夢野久作『ドグラマグラ』あらすじ解説|青年の正体とチャカポコの意味

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ドグラマグラ 散文のわだち

小説『ドグラマグラ』は、夢野久作が10年以上かけて完成させた超大作で、日本三大奇書のひとつに数えられている。

精神病院で目覚めた青年が、自分が誰だか分からず、不可解な殺人事件に巻き込まれる、狂気的な物語が描かれる。

あまりに不気味な内容から、「読んだ者は必ず精神に異常を来たす」とまで言われている。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察していく。

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作品概要

作者夢野久作(47歳没)
発表時期  1935年(昭和10年)  
ジャンル長編小説
怪奇小説
探偵小説
ページ数上巻:324ページ
下巻:377ページ
テーマ精神異常
脳髄の堂々巡り

あらすじ

あらすじ

時計の鐘の音と共に、青年は目を覚ます。

そこは精神病院の檻の中で、青年は自分が誰なのか、一切の記憶を失っていた。隣の部屋からは、若い娘の発狂した叫び声が聞こえ、どうやら青年のことを、自分の婚約者だと思い込んでいるようだった。

やがて法医学の若林教授が現れ、過去に起きた、呉一郎という青年が母親を殺害し、次いで婚約者を殺害した事件について話す。そして、青年の記憶が蘇ることが、事件解決の鍵になっていると言う。そのため青年は、あらゆる手段で記憶回復を試されるが、全く思い出す気配がなかった。

記憶回復の手段のひとつとして、自殺した精神病科の正木教授が残した研究資料を読まされる。資料に没頭していると、不意に青年の前に、死んだはずの正木教授が姿を現す。正木教授は、呉一郎の事件の詳細を打ち明ける。その内容から、青年は自分が呉一郎なのではないかと疑い始める。しかし、記憶が戻ることはなく、自分が呉一郎である確証を持つことも出来なかった。

あまりに不可解な境遇に、意識が混濁した青年は、精神病院から飛び出したはずだったが、気づいたら元の教授室に帰っていた。しかも研究資料に手をつけた形跡が消えており、やはり正木教授は1ヶ月前に死んでいた事実に気づく。自分は永久に同じ幻覚を繰り返しているのではないかと思った青年は、精神病院の檻に戻りベッドに横になる。すると呉一郎の事件に関わるあらゆる人物の顔が目の前に浮かび上がり、再び時計の鐘の音が響くのであった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

実は青年の1日の物語

上下巻合計700ページに及ぶ長編大作ですが、実際は記憶喪失に陥った青年が、呉一郎の事件の真相に接近するものの何にも思い出せない、というたった1日の物語です。

ただし物語の大半は、精神科の正木教授が遺した、「キチガイ地獄外道祭文」「狂人の一大解放治療場」「脳髄論」などの意味不明な研究資料によって構成されています。

この意味不明な資料のせいで、物語がかなり複雑になっていきます。

中でも「キチガイ地獄外道祭文」は、「チャカポコチャカポコ」という奇妙なリズムに合わせて、精神病者の悲惨な扱いを訴える内容で、あまりに長く難解であるため、挫折のポイントになりがちです。

そのため、正木教授の研究資料の内容と、青年の1日の物語を一旦切り離して考察していくと、比較的スッキリ理解できると思います。

とはいえ、物語を完全に理解するのは殆ど不可能なのですが・・・

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正木教授の研究資料の意味

正木教授は一体何者だったのか、彼は生きているのか死んでいるのか。

これらの疑問は一旦後回しにして、先に研究資料が訴える内容を考察します。

「キチガイ地獄外道祭文」

多くの読者が最も挫折するポイントである、「キチガイ地獄外道祭文」。

「チャカポコチャカポコ」のリズムに乗せて、語呂合わせの言葉が乱用されるから厄介です。

しかし、実際に正木教授が訴えていた内容は至ってシンプルです。

精神病者が差別され、正しい治療が施されていない現状に、異議を唱えていたのです。

本作『ドグラマグラ』が執筆された1930年代は、精神科学の研究が皆無でした。現在は、心療内科やメンタルクリニック、薬物治療などが生まれ、非常にメンタルに敏感な時代です。ところが当時は、学術的にも大衆的にも全く理解がなく、精神病者は「キチガイ」と差別され、檻の中に一生閉じ込めるのが当然でした。

あるいは精神病は遺伝すると考えられており、身内に精神病者がいれば、結婚が破談になることも珍しくありませんでした。そのため本人だけでなく身内も苦しめられ、精神病者を何処かに捨てる、なんてことも行われていました。

