森鴎外『青年』あらすじ解説 反自然主義文学の青春小説

青年 散文のわだち

森鴎外の小説『青年』は、「豊熟の時代」に執筆された代表的な長編作品です。

小説家を志す青年の内的成長を描いた物語で、夏目漱石の『三四郎』に影響されたと言われています。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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『青年』作品概要

作者森鴎外(60歳没)
発表  1910年(明治43年)  
ジャンル長編小説
青春小説
テーマ利他的個人主義
反自然主義文学

『青年』あらすじ

あらすじ

作家を志すために上京した純一は、著名作家を訪ねたり、文学に精通した知人・大村と親しくすることで、啓発されていた。

ある日劇を見に行った純一は、未亡人の坂井婦人と知り合う。それ以降、婦人のことが忘れられなくなる。恋愛感情はない。だが婦人の表情から誘惑の色を見出し、彼女の家を訪ねるか否かの葛藤に悩まされていたのだ。その間、未だ小説は執筆していなかった。

婦人の誘いで箱根へ向かう。現地で再会した婦人は、画家の男と一緒だった。婦人の宿に招かれた純一は、彼女がただの美しい肉の塊であると悟り、その時に初めて執筆の意欲が湧く。

東京に帰ることにした純一は、当初思い描いていた現代小説ではなく、伝説を元にした小説を書こうと決心するのであった。

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『青年』個人的考察

個人的考察

「豊熟の時代」の代表作

処女作『舞姫』を含むドイツ三部作を発表して以来、森鴎外は久しく文壇で沈黙していた。

本格的に文学活動を再開させたのは、30年近く経過した1909年頃である。

第二の処女作と言われる『半日』を1909年に発表して以降、鴎外は物凄い創作意欲で、立て続けに作品を発表し続ける。この時期を「豊熟の時代」と呼び、本作『青年』が発表されたのもこの時期だ。

鴎外が文学活動を再開した要因の1つは、自然主義文学に対するアンチテーゼである。

当時文壇では自然主義文学が主流だった。しかし、芸術に自由を求める鴎外は、流行の型にはめられた文壇に対して、憤りを感じていたのかもしれない。

まず手始めに『ヰタ・セクスアリス』という、自らの性欲の歴史を暴露する小説を発表した。これは当時の自然主義文学が、自身の性欲の葛藤を赤裸々に描く暴露的な要素を持っていたことに対する皮肉と言われている。

続いて初の長編小説として、本作『青年』が発表された。『青年』には、『ヰタ・セクスアリス』以上に自然主義文学に対するアンチテーゼが描かれている。

▼詳しくは次章にて解説する。

アンチ自然主義文学

なんでも日本へ持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。

『青年/森鴎外』

これは作中の講演会で、拊石という人物が話した内容である。

拊石に加えて、作中には鷗村という名前も登場する。漢字から想像できる通り、彼らは夏目漱石と森鴎外をもじった人物である。鴎外は役人を続けながら文学活動を行なっているが、漱石は文学1本だから芸術家らしい、と自虐的な内容が綴られるのが面白い。

それはさておき、なぜ作中に漱石を登場させたのかと言うと、彼は鴎外と並んで、自然主義文学を主流とする文壇から孤立した作家だったからだろう。

拊石が主張する、「なんでも日本へ持って来ると小さくなる」とは、まさに日本の自然主義文学に対する批判の意が込められている。その言葉通り、日本の自然主義文学は誤った解釈で取り入れられたのだ。

フランスで発生した自然主義文学は、あらゆる美化を排して、真実のみを描こうとする文学運動だった。それは人間の行動を科学的・客観的に捉えようとする意図を含んでいた。

一方で日本の場合は上記の意図をおよそ含んでいない。

過剰な欧化政策を採る明治時代には、文学の世界においても、西洋の思想を優先する風潮があった。ゆえに自然主義文学は取り入れられた。ところが日本では誤った解釈が為された。その誤りは田山花袋の『蒲団』に始まる。『蒲団』では、女学生に恋をした中年男性の性欲の葛藤が赤裸々に描かれる。つまり自然主義文学の「真実性」が、私生活を暴露的に描く、という陳腐な解釈で取り入れられたのだ。

