明治時代の文豪・田山花袋。
自らの性欲の葛藤を赤裸々に描き、自然主義文学の先駆者、私小説の走りと言われました。
本記事では、そんな田山花袋の変態的なエピソードを紹介します。
あまり知られていない田山花袋の生涯を徹底機に解説します!
田山花袋のプロフィール
ペンネーム | 田山花袋(58歳没) |
生没 | 1872年ー1930年 (明治5年ー昭和5年) |
出身地 | 群馬県館林市 |
主題 | 自然主義文学 私小説 性欲の葛藤 |
代表作 | 『蒲団』 『少女病』 『田舎教師』 『一兵卒の銃殺』 |
■参考文献
独自の自然主義文学を生み出した
「自然主義」とは、19世紀のフランスを中心に起こった文学運動を指します。
ロマン主義のような美化を払拭し、人間の行動を科学的・客観的に捉えて、「真実」を描こうとする作風が特徴です。
明治時代の文豪は西欧の文化に敏感でしたから、自然主義の潮流は日本にもやって来ます。
一方で当時の田山花袋は、尾崎紅葉に師事していたものの、なかなか作家として芽が出ず、不遇の時代を送っていました。
同世代で交流があった島崎藤村はいち早く自然派を取り入れた『破壊』で有名になります。国木田独歩もロマン主義から自然派に転向して見事世に受け入れられます。
私は一人取残されたやうな気がした。
東京の三十年/田山花袋』
同世代の作家が成功を収める中、田山花袋は自分だけが取り残された心情を吐露しています。
ライバルたちの成功に闘争心を燃やした田山花袋は、彼らと同様に自然主義文学に根差した作風で文壇の評価を得ようと考えました。
その結果、田山花袋は「ありのままをありのまま書くのが自然主義文学」という独自の解釈によって、自身の性欲の葛藤を露骨に描き、文壇に衝撃を与えます。良くも悪くも彼の包み隠しない作品は注目を集めました。
田山花袋による自然主義文学の独自解釈には賛否両論ありました。諸説ありますが、彼の実践した暴露的な作風が、私小説の始まりとも言われています。それと同時に、日本文学が滅びに向かったと揶揄する声もあったようです。
実際には性欲の葛藤を暴露する作風は文壇に衝撃を与えたものの、一般市民にはそれほど受け入れられなかったようです。
電車内での少女観察が趣味!?
島崎藤村や国木田独歩の活躍に闘志を燃やし、田山花袋が最初に完成させた自然主義文学は『少女病』という作品でした。
その内容は衝撃的です。
妻子持ちの落ちぶれた中年作家が、電車内で少女を観察することに楽しみを見出している、という田山花袋のロリータ趣味が包み隠しなく語られる作品です、
結婚生活に飽き飽きし、作家業は落ち目で、代わりにやりたくもない編集者の校正をする退屈な毎日に主人公は辟易しています。もともと主人公は少女小説を執筆しており、中年になっても少女についての文章を書いていることを周囲に嘲笑されています。若い頃に自慰行為をし過ぎておかしくなった、とかなり酷い噂まで立てられる始末です。
惨めな主人公にとって、行き帰りの電車の中で少女観察をしている時間だけが、あらゆる物事から解放される至福の時間でした。度が過ぎてストーカーに発展することもありましたし、少女が自分を無視するのは照れているからだ、とかなり痛い勘違いもしています。
実際にロリコンだった田山花袋の性癖が赤裸々に語られる変態的な作品ですが、思いも寄らぬ衝撃的な結末が待っていますので、気になる人は是非読んでみてください。
女弟子の夜着をこっそり嗅いだ!?
