【文豪三大クズ】石川啄木エピソード|生い立ちから死因まで紹介

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石川啄木 文豪のわだち

明治時代を代表する詩歌人・石川啄木。

26年間の短い生涯で、『あこがれ』『一握の砂』『悲しき玩具』3つの詩集を残しました。

はたらけど
はたらけどなおわが生活くらし楽にならざり
ぢつと手を見る

『一握の砂』より

この代表歌で知られる通り、生活の悲哀を詠んだ歌が多くの人々に共感され、死後に絶大な人気を博しました。

しかし私生活は破天荒で、太宰治、中原中也と合わせて「文豪三大クズ」と呼ばれることもあります。

仕事を転々とし、借金を踏み倒し、家族を置いて女遊びに耽り・・・

今回は、石川啄木の破天荒なクズエピソードを紹介していきます。

ブログ筆者
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愛すべき文豪のクズエピソードをお楽しみください!

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プロフィール

石川啄木
石川啄木(1908年10月4日撮影)
本名石川一いしかわはじめ(26歳没)
生没1886年ー1912年
  明治19年ー明治45年  
出身地岩手県盛岡市
最終学歴盛岡中学校中退
作品の主題生活苦
孤独感
貧困
代表作『一握の砂』
『悲しき玩具』
『ローマ字日記』

■参考文献

生い立ち・詩人になるまで

石川啄木は、1886年に岩手県盛岡の日戸ひのと村で生まれ、父親は曹洞宗の住職だった。

金にルーズで有名な啄木だが、それは父親譲りかもしれない。父親は寺の金を横領し、それを貸付けて利子を取ったり、寺の樹木を勝手に売ったり、檀家とのトラブルが絶えなかった。啄木が1歳の頃には、少し離れた渋民村に移住するが、そこでも寺の金を横領した噂が流れ、檀家の反感を買った。

父親の金銭トラブルは啄木が大人になっても続いた。最終的に寺から追放された父親は、家族を残して失踪した。啄木は1人で家族を養う必要を迫られ、それが貧困の原因にもなった。

一方で母親は、啄木を過保護的に溺愛した。啄木にだけご馳走を与え、イタズラ好きの啄木を一度も叱ったことがない。啄木の死後に妹が発表した回想には、兄に対する恨みつらみが込められているが、それは母親の不平等な愛情が大いに関係している。

ルーズな父親と過保護な母親。この時点で啄木の人格は危ぶまれる。実際に彼は我儘で利己的な少年に育った。トップクラスに成績が優秀だったので、周囲に優越感を誇示し、そのせいで敵が多かった。また啄木は一人だけ長髪を気取り、洒落た着物を身につけており、そういう協調性のなさも嫌われる理由だった。父親の金銭トラブルの件もあり、啄木は大人になっても村人に憎まれていた。

確かに啄木みたいな高慢ちきな奴がいたら憎みたくもなる。逆に言えば、啄木は高慢になれるほど、ずば抜けて頭が良かったわけだ。しかし中学二年生になると一気に成績が悪化する。根っからの反抗的な性格のためか、あるいは文学に目覚めて勉強に興味を失ったのか。結論から言えば、啄木は中学を中退することになる。それにはある事件が関係している。

ある時、古参教師と新任教師が衝突し、それに不満を感じた生徒がストライキを起こした。啄木は首謀者ではなかったが、反抗的な彼はストライキの興奮を楽しんだ。その後に啄木は試験で不正を働く。当初は軽い処分で済んだが、ストライキ直後だったため、生徒の素行を矯正する目的で改めて厳しい処分が審議された。最低でも落第は免れないし、退学処分の可能性は十分に考えられる。

こうした最悪の事態で、しかし啄木は学校側から追放される前に、自ら退学願を提出した。というのも、雑誌『明星』の編集長から、啄木の歌が掲載される朗報が舞い込んだのだ。

退学届を提出した三日後には、啄木は東京行きの列車の中にいた。詩歌人としての人生が本格的に始まった時、啄木はまだ16歳だった。

自分の結婚式に出席しない

上京して数年が経ち、19歳になった啄木は、同郷の堀合節子と結婚する。節子とは13歳の頃に知り合い、16歳になると結婚を考え出すが、双方の両親の反対で実現しないまま、啄木は故郷を去った。それが改めて両親の承諾を得て結婚するに至ったのだ。

啄木は花嫁や家族に相談せず、東京での結婚式を想定していたが、両家の親から故郷・盛岡で実施するよう勧められた。それに対する啄木の返事は、「自分は別の女性に好かれており、節子と結婚するには、その女性を殺さなければならない」という不可解な内容だった。実はこれは、単に盛岡へ帰る汽車賃が無かっただけのことである。