これがまさに、「なんでも日本へ持って来ると小さくなる」という言葉が指す内容だろう。

弁護するわけではないが、田山花袋が誤った解釈をしたおかげで、暴露的な自然主義文学が流行し、それは私小説の走りとして、日本の文学史に根付いた。我々が特定の小説を読む際に、物語を作者の人生と結びつけて楽しめるのは、彼の功績とも言えよう。

ともあれ、作家を志す純一の場合は、反自然主義文学の思想に啓発され、少しずつ自分の描くべき文学テーマを見出していくのであった。

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純一が小説を書く決心をした理由

小説家を志す青年の物語であるはずなのに、純一は一向に小説を書く気配を見せない。それよりも、劇場で知り合った婦人に対する葛藤を中心に物語が展開する。

その葛藤とは、男子の貞操である。

純一は決して婦人に恋しているわけではない。だが婦人の淫雛な態度に誘惑されて、彼女の家を訪ねるか否か迷っていた。理性を強く持つ純一だが、婦人からの手紙を無意識に待ちわびたり、彼女に借りた本を返しに行くきっかけを意識したり、時に理性が揺らいでしまうのだ。

だが箱根で婦人と再会した折に、彼女に対する理性の揺らぎを振り払うことに成功する。婦人は美しい。だが美しい肉の塊に過ぎない。その結論が、小説を執筆する決心に繋がる。

だが、こうした悟りと、執筆の意欲に、どんな関係があると言うのか?

おそらく貞操に関する葛藤は、文学テーマに迷う純一を表したメタファーなのだろう。

婦人に対する性欲、それは性欲を赤裸々に描く自然主義文学に対する接近を意味するだろう。小説家を志す純一は、自分は何を描くべきか、という自問自答に対して、文壇で主流の自然主義文学に引っ張られていたのだと思う。それが、婦人の誘惑というメタファーで描かれていたのだと考えられる。

だが最終的に純一は婦人の誘惑を振り払った。それは自然主義文学を描かなければいけない、という文壇の潮流を振り払い、本当に自分が描きたいものを描くという決心を表していたのかもしれない。事実、箱根からの帰り道、純一は現代小説ではなく、伝説を元にした小説を書くことに決める。無論、現代小説とは自然主義文学のことだろう。

このように自然主義文学の呪縛から独立して初めて、純一の小説家人生が始まったのだ。

利他的個人主義とは

作中に「積極的新人」という言葉が登場する。それは文壇の主流である自然主義文学を脱する意味での「新人」として使われている。だが単に自然主義文学批判の意だけに留まらない。

純一はあらゆる因襲に縛られることを嫌う性格であり、そういう意味で、既成概念の破壊を望む積極的な人生態度の持ち主である。だが同時に、「積極的=利己的」という考えに支配され混乱している。

ここで重要になのが個人主義の問題だ。

日本において個人主義を考える場合、しばしば利己主義と同義的に認識する節がある。「自分さえ良ければいい」という半ば独善的な態度と結び合わせてしまうのだ。だが本来の個人主義とは、他者を個人として尊重する、利他的な意味を有する。つまり、個人の利益だけを追求する生き方は、決して積極的な人生態度とは呼べないのだ。

例えば、性欲の問題を考えてみよう。自分の快楽だけを追求する享楽的な生き方は、一見積極的な態度に思えるが、しかし実際は自分の内側に篭る、消極的な生き方なのだ。

官能的受用で精神をぼかしているなんていうことは、精神的自殺だが・・・

『青年/森鴎外』

純一はこの事実を、婦人との交わりによって気付かされる。享楽的衝動に任せた行動は、単なる現実逃避に過ぎないということだろう。それはあるいは、アルコールやドラッグによる酩酊の感覚と同じかもしれない。同様に衝動的な性欲も、現実から逃避するためのしばしの麻酔に過ぎないのだ。それは消極的な生き方である。

ともすれば、積極的な人生態度とは、あくまで利他的な行動に違いないのだ。人間は利己的である場合には、社会から断絶された自分の内側にだけ目を向けてしまう。だが利他的である場合には、そこには社会が存在する。つまり積極的な人生態度とは、積極的に社会に進出する生き方に他ならないのだ。

純一は貞操の葛藤に悩んでいた。それは利己的と利他的の葛藤と言い換えることができる。最終的に純一は婦人に対する肉欲の衝動を振り切った。それは、青年期の主人公が、自分の内面の世界を脱し、社会に進出するまでの、内的成長の物語だったと言えるかもしれない。

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