カミュ『最初の人間』あらすじ解説|未完の自伝的小説

※ 当サイトではアフィリエイト広告を利用しています
※ アフィリエイト広告を利用しています
最初の人間 フランス文学

カミュの遺作『最初の人間』は、事故死により未完のまま残された遺作である。

フランス領アルジェで生まれ育ったカミュの少年時代の回想が自伝的に描かれる。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語を考察していく。

スポンサーリンク

作品概要

作者アルベール・カミュ
フランス
発表時期 1960年に未完のまま死去 
1994年に発表
ジャンル長編小説
自伝的小説
ページ数358ページ
テーマ少年時代のノスタルジー
アルジェの複雑な共同体
母親への激しい愛情

あらすじ

あらすじ

ある夫婦はアルジェに入植し、小さい村の管理人を務めることになっていた。村に到着してすぐ、妻は男の子を出産する。そして夫は翌年に戦死する。40年後、息子のジャックは、記憶にない父の空白を埋めるため、故郷のアルジェにやって来る。

父の戦死後、ジャックは厳格な祖母と、寡黙な母と、障害を持つ叔父に育てられた。彼らはアルジェで暮らす貧しい白人一家で、三人とも読み書きができない。少年時代のジャックは、厳格な祖母に支配され、寡黙な母に孤独感を与えられた。しかしアルジェの壮大な自然は、少年時代を幸福に彩った。

ジャックの人生を大きく変えたのは、小学校教員のベルナールだった。貧しいジャックは中学に進学する余裕はなく、一家のために働く運命にあった。ところがベルナールはジャックの才能を見抜いて家族を説得し、そのおかげで奨学金を借りて中学に進学できた。それからの彼は成績優秀で、サッカーと読書に熱中する思春期を過ごす。

少年時代の原風景にノスタルジックな愛着を抱くと同時に、この貧しい土地に移住し、根もなく、信仰もなく、父親もなく、独りで生きる術を学ぶ必要があった彼は、あるいはアルジェの人々は、「最初の人間」だと考えるのだった。

スポンサーリンク

オーディブル30日間無料

Amazonの聴く読書オーディブルなら、12万冊以上の作品が聴き放題。

近代文学の名作から、話題の芥川賞作品まで豊富なラインナップが配信されています。

通勤中や作業中に気軽に読書ができるのでおすすめです。

・12万冊以上が聴き放題
・小説やビジネス書などジャンル豊富
・プロの声優や俳優の朗読
・月額1,500円が30日間無料

╲月額1,500円が30日間“無料”╱

■関連記事
➡︎オーディブルのメリット解説はこちら

個人的考察

個人的考察-(2)

未完の遺作となった自伝小説

本作『最初の人間』は、カミュが交通事故で死んだため、未完のまま終わった遺作である。

その内容は、アルジェで過ごした少年時代を回想する自伝的内容で、思春期に差し掛かった段階で中断されている。生前のカミュは、「まだ3分の1しか書けておらず、トルストイの『戦争と平和』くらいの大作を構想している」と友人にほのめかしていた。

実際に事故現場に残された原稿は、あまりに不完全で解読困難なものだった。カミュの名誉のためにも刊行には反対意見が多かった。それを娘のカトリーヌが時間をかけて精査し、死から34年経った1994年に刊行された。

■カミュの事故死について

カミュの死については不可解な点が多い。

パリに向かう道中で、カミュを助手席に乗せた自動車は、時速140キロで街路樹に衝突し、彼は首の骨を折って即死した。スピードの出し過ぎか、車体の故障か、様々な憶測が飛び交ったが、未だ原因は解明されていない。

暗殺説を唱える者もいる。とういうのも、当時のカミュは政治的に非難されていたからだ。

1つは、アルジェリア独立をめぐる戦争に肯定的でない点を非難された。(詳しくは次章にて解説する)

さらにサルトルとの論争も非難の的になった。多くの知識人が社会主義革命を支持する中、カミュはマルクス思想を批判したのだ。絶交するまでに至ったサルトルとの論争内容は、下記に収録されている。

こうした背景から、カミュは左右両翼やアラブ人から非難され、ノーベル文学賞受賞についても冷たい目で見られていた。

そして暗殺説を根拠づける決定的な問題は、死の1年前に起こった。

ハンガリー動乱におけるソ連の武力介入について、カミュはソ連の外相を名指しで非難した。このことがソ連外相を激怒させ、暗殺命令が下されたと言われている。当時のソ連国家保安委員会の関係者は、「カミュの命を奪った自動車事故は、ソ連のスパイが仕組んだもので、特定の速度になるとタイヤをパンクさせる装置を仕掛けていた」と言及している。あり得ない話ではないが、真偽は未だ解明されていない。

