ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』は、世界文学史上、最大の傑作と言われています。
当時、本作を読んだ若者が大勢自殺するという社会現象を招き、「精神的インフルエンザの病原体」と呼ばれました。
ちなみに現代でも、著名人の自殺による誘発は「ウェルテル効果」と呼ばれています。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | ゲーテ |
国 | ドイツ |
発表時期 | 1774年(18世紀) |
ジャンル | 長編小説 書簡小説 |
ページ数 | 213ページ |
テーマ | 青年の苦悩 叶わぬ恋 反啓蒙主義 |
あらすじ
物語は、ウェルテルが友人に宛てた書簡によって構成されています。
ウェルテルは新たにやって来た土地で、その自然の素晴らしさにこの上ない幸福を実感していました。そんな彼に劇的な出会いが訪れます。老法官の娘シャルロッテと対面し、その美貌と知性に心を射抜かれたのです。しかしロッテには婚約者がいるため、決して叶うことのない恋でした。
ウェルテルは、婚約者が居ると知りながら、取り憑かれたようにロッテの元を訪れ、彼女の幼い弟や妹たちに慕われるようになります。ロッテの婚約者アルベルトとも対面するのですが、彼があまりに善良な人間であったことが、かえってウェルテルに苦悩を与えます。遂にウェルテルは耐え切れず、その土地を去り、仕事に精を出すのですが、どうしてもロッテのことが忘れられず、再び元の土地に戻ってしまいます。その頃には、ロッテとアルベルトは結婚していました。
そんなある日、旧友の男が、女主人への叶わぬ恋の結果、殺人を犯します。まるで自分の境遇と重なったウェルテルは、男を擁護する立場を主張し、人々から不審な目を向けられます。この頃からウェルテルは胸中で自殺を想定し始めます。アルベルトからは冷たくあしらわれ、ロッテからも理性的になることを求められます。それでも情熱的な恋心を止められないウェルテルは、精神的に病み、とうとう自殺を決心します。アルベルトから借りたピストル、ロッテが触れたピストル。愛する者が与えたピストルによって死ぬことができることに感謝し、ウェルテルは十二時の鐘と同時に引金を引くのでした。
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個人的考察
精神的インフルエンザの病原体
18世紀に刊行され、今もなお多くの人々に愛読される、世界文学史上、最大の傑作。
なんと発表当時は、「精神的インフルエンザの病原体」と呼ばれました。
その理由は、本作を読んだ若者がこぞって自殺する社会現象が巻き起こったからです。地域によっては発禁になるほどの問題作でした。
青年たちの間では、作中でウェルテルが着ている、青い燕尾服に黄色いチョッキとズボンというファッションが流行するほどの影響力でした。そして今もなお、有名人の自殺に感化されて自殺の連鎖が起こる現象を「ウェルテル効果」と呼びます。
そもそも本作は、ゲーテ本人が経験した、婚約者への叶わぬ恋がモチーフになっています。
法律の勉強のために赴いた田舎町ヴェッツラルで、ゲーテは婚約者のいるシャルロッテ・ブフという女性に恋をしますが、激しい恋幕を抑えて土地を離れます。ヴェッツラルを去った後のゲーテは、不安定な精神状態になり、一時は短剣を手に取って死を考えたほどでした。また同時期にヴェッツラルでの友人が自殺したという報を耳にします。あまりにショックを受けたゲーテは、自身の苦しい恋愛体験と友人の自殺を結び合わせて、『若きウェルテルの悩み』を執筆したのでした。
ちなみにゲーテ自身、本作によって自殺が流行した問題に対し、決して自殺を擁護するための作品ではないと主張しています。
とは言え、本作に綴られるウェルテルの厭世的な吐露を読んでいると、正直かなり陰鬱とした気分になります。叶わぬ恋の末に自殺した男の物語、といえば陳腐ですが、書簡形式で綴られる苦悩や嘆きは、もはや精神的な病原体と呼んで差し支えないでしょう。
これから読まれる方は、どうか心して挑んでください・・・。
啓蒙主義という時代背景
本作が多くの若者を自殺に招いた原因は、当時の社会的背景に大きく関係します。
当時のヨーロッパでは啓蒙主義なる思想が主流でした。簡単に言えば、人間本来の理性の自立を促す思想です。
作中に、まさに啓蒙主義を表した文章が綴られるので引用します。
