カミュ『異邦人』あらすじ解説|「太陽のせい」で殺人 名言紹介

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異邦人 フランス文学

カミュの小説『異邦人』は、不条理文学の代表作です。

サルトルの『嘔吐』と並んで、フランス文学の傑作と言われています。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者  アルベール・カミュ  
フランス
発表1942年
ジャンル中編小説
不条理文学
ページ数146ページ
テーマ本当の自由・幸福とは
不条理への反抗
受賞ノーベル文学賞

あらすじ

あらすじ

きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。

『異邦人/カミュ』

主人公ムルソーの元に、母の死を知らせる電報が届きます。葬式のために養老院を訪れたムルソーは、涙を流すどころか、まるで感情を表しませんでした。

翌日には、ムルソーは普段通りの生活を送ります。偶然再会した旧知のマリーと情事に耽ったり。同じアパートの友人レエモンの女性問題に手を貸したり。

ところが、レエモンの誘いで友人の別荘を訪ねたときに事件は起きます。レエモンが敵対していたアラブ人を、ムルソーが射殺してしまったのです。ムルソーは逮捕され、裁判にかけられます。裁判では、母親の葬儀で涙を流さなかったこと、葬儀の翌日には情事に耽っていたことなどを指摘され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾されます。裁判の最後では、ムルソーは殺人の動機を「太陽のせいだ」と述べます。そして彼は死刑判決を下されます。

死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を激しく非難し、監獄から追い出します。そして、死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にするのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

『異邦人』における不条理とは

アラブ人を殺し、裁判にかけられたムルソー。法廷の答弁は非常に滑稽で、ある種の傍聴席に居る読者は、歯痒い思いをしたでしょう。

法廷の様子に対し、被告のムルソーは次のような台詞を述べます。

「それはともかくとして、一体被告は誰なんです。被告だというのは重大なことです。それで私にも若干いいたいことがあります」

『異邦人/カミュ』

ムルソーは被告でありながら、殆ど主張を許されませんでした。

検事は、母の葬儀で涙を流さなかったこと、無心論者ゆえに懺悔しないことを引き合いに出して、ムルソーがいかに情に欠けた人間であるかを弁証します。

一方で、弁護士はムルソーのことを「わたし」という主語で指し、まるで代弁者のような口ぶりで主張をしていました。その他、友人たちの証言も不利に働くばかりです。

このように、自分の意志とは無関係に、自分の運命が決められる様は、まさに不条理です。

作中では不条理の果ての死刑を「メカニック」という言葉で表現しています。

断頭台へ登ってゆくこと、空の中へ登ってゆくこと、想像力はそうした考えにすがりつくかも知れない。ところが、やはり、メカニックなものが一切を粉砕するのだ。ひとは、わずかばかりな羞恥と、非常な正確さをもって、つつましく殺されるのだ。

『異邦人/カミュ』

死刑宣告されたムルソーは、実際の死刑には僅かな猶予さえないことを悟ります。

例えば、10分の1の確率で助かる化学薬品を用いた処刑であれば、受刑者にはチャンスがあります。そして、大抵の(死刑宣告をされていない)人間は、あらゆる物事に対して漠然とそういった猶予を期待しながら生きているものです。ところが、実際のギロチンというメカニックな処刑は、僅かな可能性すらも与えずに、100%の確率で人間を死に至らしめるのです。

誰でも、ある日突然、メカニカルな絶対的死に突き当たる可能性がある、しかも自分の意思とは無関係な他人の手によって。

これがカミュの認識する不条理だったのではないでしょうか。

断頭台への階段や、あるいはそのまま空の中に登っていくような猶予さえ与えられず、瞬時に一切を粉砕する不条理です。

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ムルソーは正直者ゆえに裁かれた?