ともあれ、カミュの死で未完となった『最初の人間』は、長らく構想された物語で、それは処女作『裏と表』にまで遡る。

■『裏と表』の書き直し

『最初の人間』は、処女作『裏と表』を書き直した内容になるはずだった。

大学卒業の翌年に発表された『裏と表』は、祖母の家に同居していた少年時代、祖母が死んだ後の生活,結核を発症したときのこと、家を離れた現在の生活など、カミュの実人生を反映させたエッセイ集である。その主題の中心にあるのが、少年時代に過ごした貧しい世界へのノスタルジーと、我が子に関心を示さない母親に対する愛の渇望である。

カミュは、「いつか『裏と表』 を書き直すことができないなら、私は何もしなかったことになるだろう」と言及していた。それくらい『裏と表』の主題は重要なもので、その再構築を『最初の人間』で実践したのだろう。(結局未完となったが・・・)

いわばカミュが生涯かけて描きたかった作品、それが『最初の人間』なのだ。

ジャーナリスト兼作家のジャン・ダニエルは、カミュ作品を初めて読むなら『最初の人間』を推薦している。未完とはいえ、カミュ文学の本質を知る上で、確かに入門編におすすめだ。

スポンサーリンク

アルジェの複雑な共同体

本作はカミュ扮するジャックが、亡き父の空白を埋めるため、故郷のアルジェを訪れる導入に始まり、そこから少年時代の回想が描かれる。

実際にカミュは、曽祖父の代からアルジェに移住した入植者の家系だ。(カミュは父が初代入植者と信じていたが、近年の研究で曽祖父が初代だと判った)作中で描かれる通り、カミュが生まれた翌年に、父は戦死したため、全く記憶に残っていない。初めから父は不在のまま、母方の祖母の家で育てられた。

生まれ故郷であるフランス領アルジェの、貧困と熱気と、海と太陽の大自然は、カミュにとってノスタルジックな原風景である。本作『最初の人間』に限らず、『異邦人』『幸福な死』もアルジェが舞台になっている。

アルジェはアラブ人の土地だが、1830年にフランスが占領して以来、約130年間フランス人とアラブ人が混合で暮らしていた。『異邦人』でアラブ人が登場するのは、こうした歴史的背景に起因する。アラブ人の土地に入植したフランス人が異邦人か、フランス人にとって植民地下のアラブ人が異邦人か––––

いずれにしても、130年続いた支配体制は崩れていく。1954年からアルジェ全土で、民族解放戦線が一斉蜂起し、フランスからの独立をかけて衝突が激化した。作中で爆発テロの場面が描かれるのはこのためである。

この独立戦争に関して、カミュは曖昧な立場をとった。アラブのテロを批判すると同時に、フランスの武力弾圧も批判し、二つの民族に公平な権利を与える連邦制を夢想した。両者が仲良く暮らせる社会を望んだとはいえ、事実上は独立を否定したことになる。

実態としてフランス軍による残虐行為が蔓延しており、多くの知識人が独立を支持した。そんな中で植民地支配を肯定するとも取れるカミュの立場は、非難の対象となった。以降この問題に関してカミュは口を閉ざすことになる。彼の中には複雑な想いがあったのかも知れない。

というのも、カミュはアルジェで生まれ育ったフランス人の1人だ。そんな彼にとって、フランス人を追放するアルジェの独立は、愛する故郷が損なわれることを意味する。それはアイデンティティの喪失とも言える。だからこそ、独立を支持できないまま、両民族が共存できる連邦制という、曖昧な夢想しか主張できなかったのかも知れない。

こうした故郷の政治的な問題が、少年時代の回想と並行して、『最初の人間』では描かれる。未完であるため、その主張は不明確なまま中断されているが、物語の先にはより政治的な広がりが構想されていたのかも知れない。

スポンサーリンク

母親の愛情を求めて

家にいた頃、母さんは沈黙したまま私を目で追うことで過ごしていた

『異邦人/カミュ』

家事を終えてしまうと、彼女はそこで日々を過ごしていた。両手を膝の上でそろえ彼女は待っていた。リウーは彼女が待っているのが自分なのかさえ確信がなかった。

『ペスト/カミュ』

カミュ作品の母親像は、沈黙の視線で息子を疎外する、無関心な存在として描かれがちだ。

この冷淡な母親像の中心にあるのは、無論カミュ自身の母親である。

カミュの母親は聴覚障害を患い、おまけに夫の死のショックで極端に口数が少なくなった。作中で母親が無口に窓外を眺め、息子のジャックが疎外感を抱く場面は何度も描かれる。障害のせいで母子の対話はあまりなかったのだ。母親はカミュを愛していたのだろうが、言葉で表現したことはなく、だから息子は母親の視線の中に愛情を探り、自分は愛されているのかを自問自答しなければならなかった。