恋愛するのはもっともだが、ただしもっともな恋愛をしたまえ。(中略)財産を計算して、必要なかかりを除いて、残った部分からその娘さんに贈り物をするというのなら結構だ。
『若きウェルテルの悩み/ゲーテ』
自分の情熱のとりこになって思慮分別を失った人間というものは、酔っ払いや狂人みたいなものだからね。
『若きウェルテルの悩み/ゲーテ』
政治や社会といったあらゆる側面から考えることができる思想ですが、本作の物語に即した表現をするなら、恋心のあまり感情的になるのは間抜けな人間のすることだから、仕事や生活といった現実的な問題を理性で考えて、まともに恋をしなさい、といった具合ですね。
ともすれば人妻に恋をして、感情的になり、苦悩の末に自殺したウェルテルは、まるで正反対の人間です。理性どころか本能剥き出しです。
人によっては、叶わぬ恋に敗れたくらいで自殺するなんてただのメンヘラじゃないか、と吐き捨てるかもしれません。しかし社会全体の雰囲気が啓蒙思想である当時において、ウェルテルの行為は非常にシビアで、断じて周囲に打ち明けることができない問題だったのです。だからこそ彼は内面の葛藤に苛まれ、酷く精神を病んでしまったのです。
そもそもウェルテルは、精神を病む以前から、反啓蒙主義の思想を主張していました。
理性に従った人間など、役人としては立派かもしれないが、理性で恋愛や芸術活動ができるわけがない、と考えていたのです。そのため、ロッテへの恋幕に限らず、根本的に彼は社会において生きづらさを感じていたのでしょう。
自分の情熱や自分の欲求からでもないのに、他人のため、金のため、あるいは名誉とか何とかのためにあくせくする人間はいつだって阿呆なのだ。
『若きウェルテルの悩み/ゲーテ』
ぼくの知っていることなんか、誰にだって知ることのできるものなんだ。ぼくの心、こいつはぼくだけが持っているものなのだ。
『若きウェルテルの悩み/ゲーテ』
理性や知識や社会性よりも、もっと人間の根本的な、自然と湧き上がる情熱的な感情の方が大切だと訴えているのです。
こういった「感情の自由」や「人間性の解放」を強調する反啓蒙主義的な文学活動を、「シュトゥルム・ウント・ドラング」と言います。日本語に直訳すれば「疾風怒涛」です。
理性的な行動を強いられる当時の窮屈な若者にとって、ウェルテルの思想は大きな共感を呼びました。それが良くも悪くも悲劇を招いたのです。物語としては、感情の自由や人間性の解放を求めたウェルテルは、結果的に啓蒙主義に敗北し、自殺に至ります。それは当時の若者にとってはあまりにショックな内容で、厭世的な気分が伝染してしまい、自殺さえも流行してしまったのでしょう。
ウェルテルが犯した罪が革命的
『若きウェルテルの悩み』は当時、革命的な文学作品と言われました。
それまでの小説は、恋愛小説であれ、旅行小説であれ、読書を楽しませ教訓を与えるといった、いわばエンタメ的な役割でした。それにもかかわらずゲーテは、個人の精神的な葛藤や、内面の奥深い部分を追求し描いたため、賛否両論あったみたいです。考え方によっては、現在一般的に「純文学」と呼ばれるものは、本作をもって誕生したとも言えるでしょう。
さらに革命的なのは、ウェルテルが犯したとんでもない二つの罪です。
キリスト教圏内である西洋において、倫理的に禁じられていること、それは人妻との恋愛、そして自殺です。ウェルテルはその二つを犯したのです。
あるいは作中でウェルテルは何度も神を引き合いに出して嘆きます。
神様、あなたは私にいっさいを与えてくださったが、なぜあなたはその半分を差し控えておいて、その代わりに自信と自足を下さらなかったでしょう。
『若きウェルテルの悩み/ゲーテ』
ウェルテルは人妻ロッテに恋幕したものの、結局はその思いをストレートにぶつけ実現することができませんでした。彼には自信や自足が欠落していたのです。それを神様のせいにしています。いわば、全知全能なる神に楯突いていると捉えられてもおかしくありません。
その結果、ウェルテルの棺を運ぶ場面では、「聖職者は一人も随行しなかった」と綴られています。自殺という罪を犯した者に神の救いは与えられないのです。
キリスト教における罪を二つも犯し、あげく神に楯突いたウェルテル。それは西洋においてはタブーであり、しかしそれを包み隠さず赤裸々に描いた点で、本作は前例のないとんでもない作品だったわけです。
とは言え、実際にはタブーな恋愛をする者や、自殺したい精神状態の者が一定数いたと考えられます。そういった意味で、本作は当時の若者に共感を与えたのではないでしょうか。
