ジョージ・オーウェル『動物農場』あらすじ考察 『1984年』と並ぶ代表作 物語の教訓を解説

動物農場 散文のわだち
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ジョージ・オーウェルの『動物農場』は、恐怖政治を寓話的に描いたディストピア小説です。

全体主義や権威主義への批判を描き、世界的なベストセラーを記録しました。

本記事では、物語が持つ寓話性を解読し、作者が伝えたかったメッセージを紐解きます。

『動物農場』作品概要

作者ジョージ・オーウェル(46歳没)
発表時期1945年
ジャンル中編小説
英国小説
ディストピア小説
テーマ反スターリニズム
全体主義批判

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『動物農場』あらすじ

あらすじ

メイナー農場の主人ジョーンズは、アルコール中毒の怠け者だった。そのため動物たちは不満が溜まり、夜な夜な集会を開いていた。

ある時、老いた雄豚メージャーが、動物の平等と自由を謳った「動物主義」を唱える。やがてメージャーの死後、残された動物たちは決起し、農場から人間を追い出す。その結果、二匹の豚スノーボールとナポレオンを中心に、人間に支配されない自由な共同体「動物農場」が作り上げられた。

豊かな農場に生まれ変わったことを、動物たちは喜んでいた。ところが、少しずつ豚への優遇政治が目立つようになる。またスノーボールとナポレオンは、しばしば対立することもあった。その対立が極限に達した結果、スノーボールは追放され、ナポレオンによる恐怖政治が始まってしまう。不穏分子には公開処刑を行い、捻じ曲げた事実を信じ込ませ、過酷な労働を強い、かつての動物平等の方針は知らぬ間に改ざんされた。

ナポレオンの支配以降、豚たちは家屋に住み、ベッドに寝て、酒を飲み始める。そして、成功や幸運は全て指導者ナポレオンのおかげであり、悪いことはスノーボールの陰謀とされた。やがて、ナポレオンは近隣の牧場主(人間)を夕食会に招き、あれほど敵対視していた人間たちと付き合うようになる。今や雄豚ナポレオンの影は、人間の影と見分けがつかなくなっていた。




『動物農場』個人的考察

個人的考察

実は出版を何度も断られていた・・・

物語を考察する前に、少しだけ出版までの経緯について・・・

それと言うのも、本作は出版までに少し苦労があった作品なのだ。

表面的には農場を舞台にした動物の物語であるが、読んだ者なら誰でも、本作が明らかに寓話であることに気づくだろう。そう、ソ連(スターリニズム)批判だ。

本作には「序文案」が存在する。そこには、世論を恐れた出版社が、本作の出版を躊躇した事実について、オーウェルが抗議する内容が記されている。

実際に『動物農場』は、1944年に完成したが、4社ほどの出版社に跳ね返され、最終的には翌年まで発表が伸びることになった。各社が発表を躊躇したのは、無論「ソ連批判」のためである。

当時は第二次世界大戦が終結した頃である。ナチス政権や日本を打倒したのは、イギリス・アメリカ・ソ連などの連合国側であり、とりわけソ連はナチス打倒に大きく貢献したと考えられていた。そのため、世論を意識した出版社が、ソ連批判を記した書物を発表するのに消極的で、自主検閲のような形で『動物農場』は跳ね返されたのだ。

物書きやジャーナリストが直面する最悪の敵は、知的な臆病さであり、私に言わせればこの事実は正当な議論を受けていないように思う。

『オーウェル/動物農場-序文案-』

要は、知識人が世間体を気にした結果、自主検閲の形で報道の自由が損なわれてしまう滑稽さを訴えているわけだ。

この問題は現代ではコンプライアンスという言葉に集約されるだろう。しかしオーウェルは、本当の自由とは皆が聞きたくない事実を語る権利、だと主張している。その権利が剥奪された結果どうなるか、その答えは本作のディストピア的な世界観とも通ずる部分があるだろう。

このような経緯で何とか出版された『動物農場』は、やがて米ソ冷戦の時代が到来すると、反社会主義的な気運の高まりと共に反響を呼ぶようになる。自国イギリスのみならず、アメリカにおいてもプロパガンダ的な意味を持つようになり、次々に世界中で発表され、結果的にベストセラーを記録することになったのだ。

