ヘッセ『デミアン』あらすじ解説|アプラクサスと二つの世界

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デミアン ドイツ文学

ヘッセの小説『デミアン』は、彼の転換期に位置する、最高傑作と名高い作品です。

その強烈なメッセージに富んだ物語は、第一次世界大戦の影響で虚脱状態にあった若者から、大きな反響を得ました。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者 ヘルマン・ヘッセ(85歳没) 
ドイツ
発表1919年
ジャンル長編小説
ページ数254ページ
テーマ自己の探究
明暗という二つの世界

あらすじ

あらすじ

比較的裕福な家庭で育ち、ラテン語の学校に通う少年シンクレールは、些細な理由で、悪童クローマーに脅迫され、金をせびられるようになる。内向的なシンクレールは、誰にも打ち明けられぬまま苦しんでいたのだが、そんな彼を救ったのがデミアンだった。

デミアンは他の子供たちとは異なる魅力を放っていた。デミアンは、学校で習った兄弟殺しのカインの逸話に対して、カインが必ずしも悪いとは言えない、といった別の視点の意見を持っていた。デミアンの話に衝撃を受けたシンクレールは、明暗という二つの世界のうち、暗い世界に不思議な魅力を感じるようになる。

高等中学に進学したシンクレールは、放蕩癖を身につけ破滅に向かっていくのだが、彼の胸中にはデミアンの存在が常にちらついていた。高等中学を卒業してから、シンクレールは自己探求の道を進むこととなり、そのタイミングでデミアンと再会し、また彼の母親とも深く交流を果たす。彼らと共に、本当の自分になるための、自分自身への道を模索するのであった。

やがて第一次世界大戦が勃発する。ある時、戦場で負傷したシンクレールは、デミアンと再会する。デミアンは、再びシンクレールにクローマーのような存在が襲い掛かっても、以前のように助けに行くことはできない、しかし自分は君の心の中に存在する、と告げる。翌朝目覚めると、デミアンは既にいなくなっていた。

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個人的考察

個人的考察-(2)

匿名で発表された最高傑作

今ではヘッセの最高傑作として名高い本作『デミアン』であるが、実は当初、ヘッセは別人を装った匿名の形で本作を発表した。

作中の主人公でもあるシンクレールという偽名を用い、第一次世界大戦で負傷した彼が、自伝的な物語を発表した、という体裁を取っていたのだ。ヘッセが装う無名の新人シンクレールは、新たな天才と注目を集め、ベルリンの新人文学賞を受賞した。しかし、その後ヘッセの作品であることが明らかになり、新人賞は取り消しとなり、正式にヘッセの作品として発表されることとなった。

ひとえにヘッセが匿名を用いた理由は、その過激な物語のためだろう。『デミアン』は、ヨーロッパの文明や、宗教観や、社会倫理を徹底的に批判する内容になっている。

しかし結果的にその過激な物語は、当時の若者たちから大きな反響を集めることになった。

それというのも、本作が発表されたのは、第一次世界大戦直後のことであった。第一次世界大戦にて、ドイツは中立国であるベルギーに侵攻し、ヘッセはこの戦争が間違いであることに気づく。また、戦争はドイツの青年たちに虚脱感を与え、幸福の指針を失わせることになった。そんな青年たちにとって、既存の倫理観を徹底的に批判する『デミアン』は衝撃であり、自己の探究という、新たな指針を享受することとなったのだ。

ではヘッセは、いかなる価値観を否定することで、虚脱状態の若者たちに希望を与えたのか。作中で取り上げられる、重要なキーワードに着目して、考察していく。

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シンクレールが彷徨う善悪の世界

少年時代のシンクレールは、自分とって二つの世界が存在することを感じていた。

一つは、両親がいて、信仰があって、愛と尊厳の生活が象徴するような、善の世界である。

そして、もう一つは、酔っ払いや、強盗や、町の不良たち、あるいは性の欲求に象徴されるような、悪の世界である。

正確には、宗教や社会倫理が定める、善悪の世界とも言える。

育ちの良いシンクレールは善の世界にいることを強いられ、しかし完全に二つの世界が分断されているわけではなく、時たま悪の世界が入り込んでくることもあった。なぜなら性の欲求などは、ごく自然なものであり、それを悪とする価値観に彼は違和感を抱いていたからだ。

そんな違和感に、明示を与えたのがデミアンだった。デミアンは、カインとアベルの神話に対して、既存の価値観とは異なる見解を示す。カインとアベルは兄弟で、カインは弟のアベルを殺害した。その結果、カインの一族は、一生作物を収穫できない呪いにかけられてしまった。キリスト教において、カインは悪の象徴とも言える存在なのだ。しかし、デミアンは、必ずしもカインが悪とは断言できない、と口にする。カインにはカインの立場があり、目的や勇気を持った者は必ず周囲から気味悪がられ、ゆえに神話の正当性を完全に信じることはできない、と言うのだ。

勇気と特色を持っている人々はほかの人にとって常にすこぶる不気味なものだ。

『デミアン/ヘッセ』

カインの神話は、人間から悪の世界を遠ざけ、ただ善の世界にだけ目を向けることを強いる。つまり、宗教倫理は世界の片面(善の世界)だけを説明しているに過ぎないということだ。

では、デミアンは悪の存在を肯定していたのだろうか?

