太宰治の『女生徒』あらすじ考察 少女文化・サブカルチャーの先駆け

女生徒 散文のわだち
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太宰治の小説『女生徒』をご存知ですか?

1939年に発表された短編小説で、芥川賞の受賞を巡って太宰とトラブルになった川端康成が、のちに称賛した作品でもあります。

タイトル通り、10代の女学生が朝目覚めてから眠るまでの厭世的な心情を綴った物語です。

本作の魅力は、多感な10代の女性の気持ちが、話し言葉の砕けた文体で綴られている点です。格式ばった文体ではないからこそ、少女の心情が生々しく、リアルに感じられます。

ちなみに本作は、太宰治の元に送られてきた日記が題材になっています。当時、19歳だった太宰治のファンの少女が書いた日記です。実際は3ヶ月くらいの分量の日記だったそうですが、太宰治がそれを1日の出来事に集約し、文学作品として仕上げたのです。

少女が抱える「純粋に対する憧れ」と「アイデンティティの渇望」、そのような普遍的なテーマに着目しながら考察していきます。

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『女生徒』の作品概要

作者太宰治
発表時期1939年(昭和14年)
ジャンル短編小説、随筆
テーマ思春期の自意識
厭世的な心理

『女生徒』の300字あらすじ

澱みと疲労によって目覚める少女の1日。

常に考え事をしてしまう喧しい精神。彼女は日常のふとした瞬間に、自分が少女から大人になっていく虚しさを感じます。大人の女性はいやらしくて、醜くて、不潔なもの、そんな女特有の嫌な匂いがこの頃自分から漂っている気がして、自己嫌悪に陥ります。

母のことは愛しています。時々、世間向きでお世辞な母を非難してしまい、自分が堪らなく嫌になります。母のことを大切にしよう、少女はそう思うのでした。そして死んだ父が無性に恋しくなります。

明日もまた同じ日が来る、されど幸福は一生来ない。こうして少女の1日は終わります。彼女は東京のどこかに住む、王子様のいないシンデレラ姫。

『女生徒』のあらすじを詳しく

①澱みきった目覚め

少女の目覚めは、澱みきっています。

熟睡していないせいか、夢の中で疲れ果てた末に目が覚めます。起き抜けの疲労感に、少女は寝床で虚無を感じるのでした。

「箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。」

『女生徒/太宰治』

空っぽな目覚めを乗り越えて、ようやく少女の1日が始まります。

少女は自分の「女性らしさ」に対して、葛藤しています。

例えば、布団を持ち上げる際に「よいしょ」と無意識に呟いていたことに気づき、自分は年老いた下品な女になってしまったのだと自己批判します。

あるいは、掃除をしながら「唐人お吉」という戯曲を口づさむ様子が年老いた女のようで、そのうち自分は寝言で下品なことを言い出すのではないか、と不安になります。

10代という多感な成長段階において、社会が求める女性像と、自分のアイデンティティが乖離していくことに嫌悪感と不安を抱いているようです。

「ジャピイ」と「カア」という2匹の犬を飼っている少女は、ジャピイだけを可愛がって、わざとカアに意地悪をします。カアは野良犬のように汚く、片輪で、それが可哀想でたまらないから、わざと意地悪したくなるのです。

少女は、胸の部分に白い薔薇を刺繍した下着を身につけます。もちろん、上着をまとえば刺繍は見えなくなってしまいます。その誰にも見られることのない、自分だけの特別感に、慎ましい美を感じるのでした。

②努力の限界が欲しい

このように、少女特有のアンビバレントな心情や、胸の内に秘めた自分だけの美学が、ほんの些細な日常の中から切り取られます。

それらは全て、少女の頭の中に浮かんでは消える、決して声に乗せて外界に放たれることのない、独り言なのです。

誰しもが少女と同様に、自分の頭の中だけでしか生きられない厄介な考えを抱えていることでしょう。読者は少女の繊細な心情に、いちいち共感しながら、あるいは、ほとんど自分自身と重ね合わせながら没頭してしまうのです。

「結局は、私ひまなもんだから、生活の苦労がないもんだから、毎日、幾百、幾千の見たり聞いたりの感受性の処理ができなくって、ポカンとしているうちに、そいつらが、お化けみたいな顔になってポカポカ浮いてくるのではないかしら。」