結局、啄木は友人たちが出し合った金で汽車に乗り込むが、盛岡へ向かう途中、仙台で下車して尊敬する詩人に会いにいく。悠長にそんなことをしている場合ではないが、啄木はしばらく仙台に滞在する。

別の日、妹から母親が危篤だと手紙が届き、汽車賃がない啄木は、詩人の妻から金を借り、間も無く入る原稿料で返すと約束する。しかし母親の危篤は真っ赤な嘘、妹からの手紙は啄木が偽装したもので、おまけに原稿料が入る予定も無かった。騙された詩人の妻は金を用意してくれるが、啄木はその金で盛岡に向かわず、友人たちと陽気に酒盛りをしていた。

ようやく友人に見送られ、啄木は盛岡行きの汽車に乗り込むが、今度も逃げ出して仙台に舞い戻る。汽車が盛岡に到着した時、花嫁と妹はホームで待っていたが、啄木は現れなかった。

結婚式は予定通り開催された。そこに啄木の姿はなく、新郎なしでの開催という異例の事態となった。

結婚式に参加しなかった理由を啄木は説明していないので不明だ。両親が故郷で開催するよう強要したのが気に食わなかったのか。それともいざ結婚を目前にして、自分の自由が制限されることを嫌ったのか。もしくは寺から追放された父親の分まで、自分が金を稼ぐ必要があることを恐れて、故郷に帰りたくなかったのか。いずれにしても、花嫁・節子の両親は、断じて啄木を許そうとしなかった。

借金を踏み倒しまくる

これまでのエピソードでも、啄木が知人に金を借りる場面は何度か登場した。

啄木が借金をした相手は60人以上に及び、その総額は1300円程度だ。当時の1円は、現在の約1万円に当たるので、1300万円以上の借金をしたことになる。これだけの大金を、金貸しではなく、友人に借りて踏み倒すのだから、ちょっとあり得ない。

金を借りる以上、啄木は貧困だった。というのも詩人ほど金にならない職業はない。当時、詩人の重鎮だった与謝野鉄幹ですら、普通の人ならとっくにやめている、と詩人がいかに過酷かを示唆している。実際に多くの詩人は、生活のために小説家に転向した。小説の方がまだ収入の見込みがあったのだ。

例に漏れず、啄木も家族を養うために小説を書き始める。だが詩作の才能はあっても、小説の才能はなかった。啄木の小説は生前、全く評価されず、雑誌社の目に留まることはなかった。啄木自身、消しては書き直し、書き直しては消しを繰り返し、その絶望の堂々巡りから抜け出せなかった。

小説の執筆に励む傍ら、代用教員、朝日新聞の校正、二葉亭四迷全集の校正、新聞歌壇の撰者など、様々な職に就くが、1年以上続いた試しがなく、その殆どを数ヶ月、早ければ数週間で辞めている。ある時は職場の人間と衝突し、ひ弱な啄木はボコボコにされ、その屈辱から退職願いを突きつけた。でも結局は、啄木は作家でありたい願望が強く、それ以外の居場所には馴染めず、だから様々な口実を設けて辞めていったようにも見える。

あるいは、それらの仕事は、家族を養うのに給料が不十分だった。不十分にもかかわらず、啄木の浪費癖は激しい。明日の食うものに困り、友人に金を借りに行ったその足で煙草屋に駆け込み、最高級の銘柄を買ったり。妻子への仕送りを友人に立て替えてもらい、その金で遊廓へ行ったり。啄木の遊郭通いは有名で、殆どツケで遊び、自分に気のある遊女に立替させたりもしていた。

またあるときは、友人から時計を借り、質屋に入れ、その金で酒を飲んだこともあった。やがて友人から時計を返すよう催促され、質屋から取り返す金がない啄木は、日記にこんなことを記している。

ああ、今朝ほど予の心に死という問題が直接に迫ったことがなかった。今日社に行こうか行くまいか・・・・いや、いや、それよりもまず死のうか死ぬまいか?

