魯迅の『阿Q正伝』あらすじ考察 無知・無自覚という病理

阿Q正伝 散文のわだち
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魯迅の小説『阿Q正伝』をご存知ですか?

1921年から1922年にかけて、新聞で連載された中国の中編小説です。

舞台は清が中華民国へ変わろうとする辛亥革命の頃の中国です。正式な名前さえ分からない最下層の人間を主人公にし、当時の中国国民の実態を面白おかしく風刺しています。

以前紹介した『狂人日記』でも説明した通り、作者である魯迅は、依然として封建的な姿勢を保つ滑稽な自国民を痛烈に批判しました。日本留学の経験があり列強の実態を知っていたからこそ、自国民の無知、無自覚に危機感を覚えたようです。

果たして、『阿Q正伝』の主人公はどんな人物で、いったい当時の民衆のどういった愚かさを表現していたのでしょうか。あらすじを考察していこうと思います。

※『狂人日記』のあらすじ考察は下記です。

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『阿Q正伝』の作品概要

作者魯迅(中国)
発表時期 1021年〜1922年
ジャンル中編小説
テーマ近代中国の実態、
民衆批判、旧思想の撤廃 

『阿Q正伝』の300字あらすじ

正確な名前が判らず、家も職も女もない「阿Q」と呼ばれる最下層の人間がいました。

彼は周囲の人間に罵られ、日雇い仲間との喧嘩では勝てた試しがありません。ところが、「精神勝利法」という自己完結した脳内の勝利によって、彼は自尊心を保っています。

ある時、阿Qは村の金持ちの女中に手を出したことが原因で村八分になります。食うに困り盗人同然の生活を送っていると、革命党が近くに来たことを知り、阿Qは何も理解せずに革命に便乗して騒ぎます。

阿Qは革命に関与した無実の罪に問われます。彼は無知・無学故に、自分の潔白を証明できず、銃で処刑されます。民衆たちは見応えのない処刑に、不満を口にするのでした。

『阿Q正伝』のあらすじを詳しく

①名前さえはっきりしない「阿Q」

阿Qには身寄りがないため、彼の生い立ちを知る者はいません。姓が判らないどころか、「あきゅう」の正確な漢字表記も不明です。そのため、当て字として「阿Q」と記しているに過ぎません。

阿Qには家がなく、勝手に神社を寝床にしています。仕事といえば、村の人間にこき使われる日雇いだけで、その日暮らしが常です。

貧乏な阿Qですが、彼は非常に自尊心が強く、自分の知らない物を間違いだと思い込む癖があります。しかし、彼は最下層の田舎者であり、無知・無学の象徴のような男なのでした。

おまけに頭部はできものだらけの禿げがいくつもあります。周囲の人間から外見の醜さを馬鹿にされれば、たちまち喧嘩を申し込むのですが、阿Qが勝てた試しはありません。

ところが彼には「精神勝利法」という、自分の頭の中で自分が勝利したと思い込む習慣があります。そのため、いくら喧嘩に負けてもへこたれることは無く、むしろ勝ち誇った気分で酒を飲み、眠りにつくのでした。

②女を強く求める阿Q

阿Qお得意の「精神勝利法」は非常に便利でした。彼が見下している、髭が醜い日雇い仲間である王胡に喧嘩で返り討ちにされた屈辱も消えてなくなります。日本に留学して辮髪を切り落とした「偽毛唐」に殴られても、すぐに忘れられます。

ところが女のことになると、阿Qも困惑します。彼は若い尼を見かけると必ず茶々を入れるのですが、その日はなぜか尼の頬をつねった感触が夜になっても消えませんでした。女がなければ自分の子孫は途絶え、それほど不幸なことはないと阿Qは思うのでした。その夜、彼は眠れずにひたすら女の存在を強く求めます。

ある日、村の金持ちである趙家の家で、阿Qは日雇いの仕事をしていました。彼は休憩がてらに煙草を吸いながら、趙家の女中と無駄話をしていました。女を求める欲求が高まり理性を失った阿Qは、無理やり女中を犯そうとします。

