芥川龍之介の死因エピソード|自殺理由ぼんやりした不安とは?

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芥川-(4) 文豪のわだち

大正時代を代表する文豪スター芥川龍之介。

『羅生門』『鼻』『蜘蛛の糸』など優れた短編を続々と発表し、一躍時代の寵児になった彼の作品は、現在でも教科書に掲載され多くの人々に読み継がれている。

そんな芥川の生涯は苦悩に満ち、「ぼんやりした不安」という言葉を残して、37歳の若さで睡眠薬自殺を図りこの世を去った。

ぼんやりした不安・・・・

あまりに有名な言葉であるが、その言葉には一体どんな苦悩が秘められているのか?

本記事では、芥川の自殺原因を徹底的に解説していく。

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芥川龍之介のプロフィール

ペンネーム  芥川龍之介(37歳没)  
生没1892年ー1927年
出身地東京都北区
死因睡眠薬自殺
作品の主題人間の利己主義
代表作『羅生門』
『鼻』
『河童』
『地獄変』
『蜘蛛の糸』

■参考文献

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ぼんやりした不安とは

「ぼんやりした不安」

芥川が自殺前に残した有名な言葉である。

これは大学時代の同級生で共に文芸に励んだ久米正雄に宛てた遺書『或旧友へ送る手記』の中に記されていた。

周辺の文章を含めて引用すればこの言葉の真意が見えてくる。

君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。(中略)少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。

『或旧友へ送る手記/芥川龍之介』

これは自殺の告白であると同時に、大衆に対する最期の風刺に見えなくもない。

大衆は自殺のニュースを耳にすると、生活難や病苦や精神苦など勝手な理由づけをしたがるものだ。それは不可解な事象に無理やり理由づけをして安心したがる人間の習性でもある。そして現代社会であれば、自殺へ追いやった悪者を探してSNSで攻撃するのが相場だ。

しかし芥川は自殺について明確な理由はないと告白した。あらゆる苦悩が堆積した結果、ぼんやりした不安によって自ら命を絶ったのだ。

1927年7月24日、雨の降りしきる中、37歳の芥川は自室で睡眠薬自殺を図った。

時代の寵児ちょうじだった若き文学スターの自殺は世間を騒がせた。多くの信者が後追い自殺をし、当時学生で熱心な読者だった太宰治もショックでしばらく引きこもっていたようだ。

しかし芥川の自殺は唐突ではなかった。何年も前から作品の中で自殺をほのめかしていた。

『或旧友へ送る手記』では、「この二年ばかりの間は死ぬことばかり考えつづけた」と記されているが、自殺の四年前に発表した『侏儒の言葉』では既に陰りが見え出している。

人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。我々は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。こううゲエムの莫迦々々ばかばかしさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外らちがいに歩み去るが好い。自殺もまた確かに一便法である。

『侏儒の言葉/芥川龍之介』

人生という馬鹿げたゲームから逃れる手段として自殺をほのめかしているのだ。

実はこの文章には続きがあり、「人生の競技場に踏み止まりたいなら闘わねばならぬ」と、かろうじて生きようとする意志が垣間見える。

だがその意志は間も無く粉砕する。約1年後に執筆された『侏儒の言葉』の別の章ではこん文章が記される。

自殺しないものはしないのではない。自殺することが出来ないのである。死にたければいつでも死ねるからね。ではためしにやって見給え。

『侏儒の言葉/芥川龍之介』

まるで自殺の決心を固めるために自分を鼓舞している風に見える。

そしていよいよ自殺の決心がつくと、『河童』『歯車』『或阿呆の一生』など、私小説風の作品の中で露骨に苦悩を吐露するようになる。

それらの作品を読めば、自殺前の芥川が一体何に苦しんでいたのかを知ることができる。次章から詳しく解説していく。

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狂人の娘との不倫関係

文豪と切っても切り離せないのが、女である。太宰治も石川啄木も、そのほか多くの文豪が色欲に狂い、時に身を滅ぼした。

例に漏れず芥川も愛人を作り、それが結果的に彼を苦しめることになった。

芥川は妻に宛てた遺書の中で、堂々と不倫について打ち明けている。

大事件だったのは僕が二十九歳の時に秀夫人と罪を犯したことである。僕は罪を犯したことに良心の呵責は感じていない。唯相手を選ばなかった為に(秀夫人の利己主義や動物的本能は実に甚しいものである。)僕の生存に不利を生じたことを少からず後悔している。

『遺書/芥川龍之介』

ここに記される秀夫人とは秀しげ子のことで、『或阿呆の一生』の中で度々「狂人の娘」という呼称で登場する不倫相手のことだ。

しげ子は芥川より二つ歳上の既婚女性である。芥川も妻子持ちなので既婚者同士のダブル不倫ということになる。二人が出会った経緯は明らかではないが、しげ子が執拗に芥川を付け回していたことは有名だ。

しげ子の言動は狂気的である。不貞関係の身で堂々と芥川の家に現れ、ある時は子供を連れて来て「あなたの子供だ」と脅迫した。芥川の言うように彼女は動物本能で行動し、なんとしてでも芥川を自分のものにしようとマーキングしまくっていたのだろう。

