遠藤周作の小説『海と毒薬』は、新潮社文学賞を受賞した代表作です。
戦時中に行われた人体実験を題材に、神なき日本人の罪意識について描かれています。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 遠藤周作(73歳没) |
発表時期 | 1957年(昭和32年) |
ジャンル | 中編小説 |
ページ数 | 208ページ |
テーマ | 神なき日本人の罪意識 日本人の同調圧力 |
受賞 | 新潮文学賞 毎日出版文化賞 |
関連 | 1986年に映画化 |
あらすじ
とある住宅地の小さな医院には、勝呂という不気味な医者がいる。彼には人体実験に参加した暗い過去があった・・・
かつて大学病院の新人医者だった勝呂は、半年以内に死ぬであろう患者を担当していた。病院の意向では、新しい術法を試す機会として、九割の確率で死ぬ手術を勧めている。時は第二次世界大戦中。同僚の戸田は、多くの人間が死ぬ時代、医学の進歩のために死ぬなら意味があると考えている。しかし勝呂にはそこまで割り切ることはできなかった。
橋本教授と権藤教授は医学部長の地位を争っていた。橋本教授は前部長の姪の手術に失敗して死亡させてしまう。名誉挽回のために行われたのは、米軍捕虜を使った人体実験だった。勝呂にも参加するよう声がかかった。
勝呂を含む人体実験参加者は、人間の命を弄ぶ非倫理的な行為について、それぞれの葛藤を抱える。そこには神なき日本人の罪意識というテーマが込められている・・・
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個人的考察
実際の事件を題材にした物語
本作『海と毒薬』は発表直後、賛否が分かれた作品である。それは戦時中に実際に起きた米軍捕虜の人体実験を題材にしたからだ。
戦時中の1945年、福岡県の九州帝国大学にて実験は行われた。
墜落したB-29の生存者のうち、8名が九州帝国大学に連行され、人体実験の材料として生きたまま解剖された。事実は関係者によって隠蔽・否認されたが、医学部と軍部による計画的実行という見解が強い。最終的にはGHQの調査で明らかになり、B級戦犯として5名が絞首刑、18名が懲役判決となった。指揮および執刀を行った医師は独房で自殺した。
この非倫理的な事件は、あまりの残虐さにタブー視されてきた。実際に『海と毒薬』が発表されると、断罪目的の内容と考えられ、関係者から講義の手紙が届いたようだ。そのことで遠藤周作はショックを受け、否定の意志を随筆等で吐露している。
もちろん遠藤周作には断罪目的などなかった。彼が描いたのは、事件を通して垣間見える、日本人の倫理意識、とりわけ宗教を持たぬ日本人の善悪の概念についてだろう。
そのため本作は単なる事件小説と捉えるべきではない。遠藤周作が生涯追求した、日本人と宗教の問題を描いた寓話として、強烈なメッセージを放っている。
ちなみに1986年には映画化され、ベルリン映画祭銀熊賞を受賞し話題になった。
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医学の進歩と権威に利用される命
物語は最終的に、米軍捕虜を使った人体解剖という事件に集約されるが、それまでにも倫理問題が問われる出来事が多く描かれる。
そしてそれらの出来事が、勝呂を人体実験の参加へ押し流す要因になっている。
「おばはん」の手術
大学病院の医師である勝呂は、自分が受け持つ「おばはん」という患者に執着していた。
「おばはん」は両肺が結核に侵され、助かる見込みのない患者として、教授たちも匙を投げている。そんな絶望的な患者を、勝呂は助かる方法はないだろうか、と診察を続けているのだ。
そんな感傷的な勝呂に対して、同僚の戸田はこんな言葉を吐き捨てる。