田山花袋の代名詞的な作品と言えば、もちろん『蒲団』です。
おそらく現代文の授業ではなく、日本史の文化の範囲で取り上げられたのではないでしょうか。「硬い蒲団」なんて語呂合わせで暗記した人も多いと思います。
ところが、物語の内容を詳細に授業で取り上げることはありません。そのため、おっさんが女の使っていた夜着と蒲団の匂いを嗅いだ、という漠然とした認識をされていることでしょう。
結論から申し上げますと、女の夜着と蒲団の匂いを嗅いだのは事実ですし、おまけに田山花袋の実体験を基に創作さています。
物語はほぼ実話で、田山花袋の熱烈なファンだった少女との間に生じた性欲の葛藤が私小説的に描かれているのです。
ただし、夜着と蒲団に顔を埋めて匂いを嗅ぐまでの経緯を知れば、単に変態的な暴露だけではないと納得していただけると思います。
『少女病』と同様に、主人公は結婚生活に飽き飽きした中年の作家です。若い頃に女性経験が乏しかったため、中年になってから少女に対する愛欲が押し寄せ、されど妻子持ちの身では2度と少女と楽しいことが出来ないのだと絶望さえしています。
そんな時に、ファンである若い娘を作家の弟子として受け入れることになります。それからは主人公の性欲的葛藤の嵐です。娘の思わせぶりな態度に悶々とする毎日です。
そのうちに娘には恋人が出来てしまいます。師匠という立場であるために、弟子の恋愛の監督者として冷静を保ちながらも、内心では悶え苦しんでいます。社会的な立場を優先するか、自分の欲望を優先するか、そういった葛藤の末に主人公がとった行動とは・・・。
結末を知れば、匂いを嗅いだという事実に哀愁が感じられると思います。
ちなみに、本作は単なる性欲の葛藤だけを描いた浅薄な小説ではありません。
明治時代と大正時代の女性像の変化、という時代背景も重要な主題ですので、読んでみれば文学的な内容の深さに圧倒されるでしょう。
文士を目指す青年の物語で大成功
田山花袋と言えば『蒲団』ばかりの印象ですが、それと同じくらいか、むしろそれ以上に文壇の地位を確立させた長編大傑作があります。『田舎教師』という小説です。
日露戦争から帰った田山花袋は,故郷で新しく建てられた墓標を見つけます。結核で死んだ青年の墓でした。そこから田山花袋は着想を得ます。貧困と病気と孤独と挫折を抱えた青年の生涯に悲哀を感じ、残された日記を元に、『田舎教師』を書き上げたのです。
『少女病』『蒲団』の露骨な描写のせいで、「自然主義は自分の性欲を赤裸々に語るもの」という印象が染み付いているかもしれません。
実際は、現実を超越しない作風を指します。そういう意味では、青年の日記に忠実に創作された『田舎教師』は純粋な自然主義文学かもしれません。
事実、本作によって田山花袋は、島崎藤村と並んで日本の自然主義文学の主要人物として文壇での成功を収めます。
事実を超越しない故に、大衆がよだれを垂らして喜ぶ、分かり易い物語の起伏がありません。ロードムービーが好きなタイプの人におすすめの作品かもしれません。
反自然主義派の存在
島崎藤村と田山花袋の評価は凄まじく、その潮流に続く作家も現れ、自然主義文学はいち時代における隆盛を極めます。
しかし、ひとつのジャンルが力を持てば、当然反対派の波も押し寄せます。
反自然主義の流派としては、高踏派(余裕派)、耽美派、白樺派などが挙げられます。
日本史で見覚えがあるかもしれませんが、おそらくピンと来ないでしょう。そのため代表的な作家を例に出します。
- 夏目漱石
- 森鴎外
- 二葉亭四迷
とんでもない面子です・・・。
現代の我々からすれば、夏目漱石と森鴎外を出された時点で、もう何も反論できません。
実際的に自然主義文学が衰退したのは大正期なので、明治は自然派と反自然派がひしめき合った時代と言えるでしょう。
厄介なのが森鴎外です。彼はおもむろに自然主義文学を批判するような作品を残しています。
例えば『ヰタ・セクスアリス』という、自身の性欲の歴史を暴露する、自然主義文学のような作品を執筆していますが、冒頭にはこのような文章が綴られています。
金井君は自然派の小説を読む度に、その作中の人物が、行住坐臥造次顚沛、何に就けても性欲的写象を伴うのを見て、そして批評が、それを人生を写し得たものとして認めているのを見て、人生は果してそんなものであろうかと思う
『ヰタ・セクスアリス/森鴎外』
完全に自然主義の露骨な性欲の描写に対して、挑発的に宣戦布告をしているのが判ります。いちいち喧嘩腰な作品を創作するあたり、さすが森鴎外です。
短編『追儺』では、反自然派的な表明が冒頭でなされ、「こういうものをこういう風に書くべきである」という考えを、「囚われた思想」と非難します。
つまり、自然派こそ正とする潮流に異議を申し立てていたのでしょう。ひいては流行に対する非難でもあります。
こういった明治期の論争のうちに、芥川龍之介が登場して、大正期の個人主義的な文学の流れが誕生するわけです。それと共に自然主義文学は主流から外れてしまいます。
しかし、自然主義の衰退後も田山花袋は、脱走兵の破滅的な心情を描いた『一兵卒の銃殺』など、評価の高い作品を精力的に残しています。
あるいは自己を赤裸々に語る私小説なるジャンルは日本で根強く人気があります。芥川龍之介も後期の作品は私小説に傾倒しています。太宰治もいくらか私小説の傾向があります。近年であれば、西村賢太は『苦役列車』という私小説で芥川賞を受賞しています。
田山花袋による間違った解釈であったにしろ、自己の内面を赤裸々に語る私小説的要素は、現代の日本文学に欠かせないのです。
そういう意味では、田山花袋の破廉恥で変態的な功績は、のちの日本文学に大きな影響を与えたと言えるでしょう。
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