田山花袋の小説『蒲団』は、日本における自然主義文学の代表作である。
女学生が使っていた蒲団の匂いを嗅ぐことで有名な例の変態文学だ。
作者の実体験や、性欲の葛藤を赤裸々に描いた本作は、私小説の出発点とも言われている。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察していく。
作品概要
作者 | 田山花袋(58歳没) |
発表時期 | 1907年(明治40年) |
ジャンル | 私小説 自然主義文学 |
ページ数 | 104ページ |
テーマ | 性欲の葛藤 自意識による苦悩 明治時代の新思想 |
あらすじ
中年作家で妻子持ちの時雄は、日々の生活に倦怠している。 二度と若い女性と恋に落ちる機会がない現実に失望しているのだ。
そんな時雄の元に、文学の弟子入りを願い出る芳子という女性が現れる。しかもいざ対面すれば、神戸女学院に通う美しい女性であった。「先生!先生!」と慕う芳子の愛嬌に、時雄の灰色の生活は一変した。
だが間も無く問題が起こる。芳子に恋人ができたのだ。田中という京都の大学生だった。師である時雄は、恋を応援する風を演じながらも、内心では激しい嫉妬に悶えていた。
事態はさらに悪化する。田中が芳子を追って上京したのだ。気が気でなくなった時雄は、芳子の父を交えた話し合いを開催する。今は勉学に勤しみ、将来身を立ててから結婚を考えるべき、というのが結論だった。しかし田中は断固として東京に居座るつもりだった。さらには既に二人が肉体関係を結んでいた事実も明らかになる。罪を犯した以上、芳子は父親に連れられ帰郷することになった。
芳子を失った時雄は、灰色の生活に引き戻される。押し入れには彼女の蒲団と寝巻きが残されていた。時雄は蒲団と寝巻きに顔を埋めて匂いを嗅ぎ、一人涙を流すのであった。
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個人的考察
間違った自然主義文学
本作『蒲団』は、自然主義文学の先駆けと言われている。だが日本の自然主義文学は、西洋のそれとは別物だと考えなければならない。
そもそも自然主義文学とは、19世紀末にフランスで誕生した文学運動である。その特徴は、客観性を重視し、あらゆる美化を否定するものであった。ところが日本では、「現実の出来事を包み隠さず描く」という誤った解釈が為され、暴露的な要素が強い文学として広まった。無論その張本人は田山花袋である。
それというのも、当時の田山花袋はかなり切羽詰まった状態だった。
同世代の島崎藤村は『破戒』で評価され、国木田独歩は『独歩集』で世に認められた。自分だけが燻っている感覚に悩まされていたのだ。
そんな窮地に追い詰められた田山花袋は、既存の型を破壊する革新的な文学を生み出すことに取り憑かれた。その結果、自分の生活もろとも赤裸々に暴露する小説を書き上げたのだ。
つまり本作『蒲団』は、作者が体験した、女弟子への恋煩いと性欲の葛藤を、そのまま物語にしたのである。自身の名誉を犠牲にしてまで芸術を優先した本作は、見事に賛否両論の結果をもたらした。「文学に新たな変動を起こした」と評価する者のいれば、「日本文学は滅びた」と非難する者もいた。
否定的な立場であった森鴎外は、『ヰタ・セクスアリス』という自分の性欲の歴史を暴露する作品をわざと発表し、自然主義文学を皮肉ったりもした。
ともあれ『蒲団』がきっかけで日本において暴露的な文学が流行したのも事実である。
あるいはとりわけ日本で私小説なるジャンルの人気が高いのも、田山花袋を初めとする当時の自然主義文学の功績と言えよう。シャイな日本人には小説を通して暴露する形式が性に合っていたのかもしれない。
以上の背景を踏まえて物語の考察に進む。
明治時代の恋愛観に苦しむ物語
妻子持ちの中年男性が女学生に夢中になり、叶わぬ恋の末に、女学生が使っていた蒲団と寝巻きの匂いを嗅ぐ・・・
短絡的に言えば、匂いフェチのおっさんの変態的な告白ということになる。だが単に変態性だけで文学史に名を刻むとは考えにくい。
つまり、変態的な物語の背景には、何か社会的テーマが含まれているのだ。結論から言うと、全体主義と個人主義の衝突である。
男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ
『蒲団/田山花袋』
上記引用の通り、作中では「旧式・新式」の対比が頻繁に為される。
それと言うのも、明治時代は思想の大きな転換期だった。「文明開花」という言葉に象徴されるように、明治時代には西洋の思想が一気に流入した。個人主義の風潮が到来し、女子教育が設立され、自由恋愛の願望が高まり、あらゆる価値観が変わりつつあったのだ。
時雄たち中年世代は、未だ旧式の全体主義的な価値観に親しい。一方で芳子のような若い世代は、新式の個人主義に目覚めつつある。いわば世代によって大きく価値観が異なるため、例えば恋愛や結婚という問題についても意見が衝突することが多かったのだ。
