芥川龍之介の『歯車』あらすじ考察 自殺前の精神世界の放浪

歯車 散文のわだち
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芥川龍之介の小説『歯車』をご存知ですか?

1927年に発表された少し長めの短編小説で、「河童」や「或阿呆の一生」などと同様に自殺の直前に執筆された遺作の1つです。

短い物語の中で人間の醜さを秀逸に描く名手である芥川龍之介の中では、私小説要素が強い異色の作品になっています。一部のファンは本作を最高傑作と称賛するようです。

女性関係や病気や生活苦など、晩年の芥川龍之介に襲い掛かった不幸がそのまま描かれています。幻視や強迫観念に襲われた主人公が、死についての関連妄想をするという陰鬱な作品です。本作を考察することで、芥川龍之介の自殺の原因を紐解いていきましょう。

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『歯車』の作品概要

作者芥川龍之介
発表時期1927年(昭和2年)
ジャンル短編小説、私小説
テーマ死生観、自殺の予兆
作者が生涯抱えた苦悩

『歯車』の300字あらすじ

知人の結婚式に向かう途中、主人公はレインコートを着た幽霊の話を耳にします。その時を境に、彼は幾度となくレインコートを着た人間を目にするようになります。

義兄がレインコートを着て自殺したと知り、主人公は世の中に存在する様々な物や言葉から死に対する連想をするようになります。

憂鬱に苛まれた彼の視界には原因不明の半透明な歯車が広がっています。歪んでいく精神状況で、自分も母親のように気が狂ってしまうのだろうか、という強迫観念が彼を襲います。

安息のために実家に帰宅したのですが、精神は錯乱し、まぶたの裏に銀色の翼が浮かび上がります。主人公は、誰か眠っている間に締め殺してくれないか、と考えるのでした。

『歯車』のあらすじを詳しく

①レインコートの幽霊

知人の結婚式に向かう途中の自動車で、一緒に乗り合わせた理髪店の主人から、どこどこの屋敷で幽霊が出る、なんて俗な話を聞かされます。なんでもその幽霊はレインコートを着ているようです。

列車の駅に到着した主人公は、待合室にレインコートを着た男を確認し、先ほどの主人の話が想起され苦笑します。

列車を乗り継いで国鉄に乗車する際に、主人公は偶然友人と遭遇します。電車内で友人と談笑していると、またしてもレインコートを着た男を発見し、いよいよ不気味になります。

ホテルに向かう途中、主人公は視界に半透明の歯車が回っていることに気がつきます。この手の錯覚は何度も経験したことがあり、またかという気持ちで彼はホテルの玄関をくぐります。

結婚式が終わって主人公がホテルに戻ると、ロビーの隅の長椅子にレインコートが脱ぎかけられているのを発見します。怖くなった主人公が急いで部屋に引き返すと、突然姉の娘から電話がかかってきます。なんでも、妹の夫が自殺したようなのです。しかも、レインコートを身にまとった状態で・・・。

②復讐の神

自殺した義兄は、偽証罪による執行猶予の身で、放火の嫌疑もかけられていました。主人公が不安だったのは、その頃にちょうど汽車や自動車の中から何度も火事を見たことがあったという事実でした。まるでレインコートの時のように。

嫌な妄想が絶えず、執筆や読書に集中できない主人公は姉の家に向かいます。その道すがら、街に溢れる様々な物質に恐怖感を抱きます。

義兄は汽車に轢かれて肉塊になったのに、口髭だけは綺麗に残っていたという話を聞きます。姉の家にある義兄の肖像画は不思議と口髭のあたりがぼんやりしているように見えました。

街ゆく人の会話から奇妙な連想がされ、息苦しくなった主人公は、夏目漱石の墓地までやってきます。10年前の平和な日々を思い返して、今自分が墓地にいることに一種の運命を感じました。

ホテルに戻るとレインコートを着た男が自動車の運転手と喧嘩をしていました。不吉な心持ちになった主人公は、再び外に引き返します。

偶然入った本屋で見つけたギリシャ神話には、「一番偉いツォイスの神でも復讐の神には敵わない」と記されていました。主人公は背中に絶えず自分を狙う復讐の神の存在を感じているのでした。

