梶井基次郎の小説『Kの昇天』は、幻想文学として名高い彼の傑作です。
- ドッペルゲンガー
- 魂の昇天
- 満月の光と自分の影
これら神秘的なキーワードがテーマになっています。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 梶井基次郎 |
発表時期 | 1926年(大正15年) |
ジャンル | 短編小説 詩的作品 幻想文学 |
ページ数 | 48ページ |
テーマ | 自己分裂と魂の昇天 執筆に対する焦り 病死の運命に対する思い |
収録 | 作品集『檸檬』 |
あらすじ
主人公はKの溺死を手紙によって報されます。かつてN海岸で転地療養していた主人公は、ある満月の夜に砂浜でKと知り合い、1ヶ月ほど交流があったのです。
初めて出会ったとき、Kは落し物を探しているかのように、夜の砂浜を行ったり来たり立ち止まったりしていました。主人公はシューベルトの「海辺にて」と「二重人格」を口笛で吹いて、それとなく自分の存在を気づかせようとしましたが反応はありません。
ようやく主人公が声をかけると、Kは自分の影を見ているのだと教えてくれます。月光で象られた自分の影をじっと凝視していると、徐々に生物の相が出現し、影の自分が人格を持ち始め、月に昇っていく阿片のような感覚になると言うのです。しかし月に行こうとしても、イカロスのように何度も落っこちてしまうようです。
体調が回復した主人公はN海岸を去ることになりましたが、Kの病は徐々に進行しているようでした。
Kの溺死の報せを受けた主人公は、「K君はとうとう月の世界に行った」と直感します。もしもイカロスのように墜落していれば、泳ぎのできるKは溺れることはなかったはずで、Kの魂は月へと飛翔したのだ、と主人公は返事の手紙に記すのでした。
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個人的考察
執筆までの経緯(苦難な創作活動)
大正時代から昭和初期にかけて、結核が人々に与えた影響は凄まじいものでした。とりわけ文学の世界においては、死にまつわる主題を発展させたと考えられています。
梶井基次郎は20歳になる前から肺結核を患っており、31歳で亡くなる最期まで苦しみ続けました。自らの死を予期していた彼は、まさしく「死」が主題の作品を多く残しています。
本作『Kの昇天』が執筆されたのは、持病の結核がかなり進行し、血痰が出るまで悪化していた時期です。その傍ら、新潮社から執筆依頼があったため、梶井基次郎は文壇への足掛かりと捉えて張り切っていたようです。
今でこそ代表作『檸檬』が普及の名作とされていますが、当時は文壇において梶井基次郎の作品は評価されませんでした。後に三島由紀夫など有名な作家が彼のフォロワーであることを公言したことで、再評価されたと言われています。そのため当時の梶井基次郎は、何としてでも傑作を生み出さなければ、というプレッシャーの中にいたことがわかります。
病気と闘いながら執筆に取り組み、一度は締め切りを延ばしてもらったものの、ついには作品の構想がまとまらず、新潮社に頭を下げて、破約という形になりました。
病気と執筆に対する焦りが募り、毎晩寝床で「お前は天才だぞ」と3度繰り返し自己暗示をかけていたようです。
破約から数日後の深夜に『Kの昇天』を一気に書き上げます。作中の神秘的な主題には、梶井基次郎の精神的な焦りと、そこから解脱したいという願望が表れているように思います。
ドッペルゲンガーとシューベルト
作中ではドッペルゲンガーという主題が、ハイネの詩で歌われるシューベルトの楽曲『影法師(ドッペルゲンガー)』と絡めて描かれます。
初めてKと出会った時に、主人公が吹いた口笛はシューベルトの『海辺にて』と『影法師』でした。この2曲はいずれもシューベルトの死後に発表された歌曲集『白鳥の歌』に収録されています。『白鳥の歌』は「告別の歌」の意を持っています。
梶井基次郎に音楽の教養があったことは有名ですが、遺書を想起させる『白鳥の歌』からドッペルゲンガーの着想を得たことは間違い無いでしょう。あるいは、19世紀にはエドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』など、ドッペルゲンガーを主題にした作品が登場したので、その影響とも考えられます。ドッペルゲンガーをあえて「二重人格」と翻訳したのは、彼が愛読していたドフトエフスキーの影響とも言われています。
ハイネの詩である『影法師』は、恋に破れた男が、彼女が住んでいた家の前に立ち、月の光で造形された自分の影の中に慟哭を見出す、という内容です。そのため、『Kの昇天』はしばしば、恋に敗れたKがその悲しみから自殺を図った物語と解釈されることがあります。
月に造形された自分の影にもう一人の自分を見出す、という設定は確かにハイネの詩と共通しますが、あくまで着想を得たに過ぎず、失恋による自殺という解釈は浅はかな気がします。「K君はとうとう月の世界に行った」という一文が表すように、彼の死はネガティブなものではなく、「ようやく成し遂げた」というニュアンスで綴られています。ともすれば、悲しみによる自殺ではなく、もっと超越的な意味合いが含まれていると考えられます。
では、超越的な意味とは?
