坂口安吾『白痴』あらすじ解説|戦後に衝撃を与えた代表作

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白痴-(11) 散文のわだち

坂口安吾の小説『白痴』は、戦後文学の旗手として脚光を浴びた代表作である。

敗戦間近の裏町で、芸術家の男と白痴の女の奇妙な交流が描かれる。その衝撃的な内容は、随筆『堕落論』と共に、戦後の虚脱した日本人に希望を与えたと言われている。

1999年には手塚プロダクションにて映画化され話題になった。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察する。

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作品概要

作者坂口安吾(48歳没)
発表時期  1946年(昭和21年)  
ジャンル短編小説
ページ数35ページ
テーマ実存主義
肉体と魂
芸術の葛藤
関連1999年に映画化

あらすじ

あらすじ

敗戦間近の裏町に、演出家の伊沢という男が住んでいた。職場ではプロパガンダ映画を量産し、その方針に逆らえばクビになる。戦時下において芸術の無力さを痛感した彼は、月給欲しさに働いているものの、情熱は完全に失われている。

ある晩、仕事から帰ると、伊沢の部屋に白痴の女が侵入していた。事情を尋ねても女はボソボソ呟くだけで、無理に追い出すこともできず、仕方なく部屋に置くことになる。伊沢は白痴の女を通してある事実に気づく。女は白痴ゆえに魂が昏睡しているはずだが、身体に触れると肉欲の反応を示したり、空襲が起こると恐怖を顔に表すのだ。この魂なき肉体の反応に伊沢は衝撃を受ける。

本格的に空襲が激化し、群衆は逃げ惑う。伊沢は白痴の女を抱きしめ、死ぬときは一緒だから自分から離れるな、と伝える。すると白痴の女は頷く。魂を持たぬ女が初めて意志を示したことに、伊沢は大きな感動を覚える。

無事に避難した二人は木立の下に腰掛ける。燃え盛る街を前に眠る女を見て、伊沢は妙な安堵感と馬鹿馬鹿しさを覚える。そして、自分と白痴の女に太陽の光は注ぐだろうか、とそんなことを考えるのだった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

戦後文学を築き上げた旗手

「偉大なる落伍者」の異名を持つ坂口安吾は、学生時代から反抗的な性格で、文学に没頭する一方、試験の答案を白紙で提出するような不良少年だった。

そんな彼は島崎藤村に見出され、本格的に執筆活動を始めるが、戦争の影響で発表の場が減ったことや、徴兵を免れる目的もあり、国策宣伝映画を制作する会社の嘱託になる。『白痴』の主人公が映画会社の見習いなのは、この頃の自身の境遇が題材になっている。

終戦後に映画会社を退社した彼は、1946年に随筆『堕落論』を発表する。戦時中の倫理や人間の実相を見つめ直し、<堕ちること>を説いた内容は、戦後の虚脱した日本人に衝撃を与えた。次いで『白痴』も大きな反響を呼び、坂口安吾は一躍脚光を浴びた。

太宰治と交流があったのは有名で、彼らは共に「無頼派」と呼ばれ、新進気鋭の作家として、戦後の日本文学を牽引した。

人気作家になった彼は、『桜の森の満開の下』『不連続殺人事件』など名作を生む一方で、薬物中毒に陥いる。破天荒で強気な印象だが、その反面、神経が弱い面もあったようだ。さらに盟友の太宰が自殺したことで、精神的に衰弱していく。カレーライスを100人前注文するなど奇行も目立った。薬物の大量服用で錯乱状態になり、留置所に入れられたこともあったが、子供の誕生によって親の自覚が芽生え、徐々に生活は改善していく。

そして晩年は歴史小説の執筆に注力し、48歳で脳出血により死去した。

こうして振り返ってみると、本作『白痴』は、坂口安吾の出世作と呼ぶべき、戦後文学の重要な位置を占める作品である。

1999年には、手塚治虫の息子・手塚眞が監督を務め映画化された。

ヴェネチア国際映画祭をはじめ、各国の賞を総なめし、今でも芸術家に愛される映画として人気が高い。

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芸術家・伊沢の葛藤

文化映画の演出家などは賤業中の賤業であった。彼らの心得ているのは時代の流行ということだけで、動く時間に乗遅れまいとすることだけが生活であり、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない。

