ヘミングウェイ『日はまた昇る』あらすじ解説|失われた世代の文学

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日はまた昇る3 アメリカ文学

ヘミングウェイの代表作『日はまた昇る』は、出世作とも呼べる長編小説です。

作者が体験したパリやスペインでの日常が描かれれています。

「ロストジェネレーション」という言葉を世に知らしめたきっかけの作品でもあります。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者ヘミングウェイ(61歳没)
アメリカ
発表1926年
ジャンル長編小説
ページ数487ページ
テーマロストジェネレーションの日常
第一次世界大戦の傷

あらすじ

あらすじ

第一次世界大戦を経験したアメリカの若者、ロストジェネレーションの物語である。

戦争で負傷し性機能を失った主人公ジェイクは、パリで新聞特配員の仕事をしている。大抵は仲間と飲酒し自堕落に暮らしている。ある日ジェイクは、ダンスフロアでブレットという女性と知り合う。二人は互いに好意を持つのだが、しかしブレットは婚約者がいる身で多くの男と寝る奔放な女性だった。彼女の遊び相手には、コーンという男が含まれており、一度二人で旅行をした日から、コーンはブレットに付き纏っているのであった。

七月にジェイクは友人のビルとスペインのフェルミン祭に出かける。現地にはコーン、ブレット、ブレットの婚約者も来ていた。闘牛見物を楽しむも、コーンがしつこくブレットに付き纏い不穏な空気が流れる。一度はジェイクと殴り合いの喧嘩にさえ発展する。だがそんなことにはお構いなく、ブレットは闘牛士の若い青年ロメロに恋をし、皆をほっぽり出して駆け落ちしてしまう。

祭が終わり、皆が帰路に向かう中、ジェイクは一人でスペインに残る。数日してから駆け落ちしたブレットから電報が届く。どうやらブレットと闘牛士のロメロは別れてしまったようだ。再会したジェイクとブレットは、自分達が一緒になっていたら生活は楽しくなっていただろうか、と想像するのであった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

ロストジェネレーションとは

1920年代から30年代にかけて活躍したアメリカの作家を、ロストジェネレーション(失われた世代)と称する。代表的な作家は、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、フォークナーなどである。

その名称は、ヘミングウェイが体験した些細な出来事に由来する。彼がパリの自動車整備工場に訪れた際に、工場の主人が若い整備士に「une generation perdue」と罵ったことがきっかけだった。直訳すれば「失われた世代」なのだが、工場主は単に「最近の若い奴はだらしない」といった程度の意味で使ったのだと考えられる。それがヘミングウェイの中では、ある種の文学的なニュアンスとして引っかかり、自分達が「何かを喪失した世代」であることを意識させられたのだろう。

この1920年代の若者に共通する喪失感には、第一次世界大戦が関係している。戦争を経験した彼らの世代は、社会や文明や信仰に対して幻滅し、生きる目的を失ってしまったのだ。

こうした喪失感は、本作『日はまた昇る』の登場人物にも投影されている。ジェイクは戦争で負傷し性機能を失っている。ヒロインのブレットは最初の夫と死別している。ブレットの婚約者であるマイクは、事業が破産したことで借金を抱えている。このように登場人物の多くが何かしらの後ろ暗いものを抱えているのだ。

あるいは当時のアメリカは禁酒法時代であり、祖国を離れて西洋に移り住む者も多かった。実際にジェイクやコーンはアメリカからパリにやって来て、酒やダンスに明け暮れ自堕落な生活を送っている。側からは自由気ままな生活に見えるが、彼らにはどうしても埋められない虚無感があるのだ。

こうした若者の抱える喪失感を描いた本作は、当時の民衆に賞賛されたし、あるいは二十世紀という戦争の時代を通して、常に人々の共感を集めてきた。やがて1950年代になると、第二次世界大戦を経験した世代が、新たに「ビートジェネレーション(くたびれた世代)」という文学集団を形成するのだが、これもまたアメリカという土地に根付く、そしてヘミングウェイからの系譜として続く喪失感の流れなのかもしれない。

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ヘミングウェイの実体験の物語

本作の物語は、パリに住む25歳のヘミングウェイが、友人達とスペインで過ごした実体験が元になっている。友人の中には、ヒロイン・ブレットのモデルであるダフや、ブレットに付き纏ったコーンのモデル・ローブも含まれていた。

スペインに到着してからの彼らは、闘牛の見物に盛り上がっていた。その一方でローブがあまりにもダフに夢中になったため、仲間達の間に不穏な空気が流れた。いわばダフを取り合って男達が緊張状態に入っていたのだ。最終的にはヘミングウェイが、「お前のせいで楽しい旅が台無しだ」とローブに食ってかかる揉め事が勃発した。

かくして祭が終わると仲間達はそれぞれ帰路に向かった。だがヘミングウェイだけはスペインに残った。闘牛をもっと見たかったのだ。彼の中には、死を恐れない闘牛士のパフォーマンスが鮮明に刻まれ、闘牛士を主人公にした小説を書きたいと思いついていた。実際にヘミングウェイは短編小説の想定で原稿を書き進めていたが、その途中で、仲間達の身に起こったいざこざの出来事に興味が移り、最終的にはブレットというヒロインを取り巻く男達の緊張状態をメインに長編小説を書き上げたのだった。

