村上龍『ラブ&ポップ』あらすじ考察 援助交際とトパーズの指輪

ラブ&ポップ 散文のわだち
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村上龍の小説『ラブ&ポップ』と言えば、庵野秀明によって映像化されたことでも有名な作品です。

90年代に社会現象となった援助交際をモチーフに、女子高生の実態を描いた物語には力強いメッセージが含まれています。

主人公の裕美が援助交際を決意してからの心情の変化を、当時の時代背景と照らし合わせながら考察していきます。

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『ラブ&ポップ』作品概要

作者村上龍
発表時期1996年(平成8年)
ジャンル長編小説
テーマ援助交際
90年代の女子高生の実態
最小限の共同体における求愛
関連庵野秀明により実写映画化

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『ラブ&ポップ』の簡単なあらすじ

女子高生の裕美は、友達と渋谷の109に出かけた際に12万8千円のトパーズの指輪が欲しくなります。

欲しいと思ったものを今すぐ手に入れないとすぐに特別感は失われてしまうと考える裕美は、援助交際をして指輪を手に入れることにします。

チック症の男にレンタルビデオ屋で性器を握らされるなど、酷い経験をする裕美は、最終的にはファズの人形と会話をするキャプテンEOと名乗る青年に、ラブホテルで暴力をふるわれます。

結局指輪を買えなかった裕美ですが、彼女は別の何かを手に入れたようです。それが良いことなのか悪いことなのか、誰も教えてくれません。しかし少なからず、彼女はこれらの経験を通して成長しているようでした。

『ラブ&ポップ』個人的考察

援助交際を否定も肯定もしない作品

援助交際をする女子高生のサイドで小説を書いた」と村上龍はあとがきに記しています。

文学における論争で、事実に対して主観的に書くべきか、客観的に書くべきか、という対立が存在します。例えば死刑制度についての小説を書くとして、死刑制度に賛成ないしは反対という主観的な主張を書く場合もありますし、実際にこの国に死刑制度が存在してそれは何故なのか、という客観的事実だけを取り上げて書く場合もあります。どちらが正解でもありませんが昔から意見が別れるテーマです。

村上龍は本作に「モラリティを扱うのは文学ではない」と記しています。つまり、援助交際が正であるか悪であるかという問題は作品の意図に無関係であり、援助交際についての客観的な事実だけが描かれているということでしょう。

事実、本作『ラブ&ポップ』は女子高生のサイドで描かれている故に非常に客観的です。なぜなら、援助交際をしている当人が「援助交際は悪である、正である」というはっきりとした主張を持っていないからです。

つまり、女子高生のサイドに立つとは、援助交際が悪でも正でもない、ある種ただの実態として小説を書くことと変わらないのです。むしろ、説明できない動機がモラルを超えてしまった先に一体何が存在するのか、という問題の方が作品を紐解く上で重要だと思われます。

裕美が指輪の先に求めていたものは?

正とも悪ともつかない援助交際の先に存在するトパーズの指は一体何を象徴していたのでしょうか?

裕美は指輪が手に入らなかった事実に対して孤独感を抱いていました。足りないと言う気持ちを抱えたまま友達と楽しむのは難しく、不足感は結果的に個人を孤独に陥れると言うのです。

ともすれば、指輪のその先に存在するのは孤独ではない自分、他者との繋がりがある自分、ということになるでしょう。

冒頭に記されている「ブランド品を本気で欲しいと思っている人なんていない」という文章が象徴的です。他者との繋がりに飢えた閉塞的な若者が、指輪という特別なアイテムを通して他者に最後の求愛を求めている様子が描かれているのではないかと考えられます。

物の価値を理解していなくても、物が価値を与えてくれた時代が背後に存在した、90年代の若者たち。

彼女たちは、自分に価値を与えるアイテムを手に入れるために、自分の価値を下げる援助交際に手を出していました。支離滅裂になるくらい、彼女たちは閉塞的な社会の中で他者への求愛に飢えていたのではないでしょうか。

理由を持たないモラルに気づいた世代

作中に登場する男たちは非常に理解し難い存在でした。

しゃぶしゃぶを食べながらの説教で数千円払う男、女子高生が噛み砕いたマスカットに13万円払う男、レンタルビデオ屋の店員に恋人を見せつけるために5万円払う男。

裕美にとっては男たちが「判らない存在」であり、判ろうとすることの無意味さも悟っていました。「判らない存在」がこの世界に存在するという事実だけを受け止めていたのです。

同じように、由美は援助交際についても「判らなかった」わけです。「指輪のために援助交際に手を出すのが良いことか、悪いことかは判らない、誰も教えてくれない」と綴られています。あるいは援助交際が悪いことだと主張する大人が、どうして悪いかは説明してくれないという事実も綴られています。

要するに、異常な男たちの存在と同じくらい、援助交際にまつわるモラルは判り得ない問題だったのです。

これこそ、村上龍が作品を通して表現した主題のひとつではないでしょうか。

国家や社会が設ける規範に明確な理由が存在しないという虚偽に主人公の裕美は気づいていたのでしょう。

バブル崩壊後の90年代の若者は、社会の規範通りに生きたとしても、必ずしも明るい未来を約束されるとは限らないという事実を潜在的に感じていたのだと思います。それでもなお個人を共同体の一部として吸収しようとする仕組み(つまり、どうして悪いかは説明してくれない社会)の中で、彼女たちは自分が今この瞬間にいかに特別でいられるかという向こう見ずな理想に没入していたように思われます。

