志賀直哉『小僧の神様』あらすじ考察 白樺派に見る人道的な葛藤

小僧の神様 散文のわだち
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短編小説『小僧の神様』と言えば、志賀直哉が「小説の神様」と称されるきっかけになった作品です。

明治から昭和にかけて文壇での絶対的な権威を持っていた志賀直哉。

時代を股に掛けた人気の理由や、彼の文学的な魅力に注目しながら考察していきます。

『小僧の神様』作品概要

作者志賀直哉(88歳没)
発表時期1920年(大正9年)
ジャンル短編小説、白樺派
テーマヒロイックな精神の懐疑
お金持ちの苦悩

読書が苦手、時短したい・・・

『小僧の神様』あらすじ

あらすじ

神田の秤屋で働く仙吉(小僧)は、番頭達の世間話の中で聞いた寿司屋に行きたいと思っています。ある時お使いの帰りに、その寿司屋に入るものの子供ですからお金が足りず、食べることができませんでした。

寿司屋で仙吉の様子を見ていた貴族院の男(A)は、奢ってあげれば良かったと後悔します。数日後にたまたま秤屋に寄ったAは、仙吉を発見し、寿司を奢ってやります。しかも寿司屋にお金を預け、今後も仙吉が食べに来れるよう計らっていました。

「どうして番頭たちが噂していた寿司屋をAが知っているのか」という疑問から、Aは神様ではないかと仙吉は思い始めます。一方でAは良いことをしたはずなので、人知れず悪いことをした後のような変に淋しい気持ちが残っていました。

最後には、「Aの住所を尋ねると稲荷の祠があって仙吉は驚いた」という構想があったが、小僧にとって残酷な気がしたのでやめる、という擱筆の文が挿入されています。

『小僧の神様』個人的考察

個人的考察

志賀直哉について

小説の神様」と称される志賀直哉は、作家のお手本のような存在として知られています。戦後の中学校国語教科書の推奨回数は、芥川龍之介に次いで第2位です。

志賀直哉と言えば、「白樺派」という文学ジャンルの作家です。同人誌「白樺」に起因する、明治の末頃に若い作家たちによって生み出された文学的な潮流のひとつです。

それまでは、田山花袋や島崎藤村らによる自然主義文学が主流でした。自然派は暴露的な作風が特徴で、過去に自分が犯した行為を小説内で赤裸々に語る懺悔のような傾向がありました。

そういった自然派の陰鬱とした人生観とは打って変わって、白樺派は人間肯定的な希望を感じさる作風として新たな主流を築きます。

志賀直哉の他に代表的な作家は、有島武郎や武者小路実篤らがいます。

そんな志賀直哉の作家人生は、父親との軋轢がひとつのテーマでもありました。尊敬する内村鑑三が足尾銅山鉱毒事件を非難したことに衝撃を受け、かつて足尾銅山を共同経営していた父と衝突したのです。長年の不和が続き、のちの和解は代表作『和解』で描かれています。

父との和解が実現したことで、志賀直哉は作家としての充実期を迎えます。この時期に『小僧の神様』を執筆し、文壇での地位を獲得することになりました。

後年、文壇での絶対的な権威を持つようになった志賀直哉は、太宰治や坂口安吾といった戦後の新進作家たちに尽く非難されます。彼らは既成文学へのアンチテーゼを主軸にしていましたから、志賀直哉こそが戦前の普遍的な文学の象徴であり、非難の対象だったのでしょう。

実体験から着想を得た作品

屋台のすし屋に小僧が入って来て一度持つたすしを価をいはれ又置いて出て行く、これだけが実際自分が其場に居あわせて見た事である。此短編には愛着を持つている。

『創作余談』

『小僧の神様』は、お金が足りなくて寿司が食べられなかった仙吉と、それを見ていたAとの不思議な交流を描いた物語でした。

「創作余談」によると、Aが仙吉を目撃した場面は、志賀直哉本人の実体験のようです。

何気ない日常の一部分から着想を得て、その後の二人の交流を創作したのです。それゆえに志賀直哉は本作に愛着を持っているみたいですが、その所以はどの部分にあるのでしょうか。

個人的な考察としては、いかなる創作活動も自己救済の目的が含まれているために、志賀直哉は現実世界での後悔を、小説内で昇華したのではないでしょうか。

つまり、お金がなく寿司を食えなかった小僧を目撃し、その場で施すことができなかった作者は、のちに小僧と再会して寿司を奢ってやったという美談に作り替えて、自分の後悔を擬似的に払拭したのかもしれません。

とは言え、その程度の独善的な内容であれば余りに浅薄でしょう。人道的な葛藤が描かれるからこそ、文学作品たる深みが生まれるのです。

果たして、志賀直哉は本作にいかなる葛藤を描いたのでしょうか?