『白痴/坂口安吾』

伊沢が勤める映画会社は、兵隊や日の丸を讃嘆する国策宣伝会社だった。第二次世界大戦の時期は、各国がプロパガンダ映画を量産し、ディズニーでさえ戦争賛美のアニメを作っていた。むしろ戦争を反対する表現は国家検閲で厳しく取り締られていた。

こうした自由な表現が許されない時代に、伊沢は芸術の価値を信じる男だった。だからこそ職場のやり方が気に食わなかった。彼が最も忌み嫌ったのは、職場の人間の会社員的な精神だ。彼らは身なりだけ芸術家ぶり、酒の席で芸術論を饒舌に語るくせに、職場に戻れば従順に国策映画を量産しまくる。彼らは根本的に自我や個性などを持たず、流行に便乗することが真の表現だと信じ込んでいるのだ。

安吾自身、検閲に引っかかりながらも、型破りな表現を追求した独創家であったため、こんな風に時勢によって右往左往する世間に腹を立てていたのかもしれない。

時に伊沢は会社に異議を唱えることもあった。すると部長は、会社に従うだけで月給が貰えるのだから余計なことを考えるな、と暗に解雇をちらつかせて脅迫してくる。そう、伊沢はいくら会社のやり方に不満を抱こうが、月給を貰っている以上、そう安易と仕事を辞める決心ができなかった。ましてや無職になれば徴兵されて戦場に駆り出される。

いわば彼は、自らの芸術探究を、生活のために諦めなければいけない、という苦しい葛藤の中にいたわけだ。

彼は芸術を夢みていた。その芸術の前ではただ一粒の塵埃でしかないような二百円の給料がどうしても骨身にからみつき、生存の根底をゆさぶるような大きな苦悶になるのであろうか。

『白痴/坂口安吾』

この手の葛藤は戦時下に限らず、多くの人間が経験するものだろう。理想を抱いて社会に出た若者が、長いものに巻かれることを強いられ、その理想と現実のギャップに幻滅する。仮にも理想を貫けば立場が不安定になる。だからといって、生活の問題から、そう安易と辞めることもできない。そしていつしか、人生に対する情熱を失い、ただ月給を貰うために働くロボット人間と化す。

まさに伊沢は情熱を失っていた。彼を苦しめたのは、彼の魂である。芸術を追求したがる魂さえなければ、余計な考えを持たずに会社に従うことができる。もしくは、魂という名の理性がなければ、会社に怯えることもないだろう。

生きる上で魂などは、厄介な障壁にしかならないのでは?

そんな時に出会ったのが白痴の女だった。魂に苦しめられる伊沢にとって、魂を持たぬ白痴の女は、不思議な魅力で彼を惹きつけたのだ。

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魂を持たぬ白痴の女

伊沢の心には奇妙な勇気が湧いてきた。その実態は生活上の感情喪失に対する好奇心と刺戟との魅力に惹かれただけのものであった・・・

『白痴/坂口安吾』

魂の葛藤に苦しむ伊沢にとって、魂を持たぬ白痴の女は、特別な魅力を感じさせた。

女は白痴ゆえに意志を持たず、肉体のみの存在である。正確には「理性」を持たぬ存在だ。

例えば、伊沢が肉体に触れれば露骨に情欲の反応を示す。空襲が起これば絶望的な苦悶を顔に浮かべる。赤子でない限り、人間には感情を抑制する理性がある。むしろ露骨な感情表現を恥辱と考え、本心を隠して生きるものだ。ところが白痴の女には理性がないため、恥辱とは無縁の素直な感情表現ができてしまう。

