村上龍『イン ザ・ミソスープ』あらすじ解説|白鳥の羽の意味

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ミソスープ 散文のわだち

小説『イン ザ・ミソスープ』は、1997年に発表された、村上龍の長編小説です。

風俗ガイドをするケンジが、アメリカ人のフランクを担当したことで、狂気的な事件に巻き込まれていく、サイコサスペンスが描かれます。

連載中に発生した神戸連続児童殺傷事件が、この作品の内容と重なったため、当時大きな話題となり、読売文学賞を受賞しました。

また物語には、国民性的に危機感が足りない日本人に対する痛烈なメッセージが込められています。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語のメッセージを考察しています。

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作品概要

作者村上龍
発表時期1997年(平成9年)
ジャンル長編小説
サイコホラー
ページ数304ページ
テーマ日本人への痛烈なメッセージ
淡白化する人間関係
消費と孤独
受賞読売文学賞

あらすじ

あらすじ

風俗店のガイドをするケンジは、その年の暮れ、フランクというアメリカ人を担当することになる。フランクは愛想のいい男だが、時おり奇妙な違和感を感じさせ、数日前に発生した殺害事件の犯人を彷彿させた。

二日目のガイドでお見合いパブに来たフランクは、唐突に従業員や客を惨殺する。あまりの恐怖にケンジは死を覚悟する。だがフランクはケンジだけは殺さなかった。

その日は大晦日だった。除夜の鐘が始まるまでの時間、フランクは自身の過去をケンジに告白する。彼は子供の頃に、あるオブセッションに捉われ、白鳥を殺したのを機に、人も殺すようになった。社会から断絶された世界で、疎外感を抱く彼には、人を殺す必要があったのだ。だがケンジだけは唯一の友人だから殺さずに解放することを約束する。

別れ際、フランクは日本でミソスープを飲み忘れたことを後悔する。だが自分は巨大なミソスープの中にいるからもう必要ないと口にする。そしてケンジに封筒を渡す。封筒の中には、白鳥の羽が入っていた。

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個人的考察

個人的考察-(2)

言わなくても伝わる日本文化の弱点

本作『イン ザ・ミソスープ』は、サイコサスペンス小説でありながら、社会的メッセージが強烈です。とりわけ、タイトルから想起されるように、日本人への問題提起がなされています。

作中には、日本が、占領、虐殺、難民、独立などの歴史的苦難を経験したことがないために、日本人は他国との付き合いが下手で、外国人に対して排他的だと記されています。

この意見は、村上龍の作品に共通するテーマであり、そんな日本社会に突然、強烈な不穏分子が投下された場合に、日本人はどうなるのか、という設定が多く見られます。

例えば、『半島を出よ』という長編大作では、北朝鮮が日本にテロ占領を仕掛けた場合、どんな事態が起こりえるかを描いています。

そして、本作『イン ザ・ミソスープ』では、東京の歌舞伎町に、フランクという不穏分子が現れ、風俗店で惨殺を行うことで、日本人の本当の姿が浮き彫りになっていきます。

フランクに殺された日本人は、無言で怯え、不可解な言動を起こしました。あるいは恐怖のあまり、照れ笑いのような表情を作る者もいました。彼らはまるで瞳や表情の内で助けを乞うているようでした。

こういった危機的状況に際した日本人の言動は、フランクがペルーの売春婦から聞いた話と繋がる部分があります。

ペルーの売春婦は日本に来て三年、何度か辛い目にあったと言います。日本人は異邦人に排他的で、それも直接的ではなく、集団でプレッシャーをかけて排除しようとします。集団で噂話をしたり、無視して締め出したり、といった具合です。

これは、村社会である日本人の、言葉で伝えなくても態度で理解させようとする特性の、負の面を表しています。

そして言葉ではなく態度で理解させる国民性は、自分達が危機的状況に陥った場合にも顕著に現れます。それが、フランクに惨殺された人々の無言の怯えです。

フランクが現れる前のこの店は、伝えようという意志がなくても、あ、うんの呼吸で物事はひとりでに伝わるものだというこの国の象徴のような状態だった。そういう中でずっと生きてきた人は緊急時にはパニックになって、言葉を失い、殺される。

『イン ザ・ミソスープ/村上龍』

ケンジだけが「NO」とはっきり伝えたため、殺されなかったのかも知れません。

ただし、こういったケースは、本作の主題の表層に過ぎません。

村上龍は日本人の国民性を否定している訳ではなく、集団のプレッシャーなど、全体主義的な空気に無言で便乗するばかり、本当に伝えたい意志を喪失している現状に警笛を鳴らしているのではないでしょうか。

