太宰治の『ヴィヨンの妻』あらすじ考察 夢想家の妻はリアリスト!?

ヴィヨンの妻 散文のわだち
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太宰治の小説『ヴィヨンの妻』をご存知ですか?

作品集『ヴィヨンの妻』に収録されている短編小説です。執筆時期は1947年頃なので、太宰治のキャリアでは後期にあたります。

「ヴィヨン」とは、15世紀のフランスの詩人「フランソワ・ヴィヨン」のことを指します。酒と女に溺れた破天荒な遊び人だったことで有名です。

本作は、放蕩癖がある夫「大谷」の妻が主人公です。そのため、大谷の性格をフランス詩人の破天荒さと重ね合わせて、「ヴィヨンの妻」というタイトルにしたのでしょう。

物語は、太宰治が得意とする「女性一人称」で進行します。つまり、妻「さっちゃん」の目線から、夫「大谷」の人間性や、人の世の後ろ暗さが描かれています。

果たして「大谷」はどんな男で、妻「さっちゃん」の心情は何を訴えていたのでしょうか。個人的な考察を交えて、解説していこうと思います。

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ヴィヨンの妻』の作品概要

作者太宰治
発表時期1947年(昭和22年)
ジャンル短編小説
テーマ芸術家の苦悩
人の世の後ろ暗さ

『ヴィヨンの妻』の300字あらすじ

ある夜、詩人である夫「大谷」は慌てた様子で帰ってきます。飲み屋で散々つけを回した挙句、盗みまで働いたようです。

飲み屋の夫婦に追い詰められた大谷は、ナイフを振りかざして逃げ出してしまいます。

残された大谷の妻「さっちゃん」は、店の夫婦に「お金は自分がなんとかする」とその場しのぎの嘘をつきます。それを機に、彼女は夫婦の店で働くようになります。

滅多に帰らない夫を待つ生活よりも、店で働く方が彼女の暮らしは充実します。同時に、姦通などを経験し、人の世の後ろ暗い部分を知ることにもなります。

社会と接触したことで、妙にリアリストな女性に成長する、ヴィヨンの妻「さっちゃん」なのでした。

ヴィヨンの妻のあらすじを詳しく

①詩人「大谷」の慌ただしい帰宅

詩人である夫「大谷」は、滅多に家に帰って来ません。芸術家特有の放蕩癖で、妻にすら彼の普段の行方が分からないのです。

そんな大谷が、今日は慌ただしく帰ってきました。いつものように泥酔しているのかと思えば、そうでもありません。ただ、不自然なよそよそしさが感じられます。

間も無く、玄関から夫を問い詰めるような怒鳴り声が聞こえてきます。声の主は男性と女性の2人のようです。

彼らと大谷は何やら口論を始めます。口喧嘩の末に大谷は家からナイフを持ち出して、彼らを脅しながら、そのまま表へ逃げ出してしまいます。

大谷の妻である「さっちゃん」は、残された男性と女性に詳しく事情を聞きます。彼らは中野駅付近で料理屋を経営する夫婦のようです。大谷は夫婦の店でつけを回しまくった挙句、金まで盗んだと言うのです。

②店での大谷の振る舞い

夫婦が昔から付き合いのあるバーの女給が、大谷を店に連れて来たのが事の発端でした。

数日後に、大谷は1人で店に来て、静かに酒を飲み、少し多めに金を置いていきました。気前の良い大谷を、まさか酷い客だとは想像もしていませんでした。しかしそれ以来、大谷は頻繁に店に来るようになったのですが、金を払ったのは後にも先にもその1回のみです。つけで店の酒をたらふく飲む迷惑な客に豹変たのでした。

大谷はしばしば女性と2人で店に来ることもありました。なんでも女につけ込むのが得意なようで、大谷の代わりに、店に余分にお金を置いていく女性も何人かいました。挙句、彼は店の従業員である若い女の子にも手を出します。

女癖の悪さはともかく、一向に金を払わない大谷に夫婦は困り果てていました。そして今夜、酒どころか、ついに店から現金を盗んだようなのです。

このように、放蕩癖がある夫は、妻の知らない場所で酒と女に溺れていたのでした。

③店で働く妻「さっちゃん」

散々店に迷惑をかけた挙句、現金まで盗んだ夫の大谷でした。

さっちゃんは、その場しのぎの嘘で「明日中に自分がお金の後始末をする」と夫婦に約束をしてしまいます。しかし、彼女に当てがあるわけもなく、言ったそばから気もそぞろです。

翌朝、いてもたってもいられず、さっちゃんは息子を連れて外出します。途中電車に乗った際に、夫が書いた「フランソワ・ヴィヨン」についての論文の広告が車内に吊られているのを目にします。それを見たさっちゃんは、何故だか辛くなり涙で視界が霞んでしまうのでした。

