中村文則の小説『去年の冬、きみと別れ』は、純文学とミステリーを融合させた傑作です。
2018年に実写映画化され話題になりました。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 中村文則 |
発表時期 | 2013年(平成25年) |
ジャンル | ミステリー サスペンス |
ページ数 | 195ページ |
テーマ | 復讐 芸術至上主義 |
関連 | 2018年に映画化 (主演:岩田剛典) |
あらすじ
ライターの「ぼく」に課せられた仕事。それは、ある猟奇的殺人鬼についてのノンフィクション小説を書くこと。その殺人鬼は、木原坂雄大という元アートカメラマンで、2人の女性に火をつけ、燃える様子を撮影して、死刑宣告されたのです。
本人との面会に加え、姉の朱理、友人、交流のあった人形師などを取材をします。ところが取材を進めるほど、なぜ木原坂が2人の女性を殺したのかが不可解になっていきます。本当に芸術のために、人の命を奪うことができるのだろうか。闇は深まるばかりです。
主人公は取材を進める中で、木原坂の姉の朱里に翻弄され、肉体を求めるようになります。そして、いざ関係を結びそうになった直前に、朱理は主人公に1枚の写真を見せ、殺して欲しい人がいると依頼するのでした。
この事件を扱った小説の執筆は、まるで自分の手には負えないと感じた主人公は、編集長を訪ねて、辞退の旨を伝えます。しかし、主人公が辞退した理由は、木原坂に対するおっかなさではなく、その裏に隠された恐ろしい事実に気づいたからでした・・・。
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個人的考察
※ネタバレを含むためご注意ください。
事件の裏に隠された復讐の物語
先に結論を言うと、木原坂は誰も殺していません。冤罪によって死刑になったのです。
正しくは、死刑になるように仕立て上げられた、と言うべきでしょう。なぜなら本作は、ある男による復讐の物語だからです。
その男の正体は、ライターに小説の執筆を依頼した編集長です。彼は、木原坂が最初に殺したことになっている「亜希子」の元恋人でした。
亜希子は盲目でした。一度彼女が交通事故に遭って以来、編集長は亜希子が1人で外出することを過剰に心配するようになり、行動を監視し制限します。その結果、2人の関係は拗れ、破局に至りました。編集長は彼女から身を引いたものの、愛情は消えないままでした。
そんな矢先に、亜希子の死を知ります。
木原坂のモデルを務めていた彼女は、火災によって焼死したのです。火災は事故だと断定されました。しかし、編集長は独自で事件を調査することにします。
調査のために編集長は木原坂の姉の朱理に接近します。ところが彼は朱理に魅了され肉体関係を結ぶようになります。そして、関係を結んだ後に、朱理から衝撃の事実を伝えられます。
なんと、朱理が無理やり亜希子を誘拐して、弟の撮影モデルのために監禁したのでした。
つまり編集長は、自分の恋人を陥れた女と肉体関係を結んでいたのです。それは朱理の作戦であり、彼女はそういった非人道的な性行為を楽しんでいるのでした。
ともすれば、やはり火災は事故ではなく、木原坂の故意なのか。
その答えは否です。
朱理によると、弟は人の命を奪えるような人間ではないようです。火災は偶然発生し、木原坂はそれを芸術的チャンスと捉え、撮影していたのでした。
いくら事故とは言え、助けずに写真を撮り続けた木原坂。そもそも亜希子を誘拐して陥れた朱理。姉弟に対する憎しみが芽生えた編集長は、復讐を決意したのでした。
復讐の全貌
編集長が実行した復讐は大きく分けて2つ。
- 姉の朱理を木原坂の目前で焼くこと
- 木原坂を死刑にすること
復讐にあたり、編集長は2人の協力者を引き入れます。1人は姉の朱理に恨みを持つ弁護士。彼とは憎悪の対象が一致したため、復讐の共犯者になったわけです。
そしてもう1人が、木原坂による2人目の被害者とされている「小百合」です。
