夢野久作の短編小説『瓶詰地獄』は、久作文学の中で屈指の名作とされています。
その謎の多さから、読者に解釈を委ねる、ある種のミステリー小説としても知られています。
1986年には日活で映画化され、夢野久作の官能的な世界観がロマンポルノで演出された。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 夢野久作(47歳没) |
発表時期 | 1928年(昭和3年) |
ジャンル | 短編小説 |
ページ数 | 14ページ |
テーマ | 自然と文明の衝突 厳格化する宗教観念 |
収録 | 短編集『瓶詰の地獄』 →表題作含む7編収録 |
あらすじ
ある町役場から、手紙の入った瓶が3つ打ち上げられたと報告がありました。その手紙には、ある兄妹の告白が綴られていました。
1つ目の手紙には、離島に遭難したであろう兄妹2人のもとに、父母が救助に来る場面が綴られています。ところが2人は並々ならぬ罪の意識から、救助を目前にして、崖から身を投げようとするのでした。
2つ目の手紙には、遭難して10年ほど経過した離島での生活の様子が綴られています。 厄介な動物は生息せず、それでいて食物が豊富な環境に、兄妹は幸福な様子でした。ところが、兄妹はお互いによからぬ感情を抱き始めます。兄は熱心なキリスト教の信仰者であるため、近親相姦の罪に悶え苦しみます。
3つ目の手紙には、「オ父サマ。オ母サマ。ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニ、コノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。」とのみ綴られていたのでした。
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個人的考察
手紙の時系列の謎
本作『瓶詰地獄』は、夢野久作が得意とする、書簡体形式かつ独白体形式の作品です。
ある町に手紙の入った瓶が3つ打ち上げられ、それを海洋センターに送付するという導入によって、兄妹の独白の物語へと展開します。
ここで問題となるのが、3つの手紙の時系列が、果たして物語の順序通りであるかは、定かではないという点です。
作中では、次のような順序で綴られます。
- 第一の瓶の内容:自殺をほのめかす
- 第二の瓶の内容:罪悪感に苦しむ
- 第三の瓶の内容:救助を求める
実際は3つの便は同時に打ち上げられたため、どれが「第一の瓶」かは不明で、その順序は発見者ないしは読み手の都合に委ねられます。あるいは、そもそも読了後に、明らかに正しい順序ではない違和感を拭えません。
救助を目前に自殺を試みる様子が1つ目の手紙、遭難した孤島での生活と近親相姦の葛藤が2つ目の手紙、自身の安否と助けを求める内容が3つ目の手紙です。
一般的には、「3つ目の手紙→2つ目の手紙→1つ目の手紙」が正しい順序だと考えられ、個人的にもその解釈で問題ないと思います。遭難後に救助を求める手紙を海に流し、孤島での生活の中で近親相姦の罪に苦しみ、最後に自殺を試みる、という順序であれば納得できます。
ちなみに、2つ目の手紙の内容によると、最初に3つ目の手紙を海に流してから、近親相姦に葛藤する2つ目の手紙を海に流すまでに10年が経過していることが分かります。その後、自殺を決行する1つ目の手紙までのスパンは、それほど長くないと推測できます。
手紙の内容の矛盾
手紙の時系列だけでなく、その内容にも矛盾がありました。
3つ目の手紙には、父母を乗せた船が救助にやって来る場面が綴られています。ともすれば、最初に海に流した手紙(3つ目の手紙)を誰かしらが発見して、それを手がかりに救助に来た、という経緯がなければ成立しません。
お父さまや、お母さまたちはきっと、私たちが一番はじめに出した、ビール瓶の手紙を御覧になって、助けに来て下すったに違いありませぬ。
『瓶詰地獄/夢野久作』
しかし、実際は3つの手紙は同時に打ち上げられました。仮に最初の手紙だけが先に打ち上げられ、海洋センターに送付されたなら、救助に向かうシナリオも成立します。3つともが同時に発見されたとなると、父母が救助に向かうのは不可能で、矛盾が生じるわけです。
以上の矛盾から、兄が目撃した救出の船は、幻覚・幻影だったと考えられます。