このように近親の人間をモデルに小説を書き上げたため、周囲の人間はさぞ慌てたことだろう。実際にコーンのモデルとなったローブは、怒りのあまり拳銃を持ち出してヘミングウェイを追いかけ回したという逸話もあるくらいだ。

ともあれ『日はまた昇る』は小説として大成功を収め、ヘミングウェイの出世作になった。多くの女達はヒロイン・ブレットの自由奔放な生き方に憧れ、あるいは男達は作中の登場人物のタフな喋り方を真似したみたいだ。

そんな社会現象を巻き起こした本作は、言ってしえば単調な日々を描いただけの物語である。しかしなぜか荒涼とした雰囲気が漂っている。その原因については次章で考察する。

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若者が抱える喪失感

前述した通り、本作は「ロストジェネレーション(失われた世代)」の物語である。文体の特徴としてはかなり簡潔で、いい意味で(客観性という意味で)無表情である。だがその無表情な文体には、不思議と悲壮感が漂っている。

言うなれば、登場人物達がいくら酒を飲み闘牛に興奮し自堕落な生活を送っても、その深部にはどうにも埋められない喪失感が垣間見えるのだ。無論その喪失感には、彼らが経験した第一次世界大戦の陰が認められる。

まず主人公のジェイクは、先の戦争で負傷し、性機能を失っている。愛欲はあれど性行為ができない身なのだ。物語の冒頭では、ジェイクが売春婦と食事だけをして何もしないという描写が描かれている。あるいは、ヒロインのブレットに対して好意を持っているにもかかわらず、彼女が他の男と関係を持つことに取り立てて関与しない。恋愛問題について、一貫して無感情・無気力なのである。だがこれはジェイクが冷酷な人間というわけではない。性機能を喪失したことで、自分には愛し愛される権利はないと諦めているのだろう。そうした喪失感を抱えているため、いくら自堕落な生活を送っても、彼からは隠しきれない虚無感や悲壮感が滲み出ているのだ。

対照的にヒロインのブレットは性に奔放だ。マイクという婚約相手がいる身で、ジェイクに言い寄ったり、コーンと二人で旅に出たり、闘牛士のロメロと駆け落ちする。だがこれら淫らな行いも、また喪失感の裏返しなのだと考えられる。ブレットは先の戦争で夫を失っている。その経験がある種の強迫観念となり、彼女は一人の男性を愛することができなくなったのだろう。あるいは誰のことも愛していないのかもしれない。いくら本気で人を愛したところで、文明や社会は愛した人を奪ってしまう。その失意が彼女から愛し愛される権利を剥奪し、愛のない淫らな性生活に明け暮れていたのだろう。

このように、性機能を失ったジェイクと、性に奔放なブレットは対照的だが、その根本には愛する行為の喪失が共通している。戦争を経験し、文明や社会に幻滅し、人生に希望を持てなくなった彼らは、誰かを本気で愛することができない世代なのだ。

ラストの場面では、ジェイクと一緒になっていたら楽しい人生を送れたかもしれない、とブレットが不意に口にする。するとジェイクは、「想像するだけで充分だ」というニュアンスの言葉を口にする。彼らにとって「愛する」とは想像上の行為なのだ。何かを強く信じたり、誰かを強く愛すれば、その分だけ後に強烈な喪失感を味わう羽目になる。だからこそ彼らは無気力に日常を生きるのであり、それは戦争が当時の若者にもたらした諦念なのかもしれない。

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タイトルに込められた虚無感

『日はまた昇る』とは、一見希望に満ちたタイトルに感じられる。例えば、「失われた世代」が物語を通して希望を見出す、といった文脈を想像することができる。

だが実際は、虚無感という真逆の意味が込められたタイトルである。希望のない生活が明日も明後日も同じように繰り返される、といった悲観的な意味での「日はまた昇る」なのだ。

これは前述した通り、「失われた世代」が抱く諦念、その無感動な日常を象徴している。

作中では、闘牛に体当たりされ観客が死ぬ出来事が描かれる。その事件を聞いたホテルのウェイターは、「たかが遊びのために」「一時の享楽のために」という言葉を何度も繰り返す。

要するに、日常生活の中で、命を投げ出すほど何かに熱中したり興奮することが、滑稽だと訴えているのだ。それは例えば、恋のために身を投げ出す行為であり、仲間達と心から強熱を共有する行為である。そんな行為は馬鹿らしいと考える彼は、ひたすら酒を飲む。何となくダンスホールに赴く。それ自体に何の興奮も熱狂もない。ただ無関心に日々が続いていくのだ。

だが彼らは少なからず、その不毛な日常からの突破口を探していた。それは一連のスペインでの熱狂的なお祭り騒ぎである。だが街が熱狂に包まれても彼らの心は一向に満たされない。それどころか仲間内に緊張感が走り、最後は皆がバラバラに日常に帰っていく。

そう、皆が日常に帰っていくのだ。どこにも出口がないと諦め、「日がまた昇る」のを待つだけの日常である。

文明の発達によって芽生えた虚無感は、若者から希望を剥奪した。それは20世紀に限った話ではない。本作を読んで古臭さを感じないのは、やはり現代人もまた文明の虚無感の中で日々何かを失っているからではないだろうか。

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