ともすれば編集長は、木原坂を死刑にするために小百合の命を犠牲にしたのか。それは表向きのフェイクです。
作中の「資料10」の章を読めば真相が明らかになります。
小百合は確かに木原坂の屋敷に居ました。しかし木原坂が証言するように、彼女は監禁されていたわけではありません。編集長と弁護士の指示で、小百合は意図的に木原坂に接近して、撮影モデルを務めたのです。
そしてあるタイミングで、編集長と弁護士は木原坂の屋敷に忍び込み、小百合を救出し、その代わりに昏睡状態にした朱理を放置します。そして朱理に火をつけたのです。
戻ってきた木原坂は、当然のように小百合が自殺したのだと思い込みました。小百合は日頃から意図的に自殺願望を口にしていましたから、疑う余地もなかったのです。
つまり、木原坂は、愛する姉が燃える姿をカメラで撮影し続けていたのです。
二度も立て続けに女が焼死したことで、木原坂は殺人容疑で逮捕されます。
こうして、姉の朱理を木原坂の目前で焼き殺し、かつ、彼を死刑に仕立て上げる復讐が完遂されたのでした。
偽装工作のためのトリック
小百合と朱理を入れ替えて、木原坂の目前で燃き殺す。しかし、そんな単純な計画では、警察の捜索によって事実が世間にバレてしまうのではないか。
もちろん編集長と弁護士は、その危険性を視野に入れていました。だから、2人の計画は過剰なほどに抜かりないものでした。
小百合という人選が1番の鍵です。第1に朱理と容姿が似ていること。
さらに、小百合は借金に追われる風俗嬢で、別の人間の人生を欲していました。だからこそ、朱理を焼死させた後に、自分が代わりに朱理に扮して生きることは好都合だったのです。彼女は編集長や弁護士と利害が一致したため、復讐に加担したのでした。
犯行にあたり、編集長と小百合は籍を入れました。小百合は身寄りがありません。偽装とはいえ、彼女が焼死したことになれば、夫である編集長に身元確認がきます。編集長が、小百合の死体だと答えれば、世間向きには小百合が死んだことにでっちあげられるのです。
その他にも、DNA鑑定に備えて、朱理の髪を保管しておいたり、歯の治療記録が身元確認に使用される可能性を予想して、知り合いの歯医者に頼んで記録を偽装しました。
さらには小百合に日記やツイッターを書かせて、木原坂に監禁されていることを匂わせる記録を意図的に残しました。
その結果、見事2人目の被害者は小百合だと断定され、木原坂は殺人容疑で逮捕されました。そして弁護士は木原坂の弁護につき、彼が不利になるように誘導し、見事死刑判決へ漕ぎ着けたのです。
編集長と弁護士の復讐は果たされ、小百合は朱理の名義で別の人生を手に入れた。
それがこの復讐の真相でした。
構造上のトリック:ライターの存在
完全犯罪として復讐を成し遂げた編集長。彼はライターに依頼して、木原坂の事件に関するノンフィクション小説を執筆させます。
つまり、『去年の冬、きみと別れ』という書籍に綴られる「1、2、3・・・」の章立てされた文章は、ライターが執筆した小説そのものなのです。
それと別に「資料1、資料2、資料3・・・」といった、木原坂の手紙等の文章が間に挿入されています。
当初はライターが木原坂と交わした手紙、あるいは彼が収集した証拠文書だと思っていました。しかし、実際は編集長が個人的に木原坂と交わしていた手紙の内容や、その他の証拠資料、あるいは編集長の独白文だったのです。
- 「1、2、3・・・」
→ライターの文章 - 「資料1、資料2、資料3・・・」
→編集長の文章
つまり、「木原坂は猟奇的な殺人鬼」という前提で書かれたライターの小説の間に、編集長が書いた「復讐の種明かし」の文章が挿入される構造になっているのです。
これが読者を騙す最大のトリックです。
第1章に始まる語り手の「ぼく」は、執筆の依頼を受けたライターです。読者はライター目線の物語と認識して読み進めることになります。
その一方で、資料の章も「ぼく」が語り手で綴られます。しかし、その場合の「ぼく」の正体は編集長です。