しかし当時は姦通罪なるものが存在し、不倫は法律で裁かれた。北原白秋が姦通罪で告訴され世間にバッシングされたこともあり、芥川はしげ子の脅迫にノイローゼ気味だった。

海外視察員として中国に渡ったのを機に、しげ子とは完全に手を切ったと言われているが、愛人の脅迫と慣れない海外生活のせいで芥川は胃腸障害・神経衰弱・不眠症を患い、心身ともに衰えていく。そしてこの頃から私小説風の作品が増え、それが晩年の苦悩を吐露した作品群へと繋がっていく。

『河童』という作品では、女性主体の恋愛が一般的な河童の世界の物語が描かれる。メスに追いかけ回されたオスはボロボロになり、そこを狙って無理やり捕まえて結婚するのだ。これは間違いなく、しげ子にストーキングされて心身ともに病んだ芥川の体験が元になっている。

しげ子との不倫はそれほど芥川にトラウマを与えたのだろう。実際に妻に宛てた遺書には、三十歳以後に新たに愛人を作ったことはなく、それは道徳的な理由ではなく、愛人を作ることの利害を考えた結果だと記されている。

こんな遺書を読まされた妻は堪ったもんじゃないだろうが、芥川にとっては死の階段を一歩上るほどに苦しい体験だったのだろう。

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長編小説が書けない苦悩

芥川の業績を記念して設立された芥川賞は、中編または短編に送られる文学賞だ。それは芥川が生涯、短編のみを発表したことに由来する。

芥川は長編を1作も書かなかった。いや、正確には書けなかったのだ。

大学時代に『鼻』を夏目漱石に絶賛され、一躍時代の寵児となった芥川は、その後も『芋粥』『蜘蛛の糸』『地獄変』など、優れた短編を世に放つ。だが更なる高みにのぼるには長編の執筆が不可欠だ。彼が敬愛した夏目漱石も、志賀直哉も、傑作と呼ばれる長編を残している。

実際に芥川は『偸盗』という、彼には稀な100ページ近い作品を書いたことがある。だが芥川はこれを自ら駄作と評し、生前は作品集に収録することを許さなかった。

他にも『地獄変』の続編として、『邪宗門』という作品を執筆したが、こちらは展開に行き詰まり未完のまま中断された。

長編の執筆が失敗する理由を芥川は、登場人物の性格が支離滅裂になる、と言及した。数ページの短編であれば登場人物に一貫性を持たすことができる。しかし何百ページにも及ぶ長編となれば、その中で様々な展開が起こり、設定の辻褄が合わなくなったりする。神経質な芥川にはそれが許せなかったのだろう。

だったら得意な短編だけを極めるという選択は許されなかったのか?

実は芥川が長編の執筆に焦っていたのには2つの理由がある。

1つはプロレタリア文学の台頭だ。大正時代の終わり頃から、労働者の厳しい現実を描いたプロレタリア文学が流行し、一時は芥川を凌ぐ人気を博した。そして彼ら社会主義思想を持つ知識人は、既存の貴族趣味な文学を批判し、その中には芥川も含まれていた。

芥川は決して上流階級出身のおぼっちゃんではないが、しかし彼が気に病んだのは、最先端だった自分の作品が時代に取り残されるという危惧だった。かつて新しかった芸術も、次の時代には無価値なものに風化してしまう。時代を超えて評価される芸術を残せるのは限られた天才だけだ。その限られた天才になるには優れた長編小説を書く必要がある。そう考えて芥川は苦に病んでいたのだろう。

時代に取り残された場合、過酷なのが経済的な問題だ。実際に芥川は生活に困窮していた。短編の原稿料は微々たるものだし、稼ぐには長編でヒットを飛ばす必要がある。そもそも専業作家で稼げる者など指折りで数えられるほどだろう。多くの文豪は、生家が裕福か、あるいは作家以外に別の仕事をしていた。芥川も文学部の講師として働いていた。

とわいえ芥川ほどの人気作家なら、妻子を養うくらいは稼いでいただろう。しかし彼には養うべき家族が多かった。そのプレッシャーで芥川は心身ともに疲弊していく。詳しくは次章にて解説する。

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義兄の自殺による扶養義務

芥川は妻と幼い子供三人に加え、義父母と伯母を筆だけで養っていた。現在のように妻が働きに出るなんてあり得ない時代だし、芥川が稼がなければ彼らを餓死させてしまう。そのプレッシャーは途轍もないものだっただろう。

そこへ追い討ちをかけるように姉の夫である義兄が自殺する。

弁護士だった義兄は、偽証事件で有罪になり執行猶予中の身だった。そんな中、姉夫婦の家が火事になる。多額の火災保険をかけた直後の火事だったこと、そして執行猶予中という社会的信用を欠いた時期の火事だったため、保険金目当ての放火を疑われる。その結果、義兄は列車に飛び込んで自殺した。この事件は晩年の最高傑作『歯車』の中に記されている。