実際は、善や悪の概念に囚われた陳腐な生き方を批判していたのだろう。西洋的、キリスト教的な、二極化された善悪の概念だけでは片付けられないことが人生にはあり、むしろ宗教や社会が規定する善悪を超越した部分に、自己の探究の余地があることを訴えていたのだろう。

まさに本作の重要なテーマは、自己の探究だ。

人間は生まれた時から、社会的な価値観に洗脳され、侵される。「こういう風に生きるのが正しい人生だ」という社会の規定に沿って生きることを強要され、そこから外れた者は、カインが悪の記しを付けられたように、悲惨なレッテルを貼られることになる。

しかし、社会の価値感(善悪の価値感)から抜け出し、むしろ既存の価値観を疑うことを出発点とし、本来の自分に近づく必要性を、デミアンはシンクレールに解いていたのだろう。

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正しい人生は孤独である

高等中学に進学したシンクレールは、放蕩癖を覚え、退廃的な生活を送っていた。そんな彼を一時的に、デミアン的な人生に引き留めたのは、ピストーリウスという男だった。

ピストーリウスとは「アプラクサス」という存在を通じて繋がりを持つ。

アプラクサスとは?

アプラクサスは、エジプト神話に登場する神で、しかしこの宗教はキリスト教にとって最大の対抗勢力だった。そのためアプラクサスは、旧約聖書において悪魔的な神と同一視されることになる。

いわば、ある面から見れば、良き神であり、ある面から見れば、悪の神なのだ。

ゆえにアプラクサスは、作中では神と悪魔の両方の要素を持つ存在として扱われる。要するに、デミアンの思想が訴えるところの、善悪を超越した存在の象徴として、アプラクサスが描かれていたわけだ。

つまり、シンクレールとピストーリウスは、社会が規定する善悪の概念を超越した部分で、自分の人生を探究しており、その共通項としてアプラクサスが信仰されたわけである。

孤独という試練

自己探究の同志として繋がった二人だが、しかし、ピストーリウスには欠点があった。

自分の人生を探究する者、社会的な価値観に惑わされず生きる者は、往々にして孤独である。

なぜなら、大衆が欲するものに興味を示さず、大衆の道から外れた生き方は、孤立を余儀なくされるからだ。そして、本当に自分の人生だけを欲する者は、自分が孤独であることに、何の苦悩を感じることもないのである。それは非常に困難な道のりである。なぜなら人間にとって、孤独は最大の敵であり、孤独の恐怖に耐え抜いて何かを成し遂げるのは難しいからだ。

ほんとうに自分の運命以外のものを欲しない人には、もはや同類というものはなく、まったく孤立していて、周囲に冷たい宇宙を持つだけだ。

『デミアン/ヘッセ』

「自分が本当に望むもの」と「孤独」とを天秤に乗せて、前者だけを追求できるのは、限られた人間だけが成し得る試練である。ピストーリウスには、その試練を乗り越えるだけの強さが不足していたのだ。

その結果、シンクレールは、ピストーリウスの元を離れ、再びデミアンを求めるようになる。シンクレールには、試練を乗り越える可能性が秘められていたのだろう。

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西洋文明の批判と鳥の存在

ヨーロッパの歴史は、技術と科学の歴史である。しかし、技術と科学は、人間本来の意志を圧倒してしまった。人ひとりを殺すのに、いくらの火薬が必要か、そういった研究によって、人類は不安や恐怖から逃れることに必死になってきたのだ。

国家や労働組合や学生組合、それらあらゆる共同体は、人々が不安や恐怖から逃れるために形成したに過ぎず、そこに本来の人間的な意志や理想などは存在しない。

より具体的に説明するなら、自分の意思に正直に生きることは孤独であり、その孤独から逃れるために人々は無価値な共同体に身を置き、その不安が最終的に引き起こすのが戦争だ。

つまり世界の破滅でも、地震でも、革命でもない。戦争になるんだ。(中略)人々はうちょうてんになるだろう。もうみんな開戦を楽しみにしている。それほど生活がみんなにとってつまらなくなっているのだ。

『デミアン/ヘッセ』

こういった無価値な共同体を破壊することから始めなければ、永久に人々は自分の意思に従って生きることはできない。

作中では、がキーワードになっている。鳥は生まれる時には、自ら卵の殻を破る必要がある。卵の殻とは、世界であり、無価値な共同体である。それらを破壊し、生まれてくることで、人間は本来の自分の人生に到達できると、デミアンは訴えていたのだろう。

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。

『デミアン/ヘッセ』

人間が自らの翼で思い通りに飛び立つには、自分の周りを取り巻く、既存の価値観や社会性や共同体を破壊し、何にも縛られない真っ新な状態になる必要があるのだろう。

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デミアンは誰だったのか

シンクレールが最後にデミアンと会ったのは、第一次世界大戦中の戦場だった。

負傷したシンクレールは、デミアンと僅かに会話を交わす。今後シンクレールにいかなる逆境が押し寄せても、これまでのようにデミアンが駆けつけることは難しい、と告げられる。

しかしデミアンは、自分がシンクレールの中に存在することを告げる。だから、もし逆境にぶち当たっても、その答えは自分自身に尋ねなければいけない、と最後の教訓を与えて去っていくのだ。

デミアンはシンクレールの中に存在する。つまり、デミアンとシンクレールは自他を超えた同一の存在であり、シンクレールが目指すべき真の自分の姿の象徴であったのだろう。

人間は逆境の中では、最も弱さを露呈する。大衆に馴染むことで仮初めの安心に縋ったり、自分の意志を放棄したりしてしまう。そうやって社会の価値観に服従した時、人間は本来の自分を自らの手で殺すことになる。

だからこそ、デミアンは、自分自身に答えを尋ねることの重要性を説いたのだろう。社会の荒波に飲まれた時、他人の高慢さに詰め寄られた時こそ、人間は決して自分の欲望や感情に逆らってはいけないのだ。

デミアンは全ての人間の中に存在する、真の自分の姿だ。生きることに苦悩を覚えた時、我々は自分の中に答えを尋ねるべきだ。さすれば、君の中のデミアンが、きっと君を素晴らしい人生に導いてくれるだろう。

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