遠藤周作の『海と毒薬』あらすじ考察 宗教なき日本人の同調圧力

海と毒薬 散文のわだち
スポンサーリンク

遠藤周作の小説『海と毒薬』をご存知ですか?

1957年に発表された中編小説で、映画化もされるなど、彼の作品の中で5本の指に入る人気小説です。

物語は、第二次世界大戦中の米軍捕虜を使った人体実験という、歴史上の事実を題材にしています。

遠藤周作はキリスト教作家であるため、倫理的な問題を宗教の立場から斬り込むのが彼の特徴的な作風です。本作においても、「医学の進歩のための人体実験」という倫理違反がなぜ日本で発生したのかを、日本人の宗教意識の側面から問題提起しています。

もし自分がその現場にいたら、そういった生々しさを感じさせられるような登場人物の心情を考察することで、遠藤周作の宗教的なテーマを紐解いていこうと思います。

スポンサーリンク

『海と毒薬』の作品概要

作者遠藤周作
発表時期 1957年(昭和32年)
ジャンル中編小説
事実を題材にした物語
テーマ神なき日本人の罪意識、 
日本人の同調圧力

『海と毒薬』の300字あらすじ

街の小さな医院に、勝呂という医者がいました。彼は先の戦争で、捕虜を使った解剖実験に参加した医者の1人です。

戦争が激化した当時、勝呂は倫理的な蟠りを抱えていました。いずれ死ぬ命を、医学の進歩のために利用する行為についてです。爆弾の雨が降る街で、それが倫理的に間違っているとは誰も断言できません。考えるほど勝呂は無気力になっていきます。

そんな時に、院内の権力抗争の目的で、アメリカ人捕虜の人体解剖が行われます。意図的に捕虜を殺す行為に、勝呂だけでなく、実験に居合わせた者は皆、自らの罪の意識を裁けずにいました。

不義を厭わない義のために捕虜を殺す行為を、戦中に一体誰が裁けるというのだろうか・・・。

『海と毒薬』のあらすじを詳しく

①街の医院の不気味な医者

西松原の住宅地に引っ越してきた男は、ある医者について不気味な印象を抱いています。

男は持病のため、週に1回は気胸を入れなければいけません。そのため近所に医院を構える「勝呂」という医者のもとを訪ねます。勝呂は医師として腕は確かですが、どこか無愛想で陰鬱な雰囲気を纏っています。

義妹の結婚式で、九州のF市に行った際に、男は偶然、勝呂医師についての話題を耳にします。何でも彼は、先の戦争中に行われた、アメリカ人捕虜を使った人体解剖実験の容疑者の1人だったのです。

帰京した男は、F市に行ったことを勝呂医師に伝えます。すると一瞬動揺した勝呂は、こう話すのでした。

これからもおなじような境遇におかれたら僕はやはり、アレをやってしまうかもしれない・・・アレをねえ

②みんな死んでいく時代

物語は第二次世界大戦の最中に遡ります。

F市の病院で勤める医師の勝呂は、ある問題に固執していました。

自分の最初の患者である中年女性は、放っておいてもいずれ死んでいく存在です。同僚の戸田からは、「患者一人を哀れむよりも、肺結核を治す方法を考えるべきだ」と言われます。毎晩のように空襲で人が死に、病院でも不治の結核が蔓延する中、戸田の主張は最もな気がします。しかし、勝呂はどうしても患者の生死に執着してしまうのでした。

いずれ死ぬ中年女性は、未開拓な手術法を立証するため、実験的に手術されることになります。手術をすれば高確率で死にますが、放っておいても半年以内には確実に死にます。

戸田は、「空襲で無意味に死ぬよりも、医学の進歩のために死ぬなら名誉なことだ」と主張します。勝呂も頭では理解しているのですが、どうしても割り切ることができないのでした。

③橋本教授の手術失敗

院内は部長の座を巡って、権力争いが繰り広げられています。

勝呂や戸田が属する派閥の首席、橋本教授は、この出世に際して多少神経質になっています。

近々、現部長の親戚である田部夫人の手術があり、橋本教授が執刀することになっています。彼にとってこの手術は、出世争いに勝つための絶好のチャンスなのです。

しかし、橋本教授は出世がかかった田部夫人の手術に失敗し、患者を殺してしまいます。手術の失敗は隠蔽され、術後に死んだことにされます。当然、橋本教授が部長選挙に推薦される望みは無くなりました。