残された遺族は多額の賠償金を背負うことになった。そして夫に死なれた姉とその子供を養える男手は芥川しかいなかった。今でも生活はギリギリなのに、これ以上、扶養人数が増えるのはあまりに酷だ。

なぜ自分が義兄の賠償金まで背負わねばならないのか。その憤慨は『河童』で次のように描かれている。

ある母親の河童が万年筆を盗んだ罪で警官から取り調べを受ける。母親は子供のために盗んだのだと自白する。そしてその子供は既に亡くなっていた。する警官はその母親を無罪にする。子供のために犯した罪は、子供が死んだ時点で無効になるのだ。

この物語は、死者の罪を遺族が償う必要がある人間社会への風刺、つまり義兄の賠償金を自分が背負うことへの憤慨を訴えているのだ。

だが小説の中でいくら憤慨しようと、稼がなければいけない現実は変わらない。そのプレッシャーで芥川はいよいよ衰弱していき、睡眠薬を飲まなければ眠れなくなる。そして睡眠薬の副作用で思考が上手く回らなくなり、小説すらまともに書けない状態に陥る。

この時点で既に、芥川の自殺は目の前まで迫っていた。

気が狂った母親の存在

芥川を生涯苦しめた問題には、母親があった。

物心つく前から彼の母親は精神に異常をきたしていた。彼は狂った母親を身近で見ながら少年時代を過ごした。そして芥川が11歳の頃に母親は亡くなっている。

精神異常の理由は定かではないが、長女が7歳で死んだこと、自分の妹と夫が不倫関係にあったこと、その不貞で子供ができたこと、などが原因に挙げられることがある。

母親の死後、芥川は母方の叔父の養子として育てられる。だが前述した不倫問題が原因で、父方の親族と母方の親族はいがみ合っていた。その弊害は芥川にもあった。学生時代に恋した女性の家は、父方の一家と仲が良かったため、母方の親族に反対され、恋は実らなかった。

歴史上、破滅的な作家は家庭に問題を抱えていることが多い。しかし精神異常の母親を持つ芥川のトラウマは想像を絶するものだった。

芥川は常に、自分も母のように気が狂ってしまうのではないか、という強迫観念を抱えて生きていた。当時は優生学が信仰され、精神病は遺伝するというのが社会通念だったのだ。

なぜ母は狂ってしまったのか。その問題が生涯芥川の人生につきまとい、彼はまるで自己暗示をかけるかのように、自分も気が狂うと思い続けていた。

追い討ちをかけるように、友人作家の宇野浩二が発狂した。この事件は、偏執的な自己暗示にかかった芥川にとっては、他人事ではなかったはずだ。自分もこうなるのだ、という強迫観念はますます強まったと考えられる。

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キリストにさえ救われなかった

最後に芥川が救いを求めたのは神だった。

自殺の直前に書いた『西方の人』『続・西方の人』では、ひたすらキリスト教に対する批評が綴られる。しかし周辺の作品を見れば、彼が神にすら救いを見出せなかったことが分かる。

彼は神を力にした中世紀の人々に羨しさを感じた。しかし神を信じることは––––神の愛を信じることは到底彼には出来なかった。

『或阿呆の一生/芥川龍之介』

また『歯車』という作品では、芥川が神父に会いに行く場面が綴られるが、そこでの会話が象徴的だ。

神父「なぜ神を信じないのです? し影を信じるならば、光も信じずにはいられないでしょう?」

芥川「光のないやみもあるでしょう」

『歯車/芥川龍之介』

光のない闇・・・

光のあるところには影があり、また影があるとこにも光がある。どんなに苦しい境遇にも一縷の望みというものはあるものだ。

そんな気休めは芥川には信用できなかった。彼は光のない完璧な暗闇の中にいたのだ。

芥川は決してキリスト教を疑っていたわけではなく、むしろ信じたかったのだ。実際に睡眠薬自殺を図った彼の死体の横には、聖書が置かれていた。

彼は、救われたい救われたい、と願いながら、万人を救うはずのキリストにすら救われなかったのである。

辞世の句について

水洟みずばなや 鼻の先だけ 暮れ残る

『辞世の句/芥川龍之介』

これは芥川が残した辞世の句である。

体調が悪く、鼻水をかみすぎて赤くなった鼻の赤さが、闇夜にポツンんと残っている、という哀愁を感じさせる。

しかし、この句に登場する「鼻」とは、彼の出世作『鼻』と無関係ではないだろう。

自殺によってこの世を去るにあたって、かつて夏目漱石に絶賛された『鼻』の栄光、そういう情けないプライドだけが最後まで残っている、そんな自分の愚かさを表現した歌だったのかも知れない。

そして彼は、1927年7月24日、雨の降りしきる中、睡眠薬自殺でこの世を去った。

ここに記したのは、読者が知ることのできる芥川の苦悩のほんの一部である。我々の知り得ない苦悩がたくさんあって、それは本人にさえ知り得なかったのだ。

だから彼は自殺前に「ぼんやりした不安」という曖昧な言葉を残したのだ。

以上が若き文学スターの悲劇である。

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