阿Qの愚行がばれた結果、彼は村の役人から諸々の条件を迫られます。つまり、彼は金持ちの家の女中に手を出したことで、村八分にされたのです

③盗みで生計を立てる阿Q

一時の感情で過ちを犯した阿Qは、肌着まで没収され、無一文になります。村の人間は彼を見るなり逃げ出すようになりました。

村八分にあった阿Qは日雇いの仕事を任されることもなくなります。自分よりも見窄らしい小Dという男に、ことごとく仕事を奪われる始末です。

今晩の飯さえ食えなくなった阿Qは、さすがに危機感を抱き、村を飛び出して城内に向かいます。

幾月か過ぎて、再び村に戻って来た阿Qは、真新しい服を着込み、現金を持ち合わせていました。なんでも城内に行って、科挙に合格した者の屋敷で働いているとの噂です。高貴な屋敷で働いているだけで、村の人々の態度は一変し、かつての村八分は幻想か、阿Qを敬うようになります。

阿Qが真新しい服を持っていることは、たちまち村の金持ちの間に広まり、門前払いだった趙家さえも彼に近寄るようになります。

ところが、どうも胡散臭い阿Qを村人の1人が問い詰めたところ、彼は城内で盗人の下っ端をしていただけなのでした。

④革命

ある夜、城内に住む金持ちの挙人旦那が船で村にやって来ます。革命党が城内に侵入したので逃れて来た、という噂が村中に広がります。

噂は阿Qの耳にも入ります。彼はかつて城内で革命党の人間が処刑される場面を目撃したことがあります。そのため反逆者は憎むべき存在だと認識しています。しかし、挙人旦那を含む金持ち共が恐れる様子から、彼は革命も面白いかもしれないと考えます。

酒の酔いも相まって、阿Qは自分が革命党であるような気分になり、「謀反だ」と叫んで騒ぎ立てます。いい気持ちになって寝床に戻った阿Qですが、目覚めると、昨夜のうちに革命は遂行されていました。




⑤革命党に相手にされない阿Q

知らないうちに革命が遂行されていたことを知った阿Qは、どうして自分を誘わなかったのだと納得がいきませんでした。

無知な阿Qは辮髪を巻き上げれば革命党に入れると思っていましたが、実行したところで何も起こりません。元より革命党と無関係な彼は、唯一革命党の見知りである「偽毛唐」に頼みに行くしか方法がありませんでした。

阿Qは偽毛唐の元を尋ね、自分も革命党に入りたいと伝えますが、相手にされず追い返されてしまいます。

⑥趙家の略奪

結局革命党に参加できなかった阿Qでした。

ある夜、阿Qは村の慌ただしい様子に目を覚まします。すると小Dが慌てた様子で逃げ出して来ます。なんでも趙家が革命党に襲われ略奪に遭ったようです。

白兜を身につけた大勢の人間が、趙家から物を盗み出す様子を眺めた後に、阿Qは寝床に戻って腹立たしい気持ちになります。革命党が略奪に際して自分を誘わなかったことに怒っているのです。彼は、全て偽毛唐が悪いのだと考え、寝床で悪態をつくのでした。

それから4日後に、阿Qは兵士と自衛団と警官に機関銃を突きつけられ連行されます。なんと、革命党の略奪の容疑者として阿Qは捕らえられてしまったのです。

⑦無知故に冤罪を証明できない

嫌疑をかけられた阿Qは、丸太の檻に閉じ込められます。

午後になると檻から連れ出され、大広間で何十人もの男たちに尋問されます。さすがの阿Qも怖気付いましたし、何より無知・無学であったため、彼は尋問に対して順序立てて説明することができません。仲間がどこに逃げたかを尋ねられ、彼らは自分を呼びに来なかった、と彼なりに事実を口にするのですが、思うようには伝わりません。

翌日の尋問では、「他に何か言うことはないか」と尋ねられ、阿Qは単純な解釈で「ありません」と答えます。すると紙とペンを渡されます。阿Qは字が書けないため狼狽していると、丸でも書けと言われたのですが、手の震えによって綺麗な丸は書けませんでした。

さらに翌日、檻から連れ出された阿Qは、再び「他に何か言うことはないか」と尋ねられ、今度も「ありません」と彼は答えます。すると両手を縛られ、屋根なしの車に乗せられます。

⑧無実の処刑と群衆の目

車に乗せられた阿Qは、首を斬られるかもしれない、とその時になって自分の置かれた状況に気がつきます。

車はなかなかお仕置場には到着せず、長々とあたりを周回します。彼はお仕置前に、城内に見せしめられていたのですが、無知故に何をしているのか理解していなかったのです。

阿Qは城内の群衆の喝采を見つめます。臆病でいながら鋭く、鬼火のように煌く群衆の目が彼に注がれています。ところが、それよりも恐ろしい、鋭くて鈍い霊魂に噛み付くような目を発見します。期待外れの人間を見るような群衆の目つきでした。

