ヘッセの『車輪の下』は、少年時代の作者の体験を題材にした自伝的小説です。
周囲の期待や、社会との軋轢に潰されてしまう少年の姿は、とりわけ日本で共感を呼び、今もなお多くの人に愛読されています。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | ヘルマンヘッセ(85歳没) |
国 | ドイツ |
発表 | 1905年 |
ジャンル | 長編小説 自伝的小説 |
ページ数 | 246ページ |
テーマ | 教育に対する反感 少年時代の軋轢 |
あらすじ
ハンスは稀有な天才少年でした。周囲から大いに期待されており、平凡な少年とは異なる勉強づくしの生活を強いられていました。彼らの期待通り、ハンスはエリート養成学校である神学校に2位の成績で合格します。人々から喝采され、ますます将来を嘱望されるようになりました。
ところが、神学校の仲間で、詩作に耽る反抗児ハイルナーと付き合ううちに、ハンスは勉学一筋に生きる自分に疑問を感じ出します。それでも周囲の期待に応えるために自らの欲望を押し殺し、その果てに心身が疲弊し、ノイローゼとなり退学を余儀なくされます。
故郷に帰ったハンスは、空虚な日々を送り、一時は恋愛の甘美な世界に惑溺しますが、それも大きな心の傷になるのでした。その後、機械工となり出直そうとしますが、挫折感と失恋の悲しみに自暴自棄となり、慣れない酒に酔って、その日家に戻りませんでした。翌日ハンスは遺体となって川から引き上げられます。彼がなぜ川に落ちたのか、その真相は明らかにされていないのでした。
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個人的考察
作者が少年時代に経験した苦痛
「詩人になれないなら、何にもなりたくない」
牧師の祖父や父を持つ作者ヘッセが、少年時代に抱えていた悩みです。
牧師になる運命を親に定められていた彼は、決められたごとく神学校へ進学させられます。当時、神学校は誰もが羨む、選ばれし者だけが進める道でした。官費で教育を受け、卒業すれば牧師として尊敬される地位を生涯保障される、いわばエリートコースです。
ところが、詩作に取り憑かれた、アウトサイダーな少年ヘッセは、その安定した道を踏み外すことになります。
詰め込み教育と規則だらけの学校生活に抑圧されたヘッセは、半年ほどで神学校を脱走します。その結果、教員たちから危険人物扱いされるようになり、おかげで心身のバランスを崩し、不眠症とノイローゼを患って退学を余儀なくされます。
退学後は精神療法で知られる牧師の元に預けられますが、ピストルを購入し、自殺を予告する危険な行動に出ます。ようやく精神が安定し、高校に転入したかと思うと、教科者を売った金で再度ピストルを購入する始末です。
高校を辞めた後は本屋の見習い店員になりますが、三日で逃げ出します。周囲の声はともかく、ヘッセ自身酷く絶望しており、憂鬱な歌を作っては歌い続け、そんな様子に母は精神をすり減らして、我が子のために祈り続けます。
ひとえに少年ヘッセを苦しめ続けたのは周囲の人間との軋轢、そして詩人という険しい道への不安だと言われています。音楽家や画家になるには専門の学校がありますが、詩人になるための教育など存在せず、また詩人は尊敬されても、詩人を志すものは人非人のような扱いを受ける社会だったのです。
そんな絶望的な少年ヘッセを立ち直らせたのは母でした。病気の母にこれ以上心配をかけるに忍びなく、ようやく町工場の見習い工として働き始め、その間に多くの文学作品に触れ、それが今日世界的な文学者とされる足掛かりとなったのでした。
これら少年時代の苦悩を殆ど自伝的に描いたのが『車輪の下』なのです。
詩人としての願望を受け入れてくれない神学校へのルサンチマン、そして自らの将来への不安を、本作によって昇華したかったのでしょう。
車輪の下に込められた意味
疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね
『車輪の下/ヘッセ』
校長が口にしたことの台詞は、ヘッセなりの皮肉的なユーモアだったのでしょう。
ヘッセないし主人公ハンスにとって、車輪の下とは、身勝手な期待を寄せる大人たち、そして個性を剥奪する学校教育を意味するのだと考えられます。つまり校長自体が、車輪の下の象徴なわけです。
作中では、大人たちへの憂鬱と、詩的で美しい風景描写が同時に描かれています。とりわけヘッセの生まれ故郷である南ドイツのカルプという街の風景が繊細に表現されています。ハンスは自然を愛し、釣りに没頭し、貧相な「タカ」小路での遊びに魅力を覚えていました。ところが周囲の大人は彼からそれらを取り上げ、教育に熱中するよう強いました。エリート教育は、ハンスから自然の美しさや、少年らしい喜びを奪い、それはいわゆる詩人としての豊かな感性の剥奪を暗喩的に表現していたのでしょう。
もっともエリートコースから脱落してからも、ハンスは精神に陰りを抱き続けます。自然の中を散歩しても頭痛がなくなることはありません。周囲の大人たちの期待は、ハンスにエリートとしての自尊心を覚えさせたため、ドロップアウトした後に劣等感に付き纏われ、もう二度と本心から自然を愛することができなくなってしまったのです。