院内の話題はこの件で持ちきりになりますが、勝呂にとっては全てがどうでもいい問題でした。様々な倫理問題に悩まされた勝呂は、仕事や臨床や病院に対して、もはや熱意と関心を失っていたのです。

間も無く、固執していた中年女性は手術よりも先に、衰弱によって死んでしまいました。

④人体実験

中年女性が死に、心身ともに疲労していた勝呂は、助教中に呼び出されます。

助教授の話では、手術に失敗した橋本教授は、権力争いで押され気味のため、とあるオペを実行するつもりのようです。勝呂と戸田はそのオペへの参加を命じられました。

アメリカ人捕虜の生体解剖です。

勝呂はオペへの参加を黙って承諾します。

無差別爆撃をしたアメリカ人捕虜、いずれ死刑になる彼らを人体実験に使うのは、悪ではない、悪ではない、悪ではないのか・・・?

オペへの参加が決定して以来、勝呂と戸田は自然と言葉を交わす機会が減ります。

オペの前日、戸田は勝呂に、今なら人体実験への参加を断ることができると促します。しかし、無気力な勝呂は、院内の流れに逆らうことなく、黙って運命を受け入れます。

戸田は、神の存在の有無についてぼんやりと呟きます。すると勝呂は、「自分には神がいようがいまいが、もうどうでもいい」と答えるのでした。




⑤看護師の場合

看護師の上田ノブは、生態解剖のオペの参加者の一人です。

ノブはかつて夫と大連で生活をしていました。夫を愛してはおらず、ただ子供が欲しいという想いで受け入れた夫婦関係です。

しかし不幸にも、かねてからの願いであった子供は、腹の中で死に、母体を救うために子宮は全摘出されます。ノブは二度と子供を産めない体になってしまったのです。

それから暫く、世間体のために夫婦生活を継続したものの、2年後にノブは夫と別れます。離婚により帰郷を余儀なくされたノブは、かつて勤めていた、F市の大学病院で再び働き始めます。

出戻りのノブが大学病院で気がかりだったのは、橋本教授の妻「ヒルダ」の存在です。

ある時、1人の患者の容態が急変します。あいにく、医者たちはこぞって手術に参加していたため、ノブは電話で先生に状況を説明します。すると受話器からは「どうせ死ぬのだから麻酔薬を打っておけ」と聞こえます。命令通りノブが患者に麻酔薬を打とうとすると、ヒルダが彼女を押し除けて阻止します。「殺す権利は誰にもない、神様が怖くないのか」とヒルダはノブを問い詰めます。

後日、ヒルダはノブを病院から辞めさせるよう先生に頼んでいました。ノブは1ヶ月の謹慎を命令されます。

謹慎の末に解雇される結果をほとんど受け入れていたノブのもとに、1件の電話がかかってきます。

米国人捕虜の人体解剖オペへの参加依頼の電話でした。

⑥戸田の場合

農民の子供たちの中で、唯一医者の息子だった戸田は、小学生の頃は周囲から特別扱いを受けていました。

もちろん家庭環境の優劣は関係ありますが、何よりも戸田は大人を騙すのが得意な少年だったのです。どういう子供を演じれば大人が喜ぶのか、それを熟知している彼は、模範生として教師からも一目置かれる存在でした。

しかし、都会から来たある転校生だけは、戸田のいやらしい企みに気づきます。戸田の模範っぷりに皆が感心する中、いつも転校生だけが嘲笑を浮かべるのです。戸田は自分の秘密を握られたという屈辱感を持ちます。そこで彼は転校生の嘲笑から解放されるために、無償で良い行いをするのですが、無償である故に良心の喜びや満足感は一切感じられないのでした。

このように、戸田は子供の頃から、他人の目、社会の罰に恐怖を感じるだけで、人間としての良心は欠落していたのです。

従姉妹を姦通したこともありますし、妊娠させてしまった女中の子宮から自分の手で胎児を掻き出したこともあります。戸田にとっては、社会に罰せられない限り、罪の意識に咎められることはなかったのです。

