坂口安吾の『白痴』あらすじ考察 魂と肉体の葛藤

白痴 散文のわだち
スポンサーリンク

戦後の日本文学と言えば、坂口安吾の『白痴』が有名です。

戦後間も無くの1946年に発表された短編小説であるため、先の戦争の情景が非常に生々しく描かれています。

東京に蔓延る焼夷の中で、白痴の女と生活する主人公は、終わりの見えない戦争に何を感じていたのか、考察していきます。

スポンサーリンク

『白痴』の作品概要

作者坂口安吾
発表時期1946年(昭和21年)
ジャンル短編小説、新戯作派、無瀬派
テーマ実存主義、肉体と魂、
芸術の葛藤

坂口安吾は、『堕落論』と『白痴』によって作家としての地位を築き、太宰治らとともに戦後の日本文学の系譜を築き上げた1人です。

偉大なる落伍者」と称するくらい、彼は日本文学における奇才として名高い存在です。幼少の頃から破天荒な性格で、学生時代も思想書と酒に耽け、各地を放浪する生活を送っていました。作家としては、戦前の長いスランプを経て、戦後に特異な存在として人気を博すことになります。

本作は1945年3月から4月の東京大空襲が舞台になります。低俗な精神を非難し、芸術家としての夢想を追求する不安定な主人公が、白痴の女性と出会うことで、精神のあるべき姿を理解しようとする物語です。

『白痴』の300文字あらすじ

主人公「伊沢」の家の近所に、白痴の女が住んでいます。

ある日、伊沢が仕事から帰ると、自分の部屋の押し入れに白痴の女が隠れていました。生活に対する情熱を失っていた彼は、単なる好奇心で彼女をかくまうことにします。

精神的に弱っていた伊沢は、魂が存在しない白痴女の中に真実を求めていたのです。

やがて伊沢たちが住む街にも空襲がやってきます。肉体だけの存在だと認識していた白痴女が、爆弾の雨の中で初めて自分の意思を示します。伊沢は、初めて白痴女と感情を共有したことに胸を打たれます。

空襲を免れ、張り合いを失った伊沢は、眠る白痴女を見つめながら、この先のことをぼんやり考えているのでした。

『白痴』のあらすじを詳しく

①情熱を失った主人公伊沢

主人公の伊沢は、東京のとある裏町に住んでいます。

荒んだ裏町なだけあって、民度は低俗です。父親の分からない子を孕んだ娘や、若い男にだけ闇値で煙草を販売する婆さんや、兄妹の夫婦関係を黙認する未亡人や、大勢の淫売婦など、多種多様な貧しい人間が暮らしています。

27歳の伊沢は、映画演出家です。しかし、彼の仕事に対する情熱は完全に死んでいます。

伊沢は芸術の独創を信じ、個性の独自性を追求しています。つまり、映画演出家である自分に対して芸術家としての誇りを強く持ち続けているのです。

しかし、周囲の仲間たちは、体裁だけは芸術家を気取った、会社員的な精神の持ち主ばかりです。芸術性を追求する伊沢は、彼らの低俗卑劣な魂を憎んでいます。そのため、伊沢は会社では除け者扱いされ、部長や社長とも意見が交わらないことも多々あります。

会社の企画通りに従えば、給料は保証されます。自らの信念を貫けば、給料を失い生活を窮する羽目になります。

このように伊沢は、生活と芸術の葛藤に悩まされた挙句、情熱を失ったのです。

②気違い夫と白痴の妻

伊沢の家の近所には、気違いの男が住んでいます。時々垣根から侵入してきて、豚小屋で残飯をぶちまけたり、家鴨に石をぶつけたり、鶏に餌をやりながら突然蹴飛ばしたり、気の触れた行動ばかりします。

そして、気違い男の妻は白痴です。まともに会話を交わすことができず、常におどおどしています。

ある晩、伊沢が仕事で遅くに帰宅すると、部屋の中の多少の変化に違和感を覚えます。彼が訝りながら、押入れを開けると、そこには白痴女が隠れていました。

女は訳の分からないことを口の中でぶつぶつ呟いているばかりです。近所から誤解されることをはばかりながらも、伊沢は白痴女をかくまうことに決めます。

情熱を失った彼にとって、一時的な好奇心や刺激のような魅力が白痴の女から感じられたからです。

伊沢は白痴女の寝床を用意しますが、彼女はなかなか寝付こうとしません。それどころか「自分は嫌われている」とぶつぶつ呟いています。

要するに、白痴女は伊沢の愛情を目算に入れて侵入して来たのです。しかし伊沢が女の体に一向に触れないので、自分は嫌われていると判断したのです。白痴の場合、これらの出来事を悲痛に感じているのかは分かりませんが、白痴の心の素直さに伊沢は感心します。

