遠藤周作『黄色い人』あらすじ解説|日本人が持たぬ罪の意識

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黄色い人 散文のわだち

遠藤周作の小説『黄色い人』は、芥川賞受賞作『白い人』と対になる初期の代表作です。

「日本人とキリスト教」というテーマが最も顕著に表れた、遠藤文学の原点です。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者遠藤周作(73歳没)
発表時期  1955年(昭和30年)  
ジャンル中編小説
ページ数73ページ
テーマ日本人の罪の意識
日本人とキリスト教
宗教的倫理基準とは

あらすじ

あらすじ

東京の医学部に進学した千葉は、肺病を患ったため、故郷の兵庫県に帰省します。かつては外国人が多く住んでいた町でしたが、第二次世界大戦の影響で、今ではブロウ神父と、デュランさんしか住んでいません。

帰省後の千葉は、従妹の「糸子」と肉体関係を結び、惰性で彼女を犯し続けます。彼女には婚約者がいて、その婚約者と千葉は友人ですが、千葉は、罪の意識も両親の呵責もなく、ただ深い疲労を感じながら生きているのでした。

一方でデュランさんは、かつて神父で、千葉の洗礼をしてくれた人物です。ところがカトリックの司祭でありながら日本人女性と関係を結んだことで、教会を追放されてしまいました。彼は追放されたにも関わらず、絶えず罪の意識に苦しみ、神の存在に怯えています。唯一ブロウ神父だけがデュランさんに金銭的な支援をしています。ところがデュランさんは、神の呪縛から解放されるために、ブロウ神父を裏切ります。隠し持っている拳銃をブロウ神父の教会に隠し、密告文を警察に送りつけて、ブロウ神父を陥れたのです。間も無くブロウ神父は収容所に連行されます。

いよいよ空襲が始まりました。それでも無気力な千葉は、庭にデュランさんの日記が落ちているのを発見します。庭先にデュランさんの姿を認めた瞬間に街が爆撃され、デュランさんは死に絶えます。糸子も血を流して倒れています。そんな中、千葉はブロウ神父宛に、「白い人と黄色い人の隔たり」についての手紙を書いているのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

日本人にとっての罪の意識

キリスト教は遠藤周作の文学における最大のテーマです。

家がカトリックであったため、遠藤周作は旧制中学時代に洗礼を受けています。そして27歳の頃にはフランスに留学して、リヨン大学に入学しました。

ところが、彼は留学を通して、「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」を感じます。西洋人の信仰するキリスト教は、日本人には相容れない部分があると感じたのです。そのため彼は、日本人の精神風土にあったキリスト教を思索するようになります。その思索こそが、遠藤文学に一貫するテーマです。

本作『黄色い人』の主人公である千葉は、まさに日本人でありながらカトリックの洗礼を受けた人物です。しかし彼は幼少の頃から、キリスト教が啓示する「罪の意識」というものを理解できずにいました。それは大人になってからも変わらず、罪の意識はなく、ただ深い疲労感だけを抱いています。

千葉は従妹の糸子と肉体関係を結んでいます。しかも糸子には婚約者がいて、その婚約者の佐伯は千葉の友人です。されど千葉は、佐伯に対して申し訳ない気持ちもなければ、良心の呵責さえ起こらないのです。

それは神が存在しない日本人の精神風土を象徴しています。日本人は宗教的な倫理基準を持たないために、行為に対する正邪がなく、ただ深い疲れだけを抱えて生きているのです。

代表作『海と毒薬』では、宗教的な倫理基準がないために、同調圧力によって人々が何となく人体実験に参加する様子が描かれています。これもまた、神の存在しない故に罪の意識を感じない日本人の特徴です。

ただし、遠藤周作は、宗教的な倫理基準を持たない日本人を風刺しているわけではありません。そういった日本人の精神風土と、キリスト教の価値観が調和しない違和感を訴えているのだと思います。

だからこそ、主人公の千葉は、黄色人と白人の隔たりについて意義を申し立てる内容の手紙を、ブロウ神父宛に書いたのでしょう。

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デュランさんの苦悩

生まれざりしならば。ユダとともに私は、心底からそれを思う。そしてふたたび生まれることが不可能な今、私が自殺することさえ、神は許さない・・・。

『黄色い人/遠藤周作』

日本人女性キミと肉体関係を結んで、教会から追放されたデュランさん。

彼は主人公の千葉とは対照的に、恐ろしいほど罪の意識を感じています。

いっそのこと生まれてこなければよかったと思うが、やり直すこともできない、されどキリスト教の大罪のために自殺さえ許されない。拳銃を隠し持っており、それは自殺を象徴する機具ですが、実際に使うことができずにいます。彼はまるで出口のない状況に陥っているのです。

そんなデュランさんの心を突き刺したのは、キミの発した言葉でした。

「なぜ、神さまのことや教会のことが忘れられへんの。忘れればええやないの。あんたは教会を捨てはったんでしょう。ならどうしていつまでもその事ばかり気にかかりますの。なんまいだといえばそれで許してくれる仏さまの方がどれほどいいか、わからへん」

