魯迅『阿Q正伝』あらすじ解説|著者が伝えたいことは民衆批判?

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阿Q正伝1 散文のわだち

魯迅の小説『阿Q正伝』は、『故郷』『狂人日記』と並ぶ代表作である。

辛亥革命の頃の自国民の様子を描き、その無知・無自覚を徹底的に風刺している。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察していく。

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作品概要

作者魯迅(55歳没)
中国
発表時期  1021年〜1922年  
 ※雑誌連載  
ジャンル中編小説
ページ数55ページ
テーマ近代中国の実態
民衆批判
旧思想の撤廃 

あらすじ

あらすじ

清から中華民国へ移り変わる、辛亥革命の時期が舞台である。

小さな村に、本名すら定かでない「阿Q」という男がいた。家も金も家族もなく、日雇いで暮らしている。そんな最下層の阿Qは、村人たちに馬鹿にされている。人一倍プライドが高い阿Qは、馬鹿にする相手に食ってかかるが、必ず喧嘩に負ける。だが喧嘩に負けても、頭の中で自分が勝ったと思い込むことで満足する呑気な男であった。

ある時、革命党の連中が近くの街にやって来る。村の金持ちたちは革命党の存在に怯えていた。その様子を見た阿Qは、自分も革命党になれば、皆を驚かすことができると思い、意味も分からぬまま「革命!」と叫びながら村を駆け回る。だが本当の革命党は、阿Qのことなど相手にしていなかった。

しばらくして阿Qは逮捕される。無闇に「革命」を叫んだせいで、謀反に関与したと勘違いされたのだ。無知で字も書けない阿Qは、取り調べで弁明することができず、流されるままに刑場へと連行される。ようやく「助けて」と叫ぼうとした時には、彼の体は銃弾で粉々になっていた。

群衆たちは、阿Qが悪いと口々に言い、それどころか銃殺は首斬りより見応えがないと、不満を漏らす始末であった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

当時の中国の時代背景

前述した通り、本作『阿Q正伝』は辛亥革命の時期の中国が舞台である。

当時「清」と名乗っていた中国国家は、列強にかなり遅れを取っており、下記のような悲惨な状況だった。

・1840年:アヘン戦争
→イギリスに香港を割譲
・1894年:日清戦争
→日本に遼東半島を譲渡、巨額の賠償金
・1915年:「二十一カ条の要求」
→不平等条約を日本に迫られる

完全に列強の支配下にあったわけだ。

その屈辱から、欧米の知識を導入し、殖産興業・富国強兵を目指す動きは起こっていたが、なかなか国内全体に広まることはなかった。多くの中国国民は、弁髪に象徴される、封建的で旧時代的な風習や価値観の中にいたのだ。

だが1910年代に入ると、孫文の思想に影響された革命党が誕生し、武力制圧によって清を打倒しようという国内の動きが始まる。これがいわゆる「辛亥革命」である。結果的に革命は成功し、中華民国が樹立されるに至った。

そして本作『阿Q正伝』は、革命前夜の物語である。つまり、革命党の武力行使で国内が揺れ動いていた時期だ。実際に作中では、革命党が村に現れて、金持ちの家財を盗んでいく描写が描かれている。あるいは謀反として革命党の人間が処刑される様子も描かれている。

一方で村人たちは、革命が何たるやを理解していない。金持ちたちは、自分の家が襲われる危険性ばかりを気にしている。あるいは、阿Qや小Dなどの最下層な村人は、何となく革命の雰囲気が高まっているので、自分も弁髪をやめようか、といったある種の流行くらいにしか感じていない。

このような無知な人間がいかに愚かで、どのような末路を歩むか。魯迅は、阿Qの惨めな運命を通して訴えていたのだろう。

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魯迅が経験した愚かな自国民

当時の中国国民の無知・無自覚に対して、魯迅が危機感を持ったのには、きっかけがあった。

魯迅はかつて日本に留学していた。仙台の専門学校で医学を専攻していた。しかし彼は中途で専門学校を退学してしまう。

退学した理由は、学校の講義で見せられた日露戦争にまつわる映像が関係していた。その映像には、ロシア人のスパイとして捕まった中国人が、日本人に首斬り処刑される様子が収録されていた。さらに、処刑の現場にいる中国人は、仲間が目前で処刑されて、屈辱を感じるどころか、好奇心に満ちた表情で見物していたのだ。

この出来事にショックを受けた魯迅は、後に自序の中で次のような言葉を残している。

あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとえ体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。

『自序(岩波文庫「阿Q正伝」収録)』

医学も重要だが、それ以前に、自国民の精神があまりに腐り切っていた。

見せしめとして仲間が目前で殺される様子を面白がって見物し、あるいは自分とは無関係な出来事、よもや自分の身に降り掛かるはずがない、と楽観する愚かな精神を治療する方が重要だと感じたのだろう。