伊沢は白痴女の髪を撫でながら、捉え難い小さな愛情を感じて、切ない思いになるのでした。

③白痴女との生活

白痴女との生活が始まりましたが、伊沢にとっては特に変わったことはありません。いつものように出勤すれば、押入れの中の白痴女の存在も忘れてしまいます。

唯一、空襲の警報が鳴る時にだけ、白痴女が取り乱して、彼女をかくまっていることが近隣にバレないか懸念されました。

深夜、伊沢が白痴女の体に触れれば、眠りながらも女の体は反応します。要するに彼の愛撫に女の体が生理反応を起こすのです。白痴故に魂だけは昏睡していても、肉体は無自覚に肉欲を映し出しています。伊沢は、白痴女の「魂と肉体の乖離」に驚きを覚えます。

また、空襲による爆発音の中、白痴女は絶望の苦悶を浮かべ、一粒の涙さえ零すのです。爆撃が終わった後の女の体からは肉欲すら失われています。

空襲直後の町には、人間の焼けた死体が転がっています。伊沢にはそれが焼き鳥のようにしか見えません。

あるいは、白痴女が焼け死んだとしても、元々魂が無いため、肉体が焼け死ぬだけだろうと考えます。

伊沢は極めて冷静にその瞬間を待ちわびていました。




④東京大空襲

頻繁な東京空襲に、伊沢は自分が住む町も、そろそろ危険だと感じています。その矢先に、空襲が発生します。

住人たちが避難する中、伊沢は皆がいなくなるまで待機しています。近隣に白痴女の存在がバレないように、タイミングを見計っているのです。

突然の落下音とともに、近所の気違い男の家が燃え上がります。周囲の家にも火が移っていることに気づき、伊沢は急いで家に駆け込み、白痴女を押入れから連れ出します。

四周は火の海で、人々は火の手が遠い一方を目指して逃げています。伊沢は集団とは逆方向に逃げることに決めます。反対方向には家々が燃え狂っていますが、それを越えれば小川があるからです。

群衆とは決別し、逆方向に進もうとすると、白痴女は本能的に群衆の方向へ引き返そうとします。

伊沢は白痴女を抱きしめ、「死ぬときは二人一緒だから、決して自分から離れるな」と囁きます。すると白痴女は頷きます。

伊沢は、白痴女が初めて自らの意思を示したことに大きな感動を覚えます。

⑤生き延びた伊沢と白痴女

二人は火の海を走り、ようやく小川の縁までたどり着きます。彼らは生き延びたのです。

情熱を失い精神を紛糾した結果、戦争によって裁かれる日を待ち望んでいた伊沢は、爆弾の雨の中で生きることを選びました。途端に再び虚無によって放心していくのを感じます。その根底には、妙な安堵があるのでした。彼は何もかもが馬鹿馬鹿しくなります。

二人は雑木林の木立に布団を敷いて寝転びます。白痴女は眠ってしまいます。すべての人間が家を失い、焼け跡の中を歩いています。眠っているのは死人と白痴女だけです。いびきをかく白痴女は、肉欲だけが存在する豚のようでした。

伊沢は眠る女を置いて立ち去りたいと思いました。しかし、彼には女を捨てるだけの張り合いも残されていません。ただ、焼け跡などには目もくれず、この先のことを考えています。

自分と白痴女に太陽の光が注ぐのだろうか、今朝は寒かったので、そんなことを考えていたのでした。

そして物語は幕を閉じます。




『白痴』の個人的考察

伊沢は何に葛藤していたのか

映画演出家である伊沢は、芸術に対する探究心を強く持っていました。芸術の独創性や、個性の独自性を諦めることができない、芸術肌の若者だったわけです。

しかし、会社に勤めれば、周囲の人間は同じ演出家でありながら、会社員的な制度に安息する人間ばかりだったようです。

たちが悪いのは、彼らは容姿や言葉は芸術家のように振る舞いながらも、芸術性の欠片もない凡庸な魂の持ち主であることです。伊沢は彼らの低俗卑劣な魂を憎んでいました。伊沢は自らの芸術に対する理想と、現実の職場とのギャップに落胆していたのです。

とは言っても、伊沢も一人の生活者です。給料がなければ暮らしてはいけません。周囲の人間に煙たがられ、社長に楯突く伊沢も、月給が失われることを想像すると不安になります。そして、解雇を告げられずに月給を渡された瞬間には呆れるくらいの幸福感を味わいます。そんな卑小な自分に苦しんでいたのです。

つまり、芸術性の追求よりも、会社員的な月給制度に安息している周囲の人間を忌み嫌っているにもかかわらず、自分自身も月給という生活の要に左右されているという葛藤に悩まされていたのです。

そんな葛藤の最中、白痴女という存在が伊沢に新たな思想を与えるのでした。

伊沢は白痴女の中に何を見出したのか?

