モーム『月と六ペンス』あらすじ解説|20世紀文学の傑作 芸術至上主義の狂気

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月と六ペンス イギリス文学

サマセット・モームの小説『月と六ペンス』は、20世紀を代表するイギリス文学の傑作です。

ポスト印象派の画家「ゴーギャン」をモデルに創作され、芸術至上主義の生き様が描かれています。

本記事では、あらすじを紹介した上で、作中に仕組まれたトリックをネタバレ考察しています。

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作品概要

作者  サマセット・モーム  
イギリス
発表1919年
ジャンル長編小説
ページ数321ページ
テーマ芸術家の人生美学
ポスト印象派の苦悩と自由
美しい人生とは

あらすじ

あらすじ

作家である主人公は、証券会社で働くストリックランドという男と知り合います。彼はいわゆる平凡な人間に見えたのですが、ある日突然家族を捨てて、画家を志しフランスに旅立ってしまいます。捨てられた婦人の使いで、主人公がフランスまで行って説得するのですが、ストリックランドは一切俗世を気にしない様子でした。殆ど嫌な人間に見えるくらい絵を描くこと以外念頭にないのです。

それから5年後、主人公はパリで画家のストルーヴェと再会します。すると彼が無名の画家ストリックランドの才能に惚れ込んでいることを知ります。皮肉屋なストリックランドは嫌な奴でしたが、ストルーヴェは彼の才能を本心から評価していたので、いくら酷い目に合わされても献身的でした。最終的には自分の妻をストリックランドに奪われ、妻が自殺を決行する悲劇にまで発展します。それでもなお、ストルーヴェはストリックランドの才に敬意を失わず、自らの無才を認めて故郷へ帰って行くのでした。

以降、主人公はストリックランドと再会することはありませんでした。

ストリックランドはその後タヒチに移住し、現地の女性と結婚して、孤島で絵を描き続けていました。後年、彼はハンセン病を患っており、顔の形状が変形し、視力が失われた状態で、家の壁に絵を描き続けていました。病気の彼を訪ねた医師は、家中の壁に描かれた絵が、言葉では表せない情熱的で、官能的で、神秘的だったと証言しています。その最高傑作は遺言によって、ストリックランドの死後に燃やされてしまいました。

あのストルーヴェ以外に、一切世間から評価されなかったストリックランドの絵は、死後にとんでもない高価な値段で取引されるようになります。生涯誰からの称賛がなくとも、自分の美を貫いた天才画家ストリックランドの物語です。

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個人的考察

個人的考察-(2)

ゴーギャンとの共通点

奇才ストリックランドは、実在する画家「ポール・ゴーギャン」をモデルにしたと言われています。証券会社で働いていた点や、タヒチに滞在していたことは、まるまる事実なのです。実際に作者のモームは執筆にあたって、タヒチを訪問しゴーギャンの作品を入手したようです。

ただし、巻末の「訳者あとがき」に記されている通り、実際はストリックランドとゴーギャンの共通点は少なく、あくまで作品として完結したキャラクターだと言えるでしょう。

ストリックランドは自身の芸術のためであれば、いかなる道徳を侵害することも厭いませんでした。突然家族を捨て、他人と交流することを拒み、おまけに友人の妻を自殺に追い込み、タヒチではハンセン病で目が見えなくなっても狂人の如く絵を描き続けていました。

ところがモデルのゴーギャンは、証券会社を辞めて画家を目指したものの、唐突に妻を捨てるようなことはなく、むしろある時期までは妻が家計を支えていました。印象派の画家と交流して一緒に絵を描くこともありましたし、仲違いしたものの一時期はゴッホと共同生活を送っていました。そしてタヒチではなく、ヒヴァ・オア島で亡くなっています。死因は梅毒か肝炎の痛みからアヘンを過剰摂取したせいだと推測されていますが事実は不明です。少なくともハンセン病だった事実は存在しません。

とかく、物語性を重視する作家であるモームは、ゴーギャンをモデルにしたものの、殆ど独立したキャラクターになるくらい個性的な要素を加えています。ゴーギャンと切り離しても見事に完結する、魅力的な人物像に仕上がっているのです。故に芸術史を知らない人でも引き込まれる物語として成立しています。