ここで認識のずれが発生します。読者はライターの「ぼく」として読み進めてしまうが、実際はライターと編集長が交錯しているのです。
- 「1、2、3」のぼく
→ライター - 「資料1、資料2、資料3」のぼく
→編集長
主に資料の中で「ぼく」が語り手になるのは、朱理に会う場面です。こちらは復讐が果たされる前の本物の朱理です。ところがライターとしての「ぼく」も、朱理と会っています。こちらは復讐後の小百合が扮する朱理です。
しかし、小百合が朱理に扮している事実は最後に明かされるため、途中でライターと編集長の区別がつくはずもありません。それどころか、犯行当時と、犯行後の時間軸が交錯した状態で読み進めることになるのです
なぜこのような構造トリックを用いたか。それは最後まで編集長が裏で手を引いていることを隠すためでしょう。読者に「ぼく」をライターだと思い込ませることで、読者の意識から編集長の存在を完全に抹消しているのです。だからこそ最終章の真相に驚愕するわけです。
2つの11章と、ライターの辞退
作中には11章が2度登場します。
1度目は、「(11)」と括弧付けされた11章です。ライターが編集長を訪ねて執筆の辞退を申し入れる場面が綴られています。ページ数で言うと中間くらいに位置します。
これ以降は、全てが資料の章になります。ライターが辞退した時点で、物語の視点は編集長に移り変わったわけです。
2度目の11章は最終章です。ライターが編集長に辞退を申し入れる場面の続きが描かれ、全ての真相が明かされます。「今のこの場面は君に書いて欲しかった」と編集長がライターに話す会話文があります。つまり、「(11)」の章は、ライターが途中やめにしてしまったため、改めて編集長が最終章として続きを書き加えたことが見て取れます。
では、なぜライターは途中で辞退したのか。
「(11)」で執筆の辞退を申し入れる直前に、ライターは朱理に会っています。もちろん彼女は朱理に扮した小百合です。そして小百合に、1枚の写真を見せられ、ある男を殺してほしいと依頼されます。小百合が見せた写真は、木原坂が撮影した本物の朱理の写真でした。
つまり、この時点でライターは、目の前にいる朱理が本物ではないことに気づいてしまったのです。事件の裏に隠された復讐についても小百合に聞かされたことでしょう。猟奇的殺人鬼、木原坂の物語を執筆するつもりが、その裏に潜む復讐の物語に辿り着いてしまったのです。
事実を知ったライターは、自分の手では負えないと悟り、執筆を辞退したのでしょう。
そして、小百合が依頼した殺してほしい相手とは編集長でした。小百合と編集長は共犯者。それなのになぜ小百合は編集長を殺そうと企んでいるのか。
それは、ノンフィクション小説を出版しようとする編集長を危険視していたからです。万が一出版物のせいで事実が世間にバレれば、共犯者である小百合にも影響があります。
彼女の依頼を受けたライターは、毒の入ったウィスキーを持って編集長に会いにいきます。それが最終章で描かれる場面です。
編集長の本当の目的
復讐は完遂した。それなのになぜ編集長は小説を完成させる必要があったのか。
それは編集長が口にした下記の通りです。
「僕は『小説』をつくって、まず木原坂雄大に送ろうと思っている。資料が混ざる不思議なつくりの小説を。彼の死刑判決がちゃんと確定した後にね。彼は拘置所の中で読み、自分がしてしまった真実を知り気が狂うだろう」
『去年の冬、きみと別れ/中村文則』
拘置所いる木原坂は、まだ何も知りません。死刑判決に至るまでの事件が全て仕組まれた結果であることも。自分が写真を撮り続けた燃える女は、愛する姉だったことも。
死刑が確定した後に、小説を通して木原坂に全ての事実を知らせる。
冤罪で死刑になる絶望、姉を見殺しにした後悔、その両方に苛まれ気が狂う。
それが編集長の最後の復讐だったのです。
献辞のイニシャルの意味
本作の献辞には下記文章が掲載されています。
M・Mへ そしてJ・Iに捧ぐ
『去年の冬、きみと別れ/中村文則』
イニシャルの片方には憎悪を、片方には愛情が込められている、と編集長が明かしています。