他人の死、他人の苦しみに無感動な戸田は、人体解剖のオペの参加を二つ返事で引き受けました。生きた人間を生きたまま殺す行為に、果たして自分は心の呵責を感じるのか、彼には想像できないのでした。

⑦人体実験

勝呂と戸田は捕虜の麻酔を任されます。身体検査と偽って、捕虜を手術台に誘導し、人体解剖を行うのです。

しかし、いざ手術室で捕虜を目の前にした勝呂は、泣きそうな声で弱音を吐きます。動けなくなった勝呂の代わりに、戸田が捕虜の麻酔を行います。戸田は「断るタイミングはいくらでもあったのに、ここまで来てしまったら自分もお前も同罪だ」と勝呂を追い詰めます。

橋本教授が執刀し、人間の肺はどれだけ切除されれば生命活動に問題を来たすか、という実験を行います。周囲には将校たちがカメラを携えて見物しています。

勝呂は手術室の壁にもたれ、目をつぶり、人体実験ではなく通常の手術が行われているだけだと自分に言い聞かせます。麻酔が途切れ、捕虜の呻き声が聞こえます。ひりついた空気に、勝呂の鼓動は速度を増します。

暫くの沈黙の後、あっけなく捕虜は息を引き取りました。橋本教授は死体を見つめたまま立ち尽くしていました。

⑧世間の罰は人を裁けない

オペの参加者からは見放され、捕虜を殺した罪悪感に苦しめられた勝呂は、行き場を失くし途方に暮れます。

患者の診察が残っていますが、もう勝呂にはかつてのように患者と顔を合わせることが不可能でした。彼は大学病院の研究室を辞める決意をします。自分の人生を無茶苦茶にしてしまったという嘆きは、矛先の存在しない感情となって、勝呂の中で澱んでいくのでした。

戸田は妙に深い疲労を感じていました。彼は自分が殺した捕虜の肉塊を目にしても、何も感じない自分に恐怖を覚えます。彼は呵責や胸の痛みや後悔の念を求めていました。しかし、彼にはそのような感情は一切湧かないのでした。

病院の屋上で、勝呂と戸田が顔を合わせます。勝呂は、自分たちはいつか罰を受けるだろうかと呟きます。すると戸田は、「世間の罰だけじゃ何も変わらない」と答えます。

自分たちは偶然戦争中の医学部にいたから、人体実験に参加しただけであって、自分たちを罰する世間の人間も、同じ立場ならオペに参加したはずだ」と、戸田は結論づけます。

戸田が去った屋上で、勝呂は夜の闇の中にちらつく白い海を見つめていました。何かをそこから見つけようとしていたのです。

そして物語は幕を閉じます。




『海と毒薬』の個人的考察

倫理の矛盾

医学の進歩のために人間の命を利用する行為は悪であるか?

おそらく大抵の人間は、いかなる理由があろうと人間の命を殺す行為は絶対的な悪であると主張するでしょう。我々は倫理上の観点から、殺人に罪の意識を持ち、必ず罰せられる行為だと当然のように認識しています。

このような単純な問題に対して、なぜ「海と毒薬」の登場人物たちは葛藤していたのでしょうか。

無論、第二次世界大戦の真っ最中を生きた人々だったからです。戸田は作中で何度も「病院で死なん奴は、毎晩、空襲で死ぬんや」「みんな死んでいく時代やぜ」と主張します。

つまり、いずれ死ぬ人間を、医学の進歩のために利用してなぜ悪いのか、という問いを戸田は訴えていたのです。

勝呂はある年配の患者に固執していました。患者は放っておいても確実に死ぬ運命なので、成功確率の低い手術のサンプルとして利用されそうになります。勝呂は憤りを感じると同時に、病院の意向を非難することもできませんでした。なぜなら、いずれ確実に死ぬのなら、今後多くの患者を救う結果に繋がるかもしれない手術のサンプルとして利用する行為は、悪とも正義とも断言できなかったからです。