病院で死なん奴は、毎晩、空襲で死ぬんや。おばはん一人、憐れんでいたってどうにもならんね。それよりも肺結核をなおす新方法を考えるべし
『海と毒薬/遠藤周作』
この戸田の言葉通り、「おばはん」は九割の確率で死ぬ手術を承諾させられる。それは患者を助けるためではなく、新しい術法を試す実験サンプルとして利用されるのだ。
勝呂は倫理的な葛藤にぶち当たる。いずれ確実に死ぬ患者だとしても、成功する見込みのない手術を施すのは倫理的に許されるのだろうか。
こうした勝呂の葛藤を一蹴するのが同僚の戸田だった。いずれ死ぬ人間を、医学の進歩のために利用するなら、それは意味があることだ、と戸田は主張するのだ。
時は第二次世界大戦中。毎日のように無意味に人間が死ぬ時代だ。そんな中で、医学の進歩に貢献して死ぬなら意味がある、と言うのだ。
たとえ1人の患者の犠牲が、将来多くの患者を救う可能性をはらんでいたとしても、人間が人間の命を利用してもいいのだろうか。
こうした勝呂の迷いこそが、彼を米軍捕虜の人体実験へと押し流していくのだった。
「田部夫人」の手術
病院内では、橋本教授と権藤教授が医学部長の地位を争っていた。
そんなある日、橋本教授は田部夫人の手術を行うことになる。田部夫人は前部長の姪であり、次期部長候補である橋本教授の出世を左右する手術だった。つまり、命を救うこと以上に、病院という官僚社会で地位を得る手段として、田部夫人は利用されたのだ。
手術中に田部夫人の容体は急変し、橋本教授は手術に失敗して彼女を殺してしまう。そこからは隠蔽工作が執り行われる。手術は成功だと公表し、術後に病室で死んだことにされるのだ。出世が関わる重要な手術、面目を保つために、死者の命が弄ばれたのだ。
人為である以上失敗は仕方ない。だが橋本教授は、出世のために患者を利用し、患者の死すらも面目のために利用した。「おばはん」の命が医学の進歩のために利用されるなら、「田部夫人」は権威のために利用されたのだ。
いずれにしても命を弄ぶ行為は倫理に反する。しかし倫理とは曖昧なものである。病院の外では、毎日のように戦争という名の人殺しが行われている。大義名分さえあれば人殺しも正義と見なされる。それくらい倫理は、時代や状況や権力者の意図によって変化するものなのだ。
だからこそ、「おばはん」の手術も、「田部夫人」の手術も、誰一人として間違った行為だと咎めることはできなかったのだ。そうした倫理の曖昧さによって、最終的には米軍捕虜の人体実験へとエスカレートしていったのだろう。
神の不在が招いた事件
こうした日本人の倫理観の曖昧さを、遠藤周作は「神を持たない国民性」に焦点を当てて追求している。
その問題を浮き彫りにするごとく、作中では日本人と西洋人の対比が描かれる。
ある時、看護師のノブは、助かる見込みがない患者が発作を起こすと、医者の命令で麻酔を打って見殺しにしようとする。それを見ていた橋本教授の妻「ヒルダ」は、ノブを突き飛ばして怒鳴りつける。
死ぬことはきまっても、殺す権利はだれにもありませんよ。神さまがこわくないのですか。あなたは神さまの罰を信じないのですか
『海と毒薬/遠藤周作』
西洋人にとって神とは善悪を司る絶対的な存在である。だからヒルダは、「神が生み出した命を何人も犯すことは許されない、仮に犯したなら神の罰を受ける」と自身の倫理観をはっきり主張することができたのだ。
一方で神を持たぬ日本人であるノブは、明確な倫理観を持たないゆえに、医者に命令されれば何の迷いもなく罪を犯すことができる。
これは遠藤周作が他作品でも何度も描いたテーマである。神を持たない日本人は、世間体にこそ倫理を委ねてしまうのだ。
罰って世間の罰か。世間の罰だけじゃ、なにも変わらんぜ
『海と毒薬/海と毒薬』
これは作中で戸田が口にした台詞である。