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ポスト印象派から紐解く

我々が芸術家像を思い浮かべる場合に、死後に評価されるという境遇を一種のテンプレートとして認識しているように思います。殆どゴッホの印象が強いでしょうが、ストリックランドのモデルとなったゴーギャンも、大衆に評価されるようになったのは死後のことです。

重要なのは彼らがポスト印象派の画家だということでしょう。

西洋絵画の歴史は、19世紀後半に印象派が台頭する以前と以後で大きく変化します。もとより「西洋画=宗教画」という構図が一般的でした。画家は貴族に保護されるのが当然で、貴族の命令によって権威を象徴する永遠性を宗教画に落とし込むことが職務だったのです。

ところが、宗教テーマから離れ、光の瞬間性を描こうとする印象派が登場したことによって、いわゆる宮廷美術ではなく、画家本人としての芸術性が評価されるようになります。つまり貴族の後ろ盾がないわけですから、生活に窮してでも絵を描く、我々の価値観に近しい芸術家像が生まれていくわけです。

さらにゴーギャンなどはポスト印象派と呼ばれ、印象派のように光を捉えた風景ではなく、殆ど心象風景、つまり自分の内側にあるイメージを表現するような芸術へと発展します。当然独自の世界観を表現しているために、世間に理解してもらうことが極端に困難になってしまいます。今で言う、アングラでオルタナティブなカルチャーみたいなものですね。故に彼らの作品は生前には全く受け入れられず、死後にようやく評価されるパターンが多かったのです。

こういった西洋美術史を踏まえて考えると、ストリックランドの作品がどうして生前に受け入れられなかったのかが理解できると思います。あるいは、道徳を排したストリックランドの性格が、典型的な「芸術家らしさ」を感じさせるのは、ポスト印象派の芸術至上主義的な要素が我々にひとつの普遍的な芸術家像を与えているからでしょう。

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ストルーヴェに見る芸術至上主義

「僕たちは心から謙虚になって、静けさのもたらす美に目を向けなくてはならない。足音を忍ばせて、人生を生きなければならないんだ。運命に目をつけられないように。そして、素朴で無知な人々に愛されるように努める。彼らのほうが、知識にかぶれた僕たちよりもずっと優れているんだから。口をつぐんで、片隅での暮らしに満足すべきだ。彼らのように身の程を知って、穏やかに生きるべきなんだ。それこそ、賢い生き方だ。」

『月と六ペンス/サマセット・モーム』

前半部分のクライマックスに欠かせないストルーヴェが残した台詞です。多くの読者は彼のこの言葉に酷く傷ついたことでしょう。

ストリックランドに散々酷い目に遭わされても、ストルーヴェは彼に対する尊敬の念を失いませんでした。ストルーヴェは、この世界で最も素晴らしいものは才能だと豪語し、もし才能を持つ者がいれば非凡な人間は彼らに寛容でなくてはいけない、とまで主張しています。

つまりストルーヴェは我々平凡な人間の立場から、芸術至上主義がいかなるものかを伝えていたのだと思います。芸術の世界では才能だけが全てで、それを持たざる者は決して彼らの邪魔をしてはいけないということです。彼らの野蛮で破天荒で破滅的な生活がいくら周囲に迷惑を与えようとも、全ては歴史的な価値を持つ作品へと昇華されるのですから、それを道徳や倫理で統制することは愚かだ、とストルーヴェは極論を訴えていたのでしょう。

今ではあまり芸術至上主義的な考えは受け入れられませんが、19世紀までのアカデミー絵画と、20世紀のキュビスム以降の絵画、その間の時代には確かに苦悩に満ちた芸術至上主義の奇才たちが存在し、今も我々に人生美学を感じさせるのです。

何より惨めなのが、ストルーヴェのように芸術に足を突っ込んだ三流画家の末路です。社会生活を棒に振ってでも表現に狂える人間、そうでなければ素朴で無知で片隅の人生に満足する人間。そのいずれかしか許されないのです。才能もないくせに知識にかぶれた人間は身の程を知るべきだ、とあまりに残酷な事実を突きつけるストルーヴェに胸が苦しくなります。。