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孤独を埋めるだけの無目的な日本人

あのお見合いパブのような場所は子供に見せられない。汚れているからではなくて、そこにいる連中が真剣に生きていないからだ。(中略)これがなければ死んでしまう、というような目的を持ってあの店にいた人間は一人もいない。マスターにしろボーイにしろ同じで、何となく寂しいからという理由でただ時間をつぶすためにあの店にいたのだ。

『イン ザ・ミソスープ/村上龍』

上記引用の通り、日本人は目的を持たぬまま、ただ漠然とした孤独を埋めるために、生きているというのです。

その比較対象として、出稼ぎ外国人が引き合いに出されます。彼女らは家族の生活や、その他決定的な物欲のために歌舞伎町に集っています。一方で、物欲が飽和点に達した豊かな日本人は、欲しい物を知らないまま、孤独を埋めるために歌舞伎町に集い、無目的な浪費をしているのです。

作中には、目的なく生きる日本人を象徴する人物が何人か登場します。

例えば、ランパブのレイカは、アメリカでナイキの店に行くのが夢だと話していました。それを聞いたフランクは、意味が分からないといったふうに驚いていました。

お見合いパブのマキは、超高級クラブに勤めていると嘘をつき、本場のウィスキーの銘柄を知ったかぶりしたり、エコノミーには乗りたくないとか、ヒルトンに泊まるのが夢だとか、殆どむきになって話し続けます。彼女の話に耐えかねたフランクは、彼女は一体何のためにここに来たのか、という疑問を投げかけます。

その他の人物達にも共通するのは、人生に目的がなく、それでも自分に価値がないと思って生きるのは辛いから、海外にかぶれたり、高級品を手に入れたり、生活の質を自慢したり、そういった虚構でしか自分の存在を証明できない、ということです。

物欲が飽和点に達した日本人は、お金で孤独を埋められないと知りながら、数値化できる充足に依存するしか術がないのでしょうか。

作中には、日本の殆どの売春婦はお金のためではなく、孤独から逃れるために体を売っている、と書かれています。

執筆当時が1997年なので、その頃と実態は多少なりとも変化しているでしょう。30年間平均賃金が上がらない現状、奨学金という名の借金、手取りでは金銭が間に合わず体を売る人間が居るのは、紛れもない事実です。

その一方で、風俗の地方出稼ぎをして、ホストクラブの推しに何百万円、何千万円と注ぎ込む人間が居るのも事実です。そういった数値化された消費に狂って孤独や虚無を埋めようとする点では、この作品が執筆された当時から根本は変わっていないのかも知れません。

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「猫の実験」に象徴される若者たち

終盤のフランクの独白の中で、興味深い話題がありました。フランクが精神病院にいた頃に見た、猫の実験の話です。

檻の中にいる猫に、ボタンを押せば餌が与えられる仕組みを覚えさせます。そして、あるタイミングでボタンを押すと餌ではなく、電流が流れる仕組みに変えます。すると猫の精神状態は非常に不安定になって、餌を食べる意欲を失って餓死するのでした。

この話を聞いたケンジは、日本の子供も、この猫と同じだと考えます。

口では、人生は金だけじゃないと大人は偉そうに言うが、彼らは価値の定まったブランド品ばかりを求め、金以外に探しているものを明確に提示できない。援助交際を批判する週刊誌は、同じ雑誌の中で風俗店を推奨する。あるいは、政治家の汚職を糾弾しながら、安く買える優良株や不動産を紹介する。

要するに、甘い話と現実の厳しさの両方を、絶えず大人に突きつけられるこの国の子供は、餌と電流の猫のように、精神が不安定になっているのです。

それで弱音を吐けば、こんな豊かな国で甘えたことを言うな、と大人に叱責される始末です。

漠然とした孤独を埋めるために歌舞伎町に集う若者。彼らは確かに目的なく生きる、救いようのない人間かも知れない。されど、彼らはいずれ餌を食べる意欲を失って餓死する、猫のような状態にあって、その根本には社会的要因が大きく関わっているということでしょう。

だからと言って彼らを肯定するでもなく、問題意識や危機感を突きつける描き方が、村上龍らしいと感じます。

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フランクが人を殺す理由

フランクは、「退化した人間」を殺していると話していました。

「退化した人間」とは、人生に目的のない人間、いわば日本人全体に向けられた総称です。その最もたるがホームレスで、彼らは社会にとって有害だとフランクは話していました。だから殺しているようです。