こういった精神病者が虐待される現状に対して、正木教授は異議を唱え、自分は正しく治療できる、と豪語していたのです。

そして、その思想を世間に普及させるために、「チャカポコ」というリズムに乗せて演説のようなことを行っていたのです。

実際に正木教授は、演説通りに「狂人の一大解放治療場」を設け、そこに呉一郎を収容していたのでした。

「脳髄論」

「チャカポコ」に次いで挫折のポイントである「脳髄論」。

こちらの内容を一言で説明するなら、「脳は考える場所ではない」という突拍子のない正木教授の仮説です。

もちろん一般的に「脳は考える部分」とされています。そして、この脳に異常が生じた結果、精神病になってしまうと考えられています。

ところが正木教授は、こういった定説を真っ向から否定します。

人間の意志言動を司るのは脳ではなく、細胞だと言うのです。

そして細胞には何億年も前の生物の進化過程の性質が記憶されており、時たまその性質が現れるために、本人の無意識下で、凶暴な性格が飛び出したりすると言うのです。言うなれば、恐竜時代の凶暴性が、無意識に現代の人間に現れるということです。

あるいは、何代も前の先祖の性質も細胞に記憶されており、遺伝的に先祖の意志が現れることもあるようです。

このような学説から、正木教授は精神病を脳のエラーではなく、誰にでも起こり得る細胞レベルでの症状だと訴えていたのです。

この細胞レベルの遺伝こそ、本作のメイン筋である、青年ないしは呉一郎の事件の真相を紐解く鍵になっています。

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呉一郎の精神異常の理由

母親を絞殺し、その後、婚約者のモヨ子をも殺した呉一郎。

母親を絞殺した際には全く記憶がなく(実は正木教授が犯人だと後に明かされるが)、婚約者のモヨ子を殺した後は精神異常に陥ったため、いずれも犯行の動機が不明確なままでした。

この無意識化の犯行を、作中では夢中遊行と呼んでいます。いわば夢遊病のようなものです。

そしてこの夢中遊行の引き金になっているのが、呉家に代々伝わる奇妙な絵巻物でした。

この絵巻物の発端は、呉一郎の先祖である、唐の時代の絵師・呉青秀にまで遡ります。

青秀は天子に仕える絵師でした。そしてある時、天子が乱心したために、正気にさせるための絵巻物を創作しようと考えます。その絵巻物には、自分の妻を絞殺して、死体が腐敗していく様子を描きました。それからややあって、青秀は死んだ妻の妹を身籠らせてから自殺します。そして妹は日本に渡って子孫を遺し、その系譜に呉一郎がいるわけです。

このような経緯から、呉家の子孫にあたる男たちは、絵巻物を目にすると、たちまち青秀の変態性欲が取り憑き、夢中遊行によって犯罪を実行してしまうのです。これは「脳髄論」に記されていた、細胞レベルでの遺伝的な症状だと考えられます。

つまり、呉一郎が絵巻物を見た途端に恐ろしい人格に変わり、婚約者のモヨ子を殺害したのは、先祖の青秀から受け継いだ細胞レベルの遺伝が発動した結果なのでした。

呉一郎に絵巻物を見せた犯人

呉一郎の犯行動機はオカルトじみたものでしたが、そもそも絵巻物を彼に見せた、本当の真犯人は誰だったのか。

実はこのあたりの真相は非常に曖昧なので、一概に断定することはできません。が、個人的には正木教授が犯人だと考えています。

正木教授は精神科における随一の奇才でした。その狂った性格のために、正木教授は意図的に呉一郎の夢中遊行を発動させて、自分の研究成果にしようと考えていたのです。

元より呉家に伝わる不吉な言い伝えを知っていた正木教授は、呉一郎の母親に接近します。そうして生まれた子供が呉一郎だったのです。さらに母親を殺害し、呉一郎が親戚の家に引き取られ、モヨ子と結婚するよう企てました。そのタイミングで呉一郎に絵巻物を見せて、例の夢中遊行を発動させたのです。

つまるところ、正木教授と呉一郎は親子だったのです。それも自分の研究のために生み出した、実験材料としての子供です。

まさに研究のためなら倫理や道徳を厭わない、奇才が引き起こした大事件だったわけです。

ただし、読む人によって、犯人は異なることでしょう。なぜなら正木教授は作中で何度も嘘をつくからです。そのため彼の告白内容はいずれも信憑性に欠けているため、この推論も断定することはできないのです。

この曖昧性こそ、本作の厄介な点であり、怪奇小説としての魅力でもあります。

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正木教授はなぜ自殺したのか

これほど倫理や道徳を無視する奇才にもかかわらず、正木教授は最終的に自殺します。

かねてからの研究が成功したのに、正木教授はなぜ自殺する必要があったのか。

その理由は、精神病院で呉一郎が引き起こした事件が関係していると思われます。

その事件とは、呉一郎による患者の殺害です。事件が発生した時、正木教授は狂乱した呉一郎に近づきます。すると呉一郎は、正木教授に向かって「お父さん、巻物を見せてください」と言いました。

前述した、正木教授と呉一郎が親子である事実を、彼は思い出したように見えます。

さらには絵巻物の最後の部分には、殺害した呉一郎の母親によって、正木教授が呉一郎の父親である証拠が記されていました。

ともすれば、自分が呉一郎の父親であり、全ての事件を企てた張本人である事実が世間にバレることを恐れて自殺したのか。

この推論は少し弱いように思います。なぜなら、いくら呉一郎が自分を父親だと主張しようが、狂人の証言なら、何とでも誤魔化すことが可能だからです。あるいは、倫理や道徳を無視する正木教授が、わざわざ苦心するとも考えづらいです。

