村上春樹『羊をめぐる冒険』あらすじ解説|鼠三部作の完結編ネタバレ考察

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羊をめぐる冒険 散文のわだち

村上春樹の小説『羊をめぐる冒険』は、初期「鼠三部作」の完結編です。

後に発表された『ダンスダンスダンス』と合わせて四部作と呼ばれることもありますが、友人である鼠との物語は三作目で完結します。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者村上春樹
発表時期  1982年(昭和57年)  
ジャンル長編小説
ページ数405ページ
テーマ名前と責任を背負う物語
人間的弱さと向き合う
受賞野間文芸新人賞

あらすじ

あらすじ

大学時代の知り合いである、誰とでも寝る女の子の死。そして妻との破局。立て続けの喪失に消沈していた「ぼく」は、耳専門のモデルの女の子と出会い、彼女とガールフレンドになることで、僅かに息を吹き返します。

あるとき彼女はベッドの中で、10分後に「羊」のことで電話がかかってくると言います。彼女の言葉通り、広告代理店の共同経営者の相棒から電話で呼び出されます。なんでも「ぼく」が広告に掲載した羊の写真がトラブルになり、相棒の元に右翼の大物の秘書が現れたようです。その羊の写真は、友人の鼠から送られ、世に公開するよう依頼されたものでした。

「僕」が右翼の大物の屋敷に行くと、秘書の男に、背中に星形の斑紋のある羊の写真を見せられます。鼠から送られてきた写真に映る羊と同じでした。秘書は、2ヶ月以内にこの羊を探し出せば報酬を出すが、見つけられなければ君の会社も君もおしまいだと告げます。そのため「僕」は会社を辞め、羊を探しに北海道へ渡るのでした。

北海道で羊に関する情報を集めますが、星形の斑紋のある羊のことは一切判りません。しかし「いるかホテル」で羊博士に出会ったことで、鼠から送られてきた写真の場所が判明し、そこが鼠の父親が所有する別荘であることに気づきます。「ぼく」とガールフレンドは鼠の別荘に行き、鼠が帰ってくるのをひたすら待ち続けます。やがてガールフレンドも消えてしまい、ひとりぼっちになった「ぼく」は、遂に鼠と巡り合い、全ての真相を知るのでした・・・。

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個人的考察

個人的考察-(2)

執筆の背景

1980年に刊行された村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に感銘を受けた村上春樹は、長編小説に着手することを決心します。

執筆にあたり、村上春樹は物語の舞台である北海道を訪れ、1ヶ月滞在しております。美深町という北部の奥地が舞台だと考えられており、ファンの間では聖地とされています。

また本作『羊をめぐる冒険』を機に、村上春樹は大学時代から営業するジャズ喫茶を他人に引き渡し、小説家だけで生きる覚悟を決めます。初期三部作の最終章という区切りの作品であると同時に、作家としてのターニングポイントとなった作品とも言えるでしょう。

作品の構造としては、レイモンド・チャドラーの小説『ロング・グッドバイ』を下敷きにしているみたいです。

まず第一に主人公が孤独な都市生活者であること。それから、彼が何かを捜そうとしていること。そしてその何かを捜しているうちに、様々な複雑な状況に巻き込まれていくこと。そして彼がその何かをついに見つけたときには、その何かは既に損なわれ、失われてしまっていることです。これは明らかにチャンドラーの用いていた手法です。

『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』

村上春樹の翻訳で出版されていますので、気になる人はチェックしてみてください。

また、当時の村上春樹がアメリカ映画のフリークだったことから、『地獄の黙示録』や『ディア・ハンター』といった作品から影響を受けている説も存在します。

前々作『風の歌を聴け』前作『1973年のピンボール』を習作とし、作者はあまり評価していません。

対する本作『羊をめぐる冒険』には手応えを感じているようで、記念すべき作品、自信がもてた作品、と自画自賛しています。ファンからも特に人気が高い作品です。

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「羊」は何を象徴していたのか

物語の鍵となるのは「羊」の存在です。

羊は人間の体内に入り込み、その人間を利用して何か目的を果たそうとしているようです。

戦中に羊博士の体内に入り込んだことが事の始まりでした。その結果、羊博士は精神錯乱と判断され、満州から日本に連れ戻されます。これは恐らく羊の作戦で、人間の体内を媒介して、満州から日本に渡ったのでしょう。

そして、渡航を果たした羊は、羊博士の体内から離脱し、次は右翼の青年(先生)の体内に入り込みます。そして、裏社会で権力機構を築き上げ、日本国家を牛耳る存在になりました。