では、なぜ兄は幻覚を見るような精神状態に陥っていたのでしょうか。
それは近親相姦による罪の意識を抱いていたからでしょう。
父母を乗せた船の到来を、兄は次のように表しています。
けれども、それは、私たち二人にとって、最後の審判の日の箛よりも怖ろしい響で御座いました。私たちの前で天と地が裂けて、神様のお眼の光りと、地獄の火焰が一時に閃めき出たように思われました。
『瓶詰地獄/夢野久作』
「最後の審判」とはキリスト教でいう「怒りの日」と同様、生前の行いによって天国か地獄かを決められる審判のことを指します。そして兄は自らが地獄に堕ちることを悟っていました。
孤島である故に近親相姦の罪は内情に留まっていましたが、孤島から救助されれば公になってしまうわけです。それはある種の断罪を意味します。だからこそ父母の「救い」は、兄妹にとっては「裁き」と同様の意味を持っていたのでしょう。
「神からも人間からも救われ得ぬ」という文章が印象的です。聖書の教えを破った罪悪感と、世間から断罪される恐怖、その両方が交錯した感情が読み取れます。
神と世間を酷く恐れるあまりに、兄は幻覚を見るような精神状態に陥ったのかもしれません。
近親相姦とキリスト教
兄は近親相姦に対する罪の意識を強く感じていました。実際に聖書には、密接な親族内における性的関係を禁じる内容が記されています。
ましてや兄はキリスト教を強く信仰していましたから、その背徳感は尋常なものではなかったでしょう。漂流時には聖書を持っており、孤島での生活において、聖書を神様とも、両親とも、先生とも思って過ごしていました。
その信仰心に反するように、妹に対する情欲が芽生えると、兄は自殺を考えたり、神に祈って死を願ったりしていました。その祈りとは裏腹に、神は地上に姿を表さず、何の施しも無いために、見捨てられた感覚になっていました。やがて妹に対する欲情が信仰心を上回り、聖書を燃やしてしまいます。ところが聖書を燃やしたところで神の存在が消滅するわけもなく、罪の意識は残り続けました。
このような兄の葛藤は、自然環境における本能的な欲望が、聖書の教えによって否定される様、つまり「自然」と「文明」の対立を表現しているように思います。過剰に厳格化した宗教イデオロギーに対する皮肉が含まれているのかもしれません。
本来人々を救うはずの宗教が、その信仰の強さによって自死をもたらすのですから矛盾です。ましてや聖書では自殺も罪に含まれますから大矛盾です。盲目になる程何かを強く信仰した場合、時に人間の自由や生命すらも脅かす、という問題提起が読み取れます。
3つの手紙の宛先と役割は異なる
同時に打ち上げられた3つの手紙は、それぞれ目的や宛先が異なっていると考えられます。
最初に海に流し手紙(3つ目の手紙)は、単純に安否の知らせと救助の願いが記されているため、世間ないしは父母に向けられたものだと解釈できます。
2つ目の手紙には、次のような文章が最後に綴られています。
神様、神様。あなたはなぜ私たち二人を、一思いに屠殺して下さらないのですか…………。
『瓶詰地獄/夢野久作』
神に対する嘆き、あるいは神に対する懺悔のような文章です。自らの過ちをわざわざ世間や父母宛に知らせる理由がありません。ともすれば2つ目の手紙は、カトリックでいう「赦しの秘跡(懺悔室)」のような意図で書かれた文章だと解釈できます。神様宛の手紙なのです。
最後に、自殺直前の心境が綴られた1つ目の手紙は、救助に来た人間に拾い上げてもらう想定で書かれたものでした。つまり、他人に読んでもらうことを意図して書いた自殺前の告白、「遺書」に違いありません。
その証拠に、1つ目の手紙には、自分達が罪深い人間であることは言及しているものの、それが近親相姦という罪であることは伏せられています。神に対する懺悔の手紙にだけ事実を記し、世間に向けた遺書では事実を隠しているのでした。
- 第一の瓶:遺書
- 第二の瓶:神に宛てた懺悔の手紙
- 第三の瓶:SOS
このように三者三様の目的で書かれた、時系列の異なる3つの手紙によって、物語が構築されているのです。
まるで辻褄が合わない、矛盾だらけの物語。読者に推理させる意図が、夢野久作にはあったのかもしれません。
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