芥川龍之介の短編小説『トロッコ』と言えば、教科書で馴染み深い代表作です。
友人の手記に書かれていた幼少時代の回想を、芥川が潤色を加えて小説にしました。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 芥川龍之介(35歳没) |
発表 | 1922年(大正11年) |
ジャンル | 短編小説 友人の手記が題材 |
ページ数 | 10ページ |
テーマ | 恐怖体験の回想 孤独な人生 |
あらすじ
小田原・熱海間に、鉄道敷設の工事が始まった頃の物語です。8歳の良平は、工事現場で使う土砂運搬用のトロッコに非常に興味をもっており、自分も一緒に乗ってみたいと思っていました。
ある日、若くて気さくな2人の土工にトロッコに乗せてもらうことになります。ようやく心置きなく堪能できるトロッコに有頂天だった良平ですが、遠くへ進んでいく度にだんだん帰りが不安になってきます。しかし不安な気持ちとは裏腹に、土工たちは先へ先へと進んでいきます。そしてついに良平は独り帰るようにと放り出されてしまいます。
下駄や羽織などは脱ぎ捨てて、 良平は、独り暗い坂道を「命さえ助かれば」と思いながら無我夢中で駆けて行きます。死に物狂いの満身創痍です。
ようやく家に着いた良平は、緊張の緒が切れたように途端に泣き出してしまいます。父母は何があったのか尋ねますが、良平はただ泣き続けるばかりでした。
この時の体験を、26歳になった良平が回想しています。雑誌社での校正の仕事に疲れた良平の前には、かつて無我夢中で駆けたあの薄暗い路が断続しているのでした。
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個人的考察
土工から他者体験を学ぶ良平
本作『トロッコ』の主題はしばしば、子供が大人の世界を覗き込んで経験する不安と恐怖、と紹介されることが多いです。
まさに良平はトロッコを通じて、両親や兄弟や女中などの自分にとって都合のいい既存の社会を超えた、外部の世界を経験しました。
この外部の世界との接触で鍵になるのは、若い2人の土工が当初は快く良平の存在を受け入れていたということです。これまでにトロッコを勝手に触って叱られた経験がある良平にとっては、トロッコを押すことや乗ることを許可してくれた若い土工は、親切な人間、自分を許容してくれる存在でした。ところが、あまりにも遠くまで進み徐々に不安を感じ始めていた良平は、「われはもう帰んな。おれたちは今日は向こう泊まりだから。」という言葉によって唐突に独り放り出されてしまいます。
一般的には、独り放り出された良平は土工の言葉に裏切りを経験したと説明されることが多いです。ただし、決して若い土工は不親切な人間ではなく、むしろ良平の存在を許容した優しい人間でした。「あんまり帰りが遅くなると、われのうちでも心配するずら。」と良平の帰りを気遣うような言葉も最後には残しています。
ではなぜ良平は裏切りを経験したような心情に陥ったのでしょうか?
つまり、家族を中心とする親密なコミュニティしか知らない幼少の良平にとっては、世間の他者が必ずしも自分の面倒を最後まで見てくれるとは限らない、という事実を初めて知ることになったのです。決して若い土工が恐ろしい他者というわけではなく、むしろ良平を許容する優しい存在ですが、外部の世界では自分の思うようには事が進まない、という現実問題を唐突に経験したために、無垢な少年にとっては裏切りのように感じられたのでしょう。
外部の世界に足を踏み入れ他者経験をした良平は、世間と自分との実際の距離感を知り、自分に都合の悪い出来事が当然のように起こり得る、自己責任の社会の在り方を学んだのでしょう。
父母の胸で泣き続ける良平
土工の言葉に人の世の在り方を学んだ良平は、死に物狂いで来た道を駆け抜けていきます。
幼い子供であれば若い土工たちに泣きついて家まで送ってくれるようにお願いしても可笑しくありませんが、良平はそうしませんでした。「泣いても仕方がないと想った」と彼の心情が綴られています。
要するに、前述の通り良平はこのとき既に自己責任の社会の在り方を悟っていたのでしょう。トロッコに乗りたかったのは自身の願望、遠くまで来たのも殆ど自分の意思、だとすれば独りで帰れるか判らない長くて暗い道は自己責任であり、自分で走って引き返す以外に解決方法がないことを理解していたのでしょう。
自分が望んでトロッコに乗ったのですから、その尻を拭うのは土工ではなく自分自身以外あり得ないという現実を学んだことになります。
満身創痍の良平がようやく家にたどり着いた時には、彼は言葉も発さずにただひたすら泣き続けました。「泣いても仕方がない」外部の世界から、自分に都合のいい家族というコミュニティに戻ってきたことで、「泣いて許容してくれる世界」にこれまでの不安や恐怖を一気に放出させたのでしょう。
必ずしも思い通りにはいかない外部の世界とは対照的に、父母の胸の中がいかなる状況でも自分を受け止めてくる存在として象徴的に描かれていたのだと思います。
大人になった良平の前に伸びる道
物語の終盤には、大人になって編集者で校正の仕事をする良平の様子が綴られます。仕事に疲れ切った良平の前には、かつてトロッコを通じて経験したあの長くて暗い道が断続的に伸びているようです。
つまり、大人になり社会を生きるようになった良平にとっては、常に自分の思い通りにいかない外部の世界に身を据えていることが判ります。自分で解決できるか判らない問題が自分の目の前に伸びていて、それら全てが自己責任であるという現実に辟易する大人の姿が示唆されているのでしょう。
8歳の良平は死に物狂いで駆け抜けて、最後には父母の胸の中までたどり着く事ができました。26歳になった良平も同じように死に物狂いで真っ暗な未来を駆け抜け、否応なく自分を許容してくれる存在を求めているようです。
その道が「断続的」であるのは、所々に救いがあるという事でしょうか、それとも自分を許容してくれる存在へと続く道は半ば途切れているという事でしょうか。
いずれにしても、28歳の良平は満身創痍のようです・・・。
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