しかし、羊は先生の体内からも離脱します。これが、事件の発端であり、主人公の「ぼく」が冒険に導かれるきっかけになりました。

先生の体内から離脱した羊は、鼠の体内に入り込んでいたことが判明します。鼠に権力機構を引き継がせ、完全にアナーキーな観念の王国を作らせようとしていたのです。

羊の特徴は、人間の弱さや矛盾に漬け込み、そういった傾向が強い人間の体内に入り込むことです。羊とは、ある種の「邪悪」を象徴しているのではないかと考えられます。

羊が体内に入り込んだ状態について、鼠は次のように語ります。

それはちょうど、あらゆるものを呑みこむるつぼなんだ。気が遠くなるほど美しく、そしておぞましいくらいに邪悪なんだ。そこに体を埋めれば、全ては消える。意識も価値観も感情も苦痛も、みんな消える。

『羊をめぐる冒険/村上春樹』

理性、道徳、秩序、そういったものを超越する邪悪に傾倒することで、自身の弱さや矛盾など、臆病な自意識から解放され楽になれる。

人間の本質的な弱さに漬け込む邪悪、いつ陥るとも分からぬ悪心。そういう観念のメタファーとして、羊の存在が描かれていたのでしょう。

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鼠はなぜ自殺したのか

「ぼく」が別荘を訪れた頃には、すでに鼠は自殺していたことが判明します。主人公が再会したのは、死者としての鼠だったのです。

では一体なぜ、鼠は自殺を図ったのか。

それは、邪悪の象徴である「羊」を世界から根絶させるためでしょう。鼠は羊を体内に取り込んだまま首を吊ることで、羊の計画を食い止めようとしたのです。

鼠が食い止めたかった羊の計画。それは前述した、完全にアナーキーな観念の王国を作ることです。鼠が言うには、それが実現すれば、あらゆる対立が一体化するみたいです。

つまり、人間的な弱さや矛盾などが無くなり、個としての存在も失われ、万物が一体化された王国が出来上がるのです。(まるでエヴァンゲリオンの人類補完計画みたいですね・・・)

鼠は10代の頃から自分の弱さを意識し、その弱さが体内で腐っていく感覚を抱いていました。『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』では、鼠は始終何かに悩んでおり、その結果誰にも別れを告げず、行方知れずになります。

そんな鼠の弱さに漬け込んで、羊は彼の体内に入り込みました。羊が体内に入り込み、計画が完遂されれば、彼がずっと悩み続けていた人間的な弱さは払拭されることでしょう。それにも関わらず、鼠は羊の計画に抵抗しました。

それはなぜなのか。鼠はこう語っています。

俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさや辛さも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや・・・

『羊をめぐる冒険/村上春樹』

弱さや苦しさや辛さ、そういった人間的な感情があるから、夏の光や風の匂いや蝉の声を美しいと思うことができる。誰かと飲むビールだって、同様に。

あるいは、鼠は小説家を目指していましたが、人間的な弱さが払拭され、個としての存在が失われれば、芸術やエンターテイメントの役割さえ消滅するでしょう。

自分の弱さに辟易しながら、それでも自分を愛さずにはいられない。そんな鼠は、邪悪に傾倒して自己を喪失することを望まなかったのでしょう。だから彼は抵抗し、自分もろとも羊を殺そうとしたのだと思います。

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「ぼく」の名前と責任の物語

本作が鼠にとって、人間的な弱さと対峙し、それを受け入れる物語だとすれば、「ぼく」にとっては、「名前と責任を背負う物語」と言えるでしょう。

お気づきの通り、全三部作を通して、人物名が殆ど登場しません。鼠もジェイもあだ名ですし、誰とでも寝る女の子、耳専門のモデルの女の子、など特徴だけで存在を表現しがちです。

これは、「ぼく」が他者に対する責任を放棄していることを表しているのだと思います。

その最もたる証拠が、冒頭で語られる「誰とでも寝る女の子」でしょう。

彼女とのエピソードは、正直物語と全く関係ありませんし、なんなら浮いています。それでも冒頭に長々と記したのは、何か意味があるからでしょう。

誰とでも寝る女の子とは大学時代の知り合いでした。そして、彼女が事故で死んだ知らせを受けて、「ぼく」が葬式に行った出来事が冒頭で語られます。

ここで不自然なのが、「ぼく」が、彼女の名前をどうしても思い出せないことです。

そんなはずがありません。葬式に行って名前がわからないはずがありません。つまり、これは「ぼく」の虚言であり、「彼女に対する責任は自分にはない」と思いたい心情の表れだと考えられます。

このように「ぼく」は周囲の人間に名前を与えないことで、その人たちに対する責任を回避し続けているのです。その結果、多くのガールフレンドが死に、妻には別れを切り出されます。三部作を通しての主人公の喪失感は、自分が責任を追うことを避けた結果だったのです。

