筒井康隆の『最後の喫煙者』あらすじ考察 無思想という名の主義者が最も危険

last_Smoker 散文のわだち
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筒井康隆の小説『最後の喫煙者』をご存知ですか?

1987年に発表された短編SF小説です。

星新一と並び、社会風刺をSFコメディチックに描く名手として有名な作家、筒井康隆の代表作品です。

時をかける少女」という大ヒット映画の原作者として彼を認識する方も多いと思います。あるいは、少しお気取りになられた方は「パプリカ」という映画の方が印象深いかもしれませんね。これらの大衆作品を生み出す一方で、実験的な文体や設定に挑んだ、前衛作家としての側面もあります。

本作は世の嫌煙ムードが激化し、無思想な人間がメディアにコントロールされる滑稽な近未来を描いた小説です。喫煙に限らず、「健康ファシズム」と題して描かれる人の世の凶暴さ、そのあたりに注目して考察していきます。

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『最後の喫煙者』の作品概要

作者筒井康隆
発表時期1987年(昭和62年)
ジャンル短編小説、SF小説
テーマ社会風刺、健康ファシズム

『最後の喫煙者』の300文字あらすじ

世は健康ファシズムの時代。喫煙者にとっては肩身の狭い風潮です。

主人公は喫煙者ですが、小説家という職業柄、ほとんど外出しないため、世の嫌煙ムードとは無縁でした。

しかし、次第に嫌煙の運動は激化します。KEK団という喫煙者を排斥する思想結社が誕生し、国家ぐるみで喫煙者の弾圧を実行します。主人公の家にも火の手が上がります。

遂に地上で最後の喫煙者になった主人公は、国会議事堂の頂上まで追い詰められます。

ところが突然、喫煙者弾圧の盛り上がりが鎮まります。最後の喫煙者を守る「喫煙者保護団体」が発足したのです。主人公は「新たないじめが始まった」と嘆くのでした。

『最後の喫煙者』のあらすじを詳しく

①国会議事堂の頂で喫煙

主人公は国会議事堂の頂に座り込んでいます。

自衛隊の催涙弾攻撃に悩まされながらも、彼は煙草を吸い続けています。

地上にはテレビカメラがあり、現在の様子は全国に放送されています。主人公が殺されるのは時間の問題です。それでも残り3箱の煙草を吸い終わるまで、彼は死んでも死に切れないのでした。

一体何があったのでしょうか。

②禁煙運動の激化

15年ほど前から世間では禁煙運動が始まり、徐々に喫煙者への弾圧は厳しくなりました。

新聞や雑誌では、文化人がこぞって禁煙運動に対する肯定論・否定論を掲げるようになり、世間の論争は激しくなりました。それに伴い、禁煙運動はますます昂っていったのです。

主人公の小説家は喫煙者ですが、職業柄外出することが滅多にありません。そのため、世の嫌煙ムードとはほとんど無縁でした。流行作家として作品を量産するには煙草の消費が必要不可欠です。そのため彼は断固として喫煙を続けています。

一方、サラリーマンの場合は、喫煙者だと昇進不可能という暗黙のルールが確立されています。おかげで、必然的に世の喫煙者の割合は減少傾向にあります。

あるいは、煙草広告の全面禁止、喫煙者の公園への立ち入り禁止、外国煙草の輸入禁止など、喫煙者の弾圧は大っぴらになって来ています。




③主人公に対する非難の声

ある日、雑誌の編集者が仕事の依頼で、主人公の家にやって来ました。

編集者が差し出した名刺には「わたしはタバコの煙を好みません」と意思表明が記されています。今ではこのように名刺に嫌煙の意思を示す人も珍しくはありません。しかし、小説家が喫煙者であることを知りながら、ましてや仕事を頼む立場で嫌煙を表明されては、流石に失礼です。そのため、彼は編集者の仕事を断りました。

運悪く、その編集者は嫌煙権運動のリーダー格でした。彼女は仕事を断られた腹いせに、自誌他誌問わず小説家の悪口、ひいては喫煙者全般に対する悪口を書き散らします。

・・・すべての職場より喫煙者を追放すべし。いわくこの作家の小説を読むと喫煙者と化すおそれがあるから読んではならない。いわくすべての喫煙者は馬鹿である。いわくすべての喫煙者は気ちがいである。

『最後の喫煙者/筒井康隆』

流石に腹が立った主人公は、毎号担当しているコラムに反論を執筆します。

健康に気をつかうかわり、健康を犠牲にしてまで物事を考えようとしなくなり、つまり馬鹿になってしまった。馬鹿のままでそんなに長生きしてどうするというのか。アホの老人の大群が少数の若者の厄介になり百歳までゲートボールを続ける気なのであろうか。

『最後の喫煙者/筒井康隆』

主人公のコラムは反論の嵐を巻き起こしました。それどころか、嫌がらせの電話や手紙が絶えなくなります。

④喫煙者差別

喫煙者差別はいよいよ魔女狩りのレベルになりました。

例えば、ヒステリックな主婦と警察官が協力して、町内のヘビースモーカーの老人を惨殺する事件が発生しました。

あるいは、KEK団という思想結社が誕生し、煙草会社や煙草家に火が放たれることも日常茶飯事です。

もはや自衛隊・警察にとどまらず、WHOすら後ろ盾にして、KEK団は喫煙者の弾圧に臨んでいるのでした。

それでも主人公は喫煙を続けます。

喫煙を続ける有名人として、主人公の名前は度々メディアで取り上げられます。そのため、主人公の家も不審火が発生したり、石が投げ込まれたり、嫌煙家たちの標的になりました。