戸田は少年時代から、世間にこそ罰せられなければ、いくら悪事を働いても罪悪感を持たない人間だった。学校から蝶の標本を盗んだ時も、従姉を姦通した時も、その従姉を自分の手で中絶させた時も、彼が感じたのは世間に罰せられる恐怖だけであり、悪事そのものに対しては一切の呵責を覚えなかった。
だから、世間にバレなければ、平気で悪事を働いてしまうのだ。
このように「神なき日本人の罪意識」は、世間に委ねられているため、世間(病院内)の風潮が人体実験を良しとすれば、彼らはその流れに押し流されてしまう。
そして捕虜を殺した後も、彼らは明確な罪悪感を抱くことはない。深い疲れを感じるだけだ。その深い疲れの原因をはっきり認識することもできない。なぜなら彼らは神を持たぬ故に、自分の行為を悪とは断定できないからだ。
ちなみに物語の導入部分では、本編とは無関係な「私」の何の変哲もない日常が描かれる。
そこで出会う街の人々は、戦争経験者であり、戦場で多くの人を殺し、女をレイプした過去を持つ。しかし彼らは罪悪を持たずに平和な日常に立ち返っている。彼らの存在こそ、本編で描かれる「神なき日本人の罪意識」の伏線になっていたと考えられる。
「海と毒薬」に込められた意味
タイトルにもあるように、本作には「海」の描写が幾度となく綴られる。
闇の中で眼をあけていると、海鳴りの音が聞こえてくる。その海は黒くうねりながら浜に押し寄せ、また黒くうねりながら退いていくようだ。
『海と毒薬/遠藤周作』
これは人体実験の参加を持ちかけられた勝呂の心理描写である。黒い海のうねりに流されるように、勝呂は人体実験に参加することになる。
断ろうと思えば断れたはずだが、逃れようのない運命のように勝呂は押し流されていく。1つは彼が精神的に消耗し切っていたからだ。「おばはん」や「田部夫人」の件で、医者としての信念が揺らぎ、倫理問題を考えるのに疲れ、投げやりな気持ちになっていた。同じように、看護師のノブや、同僚の戸田も、過去の葛藤から消耗したり開き直ったりしていた。
そうした状態で持ちかけられた人体実験の参加には、自身を押し流す強い力があった。それは日本人特有の同調圧力とも言える。
橋本教授は名誉挽回のために、浅井助手は派閥争いのために、勝呂や戸田やノブはそうした権力に翻弄され、人体実験に参加した。誰も望んで参加したわけではなく、皆が無言の大きな力に流され、心のどこかでは良くないと感じながらも、無気力に丸め込まれていったのだ。
こういった日本人を押し流す無言の圧力を、闇の中で寄せては引いていく海の幻影と重ね合わせていたのだろう。我々日本人は同調圧力という毒薬に侵され、いざとなれば平気で倫理を犯してしまう。それは戸田が言うように、日本人には明確な善悪を司る神が存在しないからだ。
人間は自分を押しながすものから--運命というんやろうが、どうしても脱れられんやろ。そういうものから自由にしてくれるものを神とよぶならばや
『海と毒薬/遠藤周作』
実験に参加した者は法律で裁かれた。しかし裁きを受けた後でさえ、勝呂はまた同じ境遇に置かれたら、同じ過ちを繰り返すだろう、と口にする。
これからもおなじような境遇におかれたら僕はやはり、アレをやってしまうかもしれない
『海と毒薬/遠藤周作』
それは戸田の言うように、「世間の罰だけじゃ何も変わらない」ということなのだろう。
『海と毒薬』の続編を紹介
『海と毒薬』には続編がある。『悲しみの歌』という作品だ。
『悲しみの歌』では、人体実験に参加した勝呂が新宿で医院として働いている。そしてジャーナリストが、あの事件について勝呂を追い詰めていく物語になっている。
前述したように、『海と毒薬』は断罪目的の内容として抗議を受けた。その弁解の意思から、遠藤周作は続編を発表したのかもしれない。
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