小説内に、このイニシャルに相当する人物は登場しませんが、木原坂と亜希子に向けた献辞に違いありません。編集長の小説内の登場人物には偽名が用いられており、上記イニシャルが2人の本名だという設定なのです。
そういった設定を採用することで、この『去年の冬、きみと別れ』という書籍自体が、編集長の出版した小説とイコールになります。
これはメタフィクションと呼ばれる技法です。作中の事件が、あたかも読書が生きる現実世界で起こった出来事のような錯覚を与える効果があります。『去年の冬、きみと別れ』という書籍が、編集長の出版した小説とイコールだと、編集長は読者が生きる現実世界でこの書籍を執筆したことになるからです。
ミステリー・サスペンス小説ではよく使われる技法で、読者に生々しい臨場感を与える効果があります。
芥川龍之介の『地獄変』がキーワード
作者である中村文則は、ミステリーと純文学の融合を謳っています。そのため構造トリックのみにとどまらず、文学的な主題も落とし込まれています。
本作の主題を抜粋するなら「芸術至上主義」でしょう。
作中では、芥川龍之介の『地獄変』という作品が取り上げられます。実の娘が燃やされる場面を見て、地獄の屏風を書き上げた天才絵師の物語です。道徳を排除してでも芸術を追求する芸術至上主義を描いた傑作です。
この芥川の『地獄変』のオマージュとして、木原坂は燃える人間の様子を撮影したのです。
黒い蝶の写真で世界的に評価されて以来、木原坂はスランプに陥っていました。そのため彼は、再び最高傑作を生み出すことに対する焦りと執着から、燃え上がる2人の女性を助けずに写真を撮り続けたのでした。
また、編集長も同様に芸術至上主義を体現した存在と言えるでしょう。なぜなら彼は、恋人が事故に巻き込まれた恨みから、えげつない復讐を決行し、その内容をノンフィクションで小説にしたのですから。本来の目的が復讐であったとしても、彼は道徳を無視したやり方で作品を完成させたのです。
編集長は、木原坂が死刑になった後に小説に奇妙な何かが宿ることを願っていました。
作中には同様のテーマが何度も語られます。
例えば、人間を模倣した人形を作る人形師。彼の創作した人形は、模倣された本人が死んでから、一層特別な魅力を持つようになりました。あるいは、木原坂の写真の場合は、女が焼死した後に自分の写真が特別な意味を有すると信じて撮影していました。
それらは全て、娘の死と引き換えに素晴らしい屏風を創作した『地獄変』の天才絵師をモチーフにした芸術思想なのでした。
一方で、全ての真相を知ったライターは、自分は小説家になれないと悟ります。なぜなら彼は時々破滅に憧れるだけで、木原坂や編集長のような、真に破滅的な人生を送ることを望んでいなかったからです。
去年の冬、きみと別れ、僕は化け物になることを決めた。僕は僕であることをやめてしまった。彼らに復讐するために、僕はそこで、壊れてしまったんだよ。
『去年の冬、きみと別れ/中村文則』
これは編集長が復讐を決意した時の心情です。つまり、芸術至上主義とは、化け物になってでも何かを成し遂げようとする狂人にだけ与えられた才能なのです。
ライターにはそんな世界に足を踏み入れる覚悟がなかったため、小説家を諦めたのでしょう。
芸術至上主義。
悪魔に魂を売った者にだけ、与えられる才能。誰もがそれに憧れるが、本当に化け物になれるのは選ばれた人間だけなのかもしれません。
ちなみに『地獄変』の絵師は、屏風を完成させた翌日に自殺します。天才の末路は決まって、こうなのです・・・。
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映画『去年の冬、きみと別れ』
中村文則の代表作『去年の冬、きみと別れ』は2018年に映画化され、岩田剛典、山本美月、斎藤工ら、豪華俳優陣がキャストを務め話題になった。
小説ならではの予測不能なミステリーを、見事に映像で表現し、高く評価された。
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