当てもなく散歩を続けた後に、さっちゃんは昨夜の夫婦の店に伺います。

そして、またしても嘘をつきます。「今晩か明日にはお金の見込みがつくので心配しなくていい」とデタラメが口から飛び出したのです。お金が店に届けられるまで、さっちゃんは人質として店の手伝いをすることになりました。

常連客の下品な冗談にも、愛想よく返答するさっちゃん。何よりまだ若くて美人なため、常連客たちからの評判はかなり良いみたいです。彼女の評判の良さに、さっちゃん本人も店の夫婦も満更でもない様子でした。

そして奇跡は起こります。

男が綺麗な奥さんと2人で店にやって来ます。それが夫の大谷だったのです。妻のさっちゃんが働いていることも知らずにひょっこり店に顔を出したのでした。最終的に、店の主人が大谷と話をして、なんとか盗んだお金を返してもらうことができたようです。




④人の世は後ろ暗い

盗んだ現金を大谷が返したので、さっちゃんは何とか災難を免れることができました。

大谷が一緒にいた女性は京橋のバーのマダムで、彼とは深い仲のようです。そのマダムが、大谷を説得し、お金を工面してくれたおかげで、盗んだ現金を返すことができたのでした。

問題が解決したようですが、さっちゃんは自らの希望で、翌日からも夫婦の店で働き続けることになります。滅多に家にいない夫の帰りを待つよりも、店で働き、たまに店に来た夫と一緒に家に帰る生活の方が、さっちゃんにとっては充実しているみたいなのです。

しかし、さっちゃんは社会で働くことの充実感を知ると同時に、人の世の後ろ暗さも知ることになります。

「・・・私には、椿屋にお酒を飲みに来ているお客さんがひとり残らず犯罪人ばかりだという事に、気がついてまいりました。夫などはまだまだ、優しいほうだと思うようになりました。また、お店のお客さんばかりでなく、路を歩いている人みなが、何か必ずうしろ暗い罪をかくしているように思われて来ました。」

『ヴィヨンの妻/太宰治』

要するに彼女は、人の世を生きるためには、後ろめたいことをしなければいけない、という醜い現実に直面したのです。

象徴的な出来事として、さっちゃんが店に来ていた若い男に犯されてしまいます。

店で酒を飲んでいた若い男は、雨が降っていたので、さっちゃんを家まで送ってくれます。その後一旦は、すんなりいなくなったのですが、再び泥酔した状態で家に押しかけて来ます。そして、明け方に男に犯されました。

その日もさっちゃんは店に出勤します。すると大谷が店にいました。どうやら昨日、例の若い男とさっちゃんが帰った直後に大谷は店に来たようです。そして雨が降っていたので、そのまま店に泊まったみたいです。

大谷は新聞に目をやり、自分のことを「人非人」と非難している記事を見つけ、言い訳を口にします。そして、金を盗んだのは、さっちゃんと息子にいい正月を過ごさせたかったからだと弁解も加えます。それを聞いたさっちゃんは、格別嬉しくもない様子でこう言うのでした。

人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ

そのセリフと共に、物語は幕を閉じます。




ヴィヨンの妻の個人的考察

「ヴィヨンの妻」のタイトルに込められた意味は?

前述の通り、「ヴィヨン」とは15世紀のフランスの詩人「フランソワ•ヴィヨン」のことを指します。何でも彼は、酒と女に目がなく、かなりの放蕩癖があったようです。

さらには強盗や傷害事件まで起こしています。

芥川龍之介は自身の作品の中で、ヴィヨンのことを「人間的には失敗しながら、芸術家として成功した人物」と記しています。

まさしく、本作『ヴィヨンの妻』の登場人物、大谷の破滅的な性格のモチーフになったことが明らかです。酒・女・強盗・傷害などを想起させる場面もあり、「ヴィヨン」とは大谷のことだと考えて間違いないでしょう。

ちなみに「フランソワ・ヴィヨン」本人は、強盗・傷害事件によって締首刑宣告後、減刑によりパリを追放されます。その後の消息は一切不明です。

対する大谷は、同じく散々トラブルを引き起こすものの、かろうじて人の世に留まっています。そこにはヴィヨンの「妻」の存在が大きく関係しているのでは無いでしょうか。

ヴィヨンの「妻」たちの存在

先に述べておきたい考察は、「妻」という言葉が決して1人の女性を指しているわけではないということです。

一見、物語の一人称でもある、妻「さっちゃん」こそが「ヴィヨンの妻」だと思うかもしれません。しかし、大谷を支えた女性たちを総称して「妻」とした方が、物語の深みがぐっと増すように思われます。

本作はなぜ、大谷自身ではなく、妻にあたる存在に焦点を当てたのでしょうか。それはもちろん妻という存在が重要な鍵を握っているからです。

先ほども説明したように、詩人「フランソワ・ヴィヨン」は放蕩癖の挙句、強盗・傷害でパリを追放されます。大谷も負けじと、どうしようもない男ですが、少なからず作中では人の世を追放されるにまでは至りません。それはやはり、多くの女性たちの存在が大谷を人の世に繋ぎ止めていたからでしょう。

