吉本ばなな『ムーンライトシャドウ』あらすじ解説 小松菜奈出演の映画も紹介

ムーンライトシャドウ 散文のわだち
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吉本ばななの小説『ムーンライトシャドウ』をご存じですか?

1988年に発表された短編小説で、 吉本ばななが大学の卒業制作として執筆した作品です。デビュー作である連作短編集『キッチン』に収録されています。

2021年公開「小松菜奈」単独主演での映画化によって再び話題を集めました。

『ムーンライトシャドウ』作品概要

作者吉本ばなな
発表時期1988年(昭和63年)
ジャンル短編小説、卒業制作
テーマ愛する者の死の悲しみ
神秘体験による克服

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『ムーンライトシャドウ』あらすじ

あらすじ

さつきは交通事故によって恋人の等を失いました。その悲しみを紛らわすために、彼女は明け方に必ずジョギングをします。殆ど悲しみに走らされているようです。

ジョギングコースの折り返し地点に流れる川には、さつきの家と等の家を繋ぐ形で橋が架かっています。

その日もジョギングの最中に川の土手で休憩していると、突然「うらら」という不思議な少女に話しかけられます。なんでも近々「100年に1度の見もの」が川で起こると言うのです。

数日後、不思議な少女うららに導かれるままに早朝の川辺にやってきたさつきは、不思議な体験をします。突然どこかから懐かしい鈴の音が聞こえ、川の向こうに死んだはずの等の姿が現れます。等は笑って何度もこちらに手を振っていました。さつきは叫びたい気持ちを抑え、泣きながら手を振り返します。

うららの話では、100年に1度の様々な条件が重なった場合に、死者と再会出来るとのことでした。さつきは等と再会を果たすことが出来たのです。そしてうらら自身も恋人と死に別れた同じ境遇の者だったようです。

さつきは神秘的な体験の中で死んだ等と手を振り合ったことで、生に対する執着を取り戻し、 歩を進める決心をするのでした。

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『ムーンライトシャドウ』は、2021年に小松菜奈主演で映画化されました。

▼他にも多くの吉本ばななの映画作品あり

・『キッチン』1989年
・『TUGUMI』
1990年
・『ムーンライトシャドウ』
2021年

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『ムーンライトシャドウ』個人的考察

個人的考察

愛する者の死と神秘体験による克服

冒頭にも記しましたが、本作のテーマは吉本ばななお得意の「愛する者の死と、神秘体験による克服」です。

本作を読了された方であれば、作品集に収録されている代表作『キッチン』も読まれたことでしょう。『キッチン』では祖母の死によって孤児になったみかげが、雄一と同じ夢を共有するという神秘体験によって悲しみを克服していました。同様に、本作『ムーンライトシャドウ』においても、うららという不思議な少女に導かれた神秘体験によって、恋人の死を受け入れ、生に対する執着を取り戻したようです。

吉本ばななの描く孤独や悲しみには、象徴的な存在、つまり台所に固執するみかげや、病的にジョギングをするさつきなど、現実逃避の言動が描かれがちです。そして現実と向き合うための神秘体験は必ず他者によって施されますね。『ムーンライトシャドウ』であればうらら、あるいは等の弟である柊の存在も重要でした。いずれもさつきと同じ境遇、つまり愛する人を失った立場だというのが重要なポイントだと思います。

通常であれば、深い悲しみに囚われた人間を救い出せるのは健康的な人間でしょう。溺れている人間が溺れている人間を助けることはできない、とするのがある意味において鉄則であります。例えば、太宰治の作品における不幸者同士の親和がいずれ情死という破滅に繋がるように。

ところが、吉本ばななの作品では、深い悲しみに陥った主人公を救うのは、いつも同じように悲しみを知る人間です。ある種「不幸な者同士の親和」が希望的に描かれているのです。同じ痛みを知った人間同士が強く求めあった瞬間に神秘的なイベントが発生する、これが吉本ばななの持つ人生哲学なのかもしれません。

川の存在が象徴するものとは?

物語の中枢を担っていたのはやはり川の存在でしょう。

さつきと等の家の間を分断する川には白い橋がかかっていました。他者である2人の境界線が川によって表現され、境界線を跨ぐ心の接点が橋によって表現されていたのだと思います。頻繁に待ち合わせした場所であることからも、彼らの生活が交わる中間地点、結合部分を暗示する存在だったのでしょう。

そして等が死んでからは、川は現世と冥土を分断するいわゆる三途の川、橋は死者が渡る橋を象徴していたのでしょう。だからこそ、不思議な少女うららに導かれた神秘体験は川での出来事でしたし、等との再会は川を挟んでのみ果たされたのです。そこには二度と交わることのできない明確な境界線と距離が存在したように思います。決して橋を渡ってはいけないという、うららの忠告からも、向こう側は生きている人間が踏み入ってはならない死者の世界であることが想起されます。

あるいはこの神秘体験が七夕現象と称されることからも、彦星と織姫の再会をモチーフにしていることが判ります。様々な条件が重ならないと再会できないという設定も、七夕の日に悪天候になりやすい点を想起させます。

さつきが最後に生きている等と会ったのは、彼を橋の上で見送った時でした。その後彼は交通事故で死んでしまいます。つまり、予想だにしない突然の死であったため、さつきは彼に別れを告げることができないままだったのでしょう。そのため、再び川を挟んで手を触り合うことで、本当の意味でのお別れを経験して、蟠りを解消し、悲しみを克服することができたのだと思います。

うららの正体

うららの存在は非常に不可思議で、ある種における観念のようにさえ感じられます。全くと言っていいほど人間味を携えていないからです。

当ブログの筆者は、うららは死者ではないかと考察しています。寒い時期の早朝に薄着に白いコートを羽織っている点や、電話番号を自然と当ててしまう超人的な能力、あるいは勝手に家を特定して明け方にやって来る点も不可解です。「幻想のような青いもやに彼女が現れて、夢のように嬉しい」と言ううららの訪問に対するさつきの心情も、本当に現実の出来事なのか曖昧にするようなニュアンスが用いられます。

物語の終盤では、うららもさつきと同様に恋人と死別した事実が語られますが、「変な形で死に別れた」と記されるだけで、うららと恋人のどちらが死んだのかは明確に言及されていません。「変な形」という表現も気になります。

あるいは、うららは自分は街の住人ではなく「けっこう遠くから来た」と言及していました。それが物理的な距離を表す以上に、現世と冥土という観念的な距離を象徴しているようにも感じられます。つまり、うららは死後の世界からやって来た存在で、彼女が川の向こうに見出した恋人こそが現世の人間だったのかもしれません。

ともすれば、「またいつか会いましょう」と言って去っていくうららは、再び死後の世界へ帰っていくようで、「いつか」という言葉も妙に神秘的な響きに感じられます。

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