『ローマ字日記/石川啄木』

総じて啄木は、家賃、書店、料亭、料理屋のツケを全て踏み倒している。

これほど放蕩癖が酷い啄木に、なぜ友人たちは金を貸すのか。

とりわけ親友の金田一京助は、総額100万円を啄木に貸した。また啄木の妻・節子の妹と結婚した宮崎郁雨いくうは、啄木に変わって家族を援助した。彼らがそこまでした理由は、啄木の才能を買っていたからだ。啄木が偉大な芸術家になることを確信しており、そんな彼のパトロンを半ば望んでいたのだ。

自分が貸した金で売春宿に通われたら普通に腹が立つ。だがそれを許せるほど、啄木には芸術的魅力があったのだろう。というか、啄木が奇跡的に交友関係に恵まれていたとしか言いようがない。

それなのに啄木は、芸術家たるもの孤独を欲するという理由で、急に金田一京助との絶交を決意し、散々援助してくれた親友の悪口を日記に書きまくったりする。

予は孤独を喜ぶ人間だ。生まれながらにして個人主義の人間だ。人と共に過ごした時間は、いやしくも、戦いでない限り、予には空虚な時間のような気がする。

『ローマ字日記/石川啄木』

人に愛せらるな。人の恵みを受けるな。人と約束するな。人の許しを乞わねばならぬ事をするな。決して人に自己を語るな。常に仮面をかぶっておれ。いつ何時でも戦のできるように、いつ何時でもその人の頭を叩き得るようにしておけ。一人の人と友人になる時は、その人といつか必ず絶交することあるを忘るるな。

『ローマ字日記/石川啄木』

こんな恩知らずのクソッタレ、愛想を尽かされて当然だが、それでも友人たちが離れなかったのは(何度かいざこざはあったが)、やはり啄木が天才だったから、仮に凡人が同じことをすれば社会的に死ぬ。

ローマ字日記について

啄木が遺した文学で、詩歌集よりも評価されているのが、『ローマ字日記』である。

タイトル通りローマ字で綴られた日記で、啄木のクズっぷりが赤裸々に語られる。あまりに卑猥で最低な内容のため、よく近代文学の問題作に扱われる。啄木自身、妻に解読させない目的でローマ字を使い、死後に燃やすよう頼んでいたが、その意図に反して発表され、幸か不幸か偉大な日記文学として芸術的価値を得た。

なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか? なぜだ? 予は妻を愛してる。愛してるからこそこの日記を読ませたくないのだ

『ローマ字日記/石川啄木』

基本的には人生に対する絶望感や、生活の苦悩が大半を占めているが、中には妻への恋が醒めたことや、遊女との性行為の様子が生々しく描写されている。

予における節子(妻)の必要は単に性欲のためばかりか? 否! 否! 恋は醒めた。それは事実だ。当然な事実だ––––悲しむべき、しかしやむを得ぬ事実だ!

『ローマ字日記/石川啄木』

予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。他の女と寝てみたいと思ったこともある。現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。

『ローマ字日記/石川啄木』

『ローマ字日記』で取り沙汰されるのは、やはり遊女との性行為の描写である。生々しい内容を引用するので苦手な方は飛ばして頂きたい。

予は去年の秋から今までに、およそ十三、四回も行った、そして十人ばかりの淫売婦を買った。予の求めたのは暖かい、柔らかい、真白な身体だ。身体も心もとろけるような楽しみだ。しかしそれらの女は、やや年のいったのも、まだ十六ぐらいのほんの子供なのも、どれだって何百人、何千人の男と寝たのばかりだ。顔につやがなく、肌は冷たく荒れて、男というものには慣れきっている、なんの刺激も感じない。わずかの金をとってその陰部をちょっと男に貸すだけだ。それ以外に何の意味もない。帯を解くでもなく、「サア、」と言って、そのまま寝る。なんの恥ずかしげもなく股をひろげる。隣の部屋に人がいようといまいと少しもかまうところがない。何千人にかきまわされたその陰部には、もう筋肉の収縮作用がなくなっている、緩んでいる。ここにはただ排泄作用の行われるばかりだ。

『ローマ字日記/石川啄木』

よくトリビアで扱われるのは、啄木が「フィストファック」をしていたという説だが、その根拠となる文章も下記の通り記されている。

予は女の股に手を入れて、手荒くその陰部をかきまわした。しまいには五本の指を入れて、できるだけ強く押した。女はそれでも眼を覚まさぬ。おそらくもう陰部については何の感覚もないくらい、男に慣れてしまっているのだ。何千人の男と寝た女! 予はますますイライラしてきた。そして一層強く手を入れた。ついに手は手くびまで入った。「ウーウ、」と言って女はその時眼を覚した。そしていきなり予に抱きついた。「アーアーア、うれしい! もっと、もっとーもっと、アーアーア!」十八にしてすでに普通の刺激ではなんの面白味も感じなくなっている女! 予はその手を女の顔にぬりたくってやった。そして、両手なり足なりを入れてその陰部を裂いてやりたく思った。

『ローマ字日記/石川啄木』

明治文学では例に見ない猥褻な表現ゆえ、『ローマ字日記』の話題になると、決まってこの部分が抜粋される。しかし注目すべき点は、遊女との行為で啄木が全く喜びを感じておらず、むしろ苛立ちと憂鬱に駆られていることだ。