③女の存在

何者かが自分に敵意を持っているような感覚に襲われた主人公は、カフェに非難しますが、五分も経たないうちに不快感に襲われ、再び往来に出ます。

暫くしてホテルに戻った主人公は、とある彫刻家に遭遇します。部屋で談笑するも、その内容は大抵女の話題でした。女の話題ばかり話す彫刻家に、自分の秘密を詮索しているのではないかという疑念を抱き、憂鬱な気分に陥ります。

彫刻家が帰った後にベッドで読書をしていると、またしても視界に歯車が現れたため、睡眠薬を飲み主人公は無理やり眠ります。

夢の中で裸体の女に見つめられた主人公は、彼女の姿に復讐の神を見出し、咄嗟に目を覚まします。

陰鬱とした気分でロビーに出ると、アメリカ人の女性が読書をしており、彼女の緑色のドレス姿に救われたような感覚を抱きます。そのまま夜が明けるのをじっと待つのでした。

④迫りくる死の予感

ホテル生活で短編小説を完成させた主人公は、満足感から往来を散歩します。すると高等学校時代の旧友と遭遇します。友の片目は結膜炎のために真っ赤に充血していました。彼との親和感によって主人公も結膜炎を起こすような心持ちになります。

新しい小説の執筆取り掛かった主人公は、電話の音に呼び出されます。受話器からは「Mole」という言葉が聞こえました。彼はその言葉から「la mort」という死を意味するフランス語を連想します。途端に、義兄と同様自分にも死が迫っている予感を抱きます。

ふと主人公は、知人が自分のドッペルゲンガーを見たという話を思い出します。もしかしたら死は自分ではなく、第二の自分に迫っているのかも知れないと考えます。

そんな妄想をしながら、再び執筆に取り掛かるのでした。

⑤光のない闇

ある夜、主人公は聖書会社に勤める神父に会いに行ったことがありました。

なぜ母は発狂したのか、なぜ父の事業は失敗したのか、なぜ僕は罰せられたのか、そんな個人的な話を神父に聞いてもらっていたのです。

神父は主人公にキリスト教の信者になることを勧めるのですが、彼は神を心から崇拝することはできませんでした。

「暗があるところには必ず光がある」という神父の説教に対して、「光のない暗もあるでしょう」と反論する主人公でした。

主人公は自分がいつか発狂することを恐れています。自ら精神病院に電話をかけようと決心することはあるのですが、入院は死ぬこととさして変わらないと感じて、なかなか実行には移せません。

恐怖感を抱いた主人公は睡眠によって紛らわせようとしますが、あいにく睡眠薬を切らしていました。絶望的な勇気が生じた主人公はほとんど死に物狂いで執筆に取り組みます。

疲労とともに少しだけ眠った後に、主人公はようやくホテルから家に帰る決心をします。

⑥破滅願望

レインコートを着た運転手を不気味に思いながら、自宅に帰りました。家に到着して2・3日は妻子や睡眠剤のおかげで平和に暮らしていました。

妻の実家で談笑している最中に、自分の上空を飛行機が通過する様子を目にします。またしてもじりじりと憂鬱になり、なぜあの飛行機は他ではなく自分の上を通ったのか、などと奇妙な疑問が生じます

何者かが自分を狙っているという不安が募り、半透明の歯車が視界を覆います。自宅で仰向けになり、激しい頭痛に堪えかねていました。まぶたの裏には銀色の羽が浮かんでいます。

そこへ妻が慌てた様子でやって来ます。

何だかお父さんが死んでしまいそうな気がして

そう妻が口にしたのは、主人公にとって最も恐ろしい経験でした。

無気力に囚われた主人公は、誰か眠っている間に自分の首を絞めてくれないか、とそんなことを考えるのでした。

そして物語は幕を閉じます。

『歯車』の個人的考察

半透明の歯車の正体

本作は主人公の精神的な葛藤が主に描かれているため、抽象的な観念が多く登場します。その象徴がタイトルにも記されている「半透明の歯車」でしょう。実際に晩年の芥川龍之介の視界には歯車が映っていたようです。