オシアンの歌について
最後にウェルテルとロッテが顔を合した時、歌の朗読をしてからキスをする場面は有名です。
この時に朗読される、スコットランドの伝説的詩人オシアンの「セルマの歌」と「ベラソン」の冒頭は、一体何を暗示していたのか。
■セルマの歌
吟遊詩人オシアンは、かつてセルマ城で歌った三つの歌を思い出し、その内容が語られます。
一つ目は、コルマの嘆きの歌です。
コルマにはザルガルという恋人がいましたが、彼らの一族は長らく敵対視していました。その結果、コルマの兄とザルガルは相打ちで死んでしまいます。一度に兄と恋人を失ったコルマは悲しみに暮れるのでした。
二つ目は、兄の死を嘆くミノナの歌です。
かつてこの嘆きの歌をオシアンとウリンが交唱したことがありました。しかしウリンの亡き後、オシアンが全てのパートを一人で歌う、という内容です。
三つ目は、アルミンの嘆きの歌です。
アルミンには息子アリンダルと娘ダウラがいました。ダウラにはアルマルという婚約者がいました。このアルマルがエラトの兄を殺したことが悲劇の始まりです。兄を殺されたエトラは復讐のため、アルマルの婚約者ダウラに接近します。アルマルは婚約者を助けるためにエラトに矢を放ちますが、謝って彼女の兄アリンダルを殺してしまいます。さらにアルマル自身も、波に飲まれて死んでしまいます。兄と婚約者を失ったダウラもその場で死んでしまいます。二人の子供と娘の婚約者を失ったアルミンは、途方に暮れるのでした。
人物名や人間模様が複雑であるため、少し分かりづらいのですが、要は身内の死を悲しんだ歌です。とりわけ、恋愛の結果、家族が争い血を流すという物語です。
これはまさにウェルテルが置かれている状況、つまり恋のいざこざで、他人の家庭を掻き乱している様子と重なります。
そしてロッテ自身もウェルテルを嫌っておらず、むしろ彼を兄妹として愛情を注げたらどんなに幸福か、と考えていました。そのためロッテは歌の内容に感極まり、涙を浮かべて、熱いキスを交わしたのでした。
■「ベラソン」の冒頭
「セルマの歌」の後、「ベラソン」の冒頭も読み上げられます。
なぜ私を目覚めさせるのか、春風よ。お前(春風)は雨を持ってきたと媚びるが、私はもう枯れかけている。私の葉を散らす嵐が近づいている。明日旅人がやってくるだろう。旅人は過去の美しかった私を探すだろうが、野原に私を見つけることは出来ない。
この枯れかけている花とは、自殺を決心したウェルテル自身を仄めかしています。つまりロッテがいくら媚びても、もう自分は死んでしまうのだ、と暗喩的に訴えているのです。
このように、実は歌を朗読する対面のシーンは、かなり情熱的で感極まるやり取りが交わされているのです。少々本文だけでは分かりづらいですが、その内容を理解した上で読み返せば、胸を揺さぶられるのではないでしょうか。
和製『ウェルテルの悩み』
以上、『若きウェルテルの悩み』を考察してきましたが、最後にひとつだけ。
ゲーテの後世まで及ぶ影響は凄まじいものですが、もし日本版の『若きウェルテルの悩み』を挙げるとすれば、夏目漱石の『こころ』ではないでしょうか。
実際に漱石とゲーテの繋がりはあまり研究されていないのですが、『若きウェルテルの悩み』と『こころ』の類似性はしばしば指摘されています。
三角関係の恋模様の末に、自殺したK、あるいはその罪悪感を抱えた先生が、明治時代の終焉と共に自殺する物語。その背景には、全体主義と個人主義の葛藤といった要因もあります。
まさに啓蒙主義の息苦しさの中で苦悩し、恋のいざこざの果てに自殺するウェルテルと重なる部分がありますね。
「恋は罪悪ですよ」と、『こころ』の先生が口にするように、人間は自らを破滅に追い込むような恋をしてしまい、社会との軋轢に苦悩してしまうものなのでしょう、あるいはそういう物語が好きなんでしょうね。
ちなみに作者のゲーテはこんな言葉を残しています。
「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」
『若きウェルテルの悩み/ゲーテ』
自殺連鎖というネガティブな印象が強い本作ですが、ゲーテのこの言葉は唯一の救いです。
自らを破滅に追い込むほど、情熱的に生きることのできない人間など、不幸でしかない。
私は本作からそんな教訓を得ました。
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