『女生徒/太宰治』

少女は後に兵隊を引き合いに出して、規律的な生活が羨ましいと打ち明けます。

自分は、何もしたくなければ何もせずに済むし、勉強をしようと思えば無限に時間がある。そういう「幸福過ぎる退屈」こそが、途方もない思弁の原因なのです。ここからここまでという努力の限界を与えられたら、どんなに気持ちが助かるだろうと彼女は嘆きます。

まさに昨今の人生設計に途方もない不安を感じている我々にとって、強く共感できる部分があるのではないでしょうか。先行き不透明な時代の過渡期に、人々が抱く焦燥感と無気力感。何かをしなければいけないと自分を脅迫しながらも、何をするべきなのか明確な答えが見当たらないもどかしさ。頭ばかりが先行し、行動は追いつかない。そんな時、努力の限界を与えられたらどんなに楽だろうか。

嗚呼、結局暇なのです。

③登校中の嘆き

登校中に駅近くで、少女は労働者の集団と遭遇します。

労働者はいつものように少女に汚い言葉を吐きかけます。

彼らを追い抜くのはおっかなく、遠ざかるのを待つにも胆力がいるので、少女は泣きたい気持ちになります。ゆっくり彼らの後をついて歩くことしかできません。そんな時少女は、早く強く、清くなりたいと願うのでした。

電車に乗り込み、空いていた席に一旦荷物をおいて、スカートのひだを整えてから座ろうとします。するとその間に、眼鏡の男が少女の荷物をどかして、席を横取ります。「あの、そこは私、見つけた席ですの。」と少女が訴えると、男は苦笑いして平気で新聞を読み始めました。よくよく考えると、自分の方が図々しいような気がして、少女は居た堪れない気持ちになります。

仕方なく少女は立ったまま本を読みます。経験のない自分から本を取ってしまったら、何も残らないような気がします。それくらい、少女は本に書かれていることに頼って生きているのです。受け売りの知識をあたかも自分のものに作り替えて、結局どれが本当の自分か分からなくなっています。

少女の読む本には「若い女の欠点」という見出しで、様々な立場の博識な人たちが考えを主張していました。決して否定できない、はっとさせられる内容なのですが、少女にはどこか楽観的な文章に感じられます。

つまり、たくさんの形容詞を使ってそれっぽいことが書かれているのですが、実際には具体性に欠けるのです。少女にとっては、権威のある言葉で、「右へ行け、左へ行け」と示してくれる方が有り難いのでした。

④中心はずれの少女

両親から「中心はずれの子」と揶揄されてきた少女。

自分が行きたいと思う場所、そういう正しい野心を、少女は朧げながら判っています。しかし、自分の信念を具現化することはとても困難です。

家族や知人や友人という存在がいます。何よりも大きな力で自分を押し流す「世の中」があります。それらを差し置いてでも、自分の野心に忠実に生きるのは利口ではないと感じるのです。

もし学校の「道徳」通り、自分の思うがままに生きたとしたら、その人は変人で、貧乏で、永遠に敗北者です。

このように、少女は個性と没個性の葛藤に酷く悩まされています。

家族や周囲の人間が大切だからこそ、彼らの考えに背いてまで自分の考えを押し通すことはできません。しかし、少女の中には完全に抑圧しきれない自我があって、今に世間向きな自分を乗っ取ってしまいそうなのです。

