川端康成『舞姫』あらすじ解説|敗戦後の壊れゆく家族の物語

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舞姫-(5) 散文のわだち

川端康成の小説『舞姫』は、敗戦後の壊れゆく家族を描いた戦後文学の代表作である。

夢を諦めた元バレリーナの母、その夢を託された娘、妻の財産にたかる父、人生に冷め切った息子、彼ら孤独な一家の関係を通して、敗戦後の日本人の哀しみが描かれる。

のちの川端文学の重要テーマ「魔界」という言葉が初めて登場した作品でもある。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語を詳しく考察していく。

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作品概要

作者川端康成(72歳没)
発表時期  1951年(昭和26年)  
ジャンル長編小説
ページ数244ページ
テーマ敗戦後の壊れゆく家族
日本人の虚脱感
孤独への永劫回帰

あらすじ

あらすじ

元バレリーナの波子は、今はバレエ教室を営む二人の子供を持つ母である。夫婦関係は冷え切り、波子は夫に内緒で過去の恋人・竹原とプラトニックな逢瀬を繰り返す。夫の矢木も家族に内緒で貯金をし、裕福な妻の財産を確保しようと企んでいる。

夫婦には品子と高男二人の子供がいる。波子は娘に夢を託して品子のバレエ育成に勤しんでいる。息子の高男は冷めた性格で、両親の荒んだ関係や、この国の未来について、無気力で無関心な態度を取っている。

ある時、波子は竹原との逢瀬を息子の高男に見られる。それが原因で夫の矢木に長年の精神的浮気を子供の前で責められる。一家は実質バラバラだった。

波子はいっそ現在の住まいである北鎌倉の別荘を売って、空襲で焼けた東京の家を娘の舞踏研究所に建て替えようと計画している。その計画を竹原に相談していたのだが、夫の矢木が土地の名義を自分のものに変えている疑惑が発覚する。その件について竹原は、自分が八木と対決すると宣言する。

宣言通り家にやって来た竹原を、夫の矢木は女中に命じて追い払う。ちょうど東京の稽古場に行くつもりだった娘の品子は急いで竹原を追いかける。品子は母に代って竹原に何か伝えたいことがあったが何も言えず別れることになる。そして湘南電車にとっさに乗った品子は、かつてのバレエの師匠で、今も想いを寄せる香山に会いに行くのだった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

『山の音』と対になる作品

本作『舞姫』は、傑作『千羽鶴』『山の音』に次いで発表された戦後の作品群の1つである。

元プリマ・バレリーナの家族の冷え切った関係を通して、敗戦後の崩壊しゆく日本の「家」が描かれる。『山の音』と非常にテーマが近い作品である。

『山の音』も敗戦後の荒んだ家族の姿が描かれるが、異なるのは女性の自活に関してだ。『山の音』の菊子は戦争で心に傷を負った夫の病的な浮気に対し、ただ黙して家で苦しむことしかできない。戦後には女性の社会的自立が進むものの、しかし古い道徳に縛られた菊子は、夫に捨てられたら生きていけないのだ。

一方で『舞姫』の波子は元バレリーナで、バレエ教室を営む自活した女性である。職も財産もあるため自主的に行動できる女性だ。確かに夫との夜の交わりを拒んだことはなく、竹原との逢瀬もプラトニックに留まっているが、最終的に夫との交わりを拒否する場面に彼女の自立が表れる。

また波子が性的快楽を感じる描写も彼女の自立を表している。若い頃の波子は夫との交わりにおいて、金の輪がくるくる周り、目の中が真っ赤に染まる快楽を感じていた。実はこの部分はもっと長く描かれていたのだが、破廉恥を理由に出版社から修正依頼が入った。実際は少しも破廉恥ではない。出版社が修正を申し出た本当の理由は、女性が性欲を感じている点にある。

というのも、かつて女性には性欲がないとされていた。夫に隷従し、家に閉じ籠って、子供を産む。そういう封建的な社会において、女性が性欲に従って行動すれば男性優位の社会が崩壊する。それは強い軍事国家を作りたい当時の政府にとって都合が悪かったのだ。

こうした古い道徳観が、戦後間も無くはまだ残っていたのだろう。それを打ち破って波子に性欲を与えたところに、本作『舞姫』の文学的な価値を見出せる。

また本作『舞姫』は、川端文学で「魔界」という言葉が初めて用いられた作品でもある。のちの前衛的な傑作『みずうみ』『眠れる美女』等において、「魔界」は重要テーマになる。

その辺りも含め次章から詳しく考察していく。

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敗戦後の日本人の虚脱感の正体

元バレリーナの家族の孤独で冷え切った関係を通して、敗戦後の崩壊しゆく日本の「家」が描かれると記したが、実際に彼らは何に病み、何に苦しんでいたのか。

家族4人をそれぞれ例に挙げて考察していく。

夫・矢木の場合

最も分かりやすいのが、夫・矢木の不安だ。

国文学者の矢木は戦中は愛国的だったが、戦後は逃避的な非戦論者になっている。彼が恐れているのは次の戦争だ。当時は朝鮮戦争が勃発した頃で、戦況次第でアメリカは原子爆弾を使用すると公表していた。矢木はそれらのニュースを見るたびに憂鬱な発作を起こす戦争恐怖症に陥っていた。

