村上春樹『七番目の男』あらすじ考察 漫画化されたおすすめの短編

七番目の男 散文のわだち
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村上春樹の小説『七番目の男』は、高校の教科書に採用されたことがある短編作品です。

メタ要素が多い作品集『レキシントンの幽霊』に収録されているのですが、とりわけ比喩表現が少なく、解釈しやすい物語だと思います。

村上春樹は、当初怪談的な怖さのある物語を描こうとしたが、執筆するうちにまったく別の種類の作品になった、と言及しています。果たして、どんな主題を作品に落とし込んだのか、考察していきます。

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『七番目の男』作品概要

作者村上春樹
発表時期1996年(平成8年)
ジャンル短編小説
テーマトラウマの克服
人生の不条理と物事の修繕

『七番目の男』簡単なあらすじ

人々が寄り合って、順番に自分の話を語るという設定で物語が描かれます。

七番目の男がその夜の最後の語り手でした。彼が話したのは、10歳の頃に経験した友人Kにまつわる出来事です。

言語に障害があるものの、絵がとても上手なKは、少年時代の男にとって親しい友人でした。ところが記録的な台風の日に、Kは目の前で巨大な波にさらわれてしまいます。

恐怖のあまりKを助けることを放棄した事実が、その後の主人公の人生を苦しめました。2度目に押し寄せた波の中で、Kが恐ろしい笑顔を浮かべて自分に手を差し出していた、という奇妙な映像がトラウマになっていたのです。

精神的な問題を抱えた主人公は、その年の終わりに引越し、40年以上故郷には戻らず、海やプールにも一切近寄りませんでした。

しかし父親の死後、物品整理の中でKの絵を目にした時に、自分が重大な思い違いをしているような気になります。それがきっかけで、思い立ったように故郷の海岸に足を運んだ主人公は、ようやく自身の深い闇が消えていくのを実感しました。

恐怖に背を向けると、自分の一番重要なものを何かに譲渡してしまうことになる、と主人公は最後に話します。彼にとっては、それが「波」だったようです。

『七番目の男』個人的考察

トラウマに対する意識構造

しかしなによりも怖いのは、その恐怖に背中を向け、目を閉じてしまうことです。そうすることによって、私たちは自分の中にあるいちばん重要なものを、何かに譲り渡してしまうことになります。

『七番目の男/村上春樹』

物語の最後に綴られる文章が、作品の主題の全体像を表現していると思います。

子供の頃に経験したトラウマから40年以上逃げ続けた男が、事実に背を向けるだけでは克服は出来ないという本質に気づく物語でしょう。

Kが波に飲まれて間もなく、主人公の強い意志で別の県に引越し、一度も故郷を訪れず、出来事を想起させる海やプールにも一切近づきませんでした。

問題なのは、自分のせいでKが死んだ、ということではなく、事実を知ることを完全に避けてしまった点にあるでしょう。主人公はKに対する罪の意識に苦しんでいたように思われますが、実際はその罪を認めるでも否定するでもなく、明確にしないまま逃げ続けていたのです。

2度目に押し寄せた波の中で、Kが恐ろしい笑顔で手を差し伸ばしていた、というイメージは、事実から逃げ続ける主人公の精神状態を象徴しているように思います。実際にKがそのような表情をしていたかは不確かで、一人で逃げ出した罪悪感が生み出した一種の幻想・幻覚の可能性だってあるわけです。

事実、主人公は長らくKにまつわる悪夢にうなされ続けてきましたが、故郷を訪れ事実と向き合ったのちには、2度と悪夢を見ることはありませんでした。人間は事実を認めない限り、深い観念という幻に囚われてしまうのでしょう。

以上の点から、トラウマとは過去に経験した出来事に対する純粋な罪の意識ではなく、罪の意識を完全に認めることが出来ないジレンマ状態を指すのではないでしょうか。

そういう意味ではトラウマとは非常に利己的な意識の産物で、決して他者に対する純粋な懺悔の気持ちなどは含まれていないのですから愚かです。主人公は40年以上、Kに対してまっすぐ懺悔することから逃げ続けていたのでしょう。

最後の台詞に込められた懺悔の思い

しかしなによりも怖いのは、その恐怖に背中を向け、目を閉じてしまうことです。そうすることによって、私たちは自分の中にあるいちばん重要なものを、何かに譲り渡してしまうことになります。

『七番目の男/村上春樹』

再び引用したこの一説ですが、先ほどは「トラウマに対して背を向ければ本質的な克服は見込めない」という解釈で考察しました。

もう一方で、この台詞にはKに対する懺悔の思いが含まれているように思われます。

「その恐怖に背中を向け」という文章が指す恐怖とは、主人公が察知した波が来る予感ではないでしょうか。波が来ると察知していたにも関わらず、凄まじい恐怖のために主人公は一人で逃げ出しました。その結果としてKは波にさらわれたのです。

波が来る恐怖から逃げ出した結果、Kという重要な存在を、波に譲り渡してしまった、と解釈することができます。いざとなれば友を裏切り自分を最優先する人間の本質的なエゴを表現していたのかもしれません。

人々が寄り合って順番に話すという物語の設定は、何かしらのプログラムに参加している様子を想起させます。七番目の男は、Kに対する懺悔をすることで、社会的に復帰しようと試みるプログラムに参加していたのかもしれません。

阪神淡路大震災の影響

村上春樹は一切言及していませんが、発表が1996年であるため、前年の阪神淡路大震災が作品に影響しているのではないかという考察も存在します。子供の頃に西宮に住んでいたという作者の生い立ちから、関連づけて考察してしまうのかもしれません。

個人的には、自然に対する人間の向き合い方という点では、少なからず作品に影響しているかもしれないと思いました。

村上春樹は2011年のカタルーニャ国際賞の受賞式で、東北大震災について次のように言及していました。

考えてみれば、人類はこの地球という惑星に勝手に間借りしている訳です。ここに住んでください、と地球に頼まれた訳ではありません。少し揺れたからといって、誰に文句を言うこともできない。

カタルーニャ国際賞スピーチ文

これは決して絶望的なニュアンスではなく、自然災害の不可避性を受け入れた上で、物事は修復が可能だという希望的な意味合いの言葉になります。

つまり人間が地球で生きている限り、自然がもたらす不条理を避けることは出来ないのです。

Kが波にさらわれたのは主人公が逃げ出したからかもしれません。だけど、台風にもかかわらず外出を許した主人公の両親の判断はどうか、Kの為人を知って目を離した彼の両親はどうか、ひいては津波対策が疎かだった政府はどうか、と責任を追求すればきりがありません。

だからこそ、重要なのは事実を受け入れ、物事を修繕していくことなのでしょう。

主人公にとっては、40年以上背を向け続けた恐怖と真正面から向き合いうことが、ある種の修繕だったのでしょう。

人生に突然押し寄せる不条理な波に、いつまでもショックでヘタリ込むのではなく、その不条理によって損なわれた物事を修繕していくことが重要なのだと、作品から感じることが出来ました。人間は修繕出来るように出来ている、その事実を決して忘れてはいけませんね。

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HARUKI MURAKAMI 9 STORIESと称して、厳選された9つの短編小説がこだわり抜かれた装丁で出版されています。

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以上、村上春樹の『七番目の男』のあらすじ考察を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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