「助けてくれ」と阿Qが口に出さぬうちに、彼の体は木っ端微塵に飛び散りました。

村の者たちは皆、今回の一件に関しては「阿Qが悪い」と口にしました。犯人が誰であれ、処刑されるということは阿Qが悪かったのだ、と漫然と把握していたのです。

ただし人々は不満を抱えていました。せっかく阿Qの見せしめに着いて回ったのに、彼が歌の一つも歌わなかったからです。あるいは首切りではなく銃殺だったため、処刑に見応えが感じられず、殆不満だったのです。

そして物語は幕を閉じます。




『阿Q正伝』の個人的考察

当時の中国の時代背景

「阿Q正伝」の舞台となったのは、辛亥革命により清が滅び、中華民国が誕生する時期の中国です。

作中に革命党が登場し、阿Qもよく判らないまま革命に参加していましたが、まさに孫文に影響を受けた革命軍が各地を武力制圧していた当時の状況が描かれていたのです。

偽毛頭が日本に留学して辮髪を切ったという小話や、革命の影響で村人たちが辮髪を巻き上げ出したのは、当時の中国の旧式の文化が否定され、新思想が普及していく様子を表現していたのでしょう。

魯迅はかつて日本に留学していました。当時の日本は日清・日露戦争の勝利により、アジアで勢力を拡大させていました。列強の文化に親しみ、他国の状況を肌で感じていたからこそ、依然として中国に残る悪習、ひいては自国民の意識の低さを実感していたのでしょう。

最下層の阿Qの無知・無学さや、村の人々の右往左往する滑稽さなどは、まさに列強に支配されることに慣れてしまった中国人の怠慢を表現していたのだと思います。

阿Qの無知・無学さが招いた運命

阿Qという、家も定職も学もない最下層の庶民を主人公に設定したのは、魯迅が当時の中国国民の無知・無自覚っぷりを非難するためでした。

阿Qには「精神勝利法」という自分の頭の中で勝ったような気持ちになる得意技がありました。それは一種の哲学や教訓になり得る所作ではあるのですが、やはり他国から占領された敗北感に無自覚な国民性を揶揄していたのだと思います。1915年には隣国の日本から対華21カ条要求という過剰な権益要求を迫られました。そういった状況でも殆無関心な国民性に、魯迅は危機感を抱いていたのでしょう。

無自覚や無関心の根源にはやはり、教養の無さが関係しています。教養がないために阿Qは村で搾取される社会的弱者であり続けたのです。あるいは革命に便乗したのも無知からくる単なる娯楽であり、嫌疑をかけられて弁解できなかったのも知識が不足していたからです。それどころか、阿Qには死に対する危機感すらも欠落していたため、呆気なく銃殺されてしまいます。

当時の中国の最大の病理とされた、無知・無自覚の問題は、阿Qのような思わぬ結果を招きかねない、という非難という名の教訓が本作には記されていたのでしょう。

阿Qの処刑に喝采する群衆の正体とは?

滑稽なのは阿Qのみならず、村の群衆たちも同様です。

阿Qが金持ちの家の姓を名乗ったり、科挙に合格した偉い人の家で働いていると話すと、村人は掌を返したように彼を敬うようになります。それらが嘘だと分かると元どおり彼を見下します。民衆は、自分で考え、判断し、疑うという思考が完全にシャットダウンしているのです。革命が話題に上がるようになれば、よく判らずに辮髪を巻き上げる程度には、世間に従順な無知・滑稽っぷりです。

印象的なのはやはり、阿Qの処刑に対して不満を抱いていたラストの描写でしょう。

これは作者である魯迅が実際にあった出来事を物語に挿入しているのです。日本に留学していた魯迅は、学校で日露戦争の記録映像を見せられます。その映像には、ロシア側のスパイ容疑で中国人が処刑される様子を、同じ中国人が喝采しているという奇妙な実態が記録されていました。魯迅は、同胞が銃殺されて喝采する中国国民の無自覚・無教養さに衝撃を受け、文学によって自国の精神を啓蒙するようになったみたいです。

無知故に無実で処刑された阿Qと、同胞の死に娯楽を見出し不満さえ抱く群衆の無教養さは、中国のみならず世界中の人々を啓蒙する文学作品になりました。それどころか時代を問わず、昨今のネット社会にも通づる人間の普遍的な醜悪が描かれているため、いつまでも愛され続けるのでしょう。

以上、魯迅の『阿Q正伝』のあらすじと考察の説明を終了します。

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