ストリックランド同様に、ストルーヴェは芸術至上主義の人生美学を逆説的に体現した重要なキャラクターだったと思います。

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正しい居場所について

物語の後半部分は、作家である主人公が人伝えに、タヒチで過ごした晩年のストリックランドの様子を聞いて回る構造で描かれています。

もちろんストリックランドの狂気的な情熱が物語の本筋なのですが、「人間の正しい居場所」にまつわる主題も後半では重要になってきます。事実、タヒチという土地の魅力が必要以上に語られ、その土地に魅せられた人々の物語がいくつも記されます。

生まれる場所をまちがえた人々がいる。彼らは生まれたところで暮らしてはいるが、いつも見たことのない故郷を懐かしむ。生まれた土地にいながら異邦人なのだ。

『月と六ペンス/サマセット・モーム』

これは決してロンドンやパリに限った話ではなくて、証券会社に勤め妻子を持つ生活すらも、ストリックランドには間違った居場所だったということでしょう。

つまり物理的な土地に限らず、現状の境遇すらも、その人にとっては正しい居場所とは限らないということだと思います。そして大抵の人間は、ただそこに生まれたから、ただそのコミュニティに属しているから、という怠慢によって自分の正しい居場所を探すことを毎秒諦め、素朴で無知な片隅の暮らしに満足する努力をしているということでしょう。

自分の正しい居場所を知らない人間は何かを成し遂げることはできない。ストリックランドのように異邦人としての生活を打破し、正しい居場所を見つけた者だけが、人生における最高傑作を表現できるということでしょう。

それは決して具体的な絵画などに限った話ではありません。

「わたしもわたしなりに芸術家なのです。(中略)彼は美を求めて絵を描きましたが、わたしは美を求めて人生を生きたのです」

『月と六ペンス/サマセット・モーム』

主人公がタヒチで出会ったブリュノ船長の台詞です。

絵を描くことが芸術なのではありません。絵を描くのは芸術を表現する手段です。つまり芸術とは自分の人生美学を表現することなので、ブリュノ船長のように美しく生きることも一種の芸術なのです。

我々人間は自分の人生がいかに美しいかということを表現するために生まれたのであって、その表現に相応しい居場所を探すためにある者は旅を続けるでしょう。またある者は自分の心象を絵に、言葉に、歌にするでしょう。我々は生まれた時から芸術家である、ということを決して忘れてはいけないのだと、この作品を読み返す度に強く思わされます。

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タイトルに込められた意味

一般的に『月と六ペンス』の「月」とは夜空に輝く美、「六ペンス」とは世俗を象徴していると言われています。

月には狂気的なイメージがありますので、いわゆる芸術家としての美の追求を象徴しているのだと考えられます。

そして当時は六ペンス硬貨が存在したことから、「六ペンス」は現実世界における利益など世俗的な価値を意味していると考えられます。さらには結婚式で花嫁の靴に六ペンス硬貨を入れる迷信があったようなので、世間的な幸福の象徴だったのかもしれません。

まさに芸術至上主義の時代を表現したタイトルですね。狂気的に美を追求する人生か、六ペンスの幸福に満足する片隅の人生か。我々の人生は二つに一つ、そのどちらを選ぶかは自分だけに与えられた権利なのです。

ストリックランドが画家を志したのは40歳の頃でした。遅すぎることなんて本当は一つもありはしないのだ。今がその時だ!

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モームは短編小説も面白い!

『月と六ペンス』が大ヒットし、20世紀の西欧文学での地位を確率したサマセット・モーム。

物語性こそ小説の真髄と考えていたモームは、通俗作家と言われることがあります。それを悪く解釈する必要はなく、『月と六ペンス』を読んだ人なら、その魅力的な物語性に圧倒されたのではないでしょうか。

思わず引き込まれる物語の中で、シニカルな人間観を描き、ウィットに富んだ表現が使われる。そんな彼の魅力は短編小説にも活かされています。

個人的には『月と六ペンス』のネクストステップとして、短編作品集『ジゴロとジゴレット』をおすすめしています。

気になる方は是非読んでみてください!面白さは保証します!

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