車輪の下での苦しみ、つまり周囲の大人たちの抑圧は、少年から二度と取り戻せない人間的な喜びや感性を剥奪してしまったのでした。
ハンスとハイルナーの二つの人格
周囲の大人に服従するハンスに感銘を与えたのは、神学校でのハイルナーとの出会いでした。
彼は自分の考えやことばを持ち、一段と熱のある自由な生活をしていた。(中略)また自分の魂を詩の句に映し出し、空想によって非現実的な自己独特の生活を作りあげる神秘的な奇妙なわざを行なっていた。
『車輪の下/ヘッセ』
ハイルナーは神学校内で早くも危険人物扱いされていましたが、彼は周囲の抑圧に屈することはありませんでした。ハンスと違い、ハイルナーは車輪の下じきにならないだけの、強い信念を持っていたのです。ハンスが周囲の大人から剥奪された人間的な情熱を、ハイルナーは手放さなかったのです。
そんなハイルナーと出会ったハンスは、これまでの自分の人生に疑問を抱くようになります。果たして詰め込み教育の末路に人間的な幸福があるのか、その疑問はハンスのドロップアウトの足掛かりとなりました。
しかしハンスとハイルナーには決定的な違いがありました。周囲の大人の目を窺って生きてきたハンスには、芸術を信仰するだけの情熱も、あるいはその進路も閉ざされていたのです。そのため、ハイルナーが神学校を去った後、ハンスは教員たちの抑圧に耐えきれず、精神が壊れてしまいます。
故郷に戻った後も、ハンスは時々ハイルナーのことが頭に過ぎります。
いくどもハイルナーが遠くの木の幹のあいだを歩いているのが見えたが、名を呼ぼうとするごとに消えてしまった。
『車輪の下/ヘッセ』
このハンスの夢は非常に暗示的です。ハイルナーのように人目を憚らず芸術に心酔する生き方に、ハンスは羨望の念を抱いていました。ところが、ハンスにはそれは届き難く、どうしても追いつけないものだったのです。
ひとえに、ハンスは周囲の目ばかり気にする自意識の強い少年だったということでしょう。
ハンスは惨めな末路を歩んだ一方で、ハイルナーは後に情熱的で立派な人間になったと綴られています。芸術に対する情熱、とりわけそれがもたらす人間的な喜びやアイデンティティ、その有無が人間にどういった影響を与えるか、この二人の少年の行く末によって対比的に描かれているのでした。
ちなみに、作者のヘッセは、自分自身をこの二人の少年に分裂させて投影しているようです。精神を破壊された側面がハンス、芸術への情熱を諦めなかった側面がハイルナーとして描かれています。
その後のヘッセはハイルナーのように芸術に没頭するわけですが、少年時代の作者の中には、確実にハンスのような弱い人格が存在して、そのアイデンティティはあの頃に車輪の下で潰されてしまったのでしょう。
ハンスはなぜ死んだのか
自暴自棄になり泥酔したハンスは、川で死体になって発見されます。しかしその真相は明かされないまま、物語の幕が閉じられます。
泥酔した故に誤って川に転落したのか。それとも、自ら身を投げたのか。
神学校を退学してからのハンスは、幾度となく自殺の計画を企てていましたから、後者の可能性も十分に考えられます。
もちろんハンスの死因は読者の自由解釈に委ねられる部分だと思います。
個人的には、たとえ事故で転落したとて、ハンスは最期の瞬間、その残酷な運命を半ば受け入れていたような気がします。ハンスは車輪の下の苦痛から解放され、柔らかく包容のある世界に帰還したいと願っていた気がするのです。そして、その帰還すべき場所とは、死と限りなく近い生まれる前の世界、母胎の中だったのではないでしょうか。
作者のヘッセと、ハンスの根本的な違いは、母親の有無です。ヘッセは母親の存在によってピストル自殺をせずに立ち直れた部分が大きいと思われます。一方でハンスは幼い頃に母親を失っています。作者の救いでもあった母親が、作中ではあえて描かれないのです。ハンスに欠落していたのは無償とも呼べる母性的な愛、決して父性的な宗教に救いを見出すことはできなかったのではないでしょうか。自暴自棄なハンスを救えたのは母性だけであり、それが叶わない以上、彼があの世に帰還することは仕方なかったのかもしれません。
一つだけ言えるのは、ハンスの死因がなんであれ、それを助長させたのは車輪の軋轢です。つまり、大人たちの手によって間接的に殺されてしまったのです。
あすこに行く連中も、あの子をこういうはめに落とす手伝いをしたんじゃ
『車輪の下/ヘッセ』
ハンスの死後、くつ屋のフライクは墓の前でこう語りました。
知らず知らず、皆が青春の暗殺者に加担していたのであり、その抑圧はいつの時代も若者にとって葛藤の種となるのでしょう。
とりわけ本作が日本で人気が高いのは、今は韓国に象徴される学歴社会が、かつて、いや今も日本には色濃く、その車輪の重みに耐えかねた若者たちの気持ちを代弁しているからではないでしょうか。
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