ムルソーを非情でサイコパスな人間だと捉える読者もいると思います。殺人という人道を外れた行為を致したの事実です。あるいは懺悔による反省の色を見せなかったのも事実です。

ただし、彼は作中では一貫して正直者でした。一度も嘘をついていないのです。

例えば、母親の葬儀で涙を流さなかった件について。自分が唯一の身内であるため、責任を持って葬儀を執り行う必要があったから涙を我慢していた、実は裏では泣いていた、とそれらしい証言をすることも可能です。

あるいは、アラブ人を殺した件について。一発目の銃弾は正当防衛を主張できるでしょう。あるいは四発の銃弾を撃ち込んだことに関しては、恐怖のあまり気が動転していた、なども言えるはずです。

しかし、ムルソーはこれらの尋問に対しては、便宜を一切口にしません。

このムルソーの正直さは、作者カミュの自序にて解明されています。

母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるよりほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。嘘をつくという意味は、無いことをいうだけではなく、ある以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ。しかし、生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく。

『異邦人:自序/カミュ』

人間社会には都合のいい嘘が存在します。物事を円滑に進めるための嘘、相手を喜ばせるための嘘、自分を守るための嘘。誰しもが使用する口実であり、それをわざわざ咎めることは野暮だと理解しています。

ところが、ムルソーはいかなる状況であろうと嘘をつきません。マリーに愛しているかと尋ねられれば、愛していないと答えます。酷暑の苛立ちによって物事に興味を失えば、それっきり放棄します。自分の感情に正直ゆえに自己中心的なのです。

こういった馬鹿正直な人間(ムルソーはある種の信念としてそうあったのだろうが)は、社会から異物と扱われ、異邦人と見なされ、排除される運命にあるのです。

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なぜムルソーは人を殺したのか

そもそもムルソーがアラブ人を撃ち殺した理由が漠然としています。

太陽のせいだ

それが、唯一彼が口にした殺人の動機です。

当然彼の主張は相手にされませんし、あるいはその真意が明かされることもありません。

個人的には、この「太陽のせい」というフレーズには2つのニュアンスが含まれているように思います。

突発的な欲望

1つは、人間の突発的な欲望がそうさせた、という解釈です。

作中では、ムルソーの身体的な状態が繰り返し描写されます。例えば、母親の葬儀では、旅の疲労感や、酷暑の辛さが描かれます。法廷においても、室内に嫌な暑さが充満しており、それに不快感を抱いている様子が描かれます。

あるいは、マリーに対して肉欲を感じたり、急に物事に興味をなくしたりと、自然な欲望についての描写も印象的です。

これらは、ムルソーが、いかにその刹那の欲求に忠実な人間であるかを裏付けています。

事実、彼は仕事からの帰り道に、沿岸を走るトラックに急に飛び乗るなど、まるで少年のような衝動に駆られる瞬間がありました。

あるいは、マリーに愛しているかを尋ねられて、愛していないと答える点についても同様のことが言えるでしょう。

詳しくは、巻末の解説を引用します。

人は、つねに相手のことを考えている訳ではなくとも、きれぎれの感情に抽象的統一を与えて、それを「愛」と呼ぶ。ムルソーは、このような意味づけをいっさい認めない。彼にとって重要なのは、現在であり、具体的なものだけだ。現在の欲望だけが彼をゆり動かす。そういう欲求が起きれば、動いているトラックに飛び乗るほどの力をふるう。

『異邦人/カミュ』

人間は常に相手を想っている訳ではなく、想う瞬間もあれば、意識に存在しない瞬間もあります。そういった細切れの想いを拡張させて、「愛」と総称しているわけです。

ところが、前述の通りムルソーは正直者で、今現在の感情に嘘をつきません。刹那の想いを拡張させることがないため、マリーに「愛している」と嘯くこともないのです。

ともすれば、ムルソーがアラブ人を撃ち殺したのも、ほんの刹那な衝動によるものでしょう。

ジリジリと照りつける太陽、酷暑による苛立ち、流れる汗が視界を封じる、そんな不快感が発砲する動機になり得たのかもしれません。

あるいはアラブ人は岩陰で涼んでいました。彼を殺して、自分がその場所で涼みたい、という現在の欲求がムルソーに発砲させたのかもしれません。まるで、沿岸のトラックに飛び乗った時のような刹那の衝動で。