その一方で、フランクの殺人には、どこか求愛じみた衝動が含まれているように感じます。

フランクの殺人は幼少の頃に始まります。

幼少の頃のフランクは、迷子になる感覚に恐怖と愉悦を感じていました。それは、自分が世界から阻害されているような不安感と、俯瞰的に世界を見る全能感みたいなものでした。フランクは人間社会に居ながら、人間社会から断絶されたような、不協和な状態に居たのです。

そんなフランクが感じていた社会との距離感は、白鳥に象徴されています。

フランクは、近づけば逃げてしまう白鳥の習性に、自分自身の境遇を見出していました。つまり、どちらかが接近すれば離れてしまう他者との距離感、そんな孤独があったのです。

繋がりたくても繋がれない、それこそがフランクが抱える不協和でしょう。

その不協和を埋めるために、フランクは白鳥を殺します。目の前にあるのに繋がれない存在を、殺害することで自分の世界に引きづり込んで、孤独を埋めようとしたのだと思います。

フランクが人を殺さなければ生きていけなかったのは、殺人でしか孤独を埋めることができなかったからではないでしょうか。

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ケンジを殺さない理由

フランクは、一度はケンジを殺すつもりでしたが、なぜか撤回しました。

それどころか、ケンジだけが人生で唯一の友人だと話していました。

その理由は、前述した他者との距離感の問題が関係していると思います。

フランクにとって、周囲の人間は白鳥と同様、自分が近づけば逃げてしまう存在でした。ところがケンジだけは最後まで逃げませんでした。

フランクは、ケンジに警察に行けと伝えます。そして、本当に警察に行けば殺すつもりでした。ケンジが逃げ出すか否かを試していたのです。ところが、ケンジは、フランクに対する情があったわけではないですが、警察には行きませんでした。それは、フランクにとって、初めて自分が近づいても逃げない他者との遭遇だったのでしょう。殺すことなく他者を自分の世界に取り込む感覚を経験したのだと思います。

だから、ケンジを殺す必要がなかったのだと考えられます。

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白鳥の羽の意味

唯一の友人となったケンジに、フランクは白鳥の羽を与えました。

フランクにとって白鳥の羽は、殺すことでしか自分の中に取り込めなかった他者の象徴であり、社会から断絶された不協和を、刹那に埋めてきたものでしょう。

それをフランクがケンジに与えたのは、自分には白鳥の羽が必要なくなったことの意思表明だったと考えられます。

殺人をせずとも他者と接続することが叶ったという、ある種の克服の意味が含まれていたのではないでしょうか。

ミソスープは何を意味するのか?

別れ際にフランクは、ミソスープを飲み忘れたことを思い出します。しかし、自分は巨大なミソスープの中に居るから、もう飲む必要はないと言います。

フランクがかつてコロラドの寿司バーで注文したミソスープには、野菜の切れ端などが入っていて、不気味だったので、飲みませんでした。ところが、最後には、自分を野菜の切れ端に見立てて、ミソスープに混じっている感覚になっていました。

おそらくミソスープは、あらゆる具材を取り込む、日本社会を象徴しているのでしょう。

あらゆる具材とは、海外文化であったり、あるいはフランクのような外国人たちです。そして、フランクはかつてはミソスープに浮かぶ具材を異物のように感じていました。ところが、どんな具材でもミソスープに混ざれば馴染んでいく感覚を知ったのではないでしょうか。

その感覚を知ったのは、煩悩を打ち消す「除夜の鐘」について、ケンジから聞いたからでしょう。煩悩は、西洋人にとっての罪の意識のようなものではなく、誰しもが潜在的に持つ欲望を意味します。そして除夜の鐘は、それを分け隔てなく、一様に浄化してくれるのです。

誰しもが潜在的に持つ煩悩、それを一様に浄化してくれる除夜の鐘。そんな日本文化の許容と優しさを知ったフランクは、これまで感じていた世界と断絶された感覚を解消し、異物ではない具材として、ミソスープに溶け込むことが叶ったのかもしれません。

あるいは、歌舞伎町という街すらも、あらゆる種類の人間を許容し馴染ませる、巨大なミソスープなのかもしれません。だから、今もなお、何か問題を抱えた人々が歌舞伎町に集まって、街に溶け込もうとするのではないでしょうか。

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