世間に味方のいない主人公は、自分で自分の身を守るしかありません。家の周囲に鉄条網を張り巡らし、電流を流しています。あるいは改造銃と日本刀を常備しています。まるで物騒な世の中です。

⑤最後の喫煙者の末路

ついに自宅を襲撃された主人公は、車で東京に向かいます。六本木のとあるマンションの地下に、各地から逃れて来た喫煙者たちが集う隠れ家があるようなのです。

隠れ家に身を潜める喫煙者たちは、手を合わせて必死に世間の弾圧と戦いました。しかし、結局同志たちは皆弾圧に破れます。遂に最後の喫煙者となった主人公は、国会議事堂の頂に追い詰められました。

地上では、群衆たちが「あとひとり」コールを響かせています。

このままだとどうせ死ぬのだから、最後まで粘るつもりで主人公は公然と煙草を吸い続けています。

しかし、突然地上が静まりかえります。先程までの弾圧の盛り上がりは、まるで抜け殻になったようです。

次の瞬間、誰かが演説をしている声が聞こえます。

最後の喫煙者となった主人公は天然記念物として保護する必要があると、喫煙者保護協会が緊急発足したのです。

主人公は震え上がりました。新たな「いじめ」が始まろうとしていたからです。

保護され、見世物にされ、採取され、身体中をいじり回された挙句、死ねば剥製にされる運命を想像して、恐ろしくなります。

主人公はそんな惨めな死に方をするくらいならと、自ら地上に飛び降りようとします。しかし、既に遅かったようです。網を広げたヘリコプターが上空から迫っていました。

そして物語は幕を閉じます。




『最後の喫煙者』の個人的考察

ジャーナリズムや主義者の批判

メディアや民衆の滑稽さが、ブラックユーモアを交えて描かれていました。

喫煙を主題に物語が展開するため、設定が極端過ぎると思ったかもしれません。しかし、実際問題は喫煙に限らず、「ジャーナリズムや主義者は私利私慾に塗れた事業」という世の仕組みを皮肉っていたのだと思います。

例えば、主人公が嫌煙家の編集者から依頼された仕事を断る場面がありました。途端に彼女は、様々な雑誌に主人公の誹謗中傷を掲載します。それが主人公個人に対する非難だけであったなら、幾分か正当な気もします。

ところが編集者は、主人公のみならず喫煙者全般を非難します。

主人公に仕事を断られた出来事が、あたかも喫煙者全員が頑固であり、喫煙者と仕事をすることは困難であるように記されます。さらに感情的になり、「喫煙者は気ちがいである」という全く根拠のない主張にまで至ります。

世のジャーナリズムや、主義者と呼ばれる人たちが極端な主張をする場合、そこには私情が含まれており、全く根拠がないということを訴えていたのでしょう。

あるいは、人間はよく知らない物事については極端な意見を持ちたがるものです。

無知で非論理である故に、彼らの主張はほとんど感情的で、マウントを取ることが目的になっています。自分の意見が絶対的だと信じ込んでいるため、少しでも反論されると自分自身を否定された気分になって、中身のない論争が激化してしまうわけです。

彼らは決して物事を良くする目的で行動していない、私利私慾に塗れた人間だと、筒井は風刺しているのでしょう。

民衆の正義感の滑稽さ

嫌煙権運動の激化により、主人公は暴力的に弾圧されていました。しかし、最後には「喫煙者保護協会」が緊急発足し、途端に世論はこれまでとは真逆の風潮に一変します。主人公はこれを「新たないじめ」と表現していました。

アホな民衆に対する最大限の皮肉でしょう。いわゆる、民衆とは無思想の主義者であるということです。彼らには自らの主張が無いため、世の風潮通りになびいて行動します。

ある時は、「喫煙は悪」というメディアや国家が生み出した概念を完全に信じ込み、自分が迷惑を被ったわけでも無いのに、彼らは漠然とした正義感を露呈し始めます。

時には無思想の正義感が度を超して、民衆が極端な行動に走る事件だって何度もありました。つまり、正義という建前が私刑や集団殺人という結果を招くことも不思議では無いのです。

不義を厭わない義が、論理や道徳を超えてしまうのは、歴史の常であります。戦争などはその最もたる例です。無思想の民衆とは、こういった危険な企みに加担してしまう、一番危険な存在だということです。

だから「喫煙者を保護するべき」という風潮が主流になれば、かつて弾圧を正義と信じ込んでいた連中は、掌を返したように、喫煙者を保護することが正義だと主張し始めます。彼らに自分の意見などないのです。

弾圧するもいじめ、保護するもいじめ、結局無思想の民衆によって必要以上に干渉される対象は、「いじめられる」存在なのです。そして、アホな民衆が罪の意識を抱くことはありません。彼らはいつだって世論という正義の中心に属しているのですから。

以上、筒井康隆の『最後の喫煙者』のあらすじと考察の説明を終了します。

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