飼い猫のくだりも象徴的です。

「ぼく」は飼い猫に名前をつけていませんでした。北海道に行くに際し、運転手に猫を預けれることになります。名前がないと知った運転手は、猫に「いわし」と名付けます。すると「ぼく」は、自分に飼われるよりも、運転手に飼われる方が猫は幸福だと考えます。

「名前を与える」=「責任を背負う」それをわざと避ける「ぼく」は、その結果他人を傷つけてしまう事実を自負しているのでしょう。

あらゆる責任を放棄し、真剣に向き合うことを避けていた主人公。しかし、彼は最後には鼠と向き合います。ある種、この羊をめぐる「冒険」は、主人公が他者と向き合うための通過儀礼の「冒険」だったと言えるでしょう。

その証拠に、全ての冒険が終了した主人公は、ジェイズバーに行って、自分と鼠をバーの共同経営者にしてほしいと頼みます。配当も利子もいらないから、名前だけを置いてほしいと言うのです。

そうです、「名前」です。

作品内では主人公の名前さえ語られず、ホテルに宿泊する際もわざと偽名を使ったりしていました。しかし、最後には自分の名前と鼠の名前で、共同経営者、つまりジェイズバーの「責任者」になることに決めたのです。

これまで散々責任逃れをしてきた主人公が、最後に名前と責任を背負う。

このことによって、初期三部作は完全なエンドロールに達したのではないでしょうか。

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耳の美しいガールフレンドの存在

物語の最重要人物でありながら、掴みどころがなく、途中で消えてしまうガールフレンド。

彼女の特徴は「耳」でした。しかも、その耳には特殊な力があり、ピンチになると予知能力が働きます。その予知能力によって主人公は冒険へ導かれたと言っても過言ではありません。

そもそも、羊に関する電話がかかってくることを予言したのは彼女でした。

さらには、羊を探すミッションを与えられたにも関わらず、放棄するつもりだった主人公を説得して、北海道に導いたのも彼女です。

あるいは、いくら情報収集をしても手がかりが掴めない主人公に、きっと大丈夫だと言い聞かせたのも彼女です。

つまり、主人公は幾度となく「名前と責任」と向き合う冒険を放棄しようとし、その度に耳のガールフレンドに説得されていたのです。

ところで、なぜガールフレンドの特徴が「耳」なのか。

「耳」「聴く」というキーワードで思い当たるのは、三部作のひとつ『風の歌を聴け』です。

「風の歌」とは、主人公の人生を風のように通り過ぎていった人々の声、だと考えられます。主人公が責任を回避するためにわざと聴き逃していた「風の歌」を、「耳」の美しいガールフレンドが代わりに聴き、そして導く役割を果たしていたのだと考えられます。

では、ガールフレンドはなぜ途中で消えてしまったのか。

彼女は北海道に来てから、あまり体調がすぐれないようでした。しかも、ピンチにも関わらず耳の予知能力は全く機能しませんでした。それはなぜか。

その答えは、主人公が「風の歌」を聴く決心をしたからでしょう。

主人公が他者と向き合う決心をした時点で、ガールフレンドの役割は無くなり、必然的に彼女は去っていく運命だったのです。

羊男や鼠は、主人公に対して、彼女とは二度と会えないと宣告していました。それは非常に残酷に思えますが、もう二度と、主人公は他者の力を借りずとも、自分で大切な人間に向き合うことができるようになった、という克服の意味が込められていたのだと思います。

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12時のお茶の会と爆発

余談として考察するなら、鼠のその後ですね。

最後に鼠は、九時に時計を合わせて、裏のコードを繋いでから屋敷を出ていくよう主人公に依頼します。これはおそらく時限爆弾だったのでしょう。

では、なぜ鼠は屋敷を爆発したのか。それは、右翼の先生の秘書を殺すためでしょう。

主人公と入れ違いで秘書は屋敷に向かいました。その折に、「私は彼(鼠)を手に入れる」と秘書は口にします。

そもそもの秘書の目的は、権力機構の後継者を探すことでした。鼠はその事実を知っていたはずです。だから、お茶の会と称して屋敷に秘書を招いたのでしょう。羊に象徴される「邪悪」をこれ以上利用させないために、秘書を爆発に巻き込んで計画を阻止したのだと思います。

ちなみに、権力機構のリーダーである先生は、鼠の父親なのではないか、という考察もあるみたいです。

あるいは羊男の正体は、十二滝町に人々を導いたアイヌの青年の化身で、いわば物語におけるメッセンジャー的な役割を担っていたのではないか、とも考えられています。あらゆる死者が羊男を介して、現世の誰かにメッセージを伝えていた、という考察です。

このように掘れば掘るだけ、意味深長な描写が見つかって、きりがないので、今回はこの辺りで区切りをつけようと思います。

『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』そして最終章『羊をめぐる冒険』。これにて一つの冒険が幕を閉じたのでした。

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