伊沢はなぜ白痴女に興味を持ったのでしょうか?

彼女に興味を持ったのは、「生活に情熱を失ったための、一時的な好奇心である」と綴られていました。

しかし、伊沢は白痴であることの特徴に確実に関心を抱いています。それは、白痴であるが故に、意思や意欲を統括する魂が存在せず、肉体だけが人形のように存在するという特徴です。

魂が存在しないのに、性欲を体で表現したり、空襲の恐怖を表情に出したりする白痴女の様子に、実存主義的な思想を捉えていたのだと思います。

いわゆる、人間には魂など存在せず、肉体のみが存在するという考え方です。

伊沢は芸術に対する葛藤に苦しんでいました。そして、芸術とは根本的に実存主義の対極に存在する分野だと考えられます。

なぜなら、肉体ではなく、精神や魂や思考によって追求し、表現されるのが芸術だからです。

芸術の追求に苦しんだ伊沢は、白痴女に実存主義的な観点を見出し、魅了されます。自分にも魂が存在しなければ、芸術に対して苦しむこともなくなると悟ったのでしょう。

精神的に紛糾していた伊沢が、白痴女に惹かれるのは必然的だったのだと思います。

では、空襲から逃げる際に、伊沢が白痴女に抱いた感動は何だったのでしょうか?

それはつまり、伊沢の芸術性に対する回帰だと思われます。

魂など存在せず、肉体だけが絶対的という実存主義に傾倒し、伊沢は自らの精神の疲労から逃れようとしていました。つまり、白痴女と過ごすことで、芸術に対する葛藤から逃避していたのです。

しかし、空襲から逃れる途中に、白痴女が初めて自らの意思を表現します。白痴女と感情を共有したことによって、伊沢は実存主義から脱却し、魂の存在を再び肯定したのでしょう。

魂など存在しないはずであった白痴女が、自分の意思を表現したことに、伊沢は誇りを感じていました。彼が心の底では、芸術や人間の本質的な幸福(感情の共有など)を、完全には諦めていなかったことを意味しているのではないでしょうか。

生き残った伊沢は最後に何を思っていたのか?

魂による芸術の追求に苦心していた伊沢は、戦争という偉大なる破壊によって不安にさせられることに一種の興奮を覚えています。

つまり、彼には破滅願望があったのだと思われます。

いわゆる、月給という会社員的な幸福に縋ってしまう自分を、自らの手では裁くことができない伊沢は、戦争の破壊によって裁かれることを待ち望んでいたわけです。

しかし、空襲から逃れて生き残った伊沢は、再び元の暗闇に引き戻されると同時に、安堵を感じていました。

つまり、生きることを選んだ伊沢は、月給に幸福を感じる生活に引き戻されると同時に、そんな卑小な自分を心のどこかで受け入れたのではないでしょうか。

住む家を失い、希望すら不明確で、最後まで伊沢は生きることに対する疑問を抱えています。しかしその反面で伊沢は、「自分と白痴女に太陽の光が注ぐだろうか」と考えています。心のどこかでは自分の人生が日の目を見ることを期待しているように感じられます。

魂の存在を否定したくても、最後まで諦めきれなかった伊沢です。破壊による裁きはこの先の戦況次第であり、伊沢にもどうなるか分かりません。不透明な未来に投げやりな気持ちではありますが、それでも伊沢は歩き出そうと決意します。なぜなら、戦争は肉体を裁けても、魂だけは裁けないからです。

肉体が存在する限り、彼は魂の歩みを止めないことを誓ったのでしょう。

敗戦間近の日本人の不安と、それでも生きようとする幽かな希望が描かれていました。

肉体と魂、芸術と生活、理想と現実、あるいは常人と白痴の対比、それら全てが生と死の葛藤の役割を果たしていたように感じられます。

本作『白痴』に込められた主題をより理解するためには、エッセイ『堕落論』を読むことをお勧めします。

『堕落論』の考察は下記からご覧ください。

電子書籍での読書がおすすめ!

『白痴』を読むにあたって、電子書籍「Kindle」がおすすめです。

「Kindle Unlimited」を登録すれば、多くの書籍が読み放題です。今なら30日間無料です!
是非、お得に読書してください!

当ブログの筆者は元々アンチ電子書籍でした。しかし紙の本より価格が安く、場所を取らず持ち運びが便利で、紙媒体と大差ない視覚感で読むことが出来る「Kindle」は、思わず買ってしまいました・・・

今ではもう手放せない状態です。

「Kindle」の魅力については下の記事にて紹介していますので、アンチ電子書籍の人は騙されたと思って読んでみてください。

以上、坂口安吾の『白痴』のあらすじと考察の説明を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




コメント

タイトルとURLをコピーしました