阿片から紐解く死に対する逃避
K君は自分の影を見ていた、と申しました。そしてそれは阿片のごときものだ、と申しました。
『Kの昇天/梶井基次郎』
満月の光で造形された自分の影を見つめ、もう一人の自分の人格が影に生まれる感覚は阿片に似ていると記されています。
阿片といえばケシから採取される麻薬で、鎮痛や陶酔の作用があります。阿片から抽出したモルヒネは医療現場で強力な鎮痛薬として使われているのはご存知だと思います。ともすれば、影に対する没入とその果ての昇天は、ある意味においての痛みから解放されたいと願う気持ちの表れだと解釈できます。
代表作『檸檬』おいては、「現実の自分自身が見失われる感覚」に愉悦する主人公の心情が描かれていました。梶井基次郎の作品にはこの手の自己忘却・自己破滅の願望がしばしば描かれています。それをドッペルゲンガーや二重人格という視点からアプローチしたのが『Kの昇天』で、現実世界の苦痛からの解放が、作者の一貫したテーマなのだと思われます。
では、梶井基次郎にとっての現実世界の苦痛とは何なのか。
恐らく彼は強迫神経症を抱えており、その根本は結核を患った病弱な体と、迫る来る死の存在に起因していると考えられます。あるいは、当時の執筆に対するプレッシャーも、現実世界の痛みのひとつだったかもしれません。
「心身二元論」的な解放
現実世界の苦痛からの解放を考えると、決まって登場するのが心身二元論です。
モノとココロという異なる独立した二つの実体がある、というデカルトが提唱した考え方です。簡単に言えば、肉体はただの入れ物で、精神の方が高尚であるという「精神>肉体」の考え方になります。
- Kの死は「昇天」である
- 月に昇っていく阿片のような感覚
- Kは月の世界に行った
こういった表現には、確かに心身二元論的な思想が含まれているように感じます。
実際のKは溺死していたのですが、主人公は「Kは月の世界に行った」と主張していました。肉体は海に取り残され、魂だけが月の世界に昇天した、という意味に解釈できると思います。
ここにいる自分はただの「肉体」で、影に宿るドッペルゲンガーの自分が「魂」だと考えれば、ミステリアスな物語の辻褄が合いますね。
Kの死は決して悲観的な、敗北的な意味合いで記されているのではなく、「K君はとうとう月の世界に行った」の「とうとう」が指すように、Kは肉体を飛び出して、本当の意味での解放を実現させたのでしょう。
死とは解放のための単なる手段に過ぎないのかもしれません。
個人的には、仏教思想的な視点で、あくまで建設的に「昇天」を解釈をしました。もちろん正反対の救いようの無い解釈も可能だと思います。答えを委ねられているのが小説の醍醐味で、自分にとっての「昇天」を見出すのが本当の意味での解釈だと思います。
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