同様に、無差別な爆撃を実行したアメリカ人捕虜は、いずれ処刑される運命でした。つまり、いずれ殺されるのなら、日本の医学の発展のために人体実験として利用するのは正義なのではないか、と考えられていたのです。

そもそも戦争という名目で、敵の兵隊を殺す行為は絶対的な正義でした。そんな時代に、人体実験が絶対的な悪だと誰が言えたでしょうか。倫理的な概念など、時の権力者の都合によってすり替えられ、利用されるものなのです。ましてや、医学の進歩に貢献できる名目で行われた倫理違反であれば、誰に勝呂や戸田を裁けるというのでしょうか。答えのない倫理の矛盾です。

神の不在が招いた事件

遠藤周作が本作を通して訴えたテーマは、「神なき日本人の罪の意識」でしょう。

日本人には神の存在が欠落しているため、実験の参加者は倫理的な問題に答えを見出せなかったのです。

作中で戸田は、神の不在について触れます。併せて、人間を押し流す力から解放してくれるのが神の存在ではないのか、と主張します。要するに、宗教上「いかなる理由があろうと人の命を奪う行為は悪である」という規律や思想が存在すれば、人体実験が行われることはなかったということです。日本人にはそういった宗教上の信念が不在だったからこそ、医学の進歩のために行われる人体実験が、正義とも悪とも断言できずに、皆押し流されてしまったのです。

橋本教授の妻である「ヒルダ」は西洋人でした。彼女は、看護師のノブが助からない患者に麻酔を打ち見殺しにしようとした場面で、自らの正義を迷いなく主張します。

殺す権利は誰にもない、神様が怖くないのか

ヒルダには信仰心があったからこそ、いかなる理由があろうと殺人は罪であると断言できたのです。

人間を罰することができる神の必要性を、遠藤周作は訴えていたのでしょう。

事実、戸田は「世間の罰だけじゃ何も変わらない」と主張します。彼は子供時代から、世間に罰せられなければ、いくら悪事を働いても罪悪感を持たない人間でした。姦通も中絶も人体実験も、社会に罰せられることだけが恐怖であり、対人間においては呵責が生まれなかったのです。それは、宗教の欠落の最もたる弊害です。神なき日本人にとって、罪を罰するのは世間であり、その世間も世の風潮によって考えが変わるため、事実上人間を罰する明確な定義が存在しないのです。

戸田は、偶然自分たちが戦争中の医学部にいるから人体実験に参加しただけで、自分たちを罰する世間の人間だって同じ立場なら実験に参加していただろうと、主張します。神なき日本人には倫理に対する絶対的な規律が存在しないため、状況次第では誰でも罪を犯すということでしょう。




「海と毒薬」に込められた意味

タイトルにもあるように、本作の文中には「海」の描写が幾度となく登場します。

ラストの場面でも、勝呂は病院の屋上から闇の中の海を見つめて感傷に浸っていました。

闇の中で押し寄せる波は、日本人の同調圧力を表現していたのだと思います。

いわゆる、人体実験への参加を断る機会は何度もあったのに、流されるままにオペに参加した勝呂のことです。あるいは、看護師のノブも解雇覚悟の謹慎を受けた状況で話を持ちかけられ実験に参加しました。戸田ですら、捕虜の死を割り切ってこれまで通り振舞うことに疑問を抱いていました。誰も望んで人体実験に参加したわけではなかったのです。皆、無言の大きな力に流され、心のどこかでは良くないことだと感じながらも、権力に丸め込まれたのです。

こういった日本人を押し流す無言の圧力を、闇の中で寄せては引いていく海の幻影と重ね合わせていたのでしょう。我々日本人は同調圧力という毒薬に侵され、いざとなれば罪を犯してしまう、それは先に述べた神の不在が理由なのです。

だからこそ、冒頭で勝呂は、「これからもおなじような境遇におかれたら僕はやはり、アレをやってしまうかもしれない」と呟いたのです。

我々日本人を裁くのは神ではなく、いつだって誰かに都合の良い世間だからでしょう。「世間の罰だけじゃ何も変わらない」その通りだと思います。

以上、遠藤周作の『海と毒薬』のあらすじと考察の説明を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




コメント

タイトルとURLをコピーしました