以上の出来事から、魯迅は文学を通して、徹底的に自国民を風刺するようになった。しかし、それらは決して売国奴のような意図ではなく、自国を愛しているからこその風刺だったのだ。

こうした背景を踏まえた上で物語を考察する。

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無知・無自覚が招く阿Qの運命

無知・無自覚な当時の国民を最も象徴するのが、阿Qであろう。

最下層の阿Qは、村人から馬鹿にされ、よく喧嘩で打ち負かされていた。だが阿Qには、頭の中で勝った気になる「精神勝利法」という得意技があり、いくら馬鹿にされ殴られてもケロっとしていた。

この「精神勝利法」は、まさに当時の中国を象徴している。列強に占領されても、まるで敗北に無自覚な国民を揶揄しているのだろう。

あるいは阿Qは、自分が知る常識が正解だと盲信している。阿Qの住む村では、鯛の唐揚げには、長さ五分ほどのねぎを添えるのが常識だった。しかし他所の街では、みじん切りのねぎを添える。これは単に地域による文化の違いであるが、阿Qは他所の風習を間違っていると決めつけていた。

これもまた、無知ゆえに視野の狭い国民を象徴している。自分の知る常識だけを信じ、世界が今どのような状況に置かれているかを全く知らない愚かさである。

このように無知・無自覚な阿Qは、訳も分からず革命党に便乗する。村の金持ちが怯える様子を見て、自分も革命党になれば彼らを脅かすことができると、まるで頓珍漢な理由だった。ただし彼は革命が何たるを知らないため、とりあえず革命党の人間のように弁髪を止め、それで革命党の一員になった気になる。まさに、内情を知らぬまま、右へ左へ流される滑稽な国民の生写しである。

こうした安易な行動が原因で、阿Qは謀反の嫌疑をかけられて逮捕される。取り調べでは、正直に話せば解放すると忠告されていた。ところが阿Qはあまりに無知であるため、自分がなぜ捕まったのか、あるいは革命党とは無関係である事実を説明することができない。

最終的に阿Qは、ある書類に名前を書くよう命令される。おそらく自分が革命党であることを認める書類だったのだろう。ところが阿Qは字を読めない、文字も書けない。だから言われるがままに、書類に丸を書かされ、処刑場へ連行される。そして初めて死を予感し、助けを求めようとした時には、彼の肉体は銃弾で粉々になっていた。

全ては無知・無自覚が招いた悲劇である。革命が何たるかを知っていれば、あるいは字を理解し、弁明するだけの頭があれば、彼は処刑されずに済んだだろう。

きっと多くの人が、阿Qを滑稽に思うだろう。だが他人事ではない。我々が生きる21世紀の社会とて、無知な人間は永久に虐げられる、そんなシステムで出来上がっているのだから。

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阿Qの処刑に喝采する群衆

ここまで阿Qの愚かさを解説してきたが、本当に魯迅が風刺したかったのは、むしろ阿Qを取り巻く群衆の方だろう。

謀反の疑いで阿Qが処刑される様子を、民衆は面白がって見物していた。それどころか、銃殺では見応えがないと不満を漏らす始末である。

これはまさに魯迅が日本で目撃した、日露戦争の映像に映る中国人の反映だろう。同じ村人が処刑されているのに、何も危機感を抱かない。村人の中には、阿Qと同様に革命の風潮に感化されて、弁髪を止めるような人間もいた。場合によっては彼らも阿Qと同じ末路を歩む可能性があったのだ。

最も恐ろしいのは、「処刑されるのだから阿Qが悪いに違いない」と村人が短絡的に決めつけていたことだ。実際に阿Qが無実であることは知らぬまま、ただ表層の部分でしか判断していない。彼らの思考は完全に停止しているのだ。

元より村人の思考は、恐ろしいくらい右に左に流されていた。阿Qが金持ちの家の姓を名乗ったり、偉い人間の家で働いていると嘯くと、村人たちは手のひらを返したように、阿Qを敬うようになった。それらが嘘だと分かると、今度は阿Qを見下す。あるいは阿Qが盗みで金を蓄えれば、村人は阿Qに媚びる始末である。

彼らは自分で考え、判断し、疑うことを放棄しているのだ。

こういった無知・無自覚な人間は、権力者の思う壺である。世間やメディアが「A」だと吹聴すれば、疑いもなく「A」だと信じる。仮にも「B」だと主張するものがいれば、「あいつは馬鹿だ」と嘲笑する。これは当時の中国社会に限らず、現代社会・ネット社会にも当てはまる愚行だろう。

自分で疑い、調べ、判断することを放棄し、大衆に混じって傍観者に徹する時、我々の運命は阿Qと隣り合わせだと考えなくてはならない。

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