お金持ち故のAの葛藤

Aの抱える葛藤は、ヒロイックな精神に対する懐疑、お金持ちの苦悩といった種類でしょう。

仙吉に対するAの心情は、以下のように進行していきます。

  1. 何だか可哀想だつた。どうかしてやりたいやうな気がした。
  2. (だけどその場で奢るのは)此方が冷汗ものだ。
  3. 名を知らしてからご馳走するのは同様如何にも冷汗の気がした。
  4. 此変に淋しい、いやな気持ちは。何故だろう。
  5. 丁度それは人知れず悪い事をした後の気持ちに似通って居る。

仙吉に同情したものの、その場で奢るのはどうも後ろめたく、だからと言って後日に別の店で奢っても心が晴れませんでした。むしろ罪悪感に似た感情すら抱いていました。

その場で仙吉に施したなら、金持ちの偽善だと周囲から非難されるやもしれない。そういった被害妄想にAは囚われていたのでしょう。だからこそ、後日に別の店へ連れて行き、店主にお金だけ預けて自分は颯爽と帰り、周囲に判らないように仙吉に寿司を奢ったのです。

それでもなお、罪悪感に似た気持ちを抱いてしまう理由を、Aは次のように語っています。

自分のした事が善事だと云う変な意識があつて、それを本統の心から批判され、裏切られ、嘲られて居るのが、かうした淋しい感じで感ぜられるのかしら?

『小僧の神様/志賀直哉』

結局のところ、自分自身が自分の善意を疑ってしまう所以に、罪の意識があるのでしょう。

他人に同情するのは偽善ではないか、という種類の葛藤だと思います。

欧米では「金持ちは社会や庶民に還元するもの」という価値観が一般的です。対照的に日本は、金持ちが社会に施すと偽善者と罵られる傾向にあります。被災地に募金した有名人を叩きたがる国民性ですから。

志賀直哉が属する白樺派は、人道的な価値観のもと平等な社会を望んでいる集団でした。ところが所属員は貴族出身の作家のため、彼らは後ろめたさを感じていたようです。

有島武郎は最も顕著で、裕福な家で育ったことが苦悩の種となり、最終的には女性問題も相まって精神的に破滅してしまいます。

こういった白樺派の背景から、志賀直哉もヒロイックな精神に対する懐疑と苦悩を抱えていたのだと推測できます。

耽美ではない美的感覚

作者は此処で筆を擱く事にする。実は小僧が「あの客」の本体を確めたい要求から、番頭に番地と名前を教えて貰って其処を尋ねて行く事を書こうと思った。小僧は其処へ行って見た。所が、其番地には人の住いがなくて、小さな稲荷の祠があつた。小僧は吃驚した。ーとか云う風に書こうと思った。然しそう書く事は小僧に対し少し残酷な気がして来た。それ故作者は前の所で擱筆する事にした。

『小僧の神様/志賀直哉』

物語の最後には、突然作者目線の人物が登場し、創作についての心情を吐露します。

Aのことを神様だと勘違いした仙吉が、番頭から聞いた住所を頼りに訪ねるとそこは稲荷の祠だった、というオチをあえて描かなかったという趣旨が綴られています。

何でも、残酷だから書かなかったようです。

仙吉にとってはAがある種の救済になっていました。悲しい時や苦しい時に、無償で恵んでくれたAを思い出すと一種の慰めになるのです。そんな仙吉が稲荷の祠を見たなら、確実にAが神様の類だと思い込むでしょう。

人道的な白樺派ですから、仙吉を騙してAを神に祀りあげる行為を残酷だと感じたのだと思います。純粋な子供を騙す行為こそ、ヒロイックな精神の最もな苦悩の種になり得ます。

そういう意味で志賀直哉は、道徳を排除してでも美を追求する耽美さが無く、真面目な作家であるように感じられます。それが志賀直哉の魅力のひとつでもあるでしょう。




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