アンドレ・ジッド『狭き門』あらすじ解説 アリサが求めた天上の幸福とは?

狭き門 フランス文学
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アンドレ・ジッドの作品『狭き門』は、フランスのノーベル賞作家が描く半自伝的小説です。

彼の作品の中で最も人気があり、ジッド本人も三年の年月を要した本作を、文学的主題を超えた作品と自評しています。

『狭き門』作品概要

作者アンドレ・ジッド(81歳没)
フランス
発表1909年
ジャンル中長編小説
半自伝的小説
テーマ天上の幸福とは
プロテスタント批判
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『狭き門』あらすじ

あらすじ

少年ジェロームは、2歳年上の従姉アリサに恋心を抱いている。ジェロームはアリサを愛することで、自分を人間として高い位置に押し上げることができると考えていた。一方でアリサもまた彼を愛していたし、周囲も二人が将来結ばれることに好意的であった。

しかし、なかなか二人に婚約が交わされることはなく、何かがアリサに結婚を拒絶させていた。一つは、アリサの妹もジェロームに恋していたことが原因だったが、妹が身を引いてもなお、アリサの拒絶は変わらなかった。心から愛しているのに拒絶してしまうのだ。それと言うのも、アリサはキリスト教の「自己犠牲による徳の追求」を目指し、地上での愛や幸福を拒み続けていたのだ。いつしかアリサはジェロームに激しく求愛しながら、彼を避けるようになった。

三年の空白の後に二人は再会するが、既にアリサは地上での幸福を放棄し、結婚を諦めていた。そして最後の別れから一週間後にアリサは亡くなってしまう。アリサが遺した日記に綴られた思いを胸に、ジェロームは一人で生きることを決めるのであった。

『狭き門』個人的考察

個人的考察

ジッドの半自伝的小説?

本作『狭き門』のアリサのモデルは、後年ジッドの妻になった従姉マドレーヌだと言われている。そういう意味で、本作はジッドの半自伝的小説なのだ。

モデルになったマドレーヌの生涯は、作中のアリサと共通点が多い。例えば、マドレーヌの母は不貞を働いていた。それが原因で苦悩したマドレーヌを、ジッドは一生守ろうと決心した。22歳の頃には求婚している。だが彼女の反応は拒絶であった。まさに作中の物語通りである。

マドレーヌが求婚を拒絶した理由は三つあると言われている。第一に、ジッドの母は姉弟のように結ばれる二人の結婚に否定的で、その意見を尊重したと考えられている。第二に、マドレーヌは自分の母の不貞のショックが大きく、結婚生活に恐れを抱いていた。第三に、過剰に謙遜深いマドレーヌは、自分はジッドが思うような理想的な女性ではないと気後れしていた。
(『ジッドの生涯と作品』より)

以上のマドレーヌの葛藤は、『狭き門』のアリサが感じていたものと大方違わない。

一方で物語と大きく異なるのは、ジッドとマドレーヌが後に結婚している点だ。だが二人の夫婦生活は平穏無事とは呼べなかった。

元よりジッドは異常な性欲の持ち主であった。だが性に対して無知だったジッドは、マドレーヌのような美しい女性に性欲があるはずがないと思い込み、二人は肉体関係を結ばなかった。その結果、マドレーヌは自分に魅力がないと感じ、ますます気を塞ぐことになる。あるいはジッドには同性愛の傾向があり、外での男との肉体関係が露わになる。こうしたすれ違いによって、マドレーヌは妻でありながら処女のまま最期を迎えたと言われている。

ちなみに妻マドレーヌは、他作品でも度々モデルになっている。ジッドにとって彼女の存在がいかに偉大であったかが見て取れる。

以上の背景を踏まえた上で、物語の考察に進もうと思う。

「狭き門」の先にある天上の愛

本作を美しく儚い恋の物語と呼ぶには、あまりに難解で複雑過ぎる。

アリサとジェロームは何によって齟齬が生じ、アリサは一体どこを目指していたのか?

一つ判っているのは、アリサは最初から最後まで一貫してジェロームを愛していたことだ。だがアリサは彼のことを拒絶し続けた。当初は、妹のジュリエットがジェロームに恋心を抱いている事実を尊重しての拒絶に見えた。ところがジュリエットが身を引いてもなお、アリサは求婚を拒絶し、会うことさえはばかる始末だ。

この不可解な謎を紐解く鍵は、タイトルにもなるキリストの言葉「狭き門」にある。

狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。

 マタイ傳福音書7章13節及び14節

これは、神の救いを得るためには、それ相応の努力をしなければならないことを指す言葉である。作中では、アリサの母が不貞を行い姿をくらました後に、神父が口にした。

神父の言葉を聞いたアリサとジェロームは、その言葉通り、狭き門に入るために徳を積もうと努力していた。だがこの「徳」という概念において、二人の考えは大きく乖離していた。