二極化されることに対する反抗

「太陽のせい」に込められた、もう一つのニュアンス。それは、人間が二極化されることに対する反抗ではないでしょうか。

法廷での弁論は、まさに「イエスかノーか」「有罪か無罪か」「善か悪か」といった、二極化された内容でした。

そして、二極化された形式に当てはめるために、ムルソーの犯行は、ある種のステレオタイプに支配されます。

発砲したからには、殺意があったに違いない。その殺意は計画的な実行を生んだに違いない。そもそも母の葬儀で泣かぬ人間は人でなしに違いない。人でなし故に人を殺したに違いない。

こういった具合です。

しかし、人間の動機は定型化できるものではありません。突発的な欲望、外界の気候や温度、それが体調にもたらす快・不快。その他、微妙な揺らぎによって行動するものです。人間はメカニカルな回路で生きていないのです。

ところが人間社会は、「〇〇な人間は△△に決まっている」といったステレオタイプで構築されています。そして、そういった認識から外れる者は周囲にとって脅威であるため、異邦人と見なして排除します。

つまり、殺意なくアラブ人を殺した、という一貫性が欠落したムルソーの動機は恐怖であり、だからこそ普遍的な動機を無理やり押し付けて、社会から排除しようとしたのでしょう。

こういった馬鹿げた社会に対し、人間は単純化された動機のみで生きていない、という意を込めて、「太陽のせい」という抽象的な動機を主張したのではないでしょうか。

イエスでもノーでもない、その間にある複雑な要因が、太陽に象徴されているのでしょう。

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本当の自由・幸福とは何なのか

『異邦人』のクライマックスは、ムルソーが司祭の襟首を掴んで罵声する場面です。

少し長いですが、その一部を引用します。

君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、自分の人生について、来るべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ。 

『異邦人/カミュ』

無心論者のムルソーは、司祭に対して自分の正しさを主張します。彼はこれまで一度も後悔したことがないのです。

それは、ムルソーが自らの人生における全ての責任を背負っているからです。

大抵の人間は自分の身に降りかかる結果を他の誰かのせいにしようとします。「アイツが悪い」「社会が悪い」「政治が悪い」このように外部に責任を押し付けることで、自分の心のバランスを保っているのです。

それと同様に、人間は外部に救いを求めようとします。その象徴が「神」です。

しかし、ムルソーによれば、「神」のような俗人が生み出した虚妄に寄りかかって生きることは、本当の救いではないみたいです。

それどころか、自由や幸福とは程遠い生き方のようです。

ムルソーは自分の欲望に忠実で、決して心に嘘をつきません。その結果、軋轢が生じても、それを外部のせいにせず、全て自分で責任を背負います。誰かに寄りかかることなく、自己完結で生きているのです。だからこそ、彼は自分の人生に自信を持っており、正しさを自負しているのでしょう。彼は、神という虚妄ではなく、自分という真理を捉えているのです。

神に縋り、懺悔し、二極化された社会でステレオタイプに支配され、幸福や自由の形式さえ決めつけられる。そんなものは「死人のような生き方」であり、本当の幸福や自由ではない、とムルソーは訴えていたのでしょう。

公開処刑で多くの見物人が憎悪の叫びをあげる。それこそがムルソーにとって「自分がいかに正しく生きたか」を逆説的に証明する手段だったのでしょう。だからこそ、彼は処刑の日を最後の望みにしたのだと思います。

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『異邦人』名言紹介

健康なひとは誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ。

ひとはいつも、知らないものについては誇張した考えを持つものだ。

人生が生きるに値しない、ということは、誰でも知っている。結局のところ、三十歳で死のうが、七十歳で死のうが、大した違いはない、ということを私は知らないわけではない。

今であろうと、二十年後であろうと、死んでゆくのは、同じくこの私なのだ。

人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう?

私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。

私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ。 

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カミュの代表作『異邦人』は、1967年に巨匠ヴィスコンティ監督によって映画化された。

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