それでもジャック(カミュ)は、母親を愛していた。亡き父の探訪に始まった物語は、最終的に母親への強い愛情へと帰結する。それは同時に、アルジェの貧しい生活に対するノスタルジーでもある。

小説『幸福な死』では、主人公メルソーは、母親の死後も、母親が住んでいた貧しいアパートに固執して住み続ける。快適な住居に引っ越すことは可能だが、かつて母親が存在した貧困な住居に安らぎを見出し、過去の自分との繋がりを感じていた。

このことから判る通り、カミュにとって、母親の存在と、少年時代のノスタルジー、つまり故郷アルジェの風景は強く結びついている。『幸福な死』の主人公は、最終的に自然(世界)と同一化することに幸福を見出す。それは、母親に象徴される、生まれ故郷(かつての自分)との同一化を意味するのかも知れない。

この「世界との同一化」という概念は、『異邦人』でも言及される。

私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。

『異邦人/カミュ』

世界の優しい無関心に触れ、世界との一体化を実感し、幸福であることを悟る。この無関心な世界とは、無関心な母親に象徴される、生まれ故郷のことであろう。そう、少年時代のカミュは、無関心な母親に疎外感を抱くと同時に、その無関心な世界に幸福を実感していたのだ。

『最初の人間』は、父親の探訪という口実で、少年時代の原風景に回帰する物語である。その原風景とは、母親が作る無関心な世界である。彼はアルジェに帰郷することで、母親への愛情を再確認し、その無関心な世界に幸福を見出していたのではないだろうか。

スポンサーリンク

最初の人間であること

カミュの娘カトリーヌは、『最初の人間』について、次のように言及している。

貧乏な人たちは人知れず、忘れ去られていく運命を余儀なくされています。この匿名性によって次の世代を背負う人たちはそれぞれ<最初の人間>となるのです。この小説では、息子も父親も二人とも<最初の人間>なのだと思います。父親は孤児院の出身ですし、若死したので、息子に何一つ伝えてやれなかったのです。

『最初の人間ー訳者あとがき』より

異国のアルジェに入植した1世(とカミュは思っていた)父親は、異邦人という意味で「最初の人間」だった。そんな父親は早くに戦死したため、カミュの記憶に存在しない。そういう意味で父親を持たないカミュもまた、「最初の人間」である。

主人公ジャックは、記憶にない父親の情報を集めるために、故郷アルジェを訪れた。しかし二十九歳で戦死したこと以外、父親については何も判らなかった。それが貧しい人間の定めである。貧しい人間は、人々の記憶に残らぬまま、忘却される運命なのだ。

つまり、アルジェという貧困の土地は、忘却の土地、死んだ者は忘れ去られ、次に生まれてくる人間は常に「最初の人間」である。

根も信仰も父親も持たない「最初の人間」であるからこそ、誰の助けもなく、自分1人で生きる術を見出さねばならない。しかしそれは悪いことばかりではない。ジャック(カミュ)は最初の人間であるゆえに、生に対して貪欲でいられたし、その情熱が生活の糧となった。自由に飢え、知性に飢え、その貪欲さが彼を偉大な文学者へと導いたのだ。

最後に彼は、生きる理由を与えた情熱は死ぬ理由を与えてくれるだろう、と主張する。生きる理由を与えたアルジェの土に帰ること、そうして世界と同一化することが、彼にとっての「幸福な死」なのかも知れない。

これは少年時代を回想する自伝的小説であると同時に、自分の生を強く肯定することで「幸福な死」へ到達しようとする、カミュの歩みの軌跡ではないだろうか。

スポンサーリンク

映画『異邦人』がおすすめ

カミュの代表作『異邦人』は、1967年に巨匠ヴィスコンティ監督によって映画化された。

マストロヤンニと、アンナ・カリーナ共演の幻の名作と言われている。

➡︎U-NEXT無料トライアルで鑑賞できます!

・見放題作品数No.1(26万本以上)
・毎月1200ポイント付与
・月額2,189円が31日間無料

╲月額2,189円が31日間“無料”╱

■関連記事
➡︎U-NEXTのメリット解説はこちら

タイトルとURLをコピーしました