自分が望む文学と、それを阻む生活苦、そして小説が書けない葛藤に疲弊し、啄木は常にどこか別の場所へ行きたいと考えていた。その果てに死をほのめかしたり、病気になることを望んだりする。遊女との性行為に堕落したのは、耐え難い苦痛に対する麻酔、現実逃避という名の自虐だったのかもしれない。

とはいえ、自分は数多の女と肉体関係を持っているくせに、妻の不貞疑惑が浮上した時には激怒し、家から追い出そうとするのだから、利己的な性格は健在、根っからのクズ男である。

26歳で死去

予の求めているものは何だろう? 名? でもない、事業? でもない、恋? でもない、知識? でもない。そんなら金? 金もそうだ。しかしそれは目的ではなくて手段だ。予の心の底から求めているものは、安心だ、きっとそうだ!

『ローマ字日記/石川啄木』

詩人で生計を立てるのは難しく、小説は思うように書けない。晩年の啄木は朝日新聞の校正係に勤めていたが、頻繁に仕事を休んでは小説の執筆に励んでいた。その時の苦悩をこう記している。

今日も(会社を)休む。今日は一日ペンを握っていた。『鎖門一日』を書いてやめ、『追想』を書いてやめ、『面白い男?』を書いてやめ、『少年時代の追想』を書いてやめた。遂に予はペンを投げ出した。そして早く寝た。眠れなかったのは無論である。

『ローマ字日記/石川啄木』

啄木が求めた安心とは、小説を書けない不安からの脱却であったが、書けない以上、彼の不安はますます深い所へ沈んでいく。

ある晩、どうすればいいのか、急に眼の前が真っ暗になった。社に出たところで仕様がなく、社を休んでいたところでどうもならぬ。(中略)剃刀で胸を傷つけ、それを口実に社を1ヶ月も休んで、そして自分の一切をよく考えようと思った。そして左の乳の下を切ろうと思ったが、痛くて切れぬ。微かな傷が二つか三つか付いた。(中略)頭は重かった。明かりを消しさえすれば眼の前に恐ろしいものがいるような気がした。

『ローマ字日記/石川啄木』

いよいよ精神的におかしくなり出している。

だがこうした個人的な不安は、やがて政治思想のベクトルへ昇華される。そのきっかけは、社会主義・無政府主義者が、明治天皇の暗殺を計画した「大逆事件」だ。これはのちに、帝国主義を推し進める政府が、社会主義を根絶するために捏造した事件だと判明する。いずれにしてもこの事件は、啄木に社会主義への関心を強めさせる。政治評論を発表し、革命を呼びかける詩まで発表する。

この時期に社会主義に目覚めた者は大勢いたはずだ。というのも、十年後にはプロレタリア文学が大流行する。仮に啄木が生きていれば、そっち方面に傾倒した可能性があるが、しかし彼には僅かな時間しか残されていなかった。

間も無くして啄木は、慢性腹膜炎で入院することになる。かつて『ローマ字日記』では病気になることを望んでいたが、いざ病気になれば神経質な様子だった。というのもこの時期には妻と母親も病になり、また妻の不貞疑惑が浮上して夫婦関係は最悪だった。

退院後も微熱が続き、薬を買う金もない啄木には、もはや政治的な関心は慰めにならない。当時の苛立ちは日記に記されている。

三十八度の上にのぼる熱は、今日も同様だった。今日はとうとうまいってしまった。夕方に子供が少し無理を言い出した時には、元日だから叱らずに置こうかと自分で思ったのが癪に触って、かえってしたたか頰っぺたを殴って泣かせてやった。

『石川啄木全集・第六巻』

啄木に追い討ちをかけたのは母親の死だった。過保護的な愛情を与えた母親は、啄木にとって最愛の存在だった。その母親の死は啄木に衝撃を与え、病気を悪化させ、なんと母親が死んだ1ヶ月後に啄木は息を引き取った。死因は肺結核だった。

啄木の作品は生前は殆ど評価されず、また多くの作品が死後に発表された。改めて注目されるようになったのは、死後三十年以上が経った太平洋戦争後のことである。敗戦後の虚脱した日本人にとって、啄木のクズで、破廉恥で、反抗的で、だがひたすら自由を追求する姿勢が、何か特別な魅力に映ったのかもしれない。

その魅力が何たるかは、ぜひ彼の作品を手に取って確かめていただきたい。

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石川啄木の優れた詩集は無論、彼のクズっぷりが赤裸々に綴られる『ローマ字日記』も読んでみたいという人も多いでしょう。

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