ジェロームにとって徳を積むとは、学問に励み立派な人間になることであり、そのためにアリサの存在がある種の糧となっていた。彼にとってあらゆる努力は、アリサのためという思いに直結していたのだ。だからこそジェロームは、多少の拒絶は受け入れ、最終的に自分が立派な人間になった時に、晴れてアリサと一緒になれると信じていた。

ところがアリサにとっての得とは、半ば自己犠牲の側面が強かった。妹の恋心を尊重したり、あるいは自分の存在がジェロームに悪影響を与えていはいけないと考えていた。その結果アリサは、現世で自分が幸福になることを拒み、死によって初めて狭き門に入り、天上の幸福に辿り着ける考えていた。

言わば、ジェロームは地上での幸福を求め、アリサは天上での幸福を求めていたのだ。その齟齬により二人は永久に交わることはなかった。

わたしの考えでは、死ぬっていうのはかえって近づけてくれることだと思うわ・・・そう、生きているうちに離れていたものを、近づけてくれることだと思うわ

『狭き門/ジッド』

このアリサの台詞が全てを物語っている。

仮に現世で二人の恋が叶ったとしたら、その末に発展はないとアリサは考えていた。恋が叶った時点で徳を積む行為は減退し、それはジェロームを堕落させる結果になる。なぜならジェロームにとっての徳は全てアリサと一緒になりたい願望に直結していたからだ。

いずれにとっても、恋が実現した時点で神への愛は疎かになってしまう。だからこそアリサは信仰の世界に入っていき、二度と再会せぬまま一人きりで死んだのだろう。だがアリサは苦しみ続けていた。その様子は彼女の日記に記されていた。天上の世界で神に近づくことへの憧れと、ジェロームを失いたくない気持ちの狭間でもがき苦しんでいたのだ。

現世での幸福を諦めてでもアリサが信仰の世界に過剰に執着した理由は、次章にて考察する。




母の不貞と、自尊心の欠如

こんな考察をすれば陳腐と言われるかも知れないが、結局アリサが信仰に縋ったのは、彼女の自尊心が大きく欠落していたからだろう。

母の不貞を経験したアリサは、結婚を含むあらゆる物事に恐怖心を抱いていた。それは例えば、ジェロームが自分を愛さなくなることへの恐怖であり、あるいは妹の恋心を自分が阻害することへの恐怖である。場合によっては、自己犠牲の美学と捉えることもできるが、しかし自己犠牲の根本を突き詰めれば、自尊心の欠如や他者への気後れが招く臆病さに直結しているように感じる。

そもそもアリサの拒絶は、「自分なんかが彼と一緒になったら悪影響を与える」という自尊心の欠如に起因する。自分はジェロームにとって相応しい女性ではないと感じていたのだ。

あるいはアリサは、ジェロームの情熱的な愛に気後れしていた。ジェロームは若き日のアリサの幻影に恋しており、自分が歳を重ねればもう愛さなくなると不安を感じていた。いわばジェロームがあまりにアリサのことを美しく崇高な女性と持ち上げるため、アリサは彼の期待に応えることに苦しくなっていたのだろう。

こうした自尊心の欠如を抱えたまま生きるのは難しい。だからアリサは信仰の世界に救いを求め、それが余計に現世での幸福を実現させない要因になってしまったのだ。

アリサは純粋に信仰の元に自己犠牲を試みたのではなく、彼女の人生に起こったあらゆる悲劇が彼女を信仰の世界に招いたと考える方が相応しい。なぜならアリサは最後まで苦しんでいたのだから。彼女にとっての徳は希望ではなく、もはや遠征的と言っても差し支えないだろう。

ジッドはアリサを批判していた?

最後に余談だが、本作はプロテスタント批判の物語である。つまりジッド本人は、アリサのような自己犠牲に否定的な立場だったのだ。

プロテスタントの家系に生まれたジッドは、やがてキリスト教と距離をとるようになる。その過程において、本作は「キリスト教による徳の追求」を批判したものなのだ。

ジッドは「人間の目的は神ではなく、人間だ」という結論に辿り着いてた。つまり、自己犠牲の果てに天上の幸福に辿り着く考えに、疑問を抱いていたのだろう。

なるほど、人間の終局目的は幸福である。それは生きているうちに手に入れる幸福だ。

死して得られる幸福に一体どんな意味があるのだろうか。

個人的にはアリサの自己犠牲の美学に一ミリも共感できない。彼女の自己犠牲がジェロームにもたらしたのは空白である。ジェロームはアリサを忘れるまで一人で生きる決心をし、そして一生忘れないつもりだった。彼はアリサの自己犠牲によって永久に埋められない空白を抱えることになったのだ。それでもなおアリサの自己犠牲が美しいと言えるだろうか。

アリサは他者を一番に考える風に見えて、結局は自分の臆病さに執着していたのだ。自己嫌悪など自己執着に過ぎない。自分の肉体を傷つけて成される徳とは一体誰のための徳なのか。それが神のためなら、神はそんなことを望んでいるだろうか。私にはまるで理解できない。




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