俺にもこの白痴のような心、幼い、そして素直な心が何より必要だったのだ。俺はそれをどこかへ忘れ、ただあくせくした人間共の中でうすぎたなく汚れ、虚妄の影を追い、ひどく疲れていただけだ。

『白痴/坂口安吾』

魂や理性がなければ、月給の悪霊に取り憑かれることはない。世間に対して見栄を張る必要もない。同時に芸術の虚妄を追求する意志さえなくなる。それはある意味、無である。魂の葛藤に疲弊した伊沢には、その無への転落が、甘美なものに感じられたのかもしれない。

こうした観念を、日本における実存主義の始まりとする見解もある。実存主義とはサルトルに代表される、20世紀に流行した思想だ。人生には理想や目的は存在せず、ただ無意味に人間は存在している、という考えである。

詳しく説明するとややこしくなるので割愛するが、ともかく伊沢にとっては、理想を持たぬ無意味な存在である場合において、魂の葛藤に苦しめられずに済み、それを体現するのが白痴の女だったということだろう。

ただし伊沢にとってそれは、情熱を失った末の投げやりな感情だ。彼が芸術家である限り、理想や魂を捨てることは敗北を意味する。その敗北から回帰できたのもまた、白痴の女の存在が大きく関係していた。

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白痴の女と魂への回帰

女が表した初めての意志であり、ただ一度の答えであった。(中略)今こそ人間を抱きしめており、その抱きしめている人間に、無限の誇りをもつのであった。

『白痴/坂口安吾』

空襲が激化し、住人は必死に逃げ惑う。しかし彼らが逃げる方角に安全な空き地はなく、おまけに押し合いへし合いの混沌状態だ。そこへ向かうのは自ら死にに行くようなものだ。

だから伊沢は白痴の女を連れて、逆方向に逃げようとする。そちらは火の海だが、それを抜ければ小川があり、その先に空き地がある。ところが白痴の女は、本能的に群衆の方へ引き返そうとする。その体を伊沢は強く抱きしめ、「死ぬときは一緒だから、自分から離れるな」と訴える。すると女はごくんと頷いた。魂なき女が初めて「意志」を表したのだ。

その瞬間に伊沢は強烈な感動を覚えた。それどころか女に対して誇りさえ感じた。

魂の葛藤に疲弊した伊沢は、魂なき白痴の女を通して、無への転落に惹かれていた。それは芸術と距離を取ることで、自身の苦悩(魂)から目を逸らしていたのだ。その逃避願望を象徴する白痴の女が、初めて意志を表したことで、伊沢は強烈な感動に包まれた。無意味な存在としての人間ではなく、芸術的意志(魂)を持つ人間にこそ誇りがあるのだと、彼は魂の昏睡から目覚めたのだろう。

そして無事に避難した二人だったが、木陰で白痴の女が眠る姿を見て、伊沢はまた元の失望感に連れ戻される。そこに眠るのは、先ほどの意志を表した女ではなく、元の魂なき女に戻っていたのだ。女を捨てて行こうかと考えるが、その先に希望があるのか分からなくなる。それはつまり、魂なき自分を捨て、魂(芸術)の中に回帰したとて、希望などあるのだろうか、という迷いの表れだろう。

それならばいっそ、戦争に裁かれた方がいいのかもしれない。戦争が全てを破壊すれば、月給の問題や、芸術の追求に苦しまなくて済む。ところが伊沢は、できるだけ遠い場所に歩き出そうと考える。自分と白痴の女に太陽の光が注ぐ日を僅かに期待している。

それはつまり、戦争が肉体を裁いても、魂を裁くことはできない、という彼なりの答えだったのではないだろうか。肉体が存在する限り、魂の歩みを止めることはできない。そこには敗戦間近の日本人の不安と、それでも生きようとする幽かな希望が描かれているように思う。

戦後の虚脱した日本人にとっても、生きている限り魂の歩みを止めてはいけない、という力強いメッセージを与えたのだろう。

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1999年に『白痴』は、手塚治虫の息子・手塚眞が監督を務め映画化された。

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