医学的には、半透明の歯車は閃輝暗点という偏頭痛に伴う症状だとされています。

ただし、本作での観念的な役割としては、死にまつわる連想を歯車が表現しているのだと思われます。

1つ目の連想はレインコートでした。レインコートを着た幽霊の話を聞いて以来、至る所にレインコートを着た人間を発見するようになります。さらには奇妙なことに、義兄がレインコートを着たまま列車自殺を図りました。義兄の件は偶然にしろ、主人公にとってはレインコートが死者を象徴するアイテムになっていたのだと思います。そのため身近に生息する死の兆候に非常に敏感になっていたのでしょう。

2つ目の連想が言葉です。

「イライラするーーtantalizing(イライラする)ーーTantalus(苦しみを象徴する神話の登場人物)ーーInferno(地獄)・・・」
「モオルーーMole(モグラ)ーーla mort(死)」

このようにふと周囲の会話から聞こえた言葉から連想が始まり、最終的に死にまつわる言葉に変化していくという、一種の強迫観念のような思考が綴られていました。

3つ目の連想が銀色の羽です。偶然目にした看板に翼のロゴマークが描かれていたため、勇者イカロスに関する連想が生まれます。イカロスには、人工的な翼が太陽の熱で焼かれ落下したという神話があり、死や墜落を想起させます。妻の実家で自分の上空を飛行機が通過する様子を見て、再び翼が想起され、落下のイメージに繋がります。最終的には錯乱しかけた精神で、まぶたの裏に銀色の翼の幻覚を見ます。自身の落下、死を暗示する連想だったのでしょう。

このように、様々な事象が歯車のように回転し、死へと連想されていく様子が、幻覚によって表現されていたのでしょう。

作家としての苦悩

作中に「寿陵余子(じゅりょうよし)」という中国古典の言葉を登場させて、主人公が自分自身になぞらえる場面があります。

「寿陵余子」とは中国の田舎の若者が、都会に行って洗練された歩き方を取得しようとしたが、結果的に身に付けることが出来ず、それどころか本来の自分の歩き方すら忘れてしまう、という説話から来る言葉です。

芥川龍之介は「鼻」という短編小説を夏目漱石に賞賛されたことで世間に才能を認められました。その後も秀逸な短編小説をいくつも発表するのですが、中期から後期にかけて、長編小説が書けないという葛藤に悩まされることになります。

長編小説に悪戦苦闘した結果、傑作を完成させることはできず、それどころかかつて夏目漱石に賞賛されたような秀逸な短編も書けなくなってしまった、という芥川自身の作家としての苦悩が表現されていたのでしょう。

気が狂った母親の存在

芥川龍之介の生涯に尾を引いた1番のトラウマは、やはり気が狂った母親の存在でしょう。彼が物心つく前から、母親は精神に異常をきたしていました。そのため彼は狂った母親を見ながら少年時代を過ごしたのです。その後、彼が11歳の頃に母親は亡くなります。

本作『歯車』の主人公は、自分もいつか母と同じように狂ってしまうのではないか、という強迫観念に襲われていました。

当時は優勢学の思想が流行していたため、芥川龍之介は母の精神病が自分に遺伝すると信じ込んでいたのです。晩年の傑作『河童』では、遺伝や家族に関する彼なりの見識が描かれており、精神病を極度に恐れている描写が含まれています。

精神病に入院するのは死を意味する、という文章が印象的です。まさに母の末路を知っているからこそ、自分は精神病になったら終わりだという危機感の中で生きていたのでしょう。

キリストにさえ救われなかった

作中に登場する神父は、「暗がある場所には光がある」と主張します。しかし主人公は「光のない暗もあるでしょう」と言って、神に対する疑念を示します。

芥川龍之介はキリスト教を批判していたわけではなく、いくら努力をしても理解することが出来なかったのです。

「西方の人」という自殺直前の衰弱し切った精神状態で綴られた作品があります。「西方」とはヨーロッパ、つまりキリスト教のことを指します。文章の内容は、ひたすらキリスト教について彼が思っていることを殴り書きした、もはや小説とは呼べない作品です。そして「西方の人」を書ききるやいなや、彼は自殺を決行しました。

薬品自殺を図った彼の死体の横には、聖書が置かれていたようです。

彼は、救われたい、救われたい、と願いながら、万人を救うはずのキリストにすら救われることなく、この世を去っていきました。神の慈悲では、死を連想させる歯車の回転を止めることはできなかったのでしょうか。

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以上で、芥川龍之介の短編小説『歯車』のあらすじ考察を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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