中で個人主義的な考えを持つ美禰子は、集団からはぐれた孤独感を抱いており、「迷子(ストレイシープ)」は独りぼっちの心情を象徴していたのでしょう。絵葉書に二匹の羊を描いて三四郎に送ったのは、彼女の口に出せないSOSだったのだと思います。
ところが最終的には、縁談という望まない相手との結婚を受け入れて、美禰子は全体主義の風潮に飲み込まれ敗北しました。
夏目漱石は海外留学の経験があり、日本の全体主義的な風潮が時代遅れであることをいち早く察知していたのだと思われます。それはまさに「日本は滅びる」という冒頭の印象的な台詞の訴える内容であり、「日本より頭の中の方が広い」という、もっと見識を広げなければいけないことを示唆する自国民に対する痛烈な非難だったのでしょう。
我が罪は常に我が前にあり
最後の別れの場面で、 美禰子が口にした台詞が印象的でした。
「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」
これは聖書の言葉であり、自らの罪の重さと痛みを一生忘れてはいけないというダビデ王による教訓です。
つまり、美禰子は本当に好きだった三四郎を諦めて、好きではない男と結婚することに罪の意識を抱いており、この先も一生その罪を背負っていくことを懺悔していたのでしょう。
非常に抽象的な別れの場面に感じられますが、自分はもう三四郎とは一緒にはいられないという謝罪の気持ちが内包されており、全体主義に敗北した女性の「さようなら」という言葉の代わりだったのでしょうね。
前期三部作
本作『三四郎』は、夏目漱石の前期三部作のひとつとされています。
残りの二つは、『それから』と『門』です。
『それから』は、定職に就かない裕福な主人公が、友人の妻とともに生きる決意をするまでを描いた作品です。
『門』は、親友を裏切って、その妻と結婚した主人公が、罪悪感から救いを求める物語です。
いずれも全体主義的な日本社会で、生き方に苦しむ人間の姿を描いた傑作です。併せてチェックしてみてください!
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