店の現金を盗んだ大谷をかばって、人質になったのは妻である「さっちゃん」でした。あるいは、盗んだ現金を返すよう説得し、お金を工面してくれたのは京橋のバーのマダムでした。その他にも、店を紹介したバーの女給の秋ちゃんや、秋ちゃんに知られては困る内緒の女の人などが、大谷の代わりにつけを払ったりしています。あるいは店の女将さんですら、かつて大谷と関係を持ったことがあると認めています。そのため、散々つけを回してでも酒を飲ませてくれていたのでしょう。

このように、大谷に関わった多くの女性が、迷惑を被りながらも、彼を救ってきました。ナイフを持ち出した大谷が殺人に至らなかったのも、盗んだ現金を返して警察沙汰にならずに済んだのも、女性たちの存在があったからです。

よって、大谷に関与した彼女たち全員が「ヴィヨンの妻」だと言えるでしょう。

もし彼女たちがいなければ、大谷は実際の「フランソワ・ヴィヨン」のように、強盗と傷害で、人の世を追放されていたかもしれません。

ちなみに、作中で「大谷とさっちゃんが籍を入れていない」と記されている部分があります。まさに、「ヴィヨンの妻」が特定の1人ではないことを裏付ける設定がここに隠れているのかもしれませんね。




「人非人でもいいじゃないの」に込められた意味

さっちゃんは、滅多に家にいない夫の帰りを待つ生活から、ひょんなきっかけで働くことになります。本人としても、社会の中で生きることに、当初は充実感を持っている様子でした。

しかし、次第に人の世の後ろ暗さにも気付き始めます。

商売で姑息な手を使う人間や、自分を犯した男の存在など、利己的な人間を嫌でも目にする羽目になったからです。

強姦の経験などは人間不信やトラウマになってもおかしくありません。しかしさっちゃんは、後ろめたいことをしなければ、人の世を生き延びることはできない」というリアリストな視点で社会を捉える強さを持っていました。

時代設定が戦後のため、かなり貧しい状況が想像されます。事実、店を経営する夫婦も闇(違法な取引)でお酒を仕入れていました。他にも、酒と言って水を売る連中もいるくらいです。誰しもが今日明日の自分の生活のために、汚い企みをしなければ生きていけない時代だったのかもしれません。

そういった時代背景を踏まえた上で、大谷という男を考察すれば、少し違った側面が見えてくると思います。

つまりは、太宰治の作品の主人公に一貫する、人間不信な男の側面です。

騙した相手が悪いのか、騙された自分が悪いのか、神の存在すら疑いたくなるような人の世で、大谷は少なからず悪びれていたのではないでしょうか。

だからこそ、さっちゃんの前で涙を流したり、「こわい!たすけてくれ!」と固く抱きついたりする一面があったのかもしれません。ましてや詩人ですから、姑息な人の世に対して折り合いを付けられずに苦しんでいたのでしょう。

さっちゃんも、「夫などはまだまだ、優しいほうだと思うようになりました。」と胸中を語っています。それくらい人の世が荒んでいることの裏付けでもあります。あるいは、非人道的な生き方に疑問すら抱かない人間の醜さを示唆しているのかもしれません。

このように、さっちゃんは人の世を知ったからこそ、大谷の人間性を相対的に捉えることができるようになりました。そして、リアリストとしての視点を持った女性に成長するに至ったのです。

そんなさっちゃんが最後に口にしたセリフ。

人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ

人の世の後ろ暗さを完全に受け入れ、俗世に汚されてしまったさっちゃんの様子が読み取れます

姑息な手を使ってでも生きていけばいいと、周囲の人間から社会での生き方を学んだのでしょう。男に犯された自分を肯定すると共に、夫の道徳に対する未練がましさを、切り捨てるようなセリフにも思われます。

さっちゃんがリアリストな女性になったのは、もちろん大谷のせいです。大谷が金を盗みさえしなければ、夫婦の店で働くことはありませんでした。店で働くことがなければ、男に犯されることもありませんでした。つまり、大谷という破滅的な夫を持ったからこそ、さっちゃんは人の世の後ろ暗さを知る羽目になったのです。

夢想家の妻ほど苦労する女性はいない、その苦労が女性をリアリストにする、そんなテーマを太宰治は物語を通して表現したのではないでしょうか。

あるいは、太宰治本人が実際に闇に引きずり込んだ女性たちに対する、罪悪感と尊敬の念が含まれているようにも思われます。

男は夢想家であるほど弱く、女はリアリストであるほど強い、対照的に描かれた男女の特徴が、読者をどちらの視点からも引き込んでしまいます。

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以上、太宰治の短編小説『ヴィヨンの妻』のあらすじと考察の説明を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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