さすれば、自分が呉一郎の父親だという真実が、正木教授にとって意外千万でなければなりません。つまり、正木教授本人も、全ての犯行の張本人が自分だとは思っていなかったのではないでしょうか。

このことから考えられる推論は一つ、正木教授も夢中遊行のうちに全ての犯行を行なっていた可能性です。

実際に正木教授は遺書の中で、自分と若林教授のいずれが犯人なのか、その真偽にぐらついている様子が感じられました。要するに、正木教授は研究を進めるうちに、自分が犯人である可能性に気づき、その空恐ろしさに自殺を決行したのかもしれません。

言うなれば、青年が自分は呉一郎なのか確証が持てないのと同様に、正木教授も自分の犯行に確証を持てず、しかしその可能性に苦しんでいたのかもしれません。

本作の登場人物は皆、夢中遊行のうちに犯行を起こし、誰もが曖昧な可能性に怯えていたということでしょうか。

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青年は誰だったのか

つい呉一郎と正木教授についての考察に集中しましたが、いよいよ物語の本筋である、青年の正体を考察します。

結論から述べると、青年は呉一郎ではない、というのが個人的な推論です。

その理由は作品の巻頭に記されている、意味深長な巻頭歌から読み取れます。

胎児よ 胎児よ 何故踊る 母親の心がわかって おそろしいのか

『ドグラマグラ-巻頭歌-/夢野久作』

何の気なしにさらっと読んだこの一節。

実は作中にはこの巻頭歌と関係がある、「胎児の夢」という話が登場します。

胎児は母親の腹の中で成長する間に、何億年も前の生物の進化の記憶、あるいは先祖の記憶を見続け、ようやく生まれてくる、という言説です。これは、前述した細胞レベルでの遺伝の話とも通づる部分があります。

あるいは、青年はまるで幻覚のような1日の末に、一連の事件に関わった人々の顔、あるいは絵巻物の発端ともなった呉青秀の顔などが浮かび上がり、それらが消え去ったところで物語の幕が閉じます。

以上のことから考えられるのは、青年はまだ母親の腹の中にいる胎児、ということです。つまり、この奇妙な物語は、青年が胎内で見ている細胞レベルの記憶ということです。

さらに深読みするなら、呉一郎とモヨ子の間に出来た胎児が、青年の正体と考えられるでしょう。青年はモヨ子の腹の中で、自分の先祖である呉家の記憶を見続けているのです。

ともすれば、青年は誰か、という疑問はナンセンスで、実はまだ誰でもない胎児ということになります。

母親の腹の中で自分の先祖の恐ろしい性質を知り、そうして物語が終わると同時に生まれてくる。生まれた子供は細胞レベルで先祖の性質が遺伝しているため、今後恐ろしい運命を辿ることになる、というあまりに狂気的な物語だったのではないでしょうか。

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メタフィクション的な物語

最後に少し興味深い、メタフィクションの考察を記します。

メタフィクションとは、小説や映画などで用いられる技法で、物語の世界と現実の世界をごっちゃにする効果があります。例えば映画で、登場人物がテレビの画面から視聴者に問いかけるようなシーンがあります。途端に別世界の物語と思っていた映画が、まるで現実と地続きのような錯覚に陥ります。

実は本作でもこの技法が用いられています。

記憶喪失になった青年は、記憶を取り戻すために教授室の物品を見て回ります。すると、その物品の中に『ドグラマグラ』という小説を発見します。つまり、現実世界で読者が手にしている『ドグラマグラ』が、作中でも登場するという、二重構造になっているわけです。

このことから考えられる恐ろしい事実、それは読者も青年と同様に、今なお母胎の中で自分の先祖の記憶を見ている最中ということです。そう、我々が今現実と思っているこの世界が、実はまだ母胎の中の記憶かもしれないのです。

ともすれば、本作を手にしたあなたの先祖には、あの恐ろしい呉青秀がいるのかもしれません。そして、やがて生まれてきたあなたは、狂人の遺伝を発症する運命に・・・。

あるいは、あなたは既に生まれてきた後のあなたなのでしょうか。だとすれば、仮にあなたが殺人を犯したとしても、それは先祖のせいであり、あなたのせいではありません・・・。

『ドグラマグラ』には、「堂々巡り」のような意味があると考えられています。そういう意味でも、我々はこの遺伝という恐ろしい堂々巡りの中にいるのではないでしょうか。

ただし、一つだけ救いがあります。それは我々が手に取る『ドグラマグラ』と、作中で青年が手に取る『ドグラマグラ』では、冒頭の時計の鐘の音が僅かに異なることです。堂々巡りで繰り返される物語も、繰り返されるうちに僅かに違いが生じていることになります。

これからのあなたの人生、この僅かな違いが、良い違いになるか、悪い違いになるか、まだ誰も知る由はありません・・・。

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