次いで発表された、全体主義や監視社会をテーマにした『1984年』も、「史上最高の文学100」に選ばれた。

最後に、本作『動物農場』は明らかにソ連批判の要素を持つが、しかし作者のオーウェルは社会主義者だった。つまり、本作にはソ連批判だけに留まらない、もっと広義的なメッセージが含まれているということだ。

以上の背景を踏まえた上で、物語を考察していこうと思う。

ソ連(スターリニズム)批判

物語を理解する上で、当時のソ連がいかなる歴史を歩んでいたかを知る必要があるだろう。

格差の激しいロシア帝国に革命が起こったのは、1917年のことである。過激な社会主義者レーニンにより、ソ連の原型が作られる。レーニンには、トロッキースターリンという二人の部下がいた。そしてレーニンの死後に、スターリンはトロッキーを追放する。これにてスターリンによる恐怖政治が始まったのだ。

スターリンは、秘密警察を従えて、不穏分子を次々に処刑する。またトロッキーによる陰謀を信じ込ませることで、仮想敵を作り上げ、一層自分の権威を確立する。あるいはトロッキーの政策を我物として掲げ、国民を従属させる。

これらの事実を知れば、まるっきり『動物農場』の物語と同様であることが分かるだろう。

  • 雄豚メージャー:レーニン
    動物主義≒社会主義を唱える
  • スノーボール:トロッキー
    追放される
  • ナポレオン:スターリン
    恐怖政治の指導者
  • 凶暴な犬:秘密警察

ナポレオン(スターリン)のやり口は、非常に巧妙である。

かねてより凶暴な犬を自分の手中に収めておき、彼らを使ってスノーボールを追放する。そして、あえて公開処刑を行うことで、動物たちに、「逆らったら自分もこうなる」という恐怖心を抱かさせる。加えて、あらゆる物事をスノーボールの陰謀に仕立て上げる。いかにスノーボールが悪人であったかを信じ込ませることで、それがある種の仮想敵となり、動物たちを自分の権威に丸め込むことに成功したのだ。

ここまで手口を徹底すれば、いかなる欺瞞ぎまんも、もはやまかり通るようになる。その最もたるが、動物平等の方針の改ざんだろう。

  • 四本足はよい、二本足は悪い
  • 全ての動物は服を着てはいけない
  • 全ての動物はベッドで寝てはいけない
  • 全ての動物は酒を飲んではいけない
  • 全ての動物は他の動物を殺してはいけない
  • 全ての動物は平等である

これらは、人間を敵対視し、動物の自由と平等を訴えた、当初の方針である。

しかし、いつの間にかナポレオンによって、方針は都合よく改ざんされる。

  • 四本足は良いが、二本足はもっと良い
  • 全ての動物はシーツのあるベッドで寝てはいけない
  • 全ての動物は過剰に酒を飲んではいけない
  • 全ての動物は理由なく他の動物を殺してはいけない
  • 全ての動物は平等である、だが一部の動物は他よりもっと平等である

このように、文言が追加されることで、支配者に都合のいい例外が認められていくのだ。その極め付けが、一部の動物(豚)が、他の動物よりも平等だという、明らかな支配体制である。

殆どの動物は文字が読めない。あるいは改ざんに気づいても、初めからそうだった気がして、意義を唱えるに至らなかった。

逆に言えば、大衆の無知が権力者暴挙を激化させる、と言っても過言ではない。そしてオーウェルが本当に伝えたかったメッセージはここにあるのではないかと思う。

詳しくは次章にて・・・。




権力者批判よりも大衆批判

本作はしばしばナポレオンという指導者を批判した物語と捉えられがちだ。

それは間違いではないが、しかし本作の最大の意図は、大衆の無知や怠慢を指摘する点にあったと考えられる。

オーウェルはインタビューにて、「大衆が目を見開いて、指導者たちの仕事を始末する重要性」を説いている。つまり、大衆が自主的に指導者の正当性を判断する必要があるわけだ。