しかし、そんな葛藤も電車を降りた途端、思い出せなくなってしまうのでした。

⑤学校にて

美術の授業で、少女は先生の写生のモデルに選ばれます。人の役に立つことは嬉しい反面、先生のモデルになるのは疲れてしまいます。

自分はポーズを作り過ぎて、ポーズに引きずられた嘘つきだ、自然になりたい、素直になりたい、と写生のモデルを務めながら少女は考えています。

こんなふうに観念だけの生活に悩まされるのも、読書ばかりしているせいだと結論づけます。

下校のバスの中で、少女は今朝電車で隣合わせた厚化粧のおばさんを思い出します。自分が女だけに、女の中にある不潔さや汚さがよく判って嫌になります。

そして、自分も1日1日メスの嫌な体臭を発散させ、俗っぽくなっていくことを考えると、いっそ少女のままで死にたくなるのでした。

散々周囲の大人を非難した少女は、夕焼けの神々しさに感動しながら、「みんなを愛したい」と涙が出そうになります。




⑥帰宅

帰宅すると母は来客の相手をしていました。

少女は客の相手をする母があまり好きになれません。自分が優先されていない感覚があるからでしょうか。それでなくとも、少女は口には出せない孤独を感じています。

お嫁に行った姉には子供が生まれ、自分はもう姉に甘えることができないのだと寂しさを感じています。

父は一昨年に死にました。今はもういない父のことを考えると、少女は恋しくてたまらなくなります。

当然、父の死により母も孤独を抱えています。そのため少女は母を大事にしようと真から思うのですが、何故か母をいたわるのも嫌な感じがします。思春期特有の、いつまでも子供扱いされて、行動が制約される息苦しさが問題のようです。

少女は来客を心の中で軽蔑しています。しかし表面上は礼儀正しく接し、厚遇を欠かしません。そんな時、自分は嘘をついて周囲の人間を騙しているのだと嫌になります。あるいは、客の機嫌をとる母がただの弱い女だと感じます。母の弱さは父が死んだ孤独から来るものであり、改めて少女は父を恋しく思うのでした。

「自分の気持ちを殺して、人につとめることは、きっといいことに違いないんだけれど、これからさき、毎日、今井田御夫婦みたいな人たちに無理に笑いかけたり、合槌うたなければならないのだったら、私は、気ちがいになるかもしれない。」

『女生徒/太宰治』

少女は、女として生きることの窮屈さを露呈しながらも、母が父と結婚したように、自分も一生尽くす相手が見つかれば、生きがいを感じられるだろうと考えます。

お風呂に入った少女は、肉体が自分の気持ちとは関係なく、ひとりでに成長することに困惑します。大人になってしまう自分を悲しく思い、いつまでもお人形みたいな身体でいたい、と少女文化的な気持ちが胸に立ち込めます。

お風呂から出た少女は、星空を眺めながら再び父のことを回想します。記憶の中で思い出される過去の父と、それに反して成長していく自分を比較しながら、より一層感傷的になるのでした。

⑦就寝

来客の相手で忙しい母なので、2人で過ごす夜は久しぶりです。

少女は母の肩を揉んであげます。凝り固まった感触から母の疲れを実感し、少女はわがままな自分を恥ずかしく思いました。母も自分も同じ弱い女なのだと認め、これからはもっと母を大事にしようと決心しました。

少女は風呂場で洗濯をします。彼女は、自分と同じ境遇の人間がどこかに存在することを想像します。不安や恐怖を抱えているのは自分独りではないと、無理やり思い込もうとしているのです。

いずれ大人になればこんな苦しみも、なんでもない追憶として処理されるかもしれません。しかし、少女にとっては今この瞬間の苦しみだけが堪え難いのです。

「あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起こしているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、ささ、もう少しのがまんだ、あの山の頂上まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。」

『女生徒/太宰治』

少女は布団に入って、明日もまた同じ日が来るのだと、静かな敗北を受け入れます。

幸福は一夜おくれて来る。

そんな言葉を少女はふと思い出します。幸福を待ち望んで、堪え切れずに家を飛び出したら、その次の日に捨てた家に幸福が訪れる。そんな情けない考えが少女の頭の中で何度も繰り返されます。

庭では飼い犬のカアの足音が聞こえます。今朝はわざと意地悪をしたが、明日は可愛がってあげようと胸に決めます。

少女は眠りに落ちていきます。その様子が冒頭の目覚めと同様、秀逸な比喩表現によって綴られています。

そして最後の美しい1段落によって、物語は幕を閉じるのです。

「おやすみなさい。私は、王子様のいないシンデレラ姫。私、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。」

『女生徒/太宰治』




『女生徒』の個人的考察

とにかく構造が美しい

少女の息遣いまで伝わるような生々しい独白に、共感する部分も多かったのではないでしょうか。

私自身もこの『女生徒』は特別思い入れがある作品で、何度も繰り返し読みました。起承転結がなく、随筆のように展開されるのですが、とても形式的で美しい構成という印象を抱いています。