時雄の若かりし時代には、女性は完全に「家」の権威に丸め込まれていた。表情の少ない慎ましい性格こそ女性らしさであり、父の手から離れるのは夫に嫁ぐタイミング以外あり得なかった。男友達と関わることさえ世間は眉をひそめる具合である。
一方で芳子の世代の女性は、かつての女性らしさを踏襲していない。快活でハイカラな女性像が広まり、男友達と遊ぶのも珍しくない。ゆえに旧式の価値観を持つ親世代と対立し、しばしば不審な目で見られることも多かったのだ。
ところが時雄は中年にもかかわらず、新式の価値観に肯定的だった。それは羨望とも言える。慎ましい旧式な妻との生活に倦怠した彼には、ハイカラで快活な芳子のような女性が、あまりに新鮮で心を打たれたのだろう。
はっきり言えば、家庭や子育てに従順な慎ましい妻より、「先生!先生!」と快活に慕って来る芳子の方が魅力的だったわけだ。
だが時雄はあくまで旧式の人間である。いくら新しい世代の女性に胸を打たれても、現在の生活を投げ捨てるような個人主義的な決心はできなかった。だからこそ彼は終始曖昧な態度を貫き、内心では激しく葛藤していたのである。
時雄の葛藤については次章で詳しく考察する。
自意識過剰な時雄の思惑とは
本作最大の魅力は、時雄の自意識による葛藤だろう。彼の内心の想いと、実際の言動はまるでちぐはぐだった。
本音を言えば、時雄は芳子と一緒になりたかった。彼女の肉体を貪りたかった。いっそ妻が難産で死ねばいい、と想像するのだから相当の欲求不満である。だが時雄は世間の目を恐れ、本音を悟られぬよう正反対の言動をとる。例えば、妻の疑いを避けるために、芳子を自分の家から姉の家に移り住まわせる。あるいは、時たま芳子に淫靡な誘惑をされても、時雄は師としての威厳から素知らぬふりを演じる。
あくまで体裁を最優先に考え、自分の下心を必死に隠していたのだ。過剰な自意識がそうさせたのだろう。
芳子に恋人ができてからは、時雄の自意識は一層強くなる。内心では激しく嫉妬していた。それにもかかわらず、あたかも恋を応援する風を演じていた。下心を悟られないため、同時に芳子の信頼を損なわないために、応援者の役を演じざるを得なかったのだ。一方で、性行為の有無が気になり、勝手に芳子の手紙を盗み見するのだから、心中穏やかではない。
田中が芳子を追って上京すると、いよいよ時雄は嫉妬心に耐えきれなくなる。芳子を死守するため、何としてでも田中を帰郷させたかった。そのため時雄は芳子の父親を呼びつけて話し合いを設ける。ここでも時雄は体裁を優先する。つまり、二人の恋を応援していはいるが今は勉学に勤しむべき、というあたかも監督者らしい口実で田中を帰郷させようとしたのだ。
要するに、時雄は「世間体」と「芳子の信頼」を維持しつつ、いつまでも芳子を自分の側に置いておきたかったのだ。
しかし、芳子と田中が肉体関係を結んだ事実を知った途端、あれだけ固執していた芳子を帰郷させようとする。最優先は芳子を側に置くことだが、もし田中の手に渡る恐れがあるなら、いっそ父親の元に帰した方がましだったのだ。
結局時雄は、芳子への恋心と世間体との狭間で葛藤し、世間体に敗北したのだ。
誰しもが、恋愛において悪者になりたくない、という自意識を所有しているだろう。あるいは悪者になってでも不倫の恋を成就させる人もいる。だが明治時代の全体主義的な風潮の中では、世間の目は一層甚だしく、下心を悟られるなど罪悪であった。そう考えれば、時雄がなぜここまで自意識に振り回されたのか、想像することもできよう。
匂いを嗅ぐ行為に隠された意味
芳子を失い灰色の生活に戻った時雄は、かつて芳子が使っていた部屋に訪れる。そして彼女の蒲団と寝巻きを取り出して、匂いを嗅ぐ。
実はこの時の彼は、蒲団を広げてその上に寝巻きを乗せる形で、匂いを嗅いでいた。まるで一夜を共にする男女の姿を想像させる。
この行為には、時雄と芳子の関係性を象徴する意味が隠されている。
時雄には何度も芳子と肉体関係を結ぶチャンスがあった。序盤では、芳子が淫美な態度で時雄を誘う様子が見られた。あるいは終盤には、処女を失ったのなら夜這いしても構わないだろうと考えた。しかし時雄は世間体を優先し、全ての機会を見送った。
いくら個人主義にかぶれていても、結局時雄は全体主義の世代の人間である。世間体を犠牲にして女性を愛する決心ができなかったのだ。
そんな時雄は、寝巻きという芳子の幻影に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。もし時代が違えば、嗅覚に留まらず、触覚で芳子を愛することが叶ったかもしれない。
つまり本作では、五感を通して恋愛の過程を表現していたのだ。視覚と聴覚で相手を好きになり、嗅覚を経て、最後には触覚と味覚で相手の肉体を愛する(性行為)に行き着く。
だが時雄がなし得たのは、寝巻きの匂いを嗅ぐこと。つまり嗅覚の先にある、触覚と味覚(性行為)には辿り着けなかったのだ。
さすが文学者である。ここまでの技巧をもって性欲の葛藤を描かれたら、匂いを嗅ぐ行為にも、哀愁が感じられるだろう。
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