援助交際が結果的に自分の将来に尾を引く傷になったとしても、根本的に明るい未来は保証されていないのだから、モラルの外側に飛び出してでも今この瞬間に欲しいものを手に入れればいいのだ、という刹那的な考えがあったのではないでしょうか。

むしろ個人と指輪という最小限の繋がりこそが、理由も実態もない巨大な共同体から逃げ出す最終的な手段だったのでしょう。その先に存在する他者への求愛だけが救いだったのかもしれません。

指輪と包紙の対照的な概念

こんなことしちゃだめなんだよ、名前も知らないような男の前で、裸になったりしちゃだめだ、それを知ったらすごく嫌がる人がいるんだ。誰にだって、必ずいる、そいつが一人でいる時に、悲しくて辛くて泣きそうで一人でいる時に、そんな時に、そいつの大切な女が、男の前で裸になってるって知ったら、どんな気分だと思う? お前はわかってない、こういう時、自分のことなんか誰も考えてないと思ってる、こんな、胸とか触られて、真っ裸で、こういう時に、どこかで誰かが死ぬほど悲しい思いをしてるんだよ

『ラブ&ポップ/村上龍』

キャプテンEOと名乗る男の台詞がとても印象的でした。

彼は一見優しくて容貌も悪くない少し変わった青年でしたが、いざホテルに行けば過去に何度も猟奇的な方法で女性を犯していたことが判ります。少なからずこの恐怖体験は裕美の価値観に影響を与えました。援助交際をして悲しむ人間がいるという正論に感化されていたように思われます。

疲れ切って帰宅した後の「指輪ではなく、包紙を手に入れた」という文章が博美の心情の変化を巧みに表現していました。

欲しいものは今すぐ手に入れたい、今この瞬間の特別感はすぐに平凡なものに変わってしまうから、という感覚。その先に存在する求愛こそが、トパーズの指輪に象徴されていたと思います。その一方で、「悲しむ人間がいる」というキャプテンEOの正論は、彼が残した「包紙」に象徴されていたように思われます。

ここで初めて裕美の中で、非モラルとモラルが衝突したように感じます。

しかし、キャプテンEOの言葉は正論だとしても、彼自身は非モラル的な「判らない存在」でした。仮に両親や先生やその他の大人たちに同じ台詞を言われても裕美の心情に変化を与えることはなかったでしょう。判らないものに囚われた者同士の親和、と表現するのは大袈裟かもしれませんが、キャプテンEOという支離滅裂な男に言われた台詞だから裕美の心に響いたのは事実でしょう。

実質的に裕美はトパーズの指輪を手に入れることが出来ませんでした。彼女の手元に残ったのはキャプテンEOが残した包紙でした。悲しむ人間がいると言う価値観だけが彼女の中に残ったのです。しかし、それすらも「良いことか、悪いことかは判らない、誰も教えてくれない」のでした。

結局最後まで裕美には援助交際がどうして悪いことなのかは判らなかったのです。されど、キャプテンEOの包紙を捨てずに引き出しに直して、彼が教えてくれた映画のタイトルを忘れないようにメモしたことから、裕美は「悲しむ人がいる」という価値観を忘れないようにしようとしたことが判ります。父親の弱々しい「おやすみ」という声を聞いて、「自分は悪いことをしてるんだな」と彼女は実感していました。なぜ悪いか判らなくても自分は悪いことをしたと「判らない存在」を受け入れた様子に、裕美の成長が感じられました。

指輪が手に入らないことで生まれる孤独感を、「悲しむ人がいる」という価値観で克服したのかもしれません。

最初と最後の夢の意味

小説の最初と最後には、裕美が見た夢の内容が記されています。

冒頭の夢は、キノコ採取をするデブの男がサソリを見つけて、「刺されたら死ぬ」と訴えますが、看守は知らんふりをしている、という内容でした。

前述の考察にもあるように、明確な理由を持たない社会規則の虚偽が象徴されているように思われます。なぜ自分がキノコ採取をさせられているかは判らず、個人の危機や主張などは無視される、そんな否応なく国家主義に吸収される個人の様子が描かれていたのでしょう。

最後の夢は、大きな冷凍庫の中で凍っている何匹かの犬のうちの一匹を抱きしめると、氷が溶けて犬が嬉しそうに吠え始める、という内容でした。

彼氏がいても援助交際を厭わず、彼との別れを予感しても心が揺れ動かなかった裕美にとって、「悲しむ人がいる」という価値観を知ったことで、何匹かのうちの一匹を選ぶこと、一人だけに愛を注ぐというマインドに変わったことを示唆しているのではないでしょうか。

映像作品で楽しむ『ラブ&ポップ』

本作は、1998年に庵野秀明によって実写映画化されています。

村上龍の原作に限りなく忠実に描かれていますが、エヴァンゲリオンでも使用される「明朝体の文字」を用いるなど、庵野監督の独特な世界観に仕上がっています。

エンドロールの「あの素晴しい愛をもう一度」を歌いながら女子高生4人が渋谷川を歩くシーンは非常に有名です。

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以上、村上龍の『ラブ&ポップ』のあらすじ考察を終了します。

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