①目覚めと眠りの呼応

例えば、冒頭の目覚めの部分と、それに呼応する終盤の眠りの部分は、いずれも秀逸な比喩表現が使われています。

目覚めの部分では「自らが箱の蓋を開けていく」という能動的な表現が用いられます。一方で眠りの部分では「糸のようなもので頭を引っ張ったり緩めたりされる」という受動的な表現が用いられます。そうした自他動的に呼応する2つの表現に挟まれる形で、厭世的な1日の出来事が記されています。

少女の葛藤に対して、ほとんど着地点は記されていません。目覚めてから眠るまで問題はいずれも宙吊り状態です。しかし、目覚めと眠りの美しい対比構造が用意されるだけで、作品を読み終えた後、物語がしかるべき場所に着地したように感じさせられます。

②心と体の呼応

大人になることに対する嫌悪感を、「心と身体」相互的に捉えられている点も巧みです。

物語は基本的には少女の観念的な部分に焦点が当てられています。しかし、それに伴って肉体の様子も呼応するように描かれています。

例えば、女特有のいやらしさや不潔さという心の内の特徴は、厚化粧や着物の汚れや体臭のような外観で表現されます。

その他にも、自分がどんどん俗っぽい女になるという内面の下品さは、幼少の頃とは違う肌の白さや、自分の意思とは無関係に成長する身体のような外観的な特徴を用いて表現されています。

あくまで日記であり、ほとんど自分勝手な独白に過ぎないのですが、実は美しい構図で描かれているのです。

アンビバレントな美しさ

思春期とは自己対立の連続である、それこそがアンビバレントな美しさです。

少女は本来の意思とは裏腹なことばかり、行動したり考えたりします。

醜い容姿の飼い犬「カア」があまりにも可愛そうなので、わざと意地悪をしたり。通学途中に目にした下卑た女性を散々非難した後に、「みんなを愛したい」と呟いたり。弱い母親を大事にしようと思う一方で、いたわる気持ちに嫌気がさしたり。

これらは「抑えきれない自我」と「世間向きな自分」との対立によるものでしょう。

少女が自らの意思を優先した場合、世間という大きな流れに逆らうことになります。家族や友人や知人に逆らうことをも意味します。少女はそのような生き方を利口ではないと考えています。

下品な来客を心の中で憎むのは自我です。しかし世間向きな自分は来客に厚遇を欠かしません。母親を弱い女だと感じるのは自我です。しかし世間向きな自分は母親を大事にしなければいけないと決心します。

自分の野心を理解しつつも、結局世間という大きな流れには逆らえない少女の苦悩が描かれていたのです。それは「利口に生きる」という少女の静かな敗北でもあります。

あるいは下着に刺繍された薔薇のように、他人に見せるのではなく、自分の内側に隠し通す美学として、描かれていたのかもしれません。

ラスト一段落はどういう意味?

個人的にはやはりラスト1段落の文章に酷く胸を引っ掻かれたわけです。

おやすみなさい。私は、王子様のいないシンデレラ姫。私、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。

『女生徒/太宰治』

なんとも意味深で、判りづらいけど判ってしまうようなもどかしさ。一体、作者は最後の数行で何を表現していたのでしょうか。

そもそもラスト1段落は誰の手で書かれた文章なのでしょうか。太宰治が付け加えた文章なのか、それともファンである少女が太宰治に向けて記したメッセージなのか。いずれにしても、あえてラスト1段落に挿入した太宰治の美的感覚には圧倒されるばかりです。

散々少女に感情移入したのにもかかわらず、あっさり消えてなくなるような物悲しさがあります。

あるいは、ひたすら悩み葛藤した少女も、東京という街の中では取るに足らない存在だと言っているようにも感じられます。

さらには、自分らしく生きるということにこれほど葛藤した少女も、やがては大人になるのを受け入れ、大衆の中に紛れることを示唆しているようにも思われます。

いずれにしても、10代の陰鬱とした自己の葛藤は、後には二度と目にかかることができない、だから美しいのかもしれません。

その刹那的な自己犠牲の美学を、少女という儚い成長段階に乗せて物語を展開させるからこそ、切なくて、懐かしくて、苦くて、そして共感してしまうのでしょう。

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以上で、太宰治の短編小説『女生徒』の解説を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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