まさに作中の動物たちはそれらの義務を怠った結果、恐怖政治に支配された。

  • 大抵の動物
    →文字が読めないため、改ざんに気づかない
  • 羊たち
    →言葉の意味を理解せずに、スローガンを叫び続ける
  • 馬のボクサー
    →「ナポレオンは常に正しい」と唱え、身を粉にして働き、その結果肉体が使い物にならなくなり、食肉として売り飛ばされる

これら全ては無知が招いた結果である。

もちろん彼らはナポレオンの恐怖政治に違和感を抱いていた。しかし、その違和感を言語化するだけの知識がないために、支配され搾取されることになったのだ。

しかし無知な彼らよりも、もっと愚かな存在は、ロバのベンジャミンだ。

ベンジャミンはおかしな現状に気づいているものの、どうせ何も変わらない、良くも悪くもならない、とニヒルな態度で口をつぐんでいた。現状の違和感に気づいているのに、口をつぐんで行動しない、それは間接的にナポレオンの恐怖政治を助長しているのだ。

言い換えれば、悲観主義者こそ1番の悪だ。それは現在の日本社会にも当てはまる。政治的な発言をするのはタブー、真面目に思想を披露するのはカッコ悪い、一人が声を上げたところで何も変わらない、そういう大衆の諦めや無関心は、権力者にとって好都合で、結果的に権力者の悪行を助長させることになるのだ。

ナポレオンが支配する「動物農場」には、確かに諦めと怠慢の雰囲気が充満していた。そういう意味で、本作は、権力者批判のみならず、権力構造全体を批判していたと言える。

資本主義こそ最大の悪?

前述した通り、本作にはソ連批判が含まれているが、作者のオーウェルは社会主義者だった。これは一見矛盾するようだが、しかし彼の思想は理にかなっている。

純粋な社会主義は、格差を無くすことを出発点としている。しかし歴史上、それが正確に実現された試しは一度もない。必ず指導者によって社会主義は歪曲わいきょくされ、恐怖による支配へと化す。そういう意味で、作者のオーウェルは、スターリニズムの批判を通して、純粋な社会主義思想を取り戻そうとしていたのだと思う。つまり、ナポレオンのような支配者が生まれない、本当に自由で平等な社会のことだ。

あるいはオーウェルの思想は、資本主義批判と捉えることも可能だ。資本主義である以上、格差は確実に生まれる。なぜなら資本主義自体、強者が弱者から搾取する構造で出来上がっているからだ。

貧しい家庭に生まれた子供は、十分な教育が受けられず、就職予備校とも呼べる大学に進学できないため(あるいは、進学したとしても莫大な奨学金を背負うため)、その後劣悪な労働を強いられる。その貧しい生活の中で新たに生まれる子供は、やはり親と同じ人生を歩む羽目になる。永久に貧困から抜け出せない構造になっているわけだ。もし、誰にでもチャンスは開けている、と反対の声が上がるなら、無論それは認める。だがそれは、誰にでも宝くじが当たる可能性がある、と言っているようなものだ。実際問題として、貧困の連鎖は存在するし、そこから目を背けてはいけない。

そして、そういう厳しい連鎖に縛られた人間は、往々にして無知であるため、「動物農場」の動物たちのように、違和感を言語化することができない。まさに強者からすれば、都合いい弱者なわけだ。

『動物農場』では、豚たちにしか教育の機会が与えられていない。それは、誰にでも開けているようで、しかし一部の人種に優遇される資本主義社会の姿とも言える。

全ての動物は平等である、だが一部の動物は他よりもっと平等である

このスローガンこそが、全てを物語っている。

結局、社会主義だろうが、資本主義だろうが、権力構造の点においては、我々は羊や馬などの家畜と何ら変わらないのだ。しかし我々には選択肢がある。無知な羊や馬のように従い続ける、あるいはロバのベンジャミンのようにニヒルに口を閉ざすのか。それとも、権力者の悪行に目を見張るのか。

『動物農場』はおとぎ話でも、ディストピア小説でもない。今我々が向き合うべき、現実世界の出来事なのだ。




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