その恐怖から逃れるために、矢木は妻や娘を捨ててアメリカに逃亡しようと企んでいる。だから裕福の妻の財産にたかり、土地の名義を変更して、陰で貯金を進めていたのだ。

矢木は悪魔のように描かれるが、しかしこれは彼に限った恐怖ではなく、娘・品子のバレエ仲間の友子もこんな台詞を口にする。

いつかでは、だめ・・・・。明日、死ぬかもわからないでしょう。

『舞姫/川端康成』

戦争で傷を負った当時の日本人は、また次の戦争が起こり死ぬかもしれない、という終末的な恐怖を抱いていたのだ。

『山の音』でも、帰還兵の修一は同じ恐怖を抱いていた。彼はその恐怖から逃れるために、酒色に堕落して自分を傷つけていた。『舞姫』の矢木の場合は、日本から脱出することでその恐怖から逃れようとしていた。そのためなら家族を捨てるつもりで、ゆえに家庭は崩壊しかけていたのだ。

息子・高男の場合

次に息子の高男だが、彼は典型的な無気力な若者世代の代表である。自分の将来や、この国の未来や、両親の壊れた関係について、無頓着で諦めの姿勢を取っている。

ぼくはいまさら、おどろきもしないし、かなしみもしないよ。男だからね・・・。家というものにも、国というものにも、夢はないんだ。親の愛情がなくても、ひとりでいられるよ。

『舞姫/川端康成』

少年期に戦争を経験した高男は、自我の形成において諦めを植え付けられた世代であり、自分の力で物事を変えられると信じていない。

父の矢木は高男が共産主義になるのを恐れていたが、それは戦後に共産主義の風潮が高まりを見せたからだ。60年代になるとそれは学生運動へと発展するが、彼らの多くは戦争未経験の世代だ。高男はちょうど狭間の世代、自分で社会を変えるという強い意志を持つには、あまりに絶望を見過ぎた世代だったのだろう。

母・波子の場合

ヒロインの母・波子は、バレエ教室を営む自活した女性で、自ら行動できる立場にあるが、常に恐怖と罪意識に苦しめられ、結局は運命を切り開く力がない。

1つに彼女はバレリーナの夢を諦めた過去の舞姫であり、既に燃えるような情熱の時代を過ぎている。確かに娘の品子に夢を託してバレエ育成に勤しんでいるが、彼女の人生の中心は愛のない夫婦生活が支配している。

竹原とのプラトニックな逢瀬の最中、波子は池の鯉に見惚けたり、1本1本異なる並木に様々な人生を想像したりと、自己に対する感傷と虚無に囚われている。そして竹原と会った翌朝には合掌しながら、自分は罪人じゃないと心中で繰り返す。

波子の罪意識の正体は、自分の愛欲や性欲に対してだろう。愛人の竹原に嫉妬するのは、彼を求愛する心理の表れに違いないが、それを恐れる気持ちが素直な求愛を押し留めている。当時は女性の性欲や自立が認められない古い道徳が蔓延っていた。ゆえに波子は、既婚の竹原に向かう愛欲に罪意識を抱き、同時に夫に対して背徳を感じていたのだろう。

自分を罪人のように思うのも、夫にたいしてのことなのか、竹原にたいしてのことなのか、波子にはよくわからなかった。

『舞姫/川端康成』

そして古い道徳に縛られた罪意識を払拭できない限り、波子は決して自分の意志で運命を切り開くことはできない。

実際に川端康成は、朝日新聞掲載の「小説その後」にて、波子は矢木と別れ竹原とも会っていない、という未来の構想を明かしていた。

娘・品子の場合

最後に娘の品子だが、バレリーナを目指す彼女もまた、人生に対する情熱を失っている。

確かに品子は母に託された夢を叶えるためバレエの練習に励んでいるが、本心では自分は一人前の舞姫になれないと諦めている。一人前の舞姫が誕生するには三世代かかるという迷信を信じている。

三世代ということは、母・波子、自分、そして自分の子供でようやく夢が実現する。しかし波子は世界が平和になるまでは絶対に子供を産まないと決めている。品子の心にも戦争の陰が潜んでいる。

矛盾に感じるかもしれないが、品子には平和を望む気持ちと同時に、戦中に回帰したい願望もある。

うちのなかは、今よりも、戦争中の方が、平和だったと、お母さまはお思いにならない?