『黄色い人/遠藤周作』

デュランさんは教会から追放されたにも関わらず、キリスト教に固執し続けていました。その固執こそが苦悩の種でした。

神が存在しない日本人は、罪の意識を持たず、死への興味さえ失い、濁った目をして生きている。ならば、自分も神さえ忘れれば、罪の意識から解放されるかもしれない。そう悟ったデュランさんは、ブロウ神父への裏切りを決行します。罪を幾重にも重ねれば、千葉やその他の日本人のように、罪に鈍感になれると信じ、異邦人としての救済を望んだのです。

事実、爆撃で死んだデュランさんを見ていた千葉は、爆撃で死んだのではなく自殺したように感じた、とブロウ神父宛の手紙に記しています。自殺という大罪を果たした、つまり、キリスト教から解放された状態で、デュランさんが死んだことを暗示しているのでしょう。

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ブロウ神父は全て気づいていた

デュランさんは拳銃をこっそり教会に隠し、密告してブロウ神父を裏切ります。その結果、ブロウ神父は収容所に連行されます。

しかし、ブロウ神父はデュランさんの犯行を知った上で、受け入れたのだと考えられます。

デュランさんが拳銃を教会に隠しに行った際に、ブロウ神父の机には、パンセの一節が開かれていました。

基督はユダのうちに敵意を見ず。自分の愛する神の命令を見、それを言いあらわし給う。なぜなら、ユダを友と呼び給うからである。

『黄色い人/遠藤周作』

キリストは裏切り者のユダに敵意を向けることなく、全ての物事に神の摂理を見出し、ユダを友と呼びました。つまり、キリストはユダの罪を引き受けたのであり、ブロウ神父もまたデュランさんの罪(拳銃と逮捕)を引き受けたことを暗示しているのだと考えられます。

ブロウ神父は、最後にデュランと対面した時(デュランが裏切りの犯行がバレていないかを確かめに行った時)に、明らかに涙を流しているようでした。そしてデュランさんに次のような言葉をかけます。

「やっぱりカトリシスムはカナの奇蹟ですよ、ピエール。あなたを自殺に追いやろうとしたものは永遠に消えるでしょう」

『黄色い人/遠藤周作』

カナの奇蹟とは、キリストが最初に起こした、水を葡萄酒に変えた奇蹟です。つまり、水を葡萄酒に変えるように、ブロウ神父はデュランさんの罪を浄化させようというのです。

「自殺に追いやろうとしたもの」とは、デュランさんが抱える罪の意識であり、それを具現化させたのが拳銃です。つまり、拳銃とはデュランさんにとっての罪の意識の象徴なのです。

そして罪の意識(拳銃)が永遠に消えることの示唆は、ブロウ神父が拳銃を引き受けることの暗示だったと解釈できます。

ブロウ神父の連行は、神の摂理を信仰する彼自身が意図して受け入れた結果だったのです。

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千葉がブロウ神父に手紙を書いた理由

千葉はデュランさんの日記を読んだので、デュランさんの苦悩、裏切り、そしてブロウ神父が全て気づいていたことまでも理解しています。

その上で、千葉は手紙を通してブロウ神父に異議を唱えています。カナの奇蹟に象徴される、神の摂理についての異議です。

けれども、貴方たちが摂理とよぶものは、ぼくにとってはどうにも動かしようのない運命に見えるのです。

『黄色い人/遠藤周作』

運命という概念を主張することで、神の摂理を否定しているようです。つまり、神の力によって罪を浄化させる奇蹟に対して、日本人の千葉は共鳴できずにいるのです。

その証拠に、千葉はデュランさんの死をあえて自殺だと記しました。それは明らかにブロウ神父への攻撃です。なぜならデュランさんの死が自殺なら、ブロウ神父が唱える神の摂理が実を結ばなかったことになるからです。全ては運命の仕業で、神の摂理によって救済することは不可能である、と千葉は訴えていたのでしょう。

そこにはどうしても相容れない、黄色人と西洋人の隔たりが存在するのです。あくまで『黄色い人』では、その隔たりを問題提起するに留まっています。その隔たりを埋める、つまり日本人に適したキリスト教の思索の結果は、後年の傑作『深い河』で紐解かれます。

宗教とは、運命や不条理に人間が立ち向かうために必要な信仰なのかもしれません。

それを持たぬ日本人は、あらゆる運命を自動で受け入れ、無気力に暮らしている。ただ深い疲れだけを感じながら。千葉も糸子も、特攻隊の佐伯も、皆が巨大の運命の中で、諦めている。

だからと言って、そんな日本人に西洋的な価値観をそのまま差し出しても、それが実際的な救済に繋がるわけでもない。その事実に気づいているのが千葉であり、デュランさんであり、彼らの葛藤こそが遠藤周作自身の生涯を通した葛藤だと言えるでしょう。

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映画『沈黙』がおすすめ

遠藤周作の代表作『沈黙』は、スコセッシ監督がハリウッドで映画化し話題になった。

禁教時代の長崎に潜入した宣教師は、想像を絶するキリシタン弾圧の光景を目撃し、彼らを救うために棄教の選択を迫られる・・・・

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