『舞姫/川端康成』

家族がぴったり寄り合って、今のように、ばらばらじゃなかったでしょう、国はつぶれそうだったけれど、家庭はこわれそうでなかったわ。

『舞姫/川端康成』

皮肉にも戦中の方がかえって家族は強く結ばれていた。考える自由を奪われていた当時なら無心で家族がぴったり寄り合っていた。それが生温い平和が訪れると各人が自分の考えを持つようになり、そのために家族は協調を失ってしまったのだ。

つまり品子の戦中に回帰したい願望は、かつての家族関係を取り戻したいセンチメンタルによるものだろう。

またバレエに対する情熱も、慰問旅行で兵隊の前で踊った戦中の方が強かった。いつ死ぬかも判らない環境で、死に物狂いで踊ることに信仰のような恍惚を感じていたのだ。その体験は自由に踊れる今よりも幸せだったと品子は感じている。

これは典型的な戦後の虚脱感だ。戦争がもたらすまやかしの高揚が敗戦によって失われ、多くの日本人が情熱を感じれなくなった。

そして品子の場合、かつての情熱に回帰したい願望が、慰問旅行の際にバレエの先生だった香山に対する恋幕に表れている。物語は品子が香山に会うために伊豆へ向かう場面で終わる。

朝日新聞掲載の「小説その後」では、品子が香山と結ばれ四谷でバレエ研究所を経営している未来の想定が明かされた。他の家族とは違い品子だけが自ら運命を切り開いている。あまりに絶望的な家族の中で、作者はかろうじて品子に救いを与えたかったのかも知れない。

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作者が舞姫に見出す女性の美

川端康成はバレエや舞踏に愛着を持つ稀な作家であり、それらをモチーフにした作品を20近く残している。若き日の秀作『伊豆の踊子』もまた踊りが題材になっている。

川端が舞踏に愛着を持つ理由は、舞踏こそ女の美の本懐だと考えているからだ。『舞踏の暦』という作品では、女の美しさの極みを現すのが舞踏だと明記している。彼はそれを「純粋な肉体の美」とも表現している。

川端が思う「純粋な肉体の美」には2つの意味が込められている。1つは処女の美だ。

『舞姫』にて品子はこんな台詞を口にする。

「品子の踊りは、もうだめだからと、母が言うまで、私は結婚のことは、考えないように、決心していますの。」

『舞姫/川端康成』

踊りを諦めて初めて結婚を受け入れるという品子の決心に見る通り、川端は舞踏に対して処女の肉体の美を見出している。それは『伊豆の踊子』で、踊子が処女だと判明して歓喜する主人公の心理描写にも表れている。

しかし同時に『舞姫』では、優れたバレリーナになるには、少女の純粋さに加え、娼婦のような妖艶さも不可欠だと記される。処女であり娼婦である矛盾は、いわゆる芸術の世界に全てを捧げる、ある意味純粋な娼婦的な魔性の美のことではないか。

『舞姫』において、少女の純粋さと娼婦の妖艶さを両立する、そんな矛盾の美を実現した存在は登場しない。それはのちに『眠れる美女』という作品で、眠った少女を売春婦にする、あまりに前衛的な設定によって実現される。

そしてこの処女と娼婦の両立が、『舞姫』で初めて登場した「魔界」という言葉に繋がる。

「魔界」とは

『舞姫』にて初めて言語化され、のちの作品の重要テーマになる「魔界」は、室町時代の僧である一休の「仏界易入 魔界難入」という言葉に由来する。

仏界は入りやすくて、魔界は入りにくい。これは真逆の表現のように感じられる。一休は反語表現を好んだ人物で、本来は悟りより非道の方が難しいという意味ではなく、「非道を行っても知恵のある者なら、その非道に汚されることはない」という意図で唱えられた。

これを川端康成は独自の解釈で追求する。

意味はいろいろに読まれ、またむずかしく考えれば限りないでしょうが、「仏界入り易し」につづけて「魔界入り難し」と言い加えた、その禅の一休が私の胸に来ます。究極は真・善・美を目ざす芸術家にも「魔界入り難し」の願い、恐れの、祈りに通う思いが、表にあらわれ、あるいは裏にひそむのは、運命の必然でありましょう。「魔界」なくして「仏界」はありません。そして「魔界」に入る方がむずかしいのです。心弱くてできることではありません。

『美しい日本の私/川端康成』

川端の思う「魔界」とは、究極の美の世界であり、あらゆる欲望、醜悪、背徳を美に昇華した世界のことであろう。

それは例えば『千羽鶴』という作品で、不貞な恋愛に狂った婦人の肉欲が、絶望的な妖艶さによって芸術的な美に昇華される点にも通じる。

いわゆる道徳を犯してでも美を追求する、芸術至上主義やデカダンスのことだろう。それはある意味、道徳に縛られない人間本来の純粋な欲望の姿である。

『舞姫』にて「魔界」は感傷のない世界と記される。道徳を超越するには感傷を捨てる必要がある。そして殆どの人間は感傷によって不道徳な芸術美の極地に達することは不可能だ。だから「魔界は入りがたい」のかも知れない。

『舞姫』においては「魔界」について詳しく展開されないので、先を知りたい方は、ぜひ『みずうみ』『眠れる美女』などの前衛的な作品を読んでいただきたい。

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映画『伊豆の踊子』おすすめ

川端康成の代表作『伊豆の踊子』は、6回も映画化され、吉永小百合や山口百恵など、名だたるキャストがヒロインを務めてきた。

その中でも吉永小百合が主演を務めた1963年の映画は人気が高い。

撮影現場を訪れた川端康成は、踊子姿の吉永小百合を